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クララ、神に感謝するのこと
ラノベ風に明治文明開化事情を読もう-クララの明治日記超訳版第94回 クララ、神に感謝するのこと
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今回分は、神様に感謝するクララ、 ドイツ語の勉強に苦心するクララ、そしてクララ来日時に乗ってきた船への再訪問の話がメインとなります。
明治12年10月1日 水曜
今朝は朝の光がとてもまぶしく、いつもより早く目が覚めた。
しかし、日の出の美しさにその甲斐はあった。
もっとも、茜に染まった雲が消えると、朝は冷たく灰色になった。
人の一生も、初めは希望に溢れていたのに、時満たぬうちにみじめに終わってしまうことがある。
私の一生もそうならないよう、神にお願いするしかない。
本当に神さまには感謝しなくては。
昨日、お祈りした以上のものを叶えてくださったのだ。
でも驚くにはあたらない。
もし母にお金か服をくださいと云って、母がくれたからと、びっくりすることはないように、神が私たちの願いに答えてくださったことを驚くことはないのだ。
実はもう一部屋ほしいと思っていたのだけれど、勝提督にこの上お願いするのは、厚かましくてできずにいた。
それに提督ご自身も、先日ウィリイにそれは都合が悪いとおっしゃった。
ところが昨日、息子さんと大工が来て、地面を測っていった。
もう一つは、お金が全部おさえられていて、付けの支払などが不自由なので、もう少し当座のお金が欲しいことだった。
どうしてよいのか分からないので「たまった付けだけでも払えるようお金をお送り下さい」と、ただ神にお祈りしていた。
やはり昨日、お預けしていた二千ドルの利子が勝氏から届いた。
付けにはこれで十分だ。
その上、神は私にも御心をかけてくださり、今月は月謝がいつもより多く入った。
これで母に苦労をかけずに、自分で冬の帽子と手袋が買える。
明治12年10月2日 木曜
大山夫人の英語は日ごとに進歩している。
こんな頭の良い人を生徒にし「昔々のお話」をするのはとても恵まれている。
彼女は大変若く、わずか二十歳だが、とても進歩的だ。
二回目のドイツ語のレッスンが今日の午後にあった。
ヘルム先生は少し早く来られ、アンガス氏とウィリイは一緒に来た。
ディクソン氏は大学の教授会があって遅れた。
文法のパートⅠを読み始めたが、まず最初の「イッヒ」が発音できない。
「イック」でもなく「イッシ」でもない、この二つの中間の、英語にはない喉音で、私には到底無理のように思えた。
だがそのうちできるようになるだろう。
アンガス氏の発音はひどいものだ。
耳が少し遠いので、正確な音が聞こえないのだ。
授業が終わると、ヘルム先生はドイツ語で私に聞かれた。
「お嬢さん、疲れましたか?」
私は意味が分かったのに吃驚して思わず英語で「ノー」と。
すると、先生は顔をしかめられた。
そこで勇気を奮ってドイツ語で応えた。
「いいえ、先生。先生はお疲れではありませんか?」
と、突然先生はアンガス氏に「君は悪い人か」と聞かれた。
アンガス氏はむっとして、英語とドイツ語をまぜこぜにして「僕は悪い人出はない」と返答した。
授業は勉強と遊びを一緒にしたようで面白かったが、先生はその気になればとても意地が悪くなる人ではないかと思う。
普墺戦争に二年行って、アメリカに三年いて、日本には九年いるという。
マリー・ド・ボワンヴィルと弟のチャーリーが土曜に発つのでお別れを言いに来た。
マリーのお祖母様に「ヨロシク、ドーゾ」と伝えてね、と私が云うと、このいたずらっ子はこう返した。
「おばあさん、日本のコトバ駄目ね。英語のコトバ、バカリ、ワカリマス」
「それではおばあさんはマリーの云うことが分からないでしょう?」
私が云うと、フランス語より日本語の方が達者になってしまったマリーが返す。
「マリー、日本のコトバ、コチラ、オイテ、おばあさんには、日本のコトバ話さない」
私は笑って、マリーの肩をゆすり、やわらかい両頬にキスをした。
「私はマリーが買いたいわ。マリーはいくら」
「三セン五リン」
そんな可愛らしい返事がすぐに返ってきた。
こんなにも可愛いマリーが帰国してしまうのはとても寂しい。
明治12年10月3日 金曜
昨晩は遅くまでドイツ語の暗記、あのいやらしい「イッヒ」の発音や練習問題をした。
今朝は大山夫人と縫物をしながらお喋りをしたが、昨晩、ご主人が「日本人は蜜蜂によく似ている」と評されたという。
もし火事で家が焼けると、ヨーロッパ人なら改良するのに、日本人は太古と同じものをつくっている蜂のように、まったく同じものをすぐに建てはじめ、全然工夫することがない。
昨日、芝にジェームズ船長の奥様をお訪ねしてとても楽しかった。
応接間もとても素晴らしかったが、一番素敵なのは奥様ご自身で、爪の先までほんとうの淑女だ。
明治12年10月4日 土曜
母と私は今朝、十時の汽車で横浜に行きミス・マクニールと乗りあわせた。
汽車にはたくさんドイツ人やイギリス人が乗っていて、声高に喋ったり、煙草を吸ったりするので不愉快だった。
横浜ではいろいろな物を探しにあちこちに行った。
買物は帽子で、ガーネット色のビロードで縁取りをしてもらうことになっている。
手袋はキッドで茶色とピンクの灰色のとを買ったが、横浜ではとても安い。
買物の後で、ウィリイとグランド・ホテルで待ち合わせ、昼食をとった。
それから明日出帆する予定のオーシャニック号を見に行くことにした。
ド・ボワンヴィル夫人はまだ到着していなかったが、ご主人の方はあちらこちら走りまわっておられた。
グランド・ホテル専用のボートがちょうど出るところだったので、ホテルの事務員と紳士一人といっしょに乗った。
風が強くて、波がボートの船縁を越えるほどだった。
澄んだ十月の空気は身が引き締まるようで、とても気持ちがいい。。
途中、フランス船のボルガ号の側や、塗り直し中のロード・オブ・アイル号の舳先の下を通った。
米国船リッチモンド号とベガ号がすこし沖に並んでいた。
私はベガ号に行ってみたいと思ったが、船頭が、一マイル沖に停泊中のオーシャニック号より先は波が荒すぎて行けないという。
オーシャニック号には、荷をいっぱいに積んだ他の船と一緒に着いたが「ご婦人ですよ」と係が怒鳴ると一番先にはしごを上らせてくれた。
甲板に集まった高級船員の中に、以前私がこの船に乗って日本にやってきた当時の陽気なジェニングス船長、ウェールズ人のエバンス事務長、賑やかなブレイディ船医、少なくともあのふとっちょの手荷物係の顔が見られるのではないかという気がした。
無論、物珍しそうに見かえしたのは冷たい見知らぬ顔で、ちょっと命令を発するのをやめて私たちを通してくれた。
階段もサロンも、半分忘れかけた思い出を洪水のように蘇らせた。
執事の船室のあのむかむかするような臭いすら懐かしかった。
ジェニングス船長はその陽気な人柄と、無骨なやさしさとを、永遠に私の胸に刻みつけたが、他の船長もみな彼のように若き乙女のヒーローでありますように。
サロンでは本棚<もちろん錠がかかっている>、古い皸だらけのピアノをまた眺めた。
そのほか、船旅の退屈さのあまり『アイバンホー』を読んだところ、ボンステル氏が私のアルバムに「花の十六歳」<十五歳だったけれど>と書いてくれたところや、ジョーンズ氏が初めて船酔いを起こしかけ、大慌てで飛び出した食堂を見た。
食卓の椅子はとても狭く背もたれが高く、坐ると肘がつき合うようで、私はいつも端っこに坐れるのを喜んだものだ。
ある時ジェニングス船長がジャガイモの皮を取りながらこう云った。
「ご婦人がじゃがいも畑を歩きたがらないのは何故か?」
その時の船長の悪戯そうな顔を思い出す。
私が降参すると、眼鏡越しにわざと真面目な顔をしてこう云うのだ。
「じゃがいもには『め』があるからね」
ひどい!
思い出しているときりがないけれど、私たちの泊まっていた特等席に行ってみるとド・ ボワンヴィル夫人のトランクが置いてある。
夫人はここを使うのだろう。
確かにヴィーダー氏一家もここに泊まったし、この船で一番良い室だ。
甲板に出ると、ブリッジの下では清国人の船員たちが山のようなご飯を食べている<この人たちはいつも食事中のようだ>。
手すりにもたれて緑の丘の方を見、それから広い果てしない海をながめていると、私も旅に出たくなった。
船腹では横付けしたサンパンが荷揚げをしている。
清国人のペチャペチャして喋る声、ヨーロッパ人や日本人の怒鳴る声の中をどんどん荷物が船に運びあげられる。
それから三等客船がボートに乗っていっぱい来た。
ある老人は、がっしりした息子二人と、たくさんの骨董品と絹地類を持ってきたが、きっと清国の家族へのおみやげなのだろう。
梯子に近づけないので、船を別の小さい船のそばにつけ、息子たちは大胆に船から船へと飛んでオーシャン号に乗り込んだ。
荷物の監視に残った老人は、枯れ木のような手を振り「チャン! ウィン!」と息子の名を呼ぶと、梯子を上っていた息子たちは振り向いて、手を振って励ました。
老人は仕事をもらおうと群がってきた子供たちに目もくれず、宝物のそばにすわりこんだ。
息子たちが戻ってきて、かわいそうな老父を助けてあげるといいのだが、その次に来たのは船慣れしていない外国人だった。
船の近くに行けないので、船頭たちがもう一つの船の近くにつけたら「陸氏」は怒って立ち上がり、オールを掴むと、後ずさりしてその場を抜け出した。
ところがあまり遠く離れすぎて、乗船できる範囲にある他の舟にも届かなくなってしまった。
それで彼はがっくりした顔で突然すわりこんだ。
その間に別の外国人が彼のいた場所にこぎ入れ、舟から舟へと渡り、もう梯子半分のところまで行ってしまった。
いわば後塵を拝したこの「陸氏」は、残念そうに競争相手を見上げ、後についた。
また別のボートが近づいてきたところで、ホテルのボートが波止場に帰るが「もうよろしいか?」という。
そこでオーシャン号に最後の一瞥をくれると、下甲板に行き、舷側を下ってボートに戻った。
私はシャッターを開けておきたかったのだが、波が入るというので、それでは、と閉めた。
ウィリイは残って、私たちは六時半の二等の汽車で帰った。
一番空いていそうな車輛に乗ったが、ひどく下品な人たちが煙草を吸ったり、声高に喋ったり、ピーナッツをボリボリ食べたりするので、いたたまれずに隣の車輛に移った。
そこでとても感じの良い日本人一家と一緒になった。
私はこの人たちと親しくなり、住所を交換した。
西久保の人でお父様は内務省の役人だった。
【クララの明治日記 超訳版解説第94回】
「今回はいつにもまして解説すべき点がないんだけど、一点だけ補足。
この連載を最初から読んで下さっている方でもきっと覚えていないでしょうけれど、10月4日の日記で、クララが見学に行った船というのはクララが1875年に初来日する際に、アメリカから乗ってきた船ね。
実は原文の日本語訳の方ではその部分が省略されていて、超訳主も最初は『???』状態だったんだけど、船名に聞き覚えがあったので調べてみたらドンピシャだったって」
「時の流れというのは本当に早いものですわね。
この日記の時点で1879年の10月ですので、日記の中でも既にクララの来日から丸4年経過しているわけですのね」
「それを云ったら番外編も含めると、この超訳日記の連載も間もなく二年だけどねー。
だから大雑把に計算すると、クララの二週間分の日記を一週間ごとに紹介している勘定。
凄いんだか、凄くないんだか、よく分からないけど」
「……ま、暇人しか出来ない更新であることは確かでしょうけどね」
「私たちが担当しているこの解説コーナーも今読み直すと、それなりに修正が必要みたい。
大筋は間違ってないんだけど、新事実が一杯判明してるんだって。
それこそ今週資料を読んでいて確認できたのだと、幕末期以降活躍した学者で杉田玄白の後裔であり、クララの日記の初期にはよく登場した杉田玄瑞氏と同志社の創始者である新島襄氏との関係。
恐らく幕末期に師弟関係があったろうと推測してこのコーナーで書いたら、ズバリそのままの裏付けが出てきて、更にクララの日記の常連である津田仙氏とも幕末時から知り合いだってことまで分かったの。
しかもただの知り合いじゃなくて、密出国してアメリカにいた新島氏の手紙を密かに預かって、その家族に渡していたくらいの深い間柄でね。
で、明治になってからその津田氏の娘の梅子さんがアメリカ留学中に訪ねてきたのが新島襄氏で、更に新島氏の密出国の罪を消すために奔走したのが森有礼氏。
つまりこの日記の時系列上ではずっと先になるけど、クララが新島襄氏、そして津田梅子さんと友人になるのは、必然的だった、ってわけ」
「貴女がその“発見”に昂奮しているのは分かりますけれど、まったくもってそんな研究報告に興味がある人間なんて、日本に数えるほどしかいませんわよ?」
「……グーグル先生で“クララの明治日記”で検索すると、結構上にでてくるものね、超訳主のサイト。
ただなんでか、何回別の機会に検索しても第22回なんて半端な回が検索ページとして引っかかるのか不思議だけど、超訳主の検索履歴の関係なのかな?
当コーナーを読んで頂けている方、一度検索サイトで試して頂いてご報告して頂けると幸いです。
以上、今回は完全に脱線版の解説編でした」
「ちょ、ちょっと! 本当にこれで今回の解説編は終わりますの!?」
明治12年10月1日 水曜
今朝は朝の光がとてもまぶしく、いつもより早く目が覚めた。
しかし、日の出の美しさにその甲斐はあった。
もっとも、茜に染まった雲が消えると、朝は冷たく灰色になった。
人の一生も、初めは希望に溢れていたのに、時満たぬうちにみじめに終わってしまうことがある。
私の一生もそうならないよう、神にお願いするしかない。
本当に神さまには感謝しなくては。
昨日、お祈りした以上のものを叶えてくださったのだ。
でも驚くにはあたらない。
もし母にお金か服をくださいと云って、母がくれたからと、びっくりすることはないように、神が私たちの願いに答えてくださったことを驚くことはないのだ。
実はもう一部屋ほしいと思っていたのだけれど、勝提督にこの上お願いするのは、厚かましくてできずにいた。
それに提督ご自身も、先日ウィリイにそれは都合が悪いとおっしゃった。
ところが昨日、息子さんと大工が来て、地面を測っていった。
もう一つは、お金が全部おさえられていて、付けの支払などが不自由なので、もう少し当座のお金が欲しいことだった。
どうしてよいのか分からないので「たまった付けだけでも払えるようお金をお送り下さい」と、ただ神にお祈りしていた。
やはり昨日、お預けしていた二千ドルの利子が勝氏から届いた。
付けにはこれで十分だ。
その上、神は私にも御心をかけてくださり、今月は月謝がいつもより多く入った。
これで母に苦労をかけずに、自分で冬の帽子と手袋が買える。
明治12年10月2日 木曜
大山夫人の英語は日ごとに進歩している。
こんな頭の良い人を生徒にし「昔々のお話」をするのはとても恵まれている。
彼女は大変若く、わずか二十歳だが、とても進歩的だ。
二回目のドイツ語のレッスンが今日の午後にあった。
ヘルム先生は少し早く来られ、アンガス氏とウィリイは一緒に来た。
ディクソン氏は大学の教授会があって遅れた。
文法のパートⅠを読み始めたが、まず最初の「イッヒ」が発音できない。
「イック」でもなく「イッシ」でもない、この二つの中間の、英語にはない喉音で、私には到底無理のように思えた。
だがそのうちできるようになるだろう。
アンガス氏の発音はひどいものだ。
耳が少し遠いので、正確な音が聞こえないのだ。
授業が終わると、ヘルム先生はドイツ語で私に聞かれた。
「お嬢さん、疲れましたか?」
私は意味が分かったのに吃驚して思わず英語で「ノー」と。
すると、先生は顔をしかめられた。
そこで勇気を奮ってドイツ語で応えた。
「いいえ、先生。先生はお疲れではありませんか?」
と、突然先生はアンガス氏に「君は悪い人か」と聞かれた。
アンガス氏はむっとして、英語とドイツ語をまぜこぜにして「僕は悪い人出はない」と返答した。
授業は勉強と遊びを一緒にしたようで面白かったが、先生はその気になればとても意地が悪くなる人ではないかと思う。
普墺戦争に二年行って、アメリカに三年いて、日本には九年いるという。
マリー・ド・ボワンヴィルと弟のチャーリーが土曜に発つのでお別れを言いに来た。
マリーのお祖母様に「ヨロシク、ドーゾ」と伝えてね、と私が云うと、このいたずらっ子はこう返した。
「おばあさん、日本のコトバ駄目ね。英語のコトバ、バカリ、ワカリマス」
「それではおばあさんはマリーの云うことが分からないでしょう?」
私が云うと、フランス語より日本語の方が達者になってしまったマリーが返す。
「マリー、日本のコトバ、コチラ、オイテ、おばあさんには、日本のコトバ話さない」
私は笑って、マリーの肩をゆすり、やわらかい両頬にキスをした。
「私はマリーが買いたいわ。マリーはいくら」
「三セン五リン」
そんな可愛らしい返事がすぐに返ってきた。
こんなにも可愛いマリーが帰国してしまうのはとても寂しい。
明治12年10月3日 金曜
昨晩は遅くまでドイツ語の暗記、あのいやらしい「イッヒ」の発音や練習問題をした。
今朝は大山夫人と縫物をしながらお喋りをしたが、昨晩、ご主人が「日本人は蜜蜂によく似ている」と評されたという。
もし火事で家が焼けると、ヨーロッパ人なら改良するのに、日本人は太古と同じものをつくっている蜂のように、まったく同じものをすぐに建てはじめ、全然工夫することがない。
昨日、芝にジェームズ船長の奥様をお訪ねしてとても楽しかった。
応接間もとても素晴らしかったが、一番素敵なのは奥様ご自身で、爪の先までほんとうの淑女だ。
明治12年10月4日 土曜
母と私は今朝、十時の汽車で横浜に行きミス・マクニールと乗りあわせた。
汽車にはたくさんドイツ人やイギリス人が乗っていて、声高に喋ったり、煙草を吸ったりするので不愉快だった。
横浜ではいろいろな物を探しにあちこちに行った。
買物は帽子で、ガーネット色のビロードで縁取りをしてもらうことになっている。
手袋はキッドで茶色とピンクの灰色のとを買ったが、横浜ではとても安い。
買物の後で、ウィリイとグランド・ホテルで待ち合わせ、昼食をとった。
それから明日出帆する予定のオーシャニック号を見に行くことにした。
ド・ボワンヴィル夫人はまだ到着していなかったが、ご主人の方はあちらこちら走りまわっておられた。
グランド・ホテル専用のボートがちょうど出るところだったので、ホテルの事務員と紳士一人といっしょに乗った。
風が強くて、波がボートの船縁を越えるほどだった。
澄んだ十月の空気は身が引き締まるようで、とても気持ちがいい。。
途中、フランス船のボルガ号の側や、塗り直し中のロード・オブ・アイル号の舳先の下を通った。
米国船リッチモンド号とベガ号がすこし沖に並んでいた。
私はベガ号に行ってみたいと思ったが、船頭が、一マイル沖に停泊中のオーシャニック号より先は波が荒すぎて行けないという。
オーシャニック号には、荷をいっぱいに積んだ他の船と一緒に着いたが「ご婦人ですよ」と係が怒鳴ると一番先にはしごを上らせてくれた。
甲板に集まった高級船員の中に、以前私がこの船に乗って日本にやってきた当時の陽気なジェニングス船長、ウェールズ人のエバンス事務長、賑やかなブレイディ船医、少なくともあのふとっちょの手荷物係の顔が見られるのではないかという気がした。
無論、物珍しそうに見かえしたのは冷たい見知らぬ顔で、ちょっと命令を発するのをやめて私たちを通してくれた。
階段もサロンも、半分忘れかけた思い出を洪水のように蘇らせた。
執事の船室のあのむかむかするような臭いすら懐かしかった。
ジェニングス船長はその陽気な人柄と、無骨なやさしさとを、永遠に私の胸に刻みつけたが、他の船長もみな彼のように若き乙女のヒーローでありますように。
サロンでは本棚<もちろん錠がかかっている>、古い皸だらけのピアノをまた眺めた。
そのほか、船旅の退屈さのあまり『アイバンホー』を読んだところ、ボンステル氏が私のアルバムに「花の十六歳」<十五歳だったけれど>と書いてくれたところや、ジョーンズ氏が初めて船酔いを起こしかけ、大慌てで飛び出した食堂を見た。
食卓の椅子はとても狭く背もたれが高く、坐ると肘がつき合うようで、私はいつも端っこに坐れるのを喜んだものだ。
ある時ジェニングス船長がジャガイモの皮を取りながらこう云った。
「ご婦人がじゃがいも畑を歩きたがらないのは何故か?」
その時の船長の悪戯そうな顔を思い出す。
私が降参すると、眼鏡越しにわざと真面目な顔をしてこう云うのだ。
「じゃがいもには『め』があるからね」
ひどい!
思い出しているときりがないけれど、私たちの泊まっていた特等席に行ってみるとド・ ボワンヴィル夫人のトランクが置いてある。
夫人はここを使うのだろう。
確かにヴィーダー氏一家もここに泊まったし、この船で一番良い室だ。
甲板に出ると、ブリッジの下では清国人の船員たちが山のようなご飯を食べている<この人たちはいつも食事中のようだ>。
手すりにもたれて緑の丘の方を見、それから広い果てしない海をながめていると、私も旅に出たくなった。
船腹では横付けしたサンパンが荷揚げをしている。
清国人のペチャペチャして喋る声、ヨーロッパ人や日本人の怒鳴る声の中をどんどん荷物が船に運びあげられる。
それから三等客船がボートに乗っていっぱい来た。
ある老人は、がっしりした息子二人と、たくさんの骨董品と絹地類を持ってきたが、きっと清国の家族へのおみやげなのだろう。
梯子に近づけないので、船を別の小さい船のそばにつけ、息子たちは大胆に船から船へと飛んでオーシャン号に乗り込んだ。
荷物の監視に残った老人は、枯れ木のような手を振り「チャン! ウィン!」と息子の名を呼ぶと、梯子を上っていた息子たちは振り向いて、手を振って励ました。
老人は仕事をもらおうと群がってきた子供たちに目もくれず、宝物のそばにすわりこんだ。
息子たちが戻ってきて、かわいそうな老父を助けてあげるといいのだが、その次に来たのは船慣れしていない外国人だった。
船の近くに行けないので、船頭たちがもう一つの船の近くにつけたら「陸氏」は怒って立ち上がり、オールを掴むと、後ずさりしてその場を抜け出した。
ところがあまり遠く離れすぎて、乗船できる範囲にある他の舟にも届かなくなってしまった。
それで彼はがっくりした顔で突然すわりこんだ。
その間に別の外国人が彼のいた場所にこぎ入れ、舟から舟へと渡り、もう梯子半分のところまで行ってしまった。
いわば後塵を拝したこの「陸氏」は、残念そうに競争相手を見上げ、後についた。
また別のボートが近づいてきたところで、ホテルのボートが波止場に帰るが「もうよろしいか?」という。
そこでオーシャン号に最後の一瞥をくれると、下甲板に行き、舷側を下ってボートに戻った。
私はシャッターを開けておきたかったのだが、波が入るというので、それでは、と閉めた。
ウィリイは残って、私たちは六時半の二等の汽車で帰った。
一番空いていそうな車輛に乗ったが、ひどく下品な人たちが煙草を吸ったり、声高に喋ったり、ピーナッツをボリボリ食べたりするので、いたたまれずに隣の車輛に移った。
そこでとても感じの良い日本人一家と一緒になった。
私はこの人たちと親しくなり、住所を交換した。
西久保の人でお父様は内務省の役人だった。
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「今回はいつにもまして解説すべき点がないんだけど、一点だけ補足。
この連載を最初から読んで下さっている方でもきっと覚えていないでしょうけれど、10月4日の日記で、クララが見学に行った船というのはクララが1875年に初来日する際に、アメリカから乗ってきた船ね。
実は原文の日本語訳の方ではその部分が省略されていて、超訳主も最初は『???』状態だったんだけど、船名に聞き覚えがあったので調べてみたらドンピシャだったって」
「時の流れというのは本当に早いものですわね。
この日記の時点で1879年の10月ですので、日記の中でも既にクララの来日から丸4年経過しているわけですのね」
「それを云ったら番外編も含めると、この超訳日記の連載も間もなく二年だけどねー。
だから大雑把に計算すると、クララの二週間分の日記を一週間ごとに紹介している勘定。
凄いんだか、凄くないんだか、よく分からないけど」
「……ま、暇人しか出来ない更新であることは確かでしょうけどね」
「私たちが担当しているこの解説コーナーも今読み直すと、それなりに修正が必要みたい。
大筋は間違ってないんだけど、新事実が一杯判明してるんだって。
それこそ今週資料を読んでいて確認できたのだと、幕末期以降活躍した学者で杉田玄白の後裔であり、クララの日記の初期にはよく登場した杉田玄瑞氏と同志社の創始者である新島襄氏との関係。
恐らく幕末期に師弟関係があったろうと推測してこのコーナーで書いたら、ズバリそのままの裏付けが出てきて、更にクララの日記の常連である津田仙氏とも幕末時から知り合いだってことまで分かったの。
しかもただの知り合いじゃなくて、密出国してアメリカにいた新島氏の手紙を密かに預かって、その家族に渡していたくらいの深い間柄でね。
で、明治になってからその津田氏の娘の梅子さんがアメリカ留学中に訪ねてきたのが新島襄氏で、更に新島氏の密出国の罪を消すために奔走したのが森有礼氏。
つまりこの日記の時系列上ではずっと先になるけど、クララが新島襄氏、そして津田梅子さんと友人になるのは、必然的だった、ってわけ」
「貴女がその“発見”に昂奮しているのは分かりますけれど、まったくもってそんな研究報告に興味がある人間なんて、日本に数えるほどしかいませんわよ?」
「……グーグル先生で“クララの明治日記”で検索すると、結構上にでてくるものね、超訳主のサイト。
ただなんでか、何回別の機会に検索しても第22回なんて半端な回が検索ページとして引っかかるのか不思議だけど、超訳主の検索履歴の関係なのかな?
当コーナーを読んで頂けている方、一度検索サイトで試して頂いてご報告して頂けると幸いです。
以上、今回は完全に脱線版の解説編でした」
「ちょ、ちょっと! 本当にこれで今回の解説編は終わりますの!?」
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
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