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クララ、内田夢夫人(勝海舟長女)との宗教問答するのこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記超訳版第95回 クララ、内田夢夫人(勝海舟長女)との宗教問答するのこと
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今回分は、久々にクララ宅を訪れたおやおさんの話、 お雇い外国人たちの授業風景様々、そして内田夢夫人(勝海舟長女)との宗教問答(?)の話がメインとなります。
明治12年10月10日 金曜
今日は、おやおさんとおすみが、結婚式以来はじめて来た。
ずっと一緒だった二人だけど、おすみとおやおさんとはいま一緒にはいない。
おやおさんが三河の殿様にお嫁入りし、奥様方になったので、肩あげや娘風の髪型と一緒に、娘時代の友達とも縁を切るのが当然とされているのだ。
オクサマは初めて来た時顔色が青く、疲れている風だったけれど、腰のおろし方は威厳に満ちていた。
だけど食事の頃には、桜の花の金蒔絵に赤いビロードの裏のついた車に乗り、毎日木挽町に来た頃の、やさしくてお茶目な少女に戻っていた。
おやおさんは英語で少し話をし、レース編みをしたり、猫と遊んだりした。
食事のあと私たちは歌を歌った。
おやおさんは昔よく弾いた曲を弾き、とても楽しそうにしていた。
最後に新しい賛美歌を歌った。
おやおさんはこれを見たことがなかったのか、歌詞を読むと感嘆したように云った。
「何てよい詞(ことば)でしょう。好きですわ!」
食事の時には、昨日母が作ったいちじくの砂糖煮が出た。
いちじくが回っている時、お逸が大山夫人に次のように云った。
「昨日の朝のお祈りの時にいちじくのことを何か読みましたね?」
「はい、キリストが叱ると消えたといういちじくの木のことでしたね」
これは読んだことがいくらかは心に残っているということなのだ。
私はてっきり、この人たちは登場人物の意味には全然注意を払っていない、と思っていたので、とても嬉しかった。
少女たち、というよりは若い奥様と侍女、それにいつもぴったりと付き添っている家来の小泉氏は、四時半頃丁寧に挨拶をして帰っていった。
大山夫人はそれより早く帰った。
今日は内田夫人、疋田夫人も来て、ミトン、ソックス、ケープなどいろいろなものを教わっていかれた。
皆が帰った後、母と私はお金の神様のお祭りである金比羅祭を見に行った。
母は手に小さな巾着をさげていったところ、ひったくりにあった。
だが母がぎゅっとつかんで離さなかったので、袋と中のお金は残った。
明治12年10月26日 日曜
工部大学校の綺羅星の如き教授陣に新たな星が加わった。
ディクソン氏の弟のジェームズ・メイン・ディクソン氏が、昨日ボルガ号でようやく到着したのだ。
今朝、教会に行く途中の二人に会ったが、弟さんの方は背の高いお兄さんに比べてとても背が低いことしか見る暇がなかった。
更に教会では彼は私の前に坐ったが、黒いちぢれっ毛の紙と色白で細面の心配げな顔つきしか見えなかった。
五時半に二人は人力車で家にみえた。
母とウィリイが応接間に入ったが、私は後に取り残されてしまったので入っていけないでいると、母が呼びにきてくれた。
私を見るとディクソン氏は椅子から立ちあがり、私の手を取って弟さんに紹介してくださった。
私は気恥ずかしくて顔も見られなかった。
「お目にかかれてうれしゅうございます」
ただお辞儀をしてどぎまぎした声で云うと、できるだけ離れて坐った。
ディクソン氏はいったい私のことをどう思うだろうか?
そう思うと、自分のぎこちなさがとても恥ずかしかった。
丁度そのとき母が「夕食ですよ」と呼んだので、本当にほっとした。
二人が帰る前に、名前のことで混乱が起きた。
「私はウィリアムで弟はジェームズですから、これからそう呼んで下さい」
ディクソン氏はこう云われた。
明治12年10月27日 月曜
今朝起きると激しい風と雨が木製のシャッターに叩きつけていた。
寒さに震えながら朝食に下りた。
ウィリイは医科大学に行かずに家にいて、午前中は郵送する手紙を書いていた。
だがドイツ語の始まる頃までには少し晴れて、生徒は時間通りに集まった。
私は最上席、隣にはボロボロのカフスをした教授殿。
今日の「講義」は「少年」という意味の「クナーベ」(kunabe)の由来についてだった。
「これは英語の現在、悪漢という意味のネイブ(knave)の原語ですね」
ディクソン氏はそう解説し、更に餓鬼の「ブラット」もかつては「(良い意味の)子供」 と云うことで王の子供は一時「ロイヤル・ブラット」と称されたとも話した。
ヘルム先生は今日は上機嫌で、次から次へと冗談を云って、私たちを面白がらせた。
日本にとても長くいたので、、先生は外国人の気まぐれの話をいっぱい知っておられる。
ところで、男子に英語を教えているあるフランス人は、数を覚えやすくするために手風琴を使う。
彼は生徒を一列に並ばせると、手風琴を広げて大声で「ワン」という。
生徒も全員一緒に「ワン」という。
次に手風琴を広げた高い音。
「フォア」はまた低い音。
こんな風に百まで行くのだった。
だがヘルム先生は二十二が一番滑稽で、ツゥエンティは低い音、ツゥーは高い音を組み合わせてやるのだと云われた。
もう一つ面白い話はドイツ人の先生で、学校でドイツ語のアルファベットを教えるため、黒板にABCDEFを書くとこう云うのだ。
「さてあの最初の字は何でしょう?」
「あれは『アー』です」
「さあ、『アー』と云って下さい」
「アー」
「さて、次は『ベー』です。云ってご覧なさい」
そこで全員「ベー」と大声で云う。
「そう、そのとおり。この字を覚えておいて下さい。
さて、その次は『ツェー』です。わかりますか?」
「はい、ツェー」
「はい、よろしい。さてその次は――」
丁度その時。彼の友人が突然教室に入って来て「終わるかね、スミス」と聞いてきた。
「やー、ちょっと待ってくれ、もう終わるから」
そして生徒にこう聞いた。
「最後の字は何だった?」
「ツェー」
「そう、そのとおり。次のは『デー』だ。云えるかね?」
「デー」
「それで最初の字は?」
「アー」
「そう、さあ僕が戻ってくるまで、これらの字を勉強していたまえ」
そう云うと、教師は帽子をとって、驚き呆れている生徒を尻目に、友達とトコトコ行ってしまったという。
もう一人の外国人は教室にデッキチェアを入れさせ、パイプや葉巻をくゆらし、ブランデーを飲み飲み、生徒の復唱を聞いていたという。
東京の医科大学のマックブライドというスコットランド人も同じ事をやり、その授業中にスコットランド歌謡を口笛で吹くという。
この人たちは何と不作法だろう。
日本人は外国人のことを一体どう思うだろう?
明治12年11月4日 火曜
今朝はとても疲れていたので、遅くまで寝ていた。
だがウィリイは鳥と一緒に起きて、面白い手術を見に本郷に出かけた。
あの人はおそろしい手術があると大喜びで、もう一人前の、切った張ったの外科医だ。
今晩はお逸の一番上のお姉様である内田夫人がそば粉のケーキの作り方を習いにみえたが、その合間合間に、信仰について面白い話をした。
私は私たちがどうして日本に来たのか。そして彼女たちのことを知るずっと前から彼女たちのために祈っていたことなどを話した。
それから私たちは種を蒔く人の譬え話について話し出したが、彼女はとても心を打たれたらしい。
「福音のことを教えていただいてとてもありがたいです。
路傍の地や石ころだらけの地のようにはなりたくありませんわ」
彼女は更に目を輝かせてこう云った。
「クララさんたちがここにいるうちにできるだけ多くのことを学びたいです。
クララさん達が国に帰られてしまえば、もうこのように素晴らしいことを教えて貰える機会が二度とないかもしれないのですから」
更に私はモクリッジお祖父さんの穏やかな一生と、荘厳な死について話した。
内田夫人はとても熱心に聞いていて、最後に精一杯の想いをこめてこう云った。
「そんな死に方ができるなんて素晴らしいことですね。
キリスト教こそ真の信仰に違いありません。
日本ではそんなに喜んで死ぬことはありません。
サムライは死を恐れず勇敢に死にます。
でもあなたのお祖父様がご覧になられたように、天を垣間見ることなど聞いたことがありません。
あなた方の信仰こそ本物に違いありません」
日本語が少しできるお陰で、このような話を彼女にできるようにして下さったことに対し、私は神に深く感謝している。
【クララの明治日記 超訳版解説第95回】
「綺羅星!」
「…………はいはい、その通りですわね。
今回紹介したディクソン氏の弟は事実、今日の日本の英語教育の礎を作った人物として、日本の英語教育史にその名を残していますわ」
「折角久々にオタネタでボケたのに、ツッコミ入れてくれないなんてひどいじゃない!」
「該当番組を見た人間しか分からないネタにツッコむつもりは一切ありませんことよ!」
「見てても、視聴者完全に置いてきぼりだったけどねー“銀河美少年”ってなによ!? ……という話は、どうでもいいからさておき」
「さておく話を枕詞にするんじゃありませんことよ!」
「いやー、実はそれほどさておく話でもなかったり。
“綺羅星”であるディクソン氏弟が工部大学校教授になった翌日の日記に、明治十二年になっても“お雇い外国人”のレベルが玉石混淆だったことが分かる記録が残されているわけで」
「授業中に生徒ほったらかしで友人と遊びに行く教師。
教室でパイプや葉巻をくゆらし、ブランデーを飲み飲みながら講義する教師。
同じく酒に酔って授業中にスコットランド歌謡を口笛で吹く教師。
クララも憤慨しているけれど、本当にとんでもない話があったものですわね」
「わたしイチオシのロシア人革命家、レフ・イリイッチ・メーチニコフも同じようなことを書いてるよ。
彼の場合、現在でいう東京外国語大学の講師だったわけだけど、飲んだくれて教壇で寝ている外国人講師がいる、ってね。
でも、こんな講師は早晩お払い箱になるのである意味で問題ないわけだけど、洒落にならなかったのがこんな事例。
いたってまっとうな“ロシア語講義”が行われているかと思いきや、ロシア人であり、 十数カ国語をマスターしていたメーチニコフが注意して聞いてみると愕然。
ロシア語講義の筈が、実際に教えられていたのは“ロシア語訛りのポーランド語”だった、なんて話が」
「……それは真実に気付いた後、ダメージが大きそうですわね、生徒側も学校側も」
「メーチニコフさんの話は明治8年くらいのことだけど、それから数年程度では改善されてなかった、というわけ」
「それにしても明治政府はどんな基準で講師を選んでいましたの? ちゃんと身元確認を致しませんでしたの?」
「うーん、文系理系問わずに、お雇い外国人の講義を受ける前提としてその国の言語、もしくは最低限英語を学ぶ必要があったわけで、需要は極めて大きかったんだけど、極東の島国まで言語の専門学者がそうそう来てくれるわけもなくてね。
統計を見たことがある訳じゃないんだけど“まともな講師”として多分一番多かったのはキリスト教の牧師やキリスト教の関係者だと思う。
事実ヘボン博士やディクソン氏兄弟もそうだし。
ただ“ある程度の日本語”さえ喋れれば、母国語の講師をやる気になればやれたわけで、玉石混淆になっても仕方なかったのかと」
「では理系、医学や物理学や数学、文系でも法学とかの専門家はどうやって調達しましたの?」
「物理学や数学に関しては、いい加減な経歴の人間も最初はいたみたいだけど、数字や計算が全ての世界だから結構早く駆逐されたみたい。
あと今日名前が残るお雇い外国人なんかは、明治政府の首脳が留学時やら使節団として欧米に滞在した際に知り合った、その国の政治家や高名な教授に推薦された“新進気鋭”の若い学者たちが多かった感じかな?
母国で将来を約束されていた人たちが、どんな動機で“世界の最果て”に来る気になったかは、人それぞれに事情があるみたいだけど。
ちなみにメーチニコフさんの場合“明治維新という革命を研究するため”というのが主目的だったみたいw」
「……骨の髄まで革命家ですわね。
あとそれ以外だと今回非常に興味深かったのが、貴女の一番上のお姉様とクララの会話ですわね」
「夢お姉様、世間知らずだからなあ。旦那様も早くに亡くなって、うちに帰ってきてるし。
いいか悪いかは別として本当に“純真”だから、クララの話に素直に感激しちゃったんだと思う」
「しかし貴女のお宅、貴女がた三姉妹……もとい、お逸を除いて上のお姉様二人、クララの日記を読む限り随分キリスト教に肩入れしていますわね」
「……わたしが一番クララからキリスト教の教えを聞いている筈なのに、確かにクララの日記を読む限り、私がキリスト教に深く傾倒している記述は全然出てこないよね。
わたしに関しては諦めてたのかな? 今回イチジクの話を少し思いだしただけで感心されているところを見ると」
「それでいて、間違いなく一番の親友は貴女だったのだから、本物の友情というのは国籍も人種も宗教も超えるものなのでしょうね、きっと」
明治12年10月10日 金曜
今日は、おやおさんとおすみが、結婚式以来はじめて来た。
ずっと一緒だった二人だけど、おすみとおやおさんとはいま一緒にはいない。
おやおさんが三河の殿様にお嫁入りし、奥様方になったので、肩あげや娘風の髪型と一緒に、娘時代の友達とも縁を切るのが当然とされているのだ。
オクサマは初めて来た時顔色が青く、疲れている風だったけれど、腰のおろし方は威厳に満ちていた。
だけど食事の頃には、桜の花の金蒔絵に赤いビロードの裏のついた車に乗り、毎日木挽町に来た頃の、やさしくてお茶目な少女に戻っていた。
おやおさんは英語で少し話をし、レース編みをしたり、猫と遊んだりした。
食事のあと私たちは歌を歌った。
おやおさんは昔よく弾いた曲を弾き、とても楽しそうにしていた。
最後に新しい賛美歌を歌った。
おやおさんはこれを見たことがなかったのか、歌詞を読むと感嘆したように云った。
「何てよい詞(ことば)でしょう。好きですわ!」
食事の時には、昨日母が作ったいちじくの砂糖煮が出た。
いちじくが回っている時、お逸が大山夫人に次のように云った。
「昨日の朝のお祈りの時にいちじくのことを何か読みましたね?」
「はい、キリストが叱ると消えたといういちじくの木のことでしたね」
これは読んだことがいくらかは心に残っているということなのだ。
私はてっきり、この人たちは登場人物の意味には全然注意を払っていない、と思っていたので、とても嬉しかった。
少女たち、というよりは若い奥様と侍女、それにいつもぴったりと付き添っている家来の小泉氏は、四時半頃丁寧に挨拶をして帰っていった。
大山夫人はそれより早く帰った。
今日は内田夫人、疋田夫人も来て、ミトン、ソックス、ケープなどいろいろなものを教わっていかれた。
皆が帰った後、母と私はお金の神様のお祭りである金比羅祭を見に行った。
母は手に小さな巾着をさげていったところ、ひったくりにあった。
だが母がぎゅっとつかんで離さなかったので、袋と中のお金は残った。
明治12年10月26日 日曜
工部大学校の綺羅星の如き教授陣に新たな星が加わった。
ディクソン氏の弟のジェームズ・メイン・ディクソン氏が、昨日ボルガ号でようやく到着したのだ。
今朝、教会に行く途中の二人に会ったが、弟さんの方は背の高いお兄さんに比べてとても背が低いことしか見る暇がなかった。
更に教会では彼は私の前に坐ったが、黒いちぢれっ毛の紙と色白で細面の心配げな顔つきしか見えなかった。
五時半に二人は人力車で家にみえた。
母とウィリイが応接間に入ったが、私は後に取り残されてしまったので入っていけないでいると、母が呼びにきてくれた。
私を見るとディクソン氏は椅子から立ちあがり、私の手を取って弟さんに紹介してくださった。
私は気恥ずかしくて顔も見られなかった。
「お目にかかれてうれしゅうございます」
ただお辞儀をしてどぎまぎした声で云うと、できるだけ離れて坐った。
ディクソン氏はいったい私のことをどう思うだろうか?
そう思うと、自分のぎこちなさがとても恥ずかしかった。
丁度そのとき母が「夕食ですよ」と呼んだので、本当にほっとした。
二人が帰る前に、名前のことで混乱が起きた。
「私はウィリアムで弟はジェームズですから、これからそう呼んで下さい」
ディクソン氏はこう云われた。
明治12年10月27日 月曜
今朝起きると激しい風と雨が木製のシャッターに叩きつけていた。
寒さに震えながら朝食に下りた。
ウィリイは医科大学に行かずに家にいて、午前中は郵送する手紙を書いていた。
だがドイツ語の始まる頃までには少し晴れて、生徒は時間通りに集まった。
私は最上席、隣にはボロボロのカフスをした教授殿。
今日の「講義」は「少年」という意味の「クナーベ」(kunabe)の由来についてだった。
「これは英語の現在、悪漢という意味のネイブ(knave)の原語ですね」
ディクソン氏はそう解説し、更に餓鬼の「ブラット」もかつては「(良い意味の)子供」 と云うことで王の子供は一時「ロイヤル・ブラット」と称されたとも話した。
ヘルム先生は今日は上機嫌で、次から次へと冗談を云って、私たちを面白がらせた。
日本にとても長くいたので、、先生は外国人の気まぐれの話をいっぱい知っておられる。
ところで、男子に英語を教えているあるフランス人は、数を覚えやすくするために手風琴を使う。
彼は生徒を一列に並ばせると、手風琴を広げて大声で「ワン」という。
生徒も全員一緒に「ワン」という。
次に手風琴を広げた高い音。
「フォア」はまた低い音。
こんな風に百まで行くのだった。
だがヘルム先生は二十二が一番滑稽で、ツゥエンティは低い音、ツゥーは高い音を組み合わせてやるのだと云われた。
もう一つ面白い話はドイツ人の先生で、学校でドイツ語のアルファベットを教えるため、黒板にABCDEFを書くとこう云うのだ。
「さてあの最初の字は何でしょう?」
「あれは『アー』です」
「さあ、『アー』と云って下さい」
「アー」
「さて、次は『ベー』です。云ってご覧なさい」
そこで全員「ベー」と大声で云う。
「そう、そのとおり。この字を覚えておいて下さい。
さて、その次は『ツェー』です。わかりますか?」
「はい、ツェー」
「はい、よろしい。さてその次は――」
丁度その時。彼の友人が突然教室に入って来て「終わるかね、スミス」と聞いてきた。
「やー、ちょっと待ってくれ、もう終わるから」
そして生徒にこう聞いた。
「最後の字は何だった?」
「ツェー」
「そう、そのとおり。次のは『デー』だ。云えるかね?」
「デー」
「それで最初の字は?」
「アー」
「そう、さあ僕が戻ってくるまで、これらの字を勉強していたまえ」
そう云うと、教師は帽子をとって、驚き呆れている生徒を尻目に、友達とトコトコ行ってしまったという。
もう一人の外国人は教室にデッキチェアを入れさせ、パイプや葉巻をくゆらし、ブランデーを飲み飲み、生徒の復唱を聞いていたという。
東京の医科大学のマックブライドというスコットランド人も同じ事をやり、その授業中にスコットランド歌謡を口笛で吹くという。
この人たちは何と不作法だろう。
日本人は外国人のことを一体どう思うだろう?
明治12年11月4日 火曜
今朝はとても疲れていたので、遅くまで寝ていた。
だがウィリイは鳥と一緒に起きて、面白い手術を見に本郷に出かけた。
あの人はおそろしい手術があると大喜びで、もう一人前の、切った張ったの外科医だ。
今晩はお逸の一番上のお姉様である内田夫人がそば粉のケーキの作り方を習いにみえたが、その合間合間に、信仰について面白い話をした。
私は私たちがどうして日本に来たのか。そして彼女たちのことを知るずっと前から彼女たちのために祈っていたことなどを話した。
それから私たちは種を蒔く人の譬え話について話し出したが、彼女はとても心を打たれたらしい。
「福音のことを教えていただいてとてもありがたいです。
路傍の地や石ころだらけの地のようにはなりたくありませんわ」
彼女は更に目を輝かせてこう云った。
「クララさんたちがここにいるうちにできるだけ多くのことを学びたいです。
クララさん達が国に帰られてしまえば、もうこのように素晴らしいことを教えて貰える機会が二度とないかもしれないのですから」
更に私はモクリッジお祖父さんの穏やかな一生と、荘厳な死について話した。
内田夫人はとても熱心に聞いていて、最後に精一杯の想いをこめてこう云った。
「そんな死に方ができるなんて素晴らしいことですね。
キリスト教こそ真の信仰に違いありません。
日本ではそんなに喜んで死ぬことはありません。
サムライは死を恐れず勇敢に死にます。
でもあなたのお祖父様がご覧になられたように、天を垣間見ることなど聞いたことがありません。
あなた方の信仰こそ本物に違いありません」
日本語が少しできるお陰で、このような話を彼女にできるようにして下さったことに対し、私は神に深く感謝している。
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「綺羅星!」
「…………はいはい、その通りですわね。
今回紹介したディクソン氏の弟は事実、今日の日本の英語教育の礎を作った人物として、日本の英語教育史にその名を残していますわ」
「折角久々にオタネタでボケたのに、ツッコミ入れてくれないなんてひどいじゃない!」
「該当番組を見た人間しか分からないネタにツッコむつもりは一切ありませんことよ!」
「見てても、視聴者完全に置いてきぼりだったけどねー“銀河美少年”ってなによ!? ……という話は、どうでもいいからさておき」
「さておく話を枕詞にするんじゃありませんことよ!」
「いやー、実はそれほどさておく話でもなかったり。
“綺羅星”であるディクソン氏弟が工部大学校教授になった翌日の日記に、明治十二年になっても“お雇い外国人”のレベルが玉石混淆だったことが分かる記録が残されているわけで」
「授業中に生徒ほったらかしで友人と遊びに行く教師。
教室でパイプや葉巻をくゆらし、ブランデーを飲み飲みながら講義する教師。
同じく酒に酔って授業中にスコットランド歌謡を口笛で吹く教師。
クララも憤慨しているけれど、本当にとんでもない話があったものですわね」
「わたしイチオシのロシア人革命家、レフ・イリイッチ・メーチニコフも同じようなことを書いてるよ。
彼の場合、現在でいう東京外国語大学の講師だったわけだけど、飲んだくれて教壇で寝ている外国人講師がいる、ってね。
でも、こんな講師は早晩お払い箱になるのである意味で問題ないわけだけど、洒落にならなかったのがこんな事例。
いたってまっとうな“ロシア語講義”が行われているかと思いきや、ロシア人であり、 十数カ国語をマスターしていたメーチニコフが注意して聞いてみると愕然。
ロシア語講義の筈が、実際に教えられていたのは“ロシア語訛りのポーランド語”だった、なんて話が」
「……それは真実に気付いた後、ダメージが大きそうですわね、生徒側も学校側も」
「メーチニコフさんの話は明治8年くらいのことだけど、それから数年程度では改善されてなかった、というわけ」
「それにしても明治政府はどんな基準で講師を選んでいましたの? ちゃんと身元確認を致しませんでしたの?」
「うーん、文系理系問わずに、お雇い外国人の講義を受ける前提としてその国の言語、もしくは最低限英語を学ぶ必要があったわけで、需要は極めて大きかったんだけど、極東の島国まで言語の専門学者がそうそう来てくれるわけもなくてね。
統計を見たことがある訳じゃないんだけど“まともな講師”として多分一番多かったのはキリスト教の牧師やキリスト教の関係者だと思う。
事実ヘボン博士やディクソン氏兄弟もそうだし。
ただ“ある程度の日本語”さえ喋れれば、母国語の講師をやる気になればやれたわけで、玉石混淆になっても仕方なかったのかと」
「では理系、医学や物理学や数学、文系でも法学とかの専門家はどうやって調達しましたの?」
「物理学や数学に関しては、いい加減な経歴の人間も最初はいたみたいだけど、数字や計算が全ての世界だから結構早く駆逐されたみたい。
あと今日名前が残るお雇い外国人なんかは、明治政府の首脳が留学時やら使節団として欧米に滞在した際に知り合った、その国の政治家や高名な教授に推薦された“新進気鋭”の若い学者たちが多かった感じかな?
母国で将来を約束されていた人たちが、どんな動機で“世界の最果て”に来る気になったかは、人それぞれに事情があるみたいだけど。
ちなみにメーチニコフさんの場合“明治維新という革命を研究するため”というのが主目的だったみたいw」
「……骨の髄まで革命家ですわね。
あとそれ以外だと今回非常に興味深かったのが、貴女の一番上のお姉様とクララの会話ですわね」
「夢お姉様、世間知らずだからなあ。旦那様も早くに亡くなって、うちに帰ってきてるし。
いいか悪いかは別として本当に“純真”だから、クララの話に素直に感激しちゃったんだと思う」
「しかし貴女のお宅、貴女がた三姉妹……もとい、お逸を除いて上のお姉様二人、クララの日記を読む限り随分キリスト教に肩入れしていますわね」
「……わたしが一番クララからキリスト教の教えを聞いている筈なのに、確かにクララの日記を読む限り、私がキリスト教に深く傾倒している記述は全然出てこないよね。
わたしに関しては諦めてたのかな? 今回イチジクの話を少し思いだしただけで感心されているところを見ると」
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