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3 庇護の手
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膝の上でぎゅっと手を握りしめて、希乃は車の後部座席で身を小さくしていた。
橘家の黒塗りの送迎車に乗るのは今も慣れない。でも一番大きな緊張の理由は、いつだって隣の席に座る司が原因だった。
「なぁ、希乃? いつまでも拗ねてないで、そろそろ機嫌を直してくれ」
「……拗ねてるのでは、ないです……。ただ怖かった、んです……」
希乃の鼻は、子どものように赤くなっていた。すん、としゃっくりを起こすように息を吸って、希乃は小声で言う。
「お金、あんなにいっぱい……や、やめてください。持って、帰って……」
「ははっ。やった金に、そんなことを言うのは希乃くらいだ」
子猫をあやすように希乃の頭を撫でながら、司はふと苦笑を浮かべる。
「でも仕方ないんだろうな。希乃が金に触ったこと、ほとんどなかったもんな?」
司の言う通りで、希乃は今まで財布を持つことさえなかった。外に出るときはいつも司が支払いをして、そうでないときは付き添いの使用人が払っていた。
だから今朝、部屋の中に突然運び込まれた立派な桐箪笥に、希乃はきょとんとして近づいた。「若頭からです」と使用人に言われてそろそろと引き出しを開けると……おびただしい数の札束が詰まっていた。
希乃は思わず後ずさって、ひぐっと喉を詰まらせた。司が部屋に入ってきたとき、希乃はぶるぶる震えながら泣いていた。
「金の使い方なんてちっとも知らないんだな。世間知らずで、弱くて……外に出すのも一時目を離すのも気が気じゃない。……ああ、かわいい。かわいいなぁ、希乃」
司は深く嘆息して、車に乗っている間ずっと希乃の頭を撫でていた。
希乃はうつむいてそれを受けながら、ずっと朝の出来事と、これからの行先に待つ問題に頭を悩ませていた。
(私、就職したいって言ったら……笑われるかな)
希乃は今日これから、高校の三者面談を受ける。
希乃が通う藤佳学園は明治からの由緒正しい女子高で、多方面の資産家の娘が通う、いわゆるお嬢様学校だ。
希乃は普通の公立学校に通わせてほしいと頼んだが、司は医師と警備員が常駐していないとだめだと言って、その条件の私立高校に裏口入学させようとした。希乃は、せめて受験して入学したいと願って、司も藤佳学園ならばと認めてくれたのだった。
(出席日数が全然足りてなくて……卒業、絶望的なのに)
虚弱体質で小中学校もほとんど通えなかったから、高校受験にはずいぶんと苦労した。高校に入ってからも寝込んでばかりで満足に授業に出られなくても、卒業だけはしたかった。
「がんばったもんな、希乃。レポートいっぱい書いて、布団の中でも勉強して」
希乃が顔をかげらせると、その思いを見通したように司が言った。
「……だから、何も心配しなくていい」
振り向いた希乃を慈しむように目を細めてみつめて、司は微笑んだ。
まもなく学園の入口に車は横づけされて、運転手が希乃の側の扉を開けてくれる。司は自分で扉を開けて下りると、おいでというように希乃に向かってうなずいた。
外に出るときは、司はいつも自分の袖をつかんでいろと言う。子どもみたいな仕草ではあるけれど……希乃にとって司は親よりも大きな存在で、姿が見えないだけで不安だった。だからいつもちょんと左袖をつかんで、ぴったり側について歩くのが習慣になっていた。
大理石のホールを抜けて、絵画の飾られた廊下を歩いていく。放課後の学園内では、女子生徒たちがさざめきあっていた。
女子生徒たちは、時折こちらを見て色めいた声を上げる。今日の司は仕事に出るときのように黒いスーツ姿ではなく、ブルーグレーのスーツにエメラルドのカフスを覗かせていた。夜の世界の野性味を隠した彼は、青年実業家そのものの華やかさをまとう。
「あの子、どのクラスの……?」
「手、つないで……?」
嫉妬交じりの声が耳に引っかかって、希乃はとっさに司の袖から手を離す。それに目ざとく気づいた司が、咎めるように希乃を呼んだ。
「希乃」
「あ、の……人目が、あるので」
「希乃。外に出るときの、約束だな?」
司は低い声で言い聞かせるように告げる。希乃は瞳を揺らして、おずおずと司の袖に手を伸ばす。
けれど司は袖をつかもうとした希乃の手をすくいあげると、その指の間に指を挟んでからむようにつないだ。
遠くで女子生徒たちが何かささやきあうのが聞こえた。希乃は保護者と子どもというには障りのある接触に、顔を赤くしてうつむく。
「ご、ごめ……なさい。はなし……」
「何の問題がある? 俺は希乃の全部だ。……こうすれば、離せない」
司は凄艶に微笑むと、希乃の手を取ったまま歩き出す。
ごつごつした手が希乃の手と隙間なく絡んでいて、希乃は恥ずかしさのあまりもう周りを見ることができなかった。
「希乃の学校に来るのは久しぶりだな。これからは機会をみつけて見に来よう。希乃が長い時間過ごすところだからな……」
それから司は、急ぎ足で引いていくように足を進めるのではなく、希乃の歩みに合わせてゆっくりと、二人だけの散歩を楽しむように歩いた。
面談室に辿り着くまで司は希乃の手を離すことがなくて、そんな二人がとても保護者と子どもには見えないのを、希乃自身も感じていた。
橘家の黒塗りの送迎車に乗るのは今も慣れない。でも一番大きな緊張の理由は、いつだって隣の席に座る司が原因だった。
「なぁ、希乃? いつまでも拗ねてないで、そろそろ機嫌を直してくれ」
「……拗ねてるのでは、ないです……。ただ怖かった、んです……」
希乃の鼻は、子どものように赤くなっていた。すん、としゃっくりを起こすように息を吸って、希乃は小声で言う。
「お金、あんなにいっぱい……や、やめてください。持って、帰って……」
「ははっ。やった金に、そんなことを言うのは希乃くらいだ」
子猫をあやすように希乃の頭を撫でながら、司はふと苦笑を浮かべる。
「でも仕方ないんだろうな。希乃が金に触ったこと、ほとんどなかったもんな?」
司の言う通りで、希乃は今まで財布を持つことさえなかった。外に出るときはいつも司が支払いをして、そうでないときは付き添いの使用人が払っていた。
だから今朝、部屋の中に突然運び込まれた立派な桐箪笥に、希乃はきょとんとして近づいた。「若頭からです」と使用人に言われてそろそろと引き出しを開けると……おびただしい数の札束が詰まっていた。
希乃は思わず後ずさって、ひぐっと喉を詰まらせた。司が部屋に入ってきたとき、希乃はぶるぶる震えながら泣いていた。
「金の使い方なんてちっとも知らないんだな。世間知らずで、弱くて……外に出すのも一時目を離すのも気が気じゃない。……ああ、かわいい。かわいいなぁ、希乃」
司は深く嘆息して、車に乗っている間ずっと希乃の頭を撫でていた。
希乃はうつむいてそれを受けながら、ずっと朝の出来事と、これからの行先に待つ問題に頭を悩ませていた。
(私、就職したいって言ったら……笑われるかな)
希乃は今日これから、高校の三者面談を受ける。
希乃が通う藤佳学園は明治からの由緒正しい女子高で、多方面の資産家の娘が通う、いわゆるお嬢様学校だ。
希乃は普通の公立学校に通わせてほしいと頼んだが、司は医師と警備員が常駐していないとだめだと言って、その条件の私立高校に裏口入学させようとした。希乃は、せめて受験して入学したいと願って、司も藤佳学園ならばと認めてくれたのだった。
(出席日数が全然足りてなくて……卒業、絶望的なのに)
虚弱体質で小中学校もほとんど通えなかったから、高校受験にはずいぶんと苦労した。高校に入ってからも寝込んでばかりで満足に授業に出られなくても、卒業だけはしたかった。
「がんばったもんな、希乃。レポートいっぱい書いて、布団の中でも勉強して」
希乃が顔をかげらせると、その思いを見通したように司が言った。
「……だから、何も心配しなくていい」
振り向いた希乃を慈しむように目を細めてみつめて、司は微笑んだ。
まもなく学園の入口に車は横づけされて、運転手が希乃の側の扉を開けてくれる。司は自分で扉を開けて下りると、おいでというように希乃に向かってうなずいた。
外に出るときは、司はいつも自分の袖をつかんでいろと言う。子どもみたいな仕草ではあるけれど……希乃にとって司は親よりも大きな存在で、姿が見えないだけで不安だった。だからいつもちょんと左袖をつかんで、ぴったり側について歩くのが習慣になっていた。
大理石のホールを抜けて、絵画の飾られた廊下を歩いていく。放課後の学園内では、女子生徒たちがさざめきあっていた。
女子生徒たちは、時折こちらを見て色めいた声を上げる。今日の司は仕事に出るときのように黒いスーツ姿ではなく、ブルーグレーのスーツにエメラルドのカフスを覗かせていた。夜の世界の野性味を隠した彼は、青年実業家そのものの華やかさをまとう。
「あの子、どのクラスの……?」
「手、つないで……?」
嫉妬交じりの声が耳に引っかかって、希乃はとっさに司の袖から手を離す。それに目ざとく気づいた司が、咎めるように希乃を呼んだ。
「希乃」
「あ、の……人目が、あるので」
「希乃。外に出るときの、約束だな?」
司は低い声で言い聞かせるように告げる。希乃は瞳を揺らして、おずおずと司の袖に手を伸ばす。
けれど司は袖をつかもうとした希乃の手をすくいあげると、その指の間に指を挟んでからむようにつないだ。
遠くで女子生徒たちが何かささやきあうのが聞こえた。希乃は保護者と子どもというには障りのある接触に、顔を赤くしてうつむく。
「ご、ごめ……なさい。はなし……」
「何の問題がある? 俺は希乃の全部だ。……こうすれば、離せない」
司は凄艶に微笑むと、希乃の手を取ったまま歩き出す。
ごつごつした手が希乃の手と隙間なく絡んでいて、希乃は恥ずかしさのあまりもう周りを見ることができなかった。
「希乃の学校に来るのは久しぶりだな。これからは機会をみつけて見に来よう。希乃が長い時間過ごすところだからな……」
それから司は、急ぎ足で引いていくように足を進めるのではなく、希乃の歩みに合わせてゆっくりと、二人だけの散歩を楽しむように歩いた。
面談室に辿り着くまで司は希乃の手を離すことがなくて、そんな二人がとても保護者と子どもには見えないのを、希乃自身も感じていた。
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