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クララ、三度目の日本でのクリスマスパーティーを開くのこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記 超訳版第37回 クララ、三度目の日本でのクリスマスパーティーを開くのこと
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今回分は、クララが来日してから三回目のクリスマスパーティーのお話がメインとなります。
明治10年12月5日 水曜日
先週の木曜日が都合が悪かったので、明日感謝祭をする予定。
もう六人の方たちに招待状を出し、返事を頂いている。
楠本知事は返事の代わりに通訳を使いに寄越された。
「ユウメイが無事に日本に帰ってきたから、午後遊びに来て欲しい」
ジェニーからそんな手紙が来たので、私は裁縫道具を持って出かけ、ユウメイに会った。
「お久しぶりですわね、クララさん」
ユウメイは少し大きくなって、本物の清国の帽子を被っているが、とてもよく似合う。
清国の公使はマッカーティ先生の昔の教え子なので、先生は公使と一緒に日本に戻ってこられる。
先生は清国人が大好きでいらっしゃる。
「公使閣下一行が日本におられる間は、義父も日本にいる予定ですわ」
先生はまだお着きになっていないけれど、夫人とユウメイは先に着かれて、マレイ先生のお家に泊まっておられる。
明治10年12月6日 木曜日
今日は感謝祭に特別のご馳走を作りたかったので、平兵衛に色々指示をして料理を作らせることにした。
なんとかお客様がいらっしゃる前にメニューが書き出され、テーブルの支度ができた。
富田氏が一着だった。
次に牧山先生、杉田先生、勝安房氏、大鳥氏、そして最後に楠本知事閣下。
楠本知事は三十歳かそこらで背が高く、立派な顔立ちであり、髭を綺麗に剃って、真面目な思慮深い微笑を湛えておられる。
私は知事に心惹かれたが、知事は初めのうちは私にまるで目もくれなかった。
でも、ウィリイに私たち姉妹の年齢とか、いろいろ三回もお聞きになった。
知事は母のことをウィリイの姉だと思っておられた。ウィリイが大いに努力してくれて、食事は大変具合良く進んだ。
お客様は十時に揃ってお帰りになった。皆さん満足げなご様子だった。
明治10年12月14日 金曜日
母とアディと私は、シモンズ先生のための抜き打ちの誕生パーティーに出席するため横浜へ行った。
晩はヘップバン夫人の家に泊まることになって、とても楽しかった。
ヘップバン先生は、私にまるでお父様のように親切にして下さる。
家に入って行った時に、腕に抱いてキスして下さった。
祖父が生きていたらきっとこのように可愛がってくれただろうな。
今日の吃驚ハーティーは、シモンズ先生がヘップバン先生のおうちにお茶に招かれている間に、私たちが隣家でパーティーの準備をするという寸法だ。
ユウメイの義父であるマッカーティー先生も来られ、八時頃まで私たちは炉の周りで楽しい時を過ごした。
「それでは、私は用事がありますから」
ヘップバン夫人が部屋を出られ、間もなくヘップバン先生とシモンズ先生以外の人は、全部部屋の外に呼び出された。
私たちはオーバーなどを着て、外が真っ暗なので提灯を持ち、裏口から抜け出して、シモンズ先生のうちへ行った。
客間と居間には既に大勢の人が集まっていた。
お喋りしている人、ダンスをしている人。
そこで満を持して、ウィリイはヘップバン先生の家に戻り、玄関のベルを勢いよく鳴らした。
「先生、急病人が出ましたから、お宅に戻ってください!」
ところが困ったことに、先生は平然としてこう云われるのだ。
「待たせておきなさい」
その後の兄の苦労は如何ばかりのものであったことか。
やっとのことでシモンズ先生がうちに帰ってくることを承諾されたので、ウィリイは横の入口の方に先生を案内した。
扉を開けた瞬間。
ドアの内側で待ち伏せしていた大勢の女の人が、キャーキャー言いながら先生に飛びついた。
そして先生のオーバーや帽子を脱がせてしまう。
顔が青ざめ呆気にとられている先生を、皓々とと明かりがついている玄関の方へみんなで引っ張って行った。
そこにいる人の半分は私の知らない人だったし、必ずしも知り合いになりたいとも思わない。
コールズ夫人、ハバード夫人とお嬢さん、ルース・クラークなど、私の知っている方もあった。
ルースはダンスをしていたが、一人前のレディであった。
私もあんなに社交の場で自然に振る舞えたらいいのに。
この晩、私はヘップバン夫人の部屋で寝た。
明治10年12月21日 金曜日
この間から色々のことがあったのだけど、クリスマスの準備に忙しくて、日記もつけられなかった。
クリスマスツリーを飾って、二十五人から三十人のお客様をお呼びする予定だ。
昨日ミス・ヤングマンの生徒たちが、お道さんのためにバザーを開いた。
お道さんは美しい娘だが、編集者であるお父様が気の毒にも政府批判の記事を書いたかどで牢屋に入れられてしまったのだ。
最近、新聞記者の投獄が盛んになったらしく、一ヶ月に十余名にも及ぶそうだ。
うちの女中たちも、キャンデーを入れるレースの袋を作るのを手伝うために居残ってくれている。
クリスマスのお祭りは本当に楽しい。
クリスマスが近づくと、悲しみに打ちひしがれた心も元気を取り戻し、クリスマスの意味も知らない異教徒も、幸福と光を与えられる。
ここ数日、わたしの魂は輝かしい未来を夢見ている。
私の空中楼閣は美しく明るく、私が未来になし得ることを思って、心は晴れ晴れしている。
さし当たりの目標はアメリカに帰って勉強して、それからもう一度日本に戻って来て、何人かのためになることをする――私よりも先に立派な仕事をされた大勢の女性に倣って。
神から預かったタラントをより良いものにして、神にお返しすることができますように。
明治10年12月24日 月曜日
朝から一日掛かりで庭師が玄関、居間、食堂、表のベランダなどに飾りつけをしてくれて、クリスマスの準備が整った。
富田夫人が、笠原を手伝いに寄越してくださったが、背が高いので色々と役に立った。
矢野氏が見事な絹のハンカチを届けられた。
午前中にビンガム夫人を訪ねて、私の作った綺麗な青い針刺しを贈った。
メリークリスマス!!
今朝私は喜びに溢れて日の出を迎えた。昨夜芝で聞いたクリスマスキャロルの言葉が耳に残っていた。
「みつかいたちのたたへのうたを……」
私たちは皆早く起きて仕事にかかった。
使用人たちは誰一人クリスマスツリーを見たことがなくて、どうするのかまるで分からない。
ツリーの飾りつけをしているところへ、ド・ボワンヴィル夫人が手伝いに来て下さった。
しかし、連れて来られた赤ちゃんがむずがるので、間もなくお帰りになった。
夫人はマリーには日本語しか使われない。
けれど、あんな可愛い赤ちゃんに変な日本語を教えるのは可哀想――夫人の日本語は片言の日本語で、教養のある日本人には通じないようなものだからだ。
午前中ずっと日本人の友達からの贈り物が次々と届けられた。
おやおさんは私たち一人一人に綺麗な贈り物を沢山届けて下さった。
私宛にやさしい手紙がついていて、その書き出しは『親愛なる我が師』であった。
私はこの「親愛なる我が生徒」を誇りにしても許されるであろう。
最初に私たちのところへ来た時には、英語を全然知らなかった。
しかし、私が教え始めてからどんどん上達して、今では何年も勉強してきた大勢の学生にひけを取らない手紙が書けるようになったのだ。
『康倫様の病状が思わしくありません。義母もただ狼狽えるばかりで、残念ながら今宵のお招きにはあずかれません』
手紙にはこう書いてあった。
可哀想なおやおさん。きっと失望しているに違いない。私も失望した。
おやおさんはキャロルをとてもよく覚えていたので、私はその柔らかい声をみんなに聞かせたかったのだ。
笠原も贈り物を持って来た。
盛もみんなに贈り物をくれた――母には妙な形の小箱と財布、父には本一揃い、ウィリイにはカフスボタン、アディには玩具、私には綺麗な箱。
およしさんからは可愛い硯と筆の一揃い。
滝村氏は直接みえて、みんなに漆器を下さった。母には特別で二枚の美しい果物皿を下さった。
三浦夫人は母に大きな見事な飾り棚――世にも奇妙な作りである――とアディと私には綺麗な簪を下さった。
富田夫人は父と母に二つの妙な花瓶、ウィリイにはカフスボタン、アディには鞠と簪、私には綺麗な絹のスカーフと簪を下さった。
一番立派な贈り物は村田氏のだった。
それは竜の絵のある薩摩焼の香炉であった。古い形の実に実に見事なもので、外国の人たちみんなに羨ましがられた。
アディと私には、ピンクや赤のネクタイやスカーフを下さった。
勝海舟氏の贈り物は豪華なもので、届け方も素敵だった。
四人の男が担ぐ担架に載せられて来たのだ。
封建時代の大名がお互いに贈り物をする時は、こういう風にしたのだろうと思われる。
美しくはないけれど、魅力的なあの緑の風呂敷に包まれてきた中身は、色々の見事な贈り物。
母には素晴らしい日本の台と蒔絵の箱、お菓子一箱、卵一箱と、三つの奇妙な形の象牙の彫刻――これは珍しいものだ――ウィリイには茶器一揃いと台所用品。
父には、骨董品を幾つか、アディには色々のお菓子と玩具。
私には日本のお菓子を一杯詰めた美しい重箱。
この他にも私たちは、色々の綺麗な贈り物を頂いた。
五時に大久保氏がみえて、面白い形の茶瓶と綺麗な掛け物を下さった。
私たちがまだ準備を完了していなかったので、箱やキャンデーを並べるのを手伝って下さった。
富田氏と、勝家の方々と、滝村氏の方々が、次に来られた。
皆よそ行きの着物でとても綺麗だ。
お逸の姉の孝子さんの長女のお輝ちゃんは髪から何から大名のお姫様のような姿。
大久保氏はお客様の相手をして下さったけれど、なんとなくお逸に一番関心がおありのようだった。
視線が何度もお逸の方を追い求めていたからだ。
……お逸は綺麗だし、いい人だからそれも不思議はないのだけれど、少しだけ胸がチクチクした。
徳川様のご令弟、若い田安公は謹厳な二人のお伴を連れて来られた。
その他、はにかみやの林恒五郎氏の顔。およしさんの控え目な上品な姿。六蔵ちゃんの快活な黒い目。
村田氏の背の高い気品のある姿などが、私たちの綺麗な客間に見られた。
私は村田氏の優雅な物腰に魅力を感じる。
今は指を怪我して三角巾で吊っておられるが、高貴な海軍将校なのだ。
エマとウィリイ・ヴァーベックも来ていた。
ビンガム夫人は短時間だけ、飾りつけのできたクリスマスツリーを見に来て下さった。
ツリーはとても綺麗で、子供たちはその周りに坐っていた。
富田氏は大変ご機嫌だった。
「まあ、本当にアメリカ人だわ」と仰ったのはビンガム夫人。
ご馳走を廻して、めいめい自由を取って頂く形式の夕食を済ませてからゲームをした。
参加者の中では富田氏が一番一生懸命だった。
「狐とガチョウ」のゲームをしていた時に、盛が上手な洒落を云った。
日本語の「鬼」は「悪魔」という意味なのだが、ゲームの途中で盛が叫んだのだ。
「鬼は誰?」
梅太郎が「私だ」と云うと、途端に盛が云った。
「サタンよ、退け!」
そのやりとりに、みんな大笑いとなった。
大久保氏は、徳川家にも行かなければならないので早めにお帰りになり、ビンガム夫人もおうちにお客様があるのですぐ帰られた。
皆さんに小さい贈り物を上げたが、皆から頂いた立派なものとは比べものにならない。
ただほんの記念に差し上げたものだ。
皆さんとてもゆっくりしておられて、子供たちは大変楽しかったと思う。
大人の方々も喜んでおられた。
おやおさんが来られなくて、本当に残念だった。
この子供たちがみんな心の中にキリスト様を見出してくれますように。
明治10年12月26日 水曜日
クリスマスのお祭りも終わった。
次のお祭りまでの間にどんなことがあるか、神様だけがご存じだ。
クリスマスの準備でへとへとになってしまったけれど、クリスマスが終わってしまったのは残念。
私たちが朝食のテーブルについたのは、恥ずかしいことに九時過ぎ。
今日は一日中綺麗な贈り物を眺めたり、昨夜のお客様にお菓子を届けたり、鳥や蜜柑を私たちほどご馳走の沢山ない友人に分けて上げたりした。
大きな鴨が五羽、鵞鳥が一羽、蜜柑が山ほど、そして巨大なお魚が五尾――鮭が二尾に鯛が三尾。
鯛は森ひろさんから贈られたもので、今までに見たこともない大きいものであった。
前からの約束で、平兵衛は村田氏のお宅に戻った。
ビンガム公使がみえて奥様の代わりに昨日のお礼に来られ、ご自分がいらっしゃれなくて本当に残念だった、と云われた。
明治10年12月27日 木曜日
母は忙しかったのと、興奮が続いて、くたくたに疲れているので、今朝は二人で気分転換に出かけた。
五時にウィリイと私は駿河台のエマの家に招待されていたので、ツリーを見に出かけた。
ヴァーベック家では毎年三本ツリーを飾るそうだ。
一本は家族のため、一本は外国人のためである。さだめし大変であろう。
でも今日はとても楽しかった。
女の子たちが揃っていた――ジェニーにガシーにユウメイと横浜から来たオリシアとメアリ・ゴーブルという二人。
この二人は、はじめとても大人しかったが、可愛い良い子たちだった。
大人の人も数人いた。
エマはお父様とドイツの歌を合唱した。言葉は分からなかったが、節は感動的だった。
その後、シャレードやその他のゲームを楽しんだ。
明治10年12月28日 金曜日
数人のお友達を今夜招いてあったので、一日中支度に追われた。
私は気分が悪くて、支度をするのが苦痛だったのだけれど、お客様がいらっしゃってからは嬉しくて元気になった。
大鳥家のおひなさん、おゆきさんの二人が四時頃に竹下さんというお友達を一人連れて来た。
竹下さんのお兄様の寅吉さんは商法学校の学生だということだ。
感じのいいお嬢さんだったけれど、招かれていない友達を大鳥さんたちが連れてきたのは、礼儀に反する。
少なくともアメリカでは失礼になる。
でも、あの方たちは、そういうことをなさりそうな方だ。
次に種田夫人、それから津田先生の長女である琴さん、神田次郎氏が見えた。
しばらくしてから横山氏がみえたが、この方はのべつ冗談ばかり云っていた。
学者らしい上品な身のこなしと、真面目で謹厳な表情の持ち主である種田氏は、ふざけている横山氏を不思議そうに見ておられたが、やがて母に聞いてきた。
「あの人は一体、誰ですか? 日本人であんな事をする人は見たことがありませんな。何処かで見たアメリカ人のようです」
上杉氏も批判的な顔つきで見ておいでになった。
横山氏は女性のそばにくっついてみんなを笑わせるために、くだらない冗談ばかり仰っていた。
上杉氏と婚約者のおひなさんとは、まるで見知らぬ他人のように、お互いに全然関心を示さなかった。
まあ、本当に日本人の恋人ったら!
種田氏の若い奥様が、上手に歌を歌ってくださった。
それからみんな「皿転がし」のゲームをして、とても面白かった。後でみんな罰金を払わされたのである。
横山氏が裁判官で私たちにいろいろ変な真似をさせた。
謹厳な種田氏は、椅子を持って部屋中を歩き回された上に、一番可愛い女性にお辞儀を三回するように、と云われた。
その“一番可愛い女性”は私だった!
上杉氏は清国の歌を歌わせられた。その上にご自分で買って出て演説をなさった。
商法講習所の矢野氏は女性に跪かされた。
おひなさんは一番好きな人にキスをさせられた――これも選ばれた相手は私だった。
アディは蟹のように歩かされる、といった具合だった。
それから気の利いた夕食が出て、全体として上手くいったと思う。
今日のお客様はあまりしっくりいかなかったけれど、たいして準備をしない時は上手くいって、大騒ぎして準備をするとたいてい失敗する。
矢野氏は大変ご満悦で「こういう集まりなら申し分ありませんな」と仰った。
横山氏は騒ぎ過ぎて、疲れきって椅子に深々と腰を下ろしていた。
「こんなに楽しかったのは久しぶりです」
種田夫妻は「とても楽しかった」と仰って、私をおうちへ招待して下さった。
竹下さんは帰りがけに「どうぞ遊びにいらして下さい」と小声で仰った。
麻布で富田氏の隣に住んでいらっしゃるということだ。
【クララの明治日記 超訳版解説第37回】
「あれ? メイ、日本にいなかったんだ。全然気が付かなかった」
「……………………どうせ、わたくしなんて………………………」
「わぁー! ごめんごめん。泣かせるつもりはなかったんだって」
「な、泣いてなんかいませんわっ! ちょっと悔しかっただけっ」
「年明けしたら引っ越ししてくる予定でしょ、クララの家の前に。
そうしたら“ユウメイ大勝利! お逸さん、涙目!”じゃないの」
「……それでも“いいところ”は貴女と貴女の父上がもっていってしまいますけれどもね」
「でしょでしょ? 私は兎も角、やっぱり父様よね!
今回も父様のクリスマスプレゼントの持ってき方、最高でしょ?」
「はいはい、いつもの父様自慢は結構ですから、解説に入りますわよ」
「とはいっても、今回は殆ど解説すべき点はないけどね。
クララ一家の日本でのクリスマスも、これで三年目だし」
「じゃあ、今回から本格的に初登場した方達の紹介は?」
「そうだね、では、まず謹言実直な種田誠一さんのご紹介。
この方は渋沢栄一に命じられ、銀行業務研修のためにアメリカに4年留学。この年、日本に帰ってきたところです。
で、この時点ではまだ後の話になるのですが、東京馬車鉄道を設立し、東京に本格的な馬車鉄道を普及させることになります」
「それで、その種田氏に呆れられていた横山氏というのはどなたですの?」
「これが分からないのよ。ただ森氏の親族でしょうね。森氏、元々は横山性だったから」
「ということはご兄弟かしら?」
「いえ、多分それはないのよ。森氏には元々四人、お兄様がみえたのだけど、皆さん……。
その中でも一番有名なのは四男の横山安武氏だけど、この方の最期は有名よ。
政府批判した一文を集議院の門扉に掲げて、割腹自殺したことでね。この死が西郷さんを動かし、中央政府改革に走らせるのだから、ある意味で歴史的な死ともいえるわ」
「いま資料を捲ってるけど、でも森氏は“馬鹿なことを”と憤慨してたみたいね。
合理主義の塊である森氏らしいと云えば、森氏らしいですけれども」
「でもクララの日記に出て来るこの横山氏が本当に森氏の身内だとしたら、本当に極端から極端に走る家系だよねー」
「……当時の人もそう思っていたみたいですわね。その結果が森氏の悲惨な最期に繋がることを思うと、本当にお気の毒だとしか云えませんわ」
「さて、森氏の将来についてはまた改めて機会を設けて説明することにして。
クララの最初の日本滞在時期において一番楽しかったと思われる明治10年はこうして幕を閉じます。この翌年はクララにとって、ホイットニー家にとって大変辛い年になるのですが、それはまた次回以降で」
「連載も長くなってまいりましたので、ここで一度、人物紹介編を挟ませて頂く予定ですわ」
「明治11年になってやっと出番が回ってくる“わたし”も登場予定なので、4649!」
「ちょっと! いまのどなたですの!?」
「……クララ曰く“あの大きなフィジー諸島の住人”よ。
この人と関わったら、諦めなさい。クララの日記の原文からして、漫画やラノベに出て来るようなキャラを地でいってる人なんだから」
明治10年12月5日 水曜日
先週の木曜日が都合が悪かったので、明日感謝祭をする予定。
もう六人の方たちに招待状を出し、返事を頂いている。
楠本知事は返事の代わりに通訳を使いに寄越された。
「ユウメイが無事に日本に帰ってきたから、午後遊びに来て欲しい」
ジェニーからそんな手紙が来たので、私は裁縫道具を持って出かけ、ユウメイに会った。
「お久しぶりですわね、クララさん」
ユウメイは少し大きくなって、本物の清国の帽子を被っているが、とてもよく似合う。
清国の公使はマッカーティ先生の昔の教え子なので、先生は公使と一緒に日本に戻ってこられる。
先生は清国人が大好きでいらっしゃる。
「公使閣下一行が日本におられる間は、義父も日本にいる予定ですわ」
先生はまだお着きになっていないけれど、夫人とユウメイは先に着かれて、マレイ先生のお家に泊まっておられる。
明治10年12月6日 木曜日
今日は感謝祭に特別のご馳走を作りたかったので、平兵衛に色々指示をして料理を作らせることにした。
なんとかお客様がいらっしゃる前にメニューが書き出され、テーブルの支度ができた。
富田氏が一着だった。
次に牧山先生、杉田先生、勝安房氏、大鳥氏、そして最後に楠本知事閣下。
楠本知事は三十歳かそこらで背が高く、立派な顔立ちであり、髭を綺麗に剃って、真面目な思慮深い微笑を湛えておられる。
私は知事に心惹かれたが、知事は初めのうちは私にまるで目もくれなかった。
でも、ウィリイに私たち姉妹の年齢とか、いろいろ三回もお聞きになった。
知事は母のことをウィリイの姉だと思っておられた。ウィリイが大いに努力してくれて、食事は大変具合良く進んだ。
お客様は十時に揃ってお帰りになった。皆さん満足げなご様子だった。
明治10年12月14日 金曜日
母とアディと私は、シモンズ先生のための抜き打ちの誕生パーティーに出席するため横浜へ行った。
晩はヘップバン夫人の家に泊まることになって、とても楽しかった。
ヘップバン先生は、私にまるでお父様のように親切にして下さる。
家に入って行った時に、腕に抱いてキスして下さった。
祖父が生きていたらきっとこのように可愛がってくれただろうな。
今日の吃驚ハーティーは、シモンズ先生がヘップバン先生のおうちにお茶に招かれている間に、私たちが隣家でパーティーの準備をするという寸法だ。
ユウメイの義父であるマッカーティー先生も来られ、八時頃まで私たちは炉の周りで楽しい時を過ごした。
「それでは、私は用事がありますから」
ヘップバン夫人が部屋を出られ、間もなくヘップバン先生とシモンズ先生以外の人は、全部部屋の外に呼び出された。
私たちはオーバーなどを着て、外が真っ暗なので提灯を持ち、裏口から抜け出して、シモンズ先生のうちへ行った。
客間と居間には既に大勢の人が集まっていた。
お喋りしている人、ダンスをしている人。
そこで満を持して、ウィリイはヘップバン先生の家に戻り、玄関のベルを勢いよく鳴らした。
「先生、急病人が出ましたから、お宅に戻ってください!」
ところが困ったことに、先生は平然としてこう云われるのだ。
「待たせておきなさい」
その後の兄の苦労は如何ばかりのものであったことか。
やっとのことでシモンズ先生がうちに帰ってくることを承諾されたので、ウィリイは横の入口の方に先生を案内した。
扉を開けた瞬間。
ドアの内側で待ち伏せしていた大勢の女の人が、キャーキャー言いながら先生に飛びついた。
そして先生のオーバーや帽子を脱がせてしまう。
顔が青ざめ呆気にとられている先生を、皓々とと明かりがついている玄関の方へみんなで引っ張って行った。
そこにいる人の半分は私の知らない人だったし、必ずしも知り合いになりたいとも思わない。
コールズ夫人、ハバード夫人とお嬢さん、ルース・クラークなど、私の知っている方もあった。
ルースはダンスをしていたが、一人前のレディであった。
私もあんなに社交の場で自然に振る舞えたらいいのに。
この晩、私はヘップバン夫人の部屋で寝た。
明治10年12月21日 金曜日
この間から色々のことがあったのだけど、クリスマスの準備に忙しくて、日記もつけられなかった。
クリスマスツリーを飾って、二十五人から三十人のお客様をお呼びする予定だ。
昨日ミス・ヤングマンの生徒たちが、お道さんのためにバザーを開いた。
お道さんは美しい娘だが、編集者であるお父様が気の毒にも政府批判の記事を書いたかどで牢屋に入れられてしまったのだ。
最近、新聞記者の投獄が盛んになったらしく、一ヶ月に十余名にも及ぶそうだ。
うちの女中たちも、キャンデーを入れるレースの袋を作るのを手伝うために居残ってくれている。
クリスマスのお祭りは本当に楽しい。
クリスマスが近づくと、悲しみに打ちひしがれた心も元気を取り戻し、クリスマスの意味も知らない異教徒も、幸福と光を与えられる。
ここ数日、わたしの魂は輝かしい未来を夢見ている。
私の空中楼閣は美しく明るく、私が未来になし得ることを思って、心は晴れ晴れしている。
さし当たりの目標はアメリカに帰って勉強して、それからもう一度日本に戻って来て、何人かのためになることをする――私よりも先に立派な仕事をされた大勢の女性に倣って。
神から預かったタラントをより良いものにして、神にお返しすることができますように。
明治10年12月24日 月曜日
朝から一日掛かりで庭師が玄関、居間、食堂、表のベランダなどに飾りつけをしてくれて、クリスマスの準備が整った。
富田夫人が、笠原を手伝いに寄越してくださったが、背が高いので色々と役に立った。
矢野氏が見事な絹のハンカチを届けられた。
午前中にビンガム夫人を訪ねて、私の作った綺麗な青い針刺しを贈った。
メリークリスマス!!
今朝私は喜びに溢れて日の出を迎えた。昨夜芝で聞いたクリスマスキャロルの言葉が耳に残っていた。
「みつかいたちのたたへのうたを……」
私たちは皆早く起きて仕事にかかった。
使用人たちは誰一人クリスマスツリーを見たことがなくて、どうするのかまるで分からない。
ツリーの飾りつけをしているところへ、ド・ボワンヴィル夫人が手伝いに来て下さった。
しかし、連れて来られた赤ちゃんがむずがるので、間もなくお帰りになった。
夫人はマリーには日本語しか使われない。
けれど、あんな可愛い赤ちゃんに変な日本語を教えるのは可哀想――夫人の日本語は片言の日本語で、教養のある日本人には通じないようなものだからだ。
午前中ずっと日本人の友達からの贈り物が次々と届けられた。
おやおさんは私たち一人一人に綺麗な贈り物を沢山届けて下さった。
私宛にやさしい手紙がついていて、その書き出しは『親愛なる我が師』であった。
私はこの「親愛なる我が生徒」を誇りにしても許されるであろう。
最初に私たちのところへ来た時には、英語を全然知らなかった。
しかし、私が教え始めてからどんどん上達して、今では何年も勉強してきた大勢の学生にひけを取らない手紙が書けるようになったのだ。
『康倫様の病状が思わしくありません。義母もただ狼狽えるばかりで、残念ながら今宵のお招きにはあずかれません』
手紙にはこう書いてあった。
可哀想なおやおさん。きっと失望しているに違いない。私も失望した。
おやおさんはキャロルをとてもよく覚えていたので、私はその柔らかい声をみんなに聞かせたかったのだ。
笠原も贈り物を持って来た。
盛もみんなに贈り物をくれた――母には妙な形の小箱と財布、父には本一揃い、ウィリイにはカフスボタン、アディには玩具、私には綺麗な箱。
およしさんからは可愛い硯と筆の一揃い。
滝村氏は直接みえて、みんなに漆器を下さった。母には特別で二枚の美しい果物皿を下さった。
三浦夫人は母に大きな見事な飾り棚――世にも奇妙な作りである――とアディと私には綺麗な簪を下さった。
富田夫人は父と母に二つの妙な花瓶、ウィリイにはカフスボタン、アディには鞠と簪、私には綺麗な絹のスカーフと簪を下さった。
一番立派な贈り物は村田氏のだった。
それは竜の絵のある薩摩焼の香炉であった。古い形の実に実に見事なもので、外国の人たちみんなに羨ましがられた。
アディと私には、ピンクや赤のネクタイやスカーフを下さった。
勝海舟氏の贈り物は豪華なもので、届け方も素敵だった。
四人の男が担ぐ担架に載せられて来たのだ。
封建時代の大名がお互いに贈り物をする時は、こういう風にしたのだろうと思われる。
美しくはないけれど、魅力的なあの緑の風呂敷に包まれてきた中身は、色々の見事な贈り物。
母には素晴らしい日本の台と蒔絵の箱、お菓子一箱、卵一箱と、三つの奇妙な形の象牙の彫刻――これは珍しいものだ――ウィリイには茶器一揃いと台所用品。
父には、骨董品を幾つか、アディには色々のお菓子と玩具。
私には日本のお菓子を一杯詰めた美しい重箱。
この他にも私たちは、色々の綺麗な贈り物を頂いた。
五時に大久保氏がみえて、面白い形の茶瓶と綺麗な掛け物を下さった。
私たちがまだ準備を完了していなかったので、箱やキャンデーを並べるのを手伝って下さった。
富田氏と、勝家の方々と、滝村氏の方々が、次に来られた。
皆よそ行きの着物でとても綺麗だ。
お逸の姉の孝子さんの長女のお輝ちゃんは髪から何から大名のお姫様のような姿。
大久保氏はお客様の相手をして下さったけれど、なんとなくお逸に一番関心がおありのようだった。
視線が何度もお逸の方を追い求めていたからだ。
……お逸は綺麗だし、いい人だからそれも不思議はないのだけれど、少しだけ胸がチクチクした。
徳川様のご令弟、若い田安公は謹厳な二人のお伴を連れて来られた。
その他、はにかみやの林恒五郎氏の顔。およしさんの控え目な上品な姿。六蔵ちゃんの快活な黒い目。
村田氏の背の高い気品のある姿などが、私たちの綺麗な客間に見られた。
私は村田氏の優雅な物腰に魅力を感じる。
今は指を怪我して三角巾で吊っておられるが、高貴な海軍将校なのだ。
エマとウィリイ・ヴァーベックも来ていた。
ビンガム夫人は短時間だけ、飾りつけのできたクリスマスツリーを見に来て下さった。
ツリーはとても綺麗で、子供たちはその周りに坐っていた。
富田氏は大変ご機嫌だった。
「まあ、本当にアメリカ人だわ」と仰ったのはビンガム夫人。
ご馳走を廻して、めいめい自由を取って頂く形式の夕食を済ませてからゲームをした。
参加者の中では富田氏が一番一生懸命だった。
「狐とガチョウ」のゲームをしていた時に、盛が上手な洒落を云った。
日本語の「鬼」は「悪魔」という意味なのだが、ゲームの途中で盛が叫んだのだ。
「鬼は誰?」
梅太郎が「私だ」と云うと、途端に盛が云った。
「サタンよ、退け!」
そのやりとりに、みんな大笑いとなった。
大久保氏は、徳川家にも行かなければならないので早めにお帰りになり、ビンガム夫人もおうちにお客様があるのですぐ帰られた。
皆さんに小さい贈り物を上げたが、皆から頂いた立派なものとは比べものにならない。
ただほんの記念に差し上げたものだ。
皆さんとてもゆっくりしておられて、子供たちは大変楽しかったと思う。
大人の方々も喜んでおられた。
おやおさんが来られなくて、本当に残念だった。
この子供たちがみんな心の中にキリスト様を見出してくれますように。
明治10年12月26日 水曜日
クリスマスのお祭りも終わった。
次のお祭りまでの間にどんなことがあるか、神様だけがご存じだ。
クリスマスの準備でへとへとになってしまったけれど、クリスマスが終わってしまったのは残念。
私たちが朝食のテーブルについたのは、恥ずかしいことに九時過ぎ。
今日は一日中綺麗な贈り物を眺めたり、昨夜のお客様にお菓子を届けたり、鳥や蜜柑を私たちほどご馳走の沢山ない友人に分けて上げたりした。
大きな鴨が五羽、鵞鳥が一羽、蜜柑が山ほど、そして巨大なお魚が五尾――鮭が二尾に鯛が三尾。
鯛は森ひろさんから贈られたもので、今までに見たこともない大きいものであった。
前からの約束で、平兵衛は村田氏のお宅に戻った。
ビンガム公使がみえて奥様の代わりに昨日のお礼に来られ、ご自分がいらっしゃれなくて本当に残念だった、と云われた。
明治10年12月27日 木曜日
母は忙しかったのと、興奮が続いて、くたくたに疲れているので、今朝は二人で気分転換に出かけた。
五時にウィリイと私は駿河台のエマの家に招待されていたので、ツリーを見に出かけた。
ヴァーベック家では毎年三本ツリーを飾るそうだ。
一本は家族のため、一本は外国人のためである。さだめし大変であろう。
でも今日はとても楽しかった。
女の子たちが揃っていた――ジェニーにガシーにユウメイと横浜から来たオリシアとメアリ・ゴーブルという二人。
この二人は、はじめとても大人しかったが、可愛い良い子たちだった。
大人の人も数人いた。
エマはお父様とドイツの歌を合唱した。言葉は分からなかったが、節は感動的だった。
その後、シャレードやその他のゲームを楽しんだ。
明治10年12月28日 金曜日
数人のお友達を今夜招いてあったので、一日中支度に追われた。
私は気分が悪くて、支度をするのが苦痛だったのだけれど、お客様がいらっしゃってからは嬉しくて元気になった。
大鳥家のおひなさん、おゆきさんの二人が四時頃に竹下さんというお友達を一人連れて来た。
竹下さんのお兄様の寅吉さんは商法学校の学生だということだ。
感じのいいお嬢さんだったけれど、招かれていない友達を大鳥さんたちが連れてきたのは、礼儀に反する。
少なくともアメリカでは失礼になる。
でも、あの方たちは、そういうことをなさりそうな方だ。
次に種田夫人、それから津田先生の長女である琴さん、神田次郎氏が見えた。
しばらくしてから横山氏がみえたが、この方はのべつ冗談ばかり云っていた。
学者らしい上品な身のこなしと、真面目で謹厳な表情の持ち主である種田氏は、ふざけている横山氏を不思議そうに見ておられたが、やがて母に聞いてきた。
「あの人は一体、誰ですか? 日本人であんな事をする人は見たことがありませんな。何処かで見たアメリカ人のようです」
上杉氏も批判的な顔つきで見ておいでになった。
横山氏は女性のそばにくっついてみんなを笑わせるために、くだらない冗談ばかり仰っていた。
上杉氏と婚約者のおひなさんとは、まるで見知らぬ他人のように、お互いに全然関心を示さなかった。
まあ、本当に日本人の恋人ったら!
種田氏の若い奥様が、上手に歌を歌ってくださった。
それからみんな「皿転がし」のゲームをして、とても面白かった。後でみんな罰金を払わされたのである。
横山氏が裁判官で私たちにいろいろ変な真似をさせた。
謹厳な種田氏は、椅子を持って部屋中を歩き回された上に、一番可愛い女性にお辞儀を三回するように、と云われた。
その“一番可愛い女性”は私だった!
上杉氏は清国の歌を歌わせられた。その上にご自分で買って出て演説をなさった。
商法講習所の矢野氏は女性に跪かされた。
おひなさんは一番好きな人にキスをさせられた――これも選ばれた相手は私だった。
アディは蟹のように歩かされる、といった具合だった。
それから気の利いた夕食が出て、全体として上手くいったと思う。
今日のお客様はあまりしっくりいかなかったけれど、たいして準備をしない時は上手くいって、大騒ぎして準備をするとたいてい失敗する。
矢野氏は大変ご満悦で「こういう集まりなら申し分ありませんな」と仰った。
横山氏は騒ぎ過ぎて、疲れきって椅子に深々と腰を下ろしていた。
「こんなに楽しかったのは久しぶりです」
種田夫妻は「とても楽しかった」と仰って、私をおうちへ招待して下さった。
竹下さんは帰りがけに「どうぞ遊びにいらして下さい」と小声で仰った。
麻布で富田氏の隣に住んでいらっしゃるということだ。
【クララの明治日記 超訳版解説第37回】
「あれ? メイ、日本にいなかったんだ。全然気が付かなかった」
「……………………どうせ、わたくしなんて………………………」
「わぁー! ごめんごめん。泣かせるつもりはなかったんだって」
「な、泣いてなんかいませんわっ! ちょっと悔しかっただけっ」
「年明けしたら引っ越ししてくる予定でしょ、クララの家の前に。
そうしたら“ユウメイ大勝利! お逸さん、涙目!”じゃないの」
「……それでも“いいところ”は貴女と貴女の父上がもっていってしまいますけれどもね」
「でしょでしょ? 私は兎も角、やっぱり父様よね!
今回も父様のクリスマスプレゼントの持ってき方、最高でしょ?」
「はいはい、いつもの父様自慢は結構ですから、解説に入りますわよ」
「とはいっても、今回は殆ど解説すべき点はないけどね。
クララ一家の日本でのクリスマスも、これで三年目だし」
「じゃあ、今回から本格的に初登場した方達の紹介は?」
「そうだね、では、まず謹言実直な種田誠一さんのご紹介。
この方は渋沢栄一に命じられ、銀行業務研修のためにアメリカに4年留学。この年、日本に帰ってきたところです。
で、この時点ではまだ後の話になるのですが、東京馬車鉄道を設立し、東京に本格的な馬車鉄道を普及させることになります」
「それで、その種田氏に呆れられていた横山氏というのはどなたですの?」
「これが分からないのよ。ただ森氏の親族でしょうね。森氏、元々は横山性だったから」
「ということはご兄弟かしら?」
「いえ、多分それはないのよ。森氏には元々四人、お兄様がみえたのだけど、皆さん……。
その中でも一番有名なのは四男の横山安武氏だけど、この方の最期は有名よ。
政府批判した一文を集議院の門扉に掲げて、割腹自殺したことでね。この死が西郷さんを動かし、中央政府改革に走らせるのだから、ある意味で歴史的な死ともいえるわ」
「いま資料を捲ってるけど、でも森氏は“馬鹿なことを”と憤慨してたみたいね。
合理主義の塊である森氏らしいと云えば、森氏らしいですけれども」
「でもクララの日記に出て来るこの横山氏が本当に森氏の身内だとしたら、本当に極端から極端に走る家系だよねー」
「……当時の人もそう思っていたみたいですわね。その結果が森氏の悲惨な最期に繋がることを思うと、本当にお気の毒だとしか云えませんわ」
「さて、森氏の将来についてはまた改めて機会を設けて説明することにして。
クララの最初の日本滞在時期において一番楽しかったと思われる明治10年はこうして幕を閉じます。この翌年はクララにとって、ホイットニー家にとって大変辛い年になるのですが、それはまた次回以降で」
「連載も長くなってまいりましたので、ここで一度、人物紹介編を挟ませて頂く予定ですわ」
「明治11年になってやっと出番が回ってくる“わたし”も登場予定なので、4649!」
「ちょっと! いまのどなたですの!?」
「……クララ曰く“あの大きなフィジー諸島の住人”よ。
この人と関わったら、諦めなさい。クララの日記の原文からして、漫画やラノベに出て来るようなキャラを地でいってる人なんだから」
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