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【28】デヴォン第九夫人①
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「エルダ様! お部屋の鍵を開けてください!」
「エルダ様!!」
ミモザたちは、エルダの部屋の外から声を張り上げていた。
しかしどれだけ呼びかけても、中のエルダは返事をしてくれない。ドア越しに、彼女の嗚咽が漏れ聞こえてくるだけだ。
「シスター……」
仲間たちも、心配そうに廊下で様子を見つめている。
そんな彼らに、後ろから声をかける者があった。それは家令のグレンナだ。
「朝っぱらから、いったい何の騒ぎだい?」
「グレンナさん。シスターが――いえ、エルダ様が引きこもっちゃったんです」
「ラファエル様と言い合いになったみたいで」
「なんだい、そりゃあ」
呆れて肩を竦めるグレンナとは対照的に、元孤児たちは深刻そうな顔をしている。
「……まったく、レイもエルダも情けない。いつまで経っても世話の焼ける子供ばかりだ」
グレンナは面倒くさそうに眉を寄せると、扉の前にいるミモザたちに声をかけた。
「お前たち。ここはあたしに譲りな」
「でも……」
「全員さっさと自分の持ち場に戻れと言ってるんだ。時間を無駄にするんじゃない」
今、この場で一番の権限を持っているのは家令である。だから元孤児たちは物言いたげな顔をしつつも、グレンナに従ってその場から去っていった。
「…………さて。あたしはあたしの仕事をするかね」
エルダの部屋を振り返ると、グレンナはにやりと顔をゆがめた。
***
私は、部屋に閉じこもっていた。今は誰にも会いたくない。ベッドに突っ伏したまま、嗚咽が止まらなくなっていた。
……あの人、どうしてキスなんかしたの?
重なり合った唇の感触が、まだ生々しく残っている。キスの直後に再発発作が消えたのも不思議だ……とても偶然とは思えない。
分からないことだらけだ。何よりの疑問は、あのアザ。もしいばら病に侵されているとしたら、ラファエル様はどうなってしまうのだろう……と私が考え込んでいた、そのとき。
床まで届く大きなタペストリーの掛かった壁の向こうから、ギ、ギ、ギ……と重たい音が響いた。
「……?」
次の瞬間、タペストリーを捲り上げてマザー・グレンナが姿を現した。想定外の闖入者に、私は「ひっ!?」と悲鳴を上げてしまう。
「おい、エルダ。働きもしないで何を閉じこもっているんだい」
「マザー・グレンナ!? ど、どうやって、この部屋に……」
「見りゃ分かるだろう? タペストリーの裏に、侍女の控室につながる『控え扉』が隠してあったんだ」
「……!!」
戸惑いながら、私はその控え扉に近付いた。これまでただの壁だと思っていた場所に、まさかこんな扉が隠してあったなんて。
「でも、どうしてこの部屋が侍女用控え室と繋がっているんですか? ここって、ただの客室でしょう……?」
貴族邸宅の建築様式として、侍女の控室というのは屋敷の女主人の私室と連結されているものだ。客室とつながっているケースなんて見たことがない。
「ここが本当は夫人専用室だからさ。客室を装っていただけだ」
「!?」
「最初からうちの旦那様は、あんたを妻にする気で囲い込んでいたってことだよ」
ラファエル様……一体、何を考えているの?
私が唖然としていると、マザー・グレンナは私の目の前で両手をバチン、と叩き合わせた。
「ぼーっとしてんじゃないよ! このままだとレイは死ぬよ!! あんた、それで良いのかい」
「!」
意識を現実に引き戻された。
「死ぬって……そんな。でも、治療法はあるんでしょう!?」
「いや、そんなものはない。レイが生きるか死ぬか――すべてはエルダ、あんた次第だ」
「…………!? どういうことですか!」
マザー・グレンナは問いには答えず、顎でしゃくって扉の方を指し示した。
「屋敷に籠っていても、何も解決しやしないよ。レイを死なせたくなかったら、あたしに付いてきな」
一瞬の逡巡。しかし、私は迷わなかった。
「レイの為なら何でもします。連れて行ってください」
*
30分もかからず、私はマザー・グレンナの手引きでこっそり侯爵邸の外へ出た。用意されたメイド服を着用して使用人通用口を使うと、驚くほどスムーズに逃げ出すことができていた。門番との面識がなかったのと、家令同伴だったのが幸いしたのだろう。
それから私は、マザー・グレンナとともに王都発の寝台列車に乗り込んだ。この国の鉄道網はまだあまり発達しておらず、移動手段としては馬車のほうが一般的だ。しかし目的地にレールが通じていれば、馬車よりもずっと便利で早い。
やがて定刻になると、列車は低い唸りを響かせで出発した。
「マザー・グレンナ。一体どこに向かっているんですか? そこで何をすれば、レイを助けることができるんです?」
私は客車のソファでくつろぐグレンナに尋ねた。私達は今、二人用の一等客室にいる。小さいけれど豪華な客室で、ベッドや洗面台なども備えている。
「着けばわかるよ」
旅行鞄から取り出したお酒の小瓶の栓を開けると、マザーは窓の外を眺めてお酒を飲んでいた。
「あの。……レイが『死ぬ』っていうのは、あのアザと関係しているんですよね?」
「……」
マザーは何も答えない。その沈黙が肯定を意味するのだと、私は理解した。
「教えてください、マザー・グレンナ。なぜ彼にいばら病のアザがあるんですか? だっていばら病は、国内に数人しかいないような珍しい病気のはずです。偶然にしても、こんなことって……」
私が必死な顔でそう尋ねると、マザー・グレンナは車窓から私へと視線を移した。やがてお酒の瓶を空にすると、皮肉っぽい顔で言った。
「……レイのアザは、あんたのせいさ。あんたを目覚めさせるために、いばら病の毒を自分の身体に打ち込んだんだから」
――毒を自分の身体に打ち込む?
「どういうことですか?」
「新大陸で開発された治療法らしいね。患者の血からいばら病の病毒を取り出して、レイに投与した。そうすることでレイ自身が、あんたを目覚めさせる薬の役割を果たすようになるらしい」
あたしは医者じゃないから、詳しいことは知らないがね――と、マザー・グレンナは付け足した。
「そんな……。じゃあ、私が目覚めたのは……」
「すべてがレイの功績さ。そもそもあの子がアルシュバーン家に戻ると決めたのは、あんたのためだったんだから」
マザー・グレンナが聞かせてくれた話に、私は耳を疑った。
レイは先代アルシュバーン侯爵の庶子で、家族に虐げられて家出したのだと。ミリュレー修道院で暮らしていたレイが、侯爵家に戻った理由――それは、私の延命のための資金を手に入れるためだったのだという。
「義母とのドロドロの権力争いの末に、レイはとうとうアルシュバーン侯爵家の当主の座に就いた。その義母ってのが本当に腐った女でね。――エルダ、あんたも一度あの女に殺されかけたんだよ?」
「え?」
「まあ、話がそれるからその件は置いておこう。ともかく、アルシュバーン家の全権限を手に入れたレイは、エルダを助ける方法を新大陸で掴み取った。だから、あんたは生きている」
重すぎる事実の前に、何を想えばいいのかまるで分からない。
レイがそうまでして、私を生かそうとした理由。
――『愛しいからに決まっている』
――『これが愛でないのなら、私は愛なんていらない!!』
耳によみがえる彼の叫びに、胸が張り裂けそうになる。私は思わず、深くうつむいて胸を抑えた。
「あんたのその顔。それは、罪悪感なのかい?」
唐突に、マザー・グレンナが問いかけてきた。
「……え?」
「あんたはレイに罪悪感を感じているだけなのか? ――それともレイに応える気があるのか? って聞いてるんだよ」
マザー・グレンナは、刺すような目でこちらを見ている。深い紫の瞳で、私に覚悟を問うような目つきである。
「エルダ。お前はまだ、レイの本質が十分に見えてない。あの子に添い遂げてやる気がないなら、この先は地獄だ。今すぐ逃げ出しちまいな」
「それはどういう……」
マザーは、おもむろに2本目の酒瓶を取り出した。栓を開けると、ぐびりと飲み始める。
「アルシュバーン家の人間は、本質的には『毒蛇』だ。レイだって、見た目通りのお綺麗な紳士じゃないよ。あの男の執着を甘く見ると痛い目を見る。オルドー子爵家を破滅させたのだって、レイだったんだから」
オルドー子爵家……唐突に私の実家の話題を振られて、私は小さく眉を寄せた。
「実家のことなら聞いています。父の鉱山鑑定書の偽造を見抜いたレイが、王太子殿下に進言して詐欺が露呈したのだと」
「それは上澄みだけの話で、本当はもっと根深い。レイは用意周到に、オルドー子爵家を破滅に追い込んでいった」
お酒をひとくち、またひとくちと飲みながら、マザー・グレンナは言葉を続けた。
「あんたの父親にクズ山の鉱山採掘権を売りつけてきた悪徳商人――その商人を、レイが裏で操っていたのさ。自身は法に一切触れず、外堀を埋めてオルドー子爵家を追い込む……本当に、あたしでも恐ろしくなるほど見事な手並みだった」
「! レイはどうして、そんなことを……?」
「オルドー子爵家への報復さ。エルダを苦しめた『悪人』は、全員レイの餌食だ」
お酒が回り始めたのか、マザー・グレンナの口調は少しずつ気怠げになっていった。
「……エルダ、あんたは13年前にとんでもない坊やを拾っちまったんだよ。見捨てておけばよかったのに、あんたもバカな女だね」
「――そんなこと、言わないでください」
反発的に、私はそう言っていた。
「確かに私は、レイを理解しきれてないかもしれません。でも、あの人の温かさは絶対に本物です! だから私は絶対にレイを助けるし、幸せに生きてもらいたいんです」
健やかに生きてほしい。幸せに生きてほしい。
レイの過去を知った今、その気持ちはどんどん強くなっている。
(……この列車が目的地に着いたら、必ずレイを助けてみせるわ)
彼に婚約者がいることも、なのに私を愛してくれていることも……どれもこれも、今は気にするべき問題ではない。レイの命を救うことこそが、最優先なのだから。
「マザー。前から気になっていたんですけれど……レイの婚約者って、どんな方なんですか?」
「…………」
グレンナ・グレンナは応えなかった。
「マザー?」
彼女は深くうつむいていた。そして、ぐぅぐぅ……といびきをかいて眠り込んでいた。
*
「次の駅が目的地だよ。エルダ」
寝台列車の旅は3日間に渡り、とうとう下車する時が来た。
列車のタラップを踏んで駅舎に降り立つ――潮風が、髪をなぶった。
ここは国内最大の港湾都市・シェファマ。
国内有数の大貴族である、デヴォン侯爵の領内にある都市だ。
マザーの後に続いて、私は足を進めていった。やがて、古びた倉庫街にたどりついた。
「こっちだよ。ついておいで」
(こんな場所に、レイを助ける方法があるの……?)
マザーはまだ、私に何も教えてくれていない。とうとう痺れを切らした私は、マザー・グレンナに後ろから声を掛けた。
「そろそろ教えてくれませんか、マザー・グレンナ。どうやってレイを助けるんですか? 私はここで何をすれば――」
「――あン?」
柄の悪い声を出して、マザー・グレンナは私をふり返って来た。にやりと吊り上がった唇と鋭い眼光に、思わずビクッとしてしまう。
「悪いねぇ、エルダ。私はあんたに嘘をついていた」
「……嘘?」
「ああ。『このままだとレイが死ぬ』って言ったけど、あれは真っ赤な嘘さ」
「――え?」
私は、耳を疑った。今のマザー・グレンナは、狡猾な老婆の顔をしている――こんな表情の彼女を見るのは、初めてだった。
「痣があるが、別にレイは死にはしない。だからこの街に来ても、あんたには無駄骨ってことだ」
「どういうことですか……? だったら、どうしてあなたは私をこんな場所に……」
「どうしても『エルダに会いたい』っていうご夫人がいたんでね。あんたを屋敷から誘い出して、わざわざ連れてきたってわけさ」
マザー・グレンナは振り返ると、声を張り上げた。
「お待たせいたしました、デヴォン侯爵の第九夫人さま!! あなたのご所望の品を、このグレンナめがお届けいたしましたよ!」
――デヴォン侯爵の……第九夫人? そんな人とは面識がない。私が眉をひそめた、そのとき。
「あ~ら、遅かったじゃないの! 待ちくたびれたわぁ」
甲高い声を響かせて、倉庫の影から三十歳過ぎに見える女性が現れた。身に纏うドレスや宝飾は豪華絢爛で最上級の品に見えるが、その装いには品がない。濃すぎる化粧のせいでむしろ不潔な印象に見える。
だが、この女性は見覚えがある――というか彼女は。
「キャロライン!?」
「会いたかったわぁ、お姉さま!」
かつり、かつりとヒールの音を響かせて、高慢な態度で近づいてくる女性――それは私の妹、キャロラインだったのだ。
「エルダ様!!」
ミモザたちは、エルダの部屋の外から声を張り上げていた。
しかしどれだけ呼びかけても、中のエルダは返事をしてくれない。ドア越しに、彼女の嗚咽が漏れ聞こえてくるだけだ。
「シスター……」
仲間たちも、心配そうに廊下で様子を見つめている。
そんな彼らに、後ろから声をかける者があった。それは家令のグレンナだ。
「朝っぱらから、いったい何の騒ぎだい?」
「グレンナさん。シスターが――いえ、エルダ様が引きこもっちゃったんです」
「ラファエル様と言い合いになったみたいで」
「なんだい、そりゃあ」
呆れて肩を竦めるグレンナとは対照的に、元孤児たちは深刻そうな顔をしている。
「……まったく、レイもエルダも情けない。いつまで経っても世話の焼ける子供ばかりだ」
グレンナは面倒くさそうに眉を寄せると、扉の前にいるミモザたちに声をかけた。
「お前たち。ここはあたしに譲りな」
「でも……」
「全員さっさと自分の持ち場に戻れと言ってるんだ。時間を無駄にするんじゃない」
今、この場で一番の権限を持っているのは家令である。だから元孤児たちは物言いたげな顔をしつつも、グレンナに従ってその場から去っていった。
「…………さて。あたしはあたしの仕事をするかね」
エルダの部屋を振り返ると、グレンナはにやりと顔をゆがめた。
***
私は、部屋に閉じこもっていた。今は誰にも会いたくない。ベッドに突っ伏したまま、嗚咽が止まらなくなっていた。
……あの人、どうしてキスなんかしたの?
重なり合った唇の感触が、まだ生々しく残っている。キスの直後に再発発作が消えたのも不思議だ……とても偶然とは思えない。
分からないことだらけだ。何よりの疑問は、あのアザ。もしいばら病に侵されているとしたら、ラファエル様はどうなってしまうのだろう……と私が考え込んでいた、そのとき。
床まで届く大きなタペストリーの掛かった壁の向こうから、ギ、ギ、ギ……と重たい音が響いた。
「……?」
次の瞬間、タペストリーを捲り上げてマザー・グレンナが姿を現した。想定外の闖入者に、私は「ひっ!?」と悲鳴を上げてしまう。
「おい、エルダ。働きもしないで何を閉じこもっているんだい」
「マザー・グレンナ!? ど、どうやって、この部屋に……」
「見りゃ分かるだろう? タペストリーの裏に、侍女の控室につながる『控え扉』が隠してあったんだ」
「……!!」
戸惑いながら、私はその控え扉に近付いた。これまでただの壁だと思っていた場所に、まさかこんな扉が隠してあったなんて。
「でも、どうしてこの部屋が侍女用控え室と繋がっているんですか? ここって、ただの客室でしょう……?」
貴族邸宅の建築様式として、侍女の控室というのは屋敷の女主人の私室と連結されているものだ。客室とつながっているケースなんて見たことがない。
「ここが本当は夫人専用室だからさ。客室を装っていただけだ」
「!?」
「最初からうちの旦那様は、あんたを妻にする気で囲い込んでいたってことだよ」
ラファエル様……一体、何を考えているの?
私が唖然としていると、マザー・グレンナは私の目の前で両手をバチン、と叩き合わせた。
「ぼーっとしてんじゃないよ! このままだとレイは死ぬよ!! あんた、それで良いのかい」
「!」
意識を現実に引き戻された。
「死ぬって……そんな。でも、治療法はあるんでしょう!?」
「いや、そんなものはない。レイが生きるか死ぬか――すべてはエルダ、あんた次第だ」
「…………!? どういうことですか!」
マザー・グレンナは問いには答えず、顎でしゃくって扉の方を指し示した。
「屋敷に籠っていても、何も解決しやしないよ。レイを死なせたくなかったら、あたしに付いてきな」
一瞬の逡巡。しかし、私は迷わなかった。
「レイの為なら何でもします。連れて行ってください」
*
30分もかからず、私はマザー・グレンナの手引きでこっそり侯爵邸の外へ出た。用意されたメイド服を着用して使用人通用口を使うと、驚くほどスムーズに逃げ出すことができていた。門番との面識がなかったのと、家令同伴だったのが幸いしたのだろう。
それから私は、マザー・グレンナとともに王都発の寝台列車に乗り込んだ。この国の鉄道網はまだあまり発達しておらず、移動手段としては馬車のほうが一般的だ。しかし目的地にレールが通じていれば、馬車よりもずっと便利で早い。
やがて定刻になると、列車は低い唸りを響かせで出発した。
「マザー・グレンナ。一体どこに向かっているんですか? そこで何をすれば、レイを助けることができるんです?」
私は客車のソファでくつろぐグレンナに尋ねた。私達は今、二人用の一等客室にいる。小さいけれど豪華な客室で、ベッドや洗面台なども備えている。
「着けばわかるよ」
旅行鞄から取り出したお酒の小瓶の栓を開けると、マザーは窓の外を眺めてお酒を飲んでいた。
「あの。……レイが『死ぬ』っていうのは、あのアザと関係しているんですよね?」
「……」
マザーは何も答えない。その沈黙が肯定を意味するのだと、私は理解した。
「教えてください、マザー・グレンナ。なぜ彼にいばら病のアザがあるんですか? だっていばら病は、国内に数人しかいないような珍しい病気のはずです。偶然にしても、こんなことって……」
私が必死な顔でそう尋ねると、マザー・グレンナは車窓から私へと視線を移した。やがてお酒の瓶を空にすると、皮肉っぽい顔で言った。
「……レイのアザは、あんたのせいさ。あんたを目覚めさせるために、いばら病の毒を自分の身体に打ち込んだんだから」
――毒を自分の身体に打ち込む?
「どういうことですか?」
「新大陸で開発された治療法らしいね。患者の血からいばら病の病毒を取り出して、レイに投与した。そうすることでレイ自身が、あんたを目覚めさせる薬の役割を果たすようになるらしい」
あたしは医者じゃないから、詳しいことは知らないがね――と、マザー・グレンナは付け足した。
「そんな……。じゃあ、私が目覚めたのは……」
「すべてがレイの功績さ。そもそもあの子がアルシュバーン家に戻ると決めたのは、あんたのためだったんだから」
マザー・グレンナが聞かせてくれた話に、私は耳を疑った。
レイは先代アルシュバーン侯爵の庶子で、家族に虐げられて家出したのだと。ミリュレー修道院で暮らしていたレイが、侯爵家に戻った理由――それは、私の延命のための資金を手に入れるためだったのだという。
「義母とのドロドロの権力争いの末に、レイはとうとうアルシュバーン侯爵家の当主の座に就いた。その義母ってのが本当に腐った女でね。――エルダ、あんたも一度あの女に殺されかけたんだよ?」
「え?」
「まあ、話がそれるからその件は置いておこう。ともかく、アルシュバーン家の全権限を手に入れたレイは、エルダを助ける方法を新大陸で掴み取った。だから、あんたは生きている」
重すぎる事実の前に、何を想えばいいのかまるで分からない。
レイがそうまでして、私を生かそうとした理由。
――『愛しいからに決まっている』
――『これが愛でないのなら、私は愛なんていらない!!』
耳によみがえる彼の叫びに、胸が張り裂けそうになる。私は思わず、深くうつむいて胸を抑えた。
「あんたのその顔。それは、罪悪感なのかい?」
唐突に、マザー・グレンナが問いかけてきた。
「……え?」
「あんたはレイに罪悪感を感じているだけなのか? ――それともレイに応える気があるのか? って聞いてるんだよ」
マザー・グレンナは、刺すような目でこちらを見ている。深い紫の瞳で、私に覚悟を問うような目つきである。
「エルダ。お前はまだ、レイの本質が十分に見えてない。あの子に添い遂げてやる気がないなら、この先は地獄だ。今すぐ逃げ出しちまいな」
「それはどういう……」
マザーは、おもむろに2本目の酒瓶を取り出した。栓を開けると、ぐびりと飲み始める。
「アルシュバーン家の人間は、本質的には『毒蛇』だ。レイだって、見た目通りのお綺麗な紳士じゃないよ。あの男の執着を甘く見ると痛い目を見る。オルドー子爵家を破滅させたのだって、レイだったんだから」
オルドー子爵家……唐突に私の実家の話題を振られて、私は小さく眉を寄せた。
「実家のことなら聞いています。父の鉱山鑑定書の偽造を見抜いたレイが、王太子殿下に進言して詐欺が露呈したのだと」
「それは上澄みだけの話で、本当はもっと根深い。レイは用意周到に、オルドー子爵家を破滅に追い込んでいった」
お酒をひとくち、またひとくちと飲みながら、マザー・グレンナは言葉を続けた。
「あんたの父親にクズ山の鉱山採掘権を売りつけてきた悪徳商人――その商人を、レイが裏で操っていたのさ。自身は法に一切触れず、外堀を埋めてオルドー子爵家を追い込む……本当に、あたしでも恐ろしくなるほど見事な手並みだった」
「! レイはどうして、そんなことを……?」
「オルドー子爵家への報復さ。エルダを苦しめた『悪人』は、全員レイの餌食だ」
お酒が回り始めたのか、マザー・グレンナの口調は少しずつ気怠げになっていった。
「……エルダ、あんたは13年前にとんでもない坊やを拾っちまったんだよ。見捨てておけばよかったのに、あんたもバカな女だね」
「――そんなこと、言わないでください」
反発的に、私はそう言っていた。
「確かに私は、レイを理解しきれてないかもしれません。でも、あの人の温かさは絶対に本物です! だから私は絶対にレイを助けるし、幸せに生きてもらいたいんです」
健やかに生きてほしい。幸せに生きてほしい。
レイの過去を知った今、その気持ちはどんどん強くなっている。
(……この列車が目的地に着いたら、必ずレイを助けてみせるわ)
彼に婚約者がいることも、なのに私を愛してくれていることも……どれもこれも、今は気にするべき問題ではない。レイの命を救うことこそが、最優先なのだから。
「マザー。前から気になっていたんですけれど……レイの婚約者って、どんな方なんですか?」
「…………」
グレンナ・グレンナは応えなかった。
「マザー?」
彼女は深くうつむいていた。そして、ぐぅぐぅ……といびきをかいて眠り込んでいた。
*
「次の駅が目的地だよ。エルダ」
寝台列車の旅は3日間に渡り、とうとう下車する時が来た。
列車のタラップを踏んで駅舎に降り立つ――潮風が、髪をなぶった。
ここは国内最大の港湾都市・シェファマ。
国内有数の大貴族である、デヴォン侯爵の領内にある都市だ。
マザーの後に続いて、私は足を進めていった。やがて、古びた倉庫街にたどりついた。
「こっちだよ。ついておいで」
(こんな場所に、レイを助ける方法があるの……?)
マザーはまだ、私に何も教えてくれていない。とうとう痺れを切らした私は、マザー・グレンナに後ろから声を掛けた。
「そろそろ教えてくれませんか、マザー・グレンナ。どうやってレイを助けるんですか? 私はここで何をすれば――」
「――あン?」
柄の悪い声を出して、マザー・グレンナは私をふり返って来た。にやりと吊り上がった唇と鋭い眼光に、思わずビクッとしてしまう。
「悪いねぇ、エルダ。私はあんたに嘘をついていた」
「……嘘?」
「ああ。『このままだとレイが死ぬ』って言ったけど、あれは真っ赤な嘘さ」
「――え?」
私は、耳を疑った。今のマザー・グレンナは、狡猾な老婆の顔をしている――こんな表情の彼女を見るのは、初めてだった。
「痣があるが、別にレイは死にはしない。だからこの街に来ても、あんたには無駄骨ってことだ」
「どういうことですか……? だったら、どうしてあなたは私をこんな場所に……」
「どうしても『エルダに会いたい』っていうご夫人がいたんでね。あんたを屋敷から誘い出して、わざわざ連れてきたってわけさ」
マザー・グレンナは振り返ると、声を張り上げた。
「お待たせいたしました、デヴォン侯爵の第九夫人さま!! あなたのご所望の品を、このグレンナめがお届けいたしましたよ!」
――デヴォン侯爵の……第九夫人? そんな人とは面識がない。私が眉をひそめた、そのとき。
「あ~ら、遅かったじゃないの! 待ちくたびれたわぁ」
甲高い声を響かせて、倉庫の影から三十歳過ぎに見える女性が現れた。身に纏うドレスや宝飾は豪華絢爛で最上級の品に見えるが、その装いには品がない。濃すぎる化粧のせいでむしろ不潔な印象に見える。
だが、この女性は見覚えがある――というか彼女は。
「キャロライン!?」
「会いたかったわぁ、お姉さま!」
かつり、かつりとヒールの音を響かせて、高慢な態度で近づいてくる女性――それは私の妹、キャロラインだったのだ。
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