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クララのとある一日 登場人物紹介編
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララのとある一日 登場人物紹介編
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【クララの明治日記 超訳版特別編-クララのとある一日】
明治10年○月△日 □曜日
今日も書くべき事が一杯あって、とても全部書き切れそうにない。
日記とは素晴らしいものだ。
けれど、ハリエット・ニューウェルやアン・ジャドソンの日記を読むと、自分の日記に愛想が尽きてくる。
大事な紙を随分無駄にしたものだ。恐らく死ぬ時には、皆焼いてしまっているだろう。
朝、食堂に下りると既に父は出勤した後だった。
父は東京の商法講習所で教鞭を執っている。
この国では、招聘した外国の専門家達を“お雇い外国人”と呼んでいるのだけれど、果たして、父はこのカテゴリーに含まれるのだろうか?
元々国の機関として設けられる予定だった商法講習所だったけれど、私たちが家族一緒にこの国にやってきた1875年8月の段階では、学校の設立そのものが暗礁に乗り上げていた。そのまま、私たちはそのまま路頭に迷うしかない筈だった。
高名な提督である勝海舟氏と大鳥圭介氏らが資金を提供してくれなければ。
普段なら一緒に朝食を取る兄のウィリイは少し前から横浜に医学の勉強に行っている。
だから私たち――母、妹のアディ、そして私――はテーブルを小さくして食事をしたが「小さな子供を抱えた未亡人」のような気持ちだった。
なんとなく暗い気持ちになってしまったけれど、落ち込んでいるわけにはいかない。
間もなく私の“生徒たち”がやって来るのだから。
午前九時少し前。
軽快な車の轍が我が家の前で止まった。
「おはようございます、クララ先生」
人力車から降り立ち、素敵な笑顔で現れたのは、おやおさんさん。
いつものように、傍らにはお伴であり、ご学友(?)を努めているおすみがいる。
おやおさんの本名は松平八百子さんといって、この国を長く支配してきた徳川家の親族の出身だ。
おやおさん本人は実家である越前松平家というところから養女にだされているのだけれど、今の義父さまも凄い方で、なんと何代か前の将軍様の実の子供なのだ。
つまり、おやおさんは義理とはいえ将軍様の孫娘に当たる正真正銘の“お姫様”っていうわけ。
それでいて、おやおさんには気取ったところが全然ない。
いつも溜息が出るくらい素晴らしい着物を来ているけれど、それもおやおさん本人の魅力的な笑顔には到底叶わない。
そのおやおさんの傍らに常に控えているおすみはと云えば、常にその女主人の警護を怠らない。
初めて我が家を訪れた時には、護身用の小刀を懐に忍ばせていて見せて貰ったことがあるけれど、それはきっと今もそうなのだろう。
「おはよう、クララ」
元気な声でそう挨拶して入ってきたのは、盛だ。
盛の実家は杉田という苗字で、将軍様時代の高名な学者である杉田玄白という偉大な蘭学者の子孫に当たる。
もっとも杉田家は何代も養子を重ねているので、直接の血の繋がりはないらしいけれど。
盛は意外とユーモアがあって、その場を賑わせるのが得意だ。
さて、そろそろ授業を始めないと。
九時を少し過ぎ、今日の生徒は三人だけか、と溜息をついた時。
「クララ、おはようー。ぎりぎり間に合ったよね!?」
息せき切って駆け込んできたのは、丸顔で日本人にしては大きな悪戯っぽい黒い目をした美少女。
私の大親友であるお逸だ。
お逸の本名は勝逸子といって、この国では知らない者がいない高名な提督、勝海舟氏の実の娘さんだ。
だからといって、お逸にはお嬢様然としたところが全然ない。
馬を走らせるのが大好きって公言するほど活発で、しかも美人だ。
生まれたのは私と同じ1860年。生まれた月も同じで、私が30日、お逸が3日。
地球の裏側で、こんなに仲良くなれる親友が出来るなんて、夢にも思わなかった。
時折、初めて二人きりで出かけた日の晩のことを思い出す。
一緒に縁側に出て、月を見上げていると突然、隣にいたお逸がわたしの肩に腕を回してきて、一言だけ云った。
「あなた、とても好きよ」
きっとこの瞬間、私たちは親友になったのだと思う。
さて、感慨にふけるのはこれくらいにして、授業を始めないと。
まずは英語の講義からだ。
最初は「ドック」だの「キャット」だので始まった授業も最近では聖書の一文を利用したものにまで進歩している。
でもおすみは必ず「go」をあくまでも「ガウ」と発音しようとする。
「おすみ、そこは“ガウ”ではありません。“go”と発音するのですよ」
大名令嬢であるおやおさんが神々しいまでの厳かさで訂正し、おすみは重大な任務を託されたサムライのように重々しく肯く。
その姿はいつ見ても、どうしても吹き出しそうになってしまう。
英語の次は音楽の授業だ。
この国の音楽は我々の基準からすればとてもひどいもので、聞くに堪えない。
だけど、日本人からすればきっと私たちアメリカ人の音楽は荒々しすぎるのだろう。
だから私が教えるのは、オルガンで弾ける曲と教会で奏でる優しい音楽が専らだ。
柔らかな声で歌うおやおさんのクリスマスキャロルは、聞いていてとても暖かな気持ちになれる。お逸の歌声もなかなかだ。
ちなみに私のオルガン曲の中で、日本人にも特に人気のあるのはスコットランド民謡の別離の歌である「オールド・ラング・サイン」。
もの悲しいけれど、心に染みる温かな旋律が、我々と音楽センスがまるで違う日本人にも人気が出るなんて予想外だ。
いつかこの曲が日本中に広まる日が来たらいいと思う。
きっと学校の卒業式などで歌われることになるに違いないから。
午後、私は母と富田夫人とお買い物をかねて散歩に出た。
富田夫人というのは、アメリカの我が家に留学していた鉄之助氏の夫人の縫さんのことだ。私たちの来日直後から、よき相談相手になってくれている。
旦那様の鉄之助氏は勝提督の門下生。そして母にとっては日本でのキリスト教布教を決意させた人でもある。
鉄之助氏が母にキリストの教えを説いて下さいと頼んだところから、少し厭世的なところがあった母が、主の教えに目覚めたのだから。
ちなみに、午前中に授業に来ていた盛の叔母様に当たる。つまり、夫人は学者である杉田家の出身で、英語も得意なのだ。
「ごきげんよう、クララさん」
散歩の途中で友達の一人であるユウメイと出会った。義母のマッカーティー夫人と一緒だ。
ユウメイの生まれは清国だ。
長く清国で宣教活動を続けていたマッカーティー先生が、身寄りがお兄さんしかいなくなったユウメイを養女にしたのだ。
私よりも三歳も年下なのに、私なんかよりずっとしっかりしている。
英語に至っては、私よりもうまいくらいなのだ!
「クララ、貴女、流石に自虐が過ぎますわよ……全くもって事実ですけれどもね!」
マッカーティー夫人が用事があるからということで、ユウメイと長話をする間もなく別れた私たちは、間もなく銀座近くの店の立て込んだ付近までやってきた。
母はあっという間に、骨董品や鹿皮に夢中になってしまう。
日本の店は我々外国人にとって本当に魅力的な品物を並べている。
若い店主の居る毛皮屋の店に立ち寄ると、店主はニコニコして、取り入るような丁重な口調で私の日本語を褒めてくれた。
もっとも、それは中に隠してある、目に見えないような釣針を私たちに呑み込ませるためのものだったかもしれないけれど、私たちは呑まなかった。
次に骨董屋で花瓶を買った。
「失礼ですが召し上がって頂けますか?」
店のおかみさんの誘いに、私たちは御菓子をご馳走になることにした。
「失礼」と思わないことを示すために、私たちは差し出された爪楊枝を取り、細い尖端に思い羊羹を突き刺して、危うく落ちそうになるのを、辛うじて少しずつ食べた。
それから銀座に出て、綺麗な店を見て回った。
ある飾り窓に美しい七宝焼きのお皿があって、欲しくてたまらなかったが四ドルもした。
う~ん、どうしようか。
悩んでいたら、後ろから聞き覚えのある声が……って!?
「皆ノ衆、道ヲ空ケテ下サレヌカ」
「なんでカミングスさんがここで出てこられるんですか!? 今回は1877年までの総集編だから、出番はまだ来年でしょ!」
「ちっちっちっ! 甘いな、クララ。第一回の特別編で私とのデートの一日描いたじゃん! だから私がここにいても無問題無問題。
おかみさん、これいくら? 4ドル? じゃあ、5ドルで買うから、こっちの可愛い湯飲みもおまけに付けてよ」
このやたら背が高くて態度が大きく、男っぽい仕草がとても似合っいるのに、不思議と人を不快にしない女性はゴードン・カミングス嬢――ゴードンというより、ギリシャ神話に登場する怪物ゴルゴンと云った方が良いのだけれど。
彼女はなんとアーガイル侯爵家に連なる家の出身だ。
唖然と私が立ちつくしている間にも、店の陽気なおかみさん相手に、休みなく大きな低音で喋っていた。当然英語で話しているのに、日本語しかできないおかみさんと話があってしまうのは本当に不思議だ。
カミングス嬢は言葉を切るたびに声の音階が一つずつ上がっていく。
こういう会話をしている時の彼女独特の抑制が文字では表現できないのがもどかしくて仕方ない。
「じゃあ、わたしの出番、待ってるからねー」
私たちが呆然と見守るしかない中、カミングス嬢は竜巻のように通り過ぎていった。
私の手に、七宝焼きのお皿を残して。
ああ、そうだ。突っ立っている暇はなかったんだ。
今晩は晩餐に大切な方を沢山お呼びしているご招待しているのだから。
慌てて帰宅し準備を始め、なんとか整ったのは、最初のお客様である津田仙氏が来る直前。
津田氏は日本に西洋式の農業を伝えている人で、娘さんの梅子さんはいまアメリカに留学中。
次に見えたのは富田夫人の旦那様である富田鉄之助氏と、お父様である杉田玄瑞先生。
勝海舟氏はお逸がいつも自慢するとおりダンディで、いつも陽気な大鳥圭介氏の顎髭は今日も似合っていた。お二人とも幕府では要職の地位にあったのに、とても気さくだ。
特に大鳥氏などは、今の明治政府に最期まで抵抗し、五稜郭というところに立て籠もりさえした経歴の持ち主なのに。
最後にやってきたのは、日本人としては大柄な福沢諭吉先生。
男らしい方で、いろんな有益な本を日本語に訳しておられるのだけれど、先生は英語と日本語をやたらに交ぜて奇妙な話し方をされるので、何を云っておられるのか分かりにくい。
『ミスター桐山イズほんとにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジイ、この節、イエス』
真剣に聞いていないと、何を云っているのか訳が分からなくなってしまう。
ともあれ、たいして準備をしなかった今日の晩餐だけど、なんとか上手くいって、お客様は皆満足して帰って行かれた。
私たち一家がいつまで日本にいられるか分からない。
何故なら、最近父と商法講習所の日本人経営者との間で諍いが起こっているからだ。
けれど、私は最後までこの国の人と触れあい、神の教えを遍く広め、アメリカと日本の架け橋となりたいと思う。
明治10年○月△日 □曜日
今日も書くべき事が一杯あって、とても全部書き切れそうにない。
日記とは素晴らしいものだ。
けれど、ハリエット・ニューウェルやアン・ジャドソンの日記を読むと、自分の日記に愛想が尽きてくる。
大事な紙を随分無駄にしたものだ。恐らく死ぬ時には、皆焼いてしまっているだろう。
朝、食堂に下りると既に父は出勤した後だった。
父は東京の商法講習所で教鞭を執っている。
この国では、招聘した外国の専門家達を“お雇い外国人”と呼んでいるのだけれど、果たして、父はこのカテゴリーに含まれるのだろうか?
元々国の機関として設けられる予定だった商法講習所だったけれど、私たちが家族一緒にこの国にやってきた1875年8月の段階では、学校の設立そのものが暗礁に乗り上げていた。そのまま、私たちはそのまま路頭に迷うしかない筈だった。
高名な提督である勝海舟氏と大鳥圭介氏らが資金を提供してくれなければ。
普段なら一緒に朝食を取る兄のウィリイは少し前から横浜に医学の勉強に行っている。
だから私たち――母、妹のアディ、そして私――はテーブルを小さくして食事をしたが「小さな子供を抱えた未亡人」のような気持ちだった。
なんとなく暗い気持ちになってしまったけれど、落ち込んでいるわけにはいかない。
間もなく私の“生徒たち”がやって来るのだから。
午前九時少し前。
軽快な車の轍が我が家の前で止まった。
「おはようございます、クララ先生」
人力車から降り立ち、素敵な笑顔で現れたのは、おやおさんさん。
いつものように、傍らにはお伴であり、ご学友(?)を努めているおすみがいる。
おやおさんの本名は松平八百子さんといって、この国を長く支配してきた徳川家の親族の出身だ。
おやおさん本人は実家である越前松平家というところから養女にだされているのだけれど、今の義父さまも凄い方で、なんと何代か前の将軍様の実の子供なのだ。
つまり、おやおさんは義理とはいえ将軍様の孫娘に当たる正真正銘の“お姫様”っていうわけ。
それでいて、おやおさんには気取ったところが全然ない。
いつも溜息が出るくらい素晴らしい着物を来ているけれど、それもおやおさん本人の魅力的な笑顔には到底叶わない。
そのおやおさんの傍らに常に控えているおすみはと云えば、常にその女主人の警護を怠らない。
初めて我が家を訪れた時には、護身用の小刀を懐に忍ばせていて見せて貰ったことがあるけれど、それはきっと今もそうなのだろう。
「おはよう、クララ」
元気な声でそう挨拶して入ってきたのは、盛だ。
盛の実家は杉田という苗字で、将軍様時代の高名な学者である杉田玄白という偉大な蘭学者の子孫に当たる。
もっとも杉田家は何代も養子を重ねているので、直接の血の繋がりはないらしいけれど。
盛は意外とユーモアがあって、その場を賑わせるのが得意だ。
さて、そろそろ授業を始めないと。
九時を少し過ぎ、今日の生徒は三人だけか、と溜息をついた時。
「クララ、おはようー。ぎりぎり間に合ったよね!?」
息せき切って駆け込んできたのは、丸顔で日本人にしては大きな悪戯っぽい黒い目をした美少女。
私の大親友であるお逸だ。
お逸の本名は勝逸子といって、この国では知らない者がいない高名な提督、勝海舟氏の実の娘さんだ。
だからといって、お逸にはお嬢様然としたところが全然ない。
馬を走らせるのが大好きって公言するほど活発で、しかも美人だ。
生まれたのは私と同じ1860年。生まれた月も同じで、私が30日、お逸が3日。
地球の裏側で、こんなに仲良くなれる親友が出来るなんて、夢にも思わなかった。
時折、初めて二人きりで出かけた日の晩のことを思い出す。
一緒に縁側に出て、月を見上げていると突然、隣にいたお逸がわたしの肩に腕を回してきて、一言だけ云った。
「あなた、とても好きよ」
きっとこの瞬間、私たちは親友になったのだと思う。
さて、感慨にふけるのはこれくらいにして、授業を始めないと。
まずは英語の講義からだ。
最初は「ドック」だの「キャット」だので始まった授業も最近では聖書の一文を利用したものにまで進歩している。
でもおすみは必ず「go」をあくまでも「ガウ」と発音しようとする。
「おすみ、そこは“ガウ”ではありません。“go”と発音するのですよ」
大名令嬢であるおやおさんが神々しいまでの厳かさで訂正し、おすみは重大な任務を託されたサムライのように重々しく肯く。
その姿はいつ見ても、どうしても吹き出しそうになってしまう。
英語の次は音楽の授業だ。
この国の音楽は我々の基準からすればとてもひどいもので、聞くに堪えない。
だけど、日本人からすればきっと私たちアメリカ人の音楽は荒々しすぎるのだろう。
だから私が教えるのは、オルガンで弾ける曲と教会で奏でる優しい音楽が専らだ。
柔らかな声で歌うおやおさんのクリスマスキャロルは、聞いていてとても暖かな気持ちになれる。お逸の歌声もなかなかだ。
ちなみに私のオルガン曲の中で、日本人にも特に人気のあるのはスコットランド民謡の別離の歌である「オールド・ラング・サイン」。
もの悲しいけれど、心に染みる温かな旋律が、我々と音楽センスがまるで違う日本人にも人気が出るなんて予想外だ。
いつかこの曲が日本中に広まる日が来たらいいと思う。
きっと学校の卒業式などで歌われることになるに違いないから。
午後、私は母と富田夫人とお買い物をかねて散歩に出た。
富田夫人というのは、アメリカの我が家に留学していた鉄之助氏の夫人の縫さんのことだ。私たちの来日直後から、よき相談相手になってくれている。
旦那様の鉄之助氏は勝提督の門下生。そして母にとっては日本でのキリスト教布教を決意させた人でもある。
鉄之助氏が母にキリストの教えを説いて下さいと頼んだところから、少し厭世的なところがあった母が、主の教えに目覚めたのだから。
ちなみに、午前中に授業に来ていた盛の叔母様に当たる。つまり、夫人は学者である杉田家の出身で、英語も得意なのだ。
「ごきげんよう、クララさん」
散歩の途中で友達の一人であるユウメイと出会った。義母のマッカーティー夫人と一緒だ。
ユウメイの生まれは清国だ。
長く清国で宣教活動を続けていたマッカーティー先生が、身寄りがお兄さんしかいなくなったユウメイを養女にしたのだ。
私よりも三歳も年下なのに、私なんかよりずっとしっかりしている。
英語に至っては、私よりもうまいくらいなのだ!
「クララ、貴女、流石に自虐が過ぎますわよ……全くもって事実ですけれどもね!」
マッカーティー夫人が用事があるからということで、ユウメイと長話をする間もなく別れた私たちは、間もなく銀座近くの店の立て込んだ付近までやってきた。
母はあっという間に、骨董品や鹿皮に夢中になってしまう。
日本の店は我々外国人にとって本当に魅力的な品物を並べている。
若い店主の居る毛皮屋の店に立ち寄ると、店主はニコニコして、取り入るような丁重な口調で私の日本語を褒めてくれた。
もっとも、それは中に隠してある、目に見えないような釣針を私たちに呑み込ませるためのものだったかもしれないけれど、私たちは呑まなかった。
次に骨董屋で花瓶を買った。
「失礼ですが召し上がって頂けますか?」
店のおかみさんの誘いに、私たちは御菓子をご馳走になることにした。
「失礼」と思わないことを示すために、私たちは差し出された爪楊枝を取り、細い尖端に思い羊羹を突き刺して、危うく落ちそうになるのを、辛うじて少しずつ食べた。
それから銀座に出て、綺麗な店を見て回った。
ある飾り窓に美しい七宝焼きのお皿があって、欲しくてたまらなかったが四ドルもした。
う~ん、どうしようか。
悩んでいたら、後ろから聞き覚えのある声が……って!?
「皆ノ衆、道ヲ空ケテ下サレヌカ」
「なんでカミングスさんがここで出てこられるんですか!? 今回は1877年までの総集編だから、出番はまだ来年でしょ!」
「ちっちっちっ! 甘いな、クララ。第一回の特別編で私とのデートの一日描いたじゃん! だから私がここにいても無問題無問題。
おかみさん、これいくら? 4ドル? じゃあ、5ドルで買うから、こっちの可愛い湯飲みもおまけに付けてよ」
このやたら背が高くて態度が大きく、男っぽい仕草がとても似合っいるのに、不思議と人を不快にしない女性はゴードン・カミングス嬢――ゴードンというより、ギリシャ神話に登場する怪物ゴルゴンと云った方が良いのだけれど。
彼女はなんとアーガイル侯爵家に連なる家の出身だ。
唖然と私が立ちつくしている間にも、店の陽気なおかみさん相手に、休みなく大きな低音で喋っていた。当然英語で話しているのに、日本語しかできないおかみさんと話があってしまうのは本当に不思議だ。
カミングス嬢は言葉を切るたびに声の音階が一つずつ上がっていく。
こういう会話をしている時の彼女独特の抑制が文字では表現できないのがもどかしくて仕方ない。
「じゃあ、わたしの出番、待ってるからねー」
私たちが呆然と見守るしかない中、カミングス嬢は竜巻のように通り過ぎていった。
私の手に、七宝焼きのお皿を残して。
ああ、そうだ。突っ立っている暇はなかったんだ。
今晩は晩餐に大切な方を沢山お呼びしているご招待しているのだから。
慌てて帰宅し準備を始め、なんとか整ったのは、最初のお客様である津田仙氏が来る直前。
津田氏は日本に西洋式の農業を伝えている人で、娘さんの梅子さんはいまアメリカに留学中。
次に見えたのは富田夫人の旦那様である富田鉄之助氏と、お父様である杉田玄瑞先生。
勝海舟氏はお逸がいつも自慢するとおりダンディで、いつも陽気な大鳥圭介氏の顎髭は今日も似合っていた。お二人とも幕府では要職の地位にあったのに、とても気さくだ。
特に大鳥氏などは、今の明治政府に最期まで抵抗し、五稜郭というところに立て籠もりさえした経歴の持ち主なのに。
最後にやってきたのは、日本人としては大柄な福沢諭吉先生。
男らしい方で、いろんな有益な本を日本語に訳しておられるのだけれど、先生は英語と日本語をやたらに交ぜて奇妙な話し方をされるので、何を云っておられるのか分かりにくい。
『ミスター桐山イズほんとにカインドマンけれども、ヒイイズ大層ビジイ、この節、イエス』
真剣に聞いていないと、何を云っているのか訳が分からなくなってしまう。
ともあれ、たいして準備をしなかった今日の晩餐だけど、なんとか上手くいって、お客様は皆満足して帰って行かれた。
私たち一家がいつまで日本にいられるか分からない。
何故なら、最近父と商法講習所の日本人経営者との間で諍いが起こっているからだ。
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