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【13】王太子殿下の来訪①
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2週間後の、昼下がり。
「痛っ!」
ちくりと針を指に差してしまい、私は思わず顔をしかめた。
「……ふぅ。10年ぶりの針仕事は、さすがに上手く行かないわね」
苦笑しながらそう呟くと、ミモザが「大丈夫ですか、エルダ様」と言って薬箱を持ってきてくれた。ちなみに先日の一件以来、侍女たちも私を『シスター』ではなく名前で呼んでいる。
「念のため、お薬を塗っておきましょう」
「ありがとう。ミモザ」
私は今、自分の部屋で刺繡に励んでいるところだ。これはリハビリの一環で、指先を細かく動かす練習として針仕事はぴったりだとドクター・ピーナが教えてくれた。
私の指先に化膿止めの膏薬を塗り終わると、ミモザは私が刺繍している絹の布に視線を落とした。
「わぁ、きれいな刺繍……!」
「ありがとう。でも、すっかり鈍ってしまったわ」
「そんなことありませんよ。10年ぶりだなんて思えません。……子どもの頃は、ハンカチや服にエルダ様が刺繍をしてくれましたっけ。私達ひとりひとりのデザインを考えてもらえて、すごく嬉しかったです」
懐かしそうな顔をして、ミモザは笑った。――そう、修道院時代の私は、子ども達の持ち物に刺繍を刺してあげていた。これでも元は貴族令嬢だから、刺繍の腕には自信がある。子ども達も、とても喜んでくれていた。
刺繍を見つめていたミモザは、ハッとした顔になった。
「……エルダ様。その花の刺繍って、もしかして!」
「分かっちゃった?」
布地に刺し始めたばかりのデザインは、ふわふわとした黄色い花の房。野に咲く『ミモザ』という名の植物だ。
「完成したら、あなたに刺繍を贈りたくて」
「エルダ様……!」
感極まった様子で、彼女は声を震わせた。
「ローゼルとアニスにも、久々に刺繍を贈りたいと思うの」
「ふたりともすごく喜びます!」
ちなみにローゼルとアニスは、今は室内にはいない。入浴補助のように人手が必要な仕事はいつも3人がかりだけれど、それ以外の仕事やリハビリ補助は、持ち回りで分担しているようだ。
「ラファエル様にも贈ったら、大喜びしますよ」
「ラファエル様に?」
と、つぶやいた瞬間になぜか頬が熱くなった。彼は先週領地に向かって出発していき、帰ってくるのは1か月以上先だ。
「……こんな出来栄えでも、喜んでくれるかしら」
「ええ、絶対に。肌身離さず持ち歩いて、一生手放さないと思います」
「………………」
あり得ない話ではない。ただ髪をくくっていただけのリボンでさえ、大事そうに握りしめて『毎日あなたを想います』とか言っていたし……。
(……ふぅ。あの可愛かった『レイ』は、すっかり色男になってしまったのね)
あの甘い美貌で、あんなふうに囁かれたらどんな女性でもクラっと来るに違いない。私のような親代わりの立場であっても心臓が高鳴ってしまうのだから。
社交界では、さぞやモテていることだろう。
そしてふと、気になった。
(そういえば、ラファエル様はまだ結婚していないのよね……?)
既婚者だとは聞いていないし、奥さまや婚約者の姿をお見掛けしたことはない。毎日欠かさず私の面倒を見てくれていたから、ほかの女性とゆっくり過ごす時間もなかったはずだ。
しかし、上位貴族の当主ともなれば、彼の年齢で婚約者も定めずにいるというのは一般的ではない。
(もしかしてあの人、私の世話をするために自分の人生を犠牲にしているんじゃあ……)
私を目覚めさせることに心血を注ぐあまり、自分の婚約や結婚を後回しにしてしまったのではないだろうか? まさかそこまでは――と思いつつ、有り得ないことでもないような気がしてきた。もしそうだったら、一大事だ。
「ねえ、ミモザ」
「はい」
「ラファエル様って、もしかして……」
私が顔を固くして、ミモザに問いかけたそのとき。柱時計の鐘が鳴った。直後にノックの音が響いて、にこにこしながらアニスが入室してくる。
「エルダ様。歩行訓練のお時間になりましたよ~」
「……あ。わ、わかったわ。ありがとう、アニス」
なんて絶妙なタイミング……。
ミモザが、私に尋ねてきた。
「エルダ様。お話の途中でしたけど、ラファエル様がどうしたんです?」
「ええと。……ううん、やっぱり何でもないの」
なんだか、続きを聞くのも憚られる。別に、今聞かなくてもいいし。
いそいそと裁縫道具を片付け始めた私を見て、ミモザは首をかしげていた。
「さあ、歩く練習をしなくちゃ。今日の担当はアニスなのね。よろしく、アニス!」
どこかそわそわした気持ちのまま、私はアニスの用意してくれた車椅子に腰を下ろした。
*
晴れた日の歩行トレーニングは、いつも屋外で行っている。段差を越える練習にもなるし、景色も良いしということで、今日は邸内の庭園でトレーニングをすることにした。庭園まではアニスに車椅子を押してもらい、到着したところで車椅子を降りた。
庭園の花々に囲まれて、補助なしでしっかりと足を進めていく。
「エルダ様、お上手です!」
右側にはアニスが控えていて、もしふらついたらすぐに支えられるように準備してくれている。でも、最近ではふらつくこともほとんどなくなってきた。
「もうすぐいろんな場所を歩けるようになりそうですね」
「ええ! 楽しみだわ」
元気に歩けるようになったら、どこに行こうか。
街に出たいし、自然の中にも足を運びたい。アニスやローゼル、ミモザたちと一緒にお出かけできたら楽しそうだ。
それに……ラファエル様も一緒に来てくれたら。
……と、そのとき。
「エルダ様! アニス!」
庭園に、血相を変えて侍女のひとりが駆け込んできた。ローゼルだ……珍しく慌てているようだけれど、どうしたのだろう。
「リハビリ中にごめんなさい。……申し訳ないんですけれど、今すぐお部屋に戻ってください」
「分かったわ。でも、……どうしたの?」
「実は、急な来客がありまして。そのお客様がお帰りになるまで、エルダ様にはお部屋で待っていてほしいんです」
そう言うと、ローゼルはアニスに耳打ちをした。アニスも、顔を強張らせる。
「そ、それ……まずくない?」
「そうなのよ、すごくまずいの! だから急がなくちゃって」
私には事情がよく分からないが、ともかくお客様が帰るまでは、私はおとなしくしていた方が良さそうだ。
アニスとローゼルに支えられながら、私はやや足早になって庭園の出口に向かった。車椅子に腰を下ろし、二人に運んでもらう。
「エルダ様、本当にすみません」
「いいえ、気にしないで。……あなた達も、いろいろ大変そうね」
私が気遣うようにそう言うと、ローゼルは苦笑していた。
「そのお客様、ラファエル様が不在と知らずにお越しになったみたいなので、すぐお帰りになると思います。でも変なところで会ってしまうと、話がこじれそうなので……すみません」
車椅子で、屋敷のほうへと向かっていった。屋敷の入り口付近の木々の茂みを抜け、玄関に入ろうとしたそのとき――。
ローゼルとアニスが、びくっとして車椅子を急停止させた。回れ右をするように、車椅子の向きが変更される。
「……!? え、どうしたの?」
「すみません! やっぱりちょっと隠れます!!」
「隠れるって……」
私の返答を待たず、二人は玄関前の茂みの中に車椅子ごと身を潜めた。
「ごめんなさい、エルダ様もあと少しだけ体を屈めてください、お客様が出てくるみたいで……!」
「出会い頭とか最悪過ぎなので、茂みの外から絶対に見えないようにお願いします……!」
と、アニスとローゼルが青ざめながら訴えてきた。
(……一体、どんなお客様なの?)
身を潜めつつ、私は茂みの隙間から屋敷の入り口を見た。
ちょうど扉が開き、執事と思しき男性と来客者が出てくるのが見える。
執事の男性は私から見て奥側におり、茂みの中からでは顔を見ることができなかった。
でも、来客者のほうはしっかりと見える。
――あれって、もしかして王太子殿下!?
見覚えのある、蜂蜜のような濃い色の金髪ときらびやかな美貌。あれは紛れもなく、この国の王太子殿下のお姿だった。
「痛っ!」
ちくりと針を指に差してしまい、私は思わず顔をしかめた。
「……ふぅ。10年ぶりの針仕事は、さすがに上手く行かないわね」
苦笑しながらそう呟くと、ミモザが「大丈夫ですか、エルダ様」と言って薬箱を持ってきてくれた。ちなみに先日の一件以来、侍女たちも私を『シスター』ではなく名前で呼んでいる。
「念のため、お薬を塗っておきましょう」
「ありがとう。ミモザ」
私は今、自分の部屋で刺繡に励んでいるところだ。これはリハビリの一環で、指先を細かく動かす練習として針仕事はぴったりだとドクター・ピーナが教えてくれた。
私の指先に化膿止めの膏薬を塗り終わると、ミモザは私が刺繍している絹の布に視線を落とした。
「わぁ、きれいな刺繍……!」
「ありがとう。でも、すっかり鈍ってしまったわ」
「そんなことありませんよ。10年ぶりだなんて思えません。……子どもの頃は、ハンカチや服にエルダ様が刺繍をしてくれましたっけ。私達ひとりひとりのデザインを考えてもらえて、すごく嬉しかったです」
懐かしそうな顔をして、ミモザは笑った。――そう、修道院時代の私は、子ども達の持ち物に刺繍を刺してあげていた。これでも元は貴族令嬢だから、刺繍の腕には自信がある。子ども達も、とても喜んでくれていた。
刺繍を見つめていたミモザは、ハッとした顔になった。
「……エルダ様。その花の刺繍って、もしかして!」
「分かっちゃった?」
布地に刺し始めたばかりのデザインは、ふわふわとした黄色い花の房。野に咲く『ミモザ』という名の植物だ。
「完成したら、あなたに刺繍を贈りたくて」
「エルダ様……!」
感極まった様子で、彼女は声を震わせた。
「ローゼルとアニスにも、久々に刺繍を贈りたいと思うの」
「ふたりともすごく喜びます!」
ちなみにローゼルとアニスは、今は室内にはいない。入浴補助のように人手が必要な仕事はいつも3人がかりだけれど、それ以外の仕事やリハビリ補助は、持ち回りで分担しているようだ。
「ラファエル様にも贈ったら、大喜びしますよ」
「ラファエル様に?」
と、つぶやいた瞬間になぜか頬が熱くなった。彼は先週領地に向かって出発していき、帰ってくるのは1か月以上先だ。
「……こんな出来栄えでも、喜んでくれるかしら」
「ええ、絶対に。肌身離さず持ち歩いて、一生手放さないと思います」
「………………」
あり得ない話ではない。ただ髪をくくっていただけのリボンでさえ、大事そうに握りしめて『毎日あなたを想います』とか言っていたし……。
(……ふぅ。あの可愛かった『レイ』は、すっかり色男になってしまったのね)
あの甘い美貌で、あんなふうに囁かれたらどんな女性でもクラっと来るに違いない。私のような親代わりの立場であっても心臓が高鳴ってしまうのだから。
社交界では、さぞやモテていることだろう。
そしてふと、気になった。
(そういえば、ラファエル様はまだ結婚していないのよね……?)
既婚者だとは聞いていないし、奥さまや婚約者の姿をお見掛けしたことはない。毎日欠かさず私の面倒を見てくれていたから、ほかの女性とゆっくり過ごす時間もなかったはずだ。
しかし、上位貴族の当主ともなれば、彼の年齢で婚約者も定めずにいるというのは一般的ではない。
(もしかしてあの人、私の世話をするために自分の人生を犠牲にしているんじゃあ……)
私を目覚めさせることに心血を注ぐあまり、自分の婚約や結婚を後回しにしてしまったのではないだろうか? まさかそこまでは――と思いつつ、有り得ないことでもないような気がしてきた。もしそうだったら、一大事だ。
「ねえ、ミモザ」
「はい」
「ラファエル様って、もしかして……」
私が顔を固くして、ミモザに問いかけたそのとき。柱時計の鐘が鳴った。直後にノックの音が響いて、にこにこしながらアニスが入室してくる。
「エルダ様。歩行訓練のお時間になりましたよ~」
「……あ。わ、わかったわ。ありがとう、アニス」
なんて絶妙なタイミング……。
ミモザが、私に尋ねてきた。
「エルダ様。お話の途中でしたけど、ラファエル様がどうしたんです?」
「ええと。……ううん、やっぱり何でもないの」
なんだか、続きを聞くのも憚られる。別に、今聞かなくてもいいし。
いそいそと裁縫道具を片付け始めた私を見て、ミモザは首をかしげていた。
「さあ、歩く練習をしなくちゃ。今日の担当はアニスなのね。よろしく、アニス!」
どこかそわそわした気持ちのまま、私はアニスの用意してくれた車椅子に腰を下ろした。
*
晴れた日の歩行トレーニングは、いつも屋外で行っている。段差を越える練習にもなるし、景色も良いしということで、今日は邸内の庭園でトレーニングをすることにした。庭園まではアニスに車椅子を押してもらい、到着したところで車椅子を降りた。
庭園の花々に囲まれて、補助なしでしっかりと足を進めていく。
「エルダ様、お上手です!」
右側にはアニスが控えていて、もしふらついたらすぐに支えられるように準備してくれている。でも、最近ではふらつくこともほとんどなくなってきた。
「もうすぐいろんな場所を歩けるようになりそうですね」
「ええ! 楽しみだわ」
元気に歩けるようになったら、どこに行こうか。
街に出たいし、自然の中にも足を運びたい。アニスやローゼル、ミモザたちと一緒にお出かけできたら楽しそうだ。
それに……ラファエル様も一緒に来てくれたら。
……と、そのとき。
「エルダ様! アニス!」
庭園に、血相を変えて侍女のひとりが駆け込んできた。ローゼルだ……珍しく慌てているようだけれど、どうしたのだろう。
「リハビリ中にごめんなさい。……申し訳ないんですけれど、今すぐお部屋に戻ってください」
「分かったわ。でも、……どうしたの?」
「実は、急な来客がありまして。そのお客様がお帰りになるまで、エルダ様にはお部屋で待っていてほしいんです」
そう言うと、ローゼルはアニスに耳打ちをした。アニスも、顔を強張らせる。
「そ、それ……まずくない?」
「そうなのよ、すごくまずいの! だから急がなくちゃって」
私には事情がよく分からないが、ともかくお客様が帰るまでは、私はおとなしくしていた方が良さそうだ。
アニスとローゼルに支えられながら、私はやや足早になって庭園の出口に向かった。車椅子に腰を下ろし、二人に運んでもらう。
「エルダ様、本当にすみません」
「いいえ、気にしないで。……あなた達も、いろいろ大変そうね」
私が気遣うようにそう言うと、ローゼルは苦笑していた。
「そのお客様、ラファエル様が不在と知らずにお越しになったみたいなので、すぐお帰りになると思います。でも変なところで会ってしまうと、話がこじれそうなので……すみません」
車椅子で、屋敷のほうへと向かっていった。屋敷の入り口付近の木々の茂みを抜け、玄関に入ろうとしたそのとき――。
ローゼルとアニスが、びくっとして車椅子を急停止させた。回れ右をするように、車椅子の向きが変更される。
「……!? え、どうしたの?」
「すみません! やっぱりちょっと隠れます!!」
「隠れるって……」
私の返答を待たず、二人は玄関前の茂みの中に車椅子ごと身を潜めた。
「ごめんなさい、エルダ様もあと少しだけ体を屈めてください、お客様が出てくるみたいで……!」
「出会い頭とか最悪過ぎなので、茂みの外から絶対に見えないようにお願いします……!」
と、アニスとローゼルが青ざめながら訴えてきた。
(……一体、どんなお客様なの?)
身を潜めつつ、私は茂みの隙間から屋敷の入り口を見た。
ちょうど扉が開き、執事と思しき男性と来客者が出てくるのが見える。
執事の男性は私から見て奥側におり、茂みの中からでは顔を見ることができなかった。
でも、来客者のほうはしっかりと見える。
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