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蝶のいざない
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ふんふんと鼻歌を歌いながら、僕は回廊を行く。籠にたっぷり詰めて貰ったびわが、甘い芳香を届けていた。
「辰さん、喜んでくれるかなーっ」
辰さんはお菓子より、果物が好きなんだよね。びわを食べてほほ笑んでいる好きな人を想像すると、足取りが軽くなる。けれど、お兄様の執務室につくと、予想外の事態が待っていた。
「えっ! 辰さん、いないんですか?」
荘厳な扉の前で、僕は素っ頓狂な声を上げた。
「はい。辰は、今朝から任務で外出しております」
そう答えてくれるのは、扉を守っていた武人の剛さん。辰さんと同じお兄様の護衛で、短く刈った黒髪と鋭い目の強そうな人なんだ。
僕は、すがるような気持ちで聞いてみる。
「あのう。ちなみに、何時に帰られるとかは……」
「さて。桃家からの要請ですので、こちらからは何とも」
「そんなあ……」
てっきり、会えると思い込んでいたぶん、寂しさは倍増だった。籠を抱いて、しょんぼりと扉を見つめてると……剛さんが「羅華様」と声を張った。
「まだ何かございますか。先ほど申し上げたように、若君様もご在室ではございませんが……」
「あっ、ううん! 大丈夫です」
眉を寄せる剛さんに、慌てて頭を振って見せる。
――大切なお仕事だもん。また今度、出直したらいっか……!
僕は残念な気持ちを押し込めて、剛さんに笑いかける。
「教えてくれてありがとう、剛さん。あの、これ……よかったら、皆さんで召し上がってください」
手土産を持って帰るのは、なんだか寂しいもの。ひょっとしたら、帰ってきた辰さんのお口に入るかもしれないし――一縷の望みをかけて籠を渡す。
「いいえ。お仕えする方からは、何も頂けません」
そんなあ!
「うーん、剛さんは真面目だなあ……」
籠を持って、てくてくと来た道を戻る。ああ、びわの甘い香りが悲しい。ひょろろろ、と回廊を吹き抜ける風に押されて、背中が丸まってしまいそう。
「ああ、辰さん。会いたかったなぁ…………ん?」
ふと、目の前を何かが横切った。思わず手を伸ばし、受け止めてみたら……紙で出来た蝶みたい。
「式神?」
ぱたぱたと羽をはためかせるその子に、首を傾げていると――慌ただしい足音が近づいてくる。すぐに、回廊の向こうから現れた人に、僕はあっと声を上げた。
「文徳さん!」
「――羅華様、ご機嫌麗しゅう……!」
暗緑色の袖を合わせて綺麗な礼をとるのは、お兄様の側近の文徳さんだ。いつも笑ってるお顔が汗びっしょりで、驚いてしまう。
「ごきげんよう、文徳さん。そんなに急いで、どうしたんですか?」
「はっ、申し訳ありません! 実は、羅華様にお力添え賜りたく、お探し申しておりました……」
「僕にですか?」
キョトンと首を傾げると、文徳さんは頷いた。
「はい。実は、屋敷の結界旗が壊れまして……」
「えっ!」
僕は目を丸くした。
「職人総出で修繕を行っているのですが、奥様の”手本”が複雑ゆえ、難航しております。羅華様のお手を煩わせることになり、心苦しいのですが……」
「何を言うんですっ。僕で良ければ手伝わせてください!」
手のひらで胸を叩く。玄家お抱えの職人達にはかなわないけれど、僕も霊符づくりは得意だもの。意気込みを見せると、文徳さんはほっとしたように頷いてくれた。
「ありがとうございます。では、参りましょう!」
「はいっ」
文徳さんは、人差し指をちょいと招いて、僕の手の中に休んでいた蝶を呼び戻す。あ、文徳さんの式神だったんだ。
「可愛いですねー。僕もほしいなあ」
「簡単な伝書や、人探しなどに便利ですよ。羅華様は霊符づくりがご達者ですから、簡単にできましょう」
なごやかに世間話をしながら、霊符づくりを行う工房に向かった。
お兄様のご住居の片隅に、霊符の工房はあった。
玄家は、王様の命令でたくさんの魔物を狩ったり、要人の護衛をしてるでしょう。だから、いかなるときでも霊符を備えておけるよう、大きな工房を持ってるんだよ。
優秀な職人さんたちが、玄家のために腕を振るってくださってるんだ――
「戻りましたよ!」
文徳さんが観音開きの扉を開けると、わっと職人さんたちが振り返った。いくつも作業台が並ぶ室内に、十数人詰めて下さっている。みんな袖をたくし上げて、前掛けをしていて。そして、
――わあ、皆すごいくま! 疲れてそう……!
殺気だってる、と表現できそうな工房内に、僕はたじたじになる。
それに、よく考えてみたら、僕は工房に入ったことがないんだった。お兄様もお姉様も、霊符のご依頼には、直接お部屋に来てくださるから……。きっと、僕の腕前が拙いから、工房に入ったらお邪魔になるとのお考えだったんだと思う。
――勢いで来ちゃったけど、良かったのかなあ? お姉様に怒られちゃう?!
入り口で釘付けになっていると、文徳さんに「さあ」と背を押され、促される。
「皆さん注目! なんと、羅華様が応援に駆けつけて下さいましたよ!」
「ど、どうも。よろしくお願いしますー」
えへ、と笑って手を振ると、わっと歓声が上がる。
「おお、羅華様だ!」
「ありがたい……久々に布団で寝れる!」
予想外に、すごく歓迎してもらって、照れてしまう。僕は、ぺこりと頭を下げた。
「僕、みなさんのお力になれると聞いて……! 未熟者ですが、一生けん命頑張りますので、よろしくお願いします」
「ありがとうございます……! ささ、どうぞこちらに!」
盛大な拍手の上がるなか、大きな作業台に案内してもらった。
そこに広げてあるものを見て、僕は「わあ」と感嘆の声を漏らしてしまう。
「すごい……」
結界旗――大屋根の四隅で、はたはたしてるのしか見たことなかったから、びっくりだ。
お布団にできそうな大きさの布は、真ん中で引き裂けてしまってる。
それでも、細工の見事さがわかった。漆黒の厚みのある生地の全面に、呪力を込めた糸で繊細に刺繍が施されてるんだ。目が痛くなるほどの細かさのそれは、布を傾けると模様が変化して見える。
「なるほど、呪を合わせがけしてるのか……それで、遠目からだと玄家の家紋に見えたんだー。お洒落ですねっ」
興奮していると、文徳さんが「治せそうですか」と尋ねる。僕は、ワクワクしながら頷いた。
「やってみます!」
「辰さん、喜んでくれるかなーっ」
辰さんはお菓子より、果物が好きなんだよね。びわを食べてほほ笑んでいる好きな人を想像すると、足取りが軽くなる。けれど、お兄様の執務室につくと、予想外の事態が待っていた。
「えっ! 辰さん、いないんですか?」
荘厳な扉の前で、僕は素っ頓狂な声を上げた。
「はい。辰は、今朝から任務で外出しております」
そう答えてくれるのは、扉を守っていた武人の剛さん。辰さんと同じお兄様の護衛で、短く刈った黒髪と鋭い目の強そうな人なんだ。
僕は、すがるような気持ちで聞いてみる。
「あのう。ちなみに、何時に帰られるとかは……」
「さて。桃家からの要請ですので、こちらからは何とも」
「そんなあ……」
てっきり、会えると思い込んでいたぶん、寂しさは倍増だった。籠を抱いて、しょんぼりと扉を見つめてると……剛さんが「羅華様」と声を張った。
「まだ何かございますか。先ほど申し上げたように、若君様もご在室ではございませんが……」
「あっ、ううん! 大丈夫です」
眉を寄せる剛さんに、慌てて頭を振って見せる。
――大切なお仕事だもん。また今度、出直したらいっか……!
僕は残念な気持ちを押し込めて、剛さんに笑いかける。
「教えてくれてありがとう、剛さん。あの、これ……よかったら、皆さんで召し上がってください」
手土産を持って帰るのは、なんだか寂しいもの。ひょっとしたら、帰ってきた辰さんのお口に入るかもしれないし――一縷の望みをかけて籠を渡す。
「いいえ。お仕えする方からは、何も頂けません」
そんなあ!
「うーん、剛さんは真面目だなあ……」
籠を持って、てくてくと来た道を戻る。ああ、びわの甘い香りが悲しい。ひょろろろ、と回廊を吹き抜ける風に押されて、背中が丸まってしまいそう。
「ああ、辰さん。会いたかったなぁ…………ん?」
ふと、目の前を何かが横切った。思わず手を伸ばし、受け止めてみたら……紙で出来た蝶みたい。
「式神?」
ぱたぱたと羽をはためかせるその子に、首を傾げていると――慌ただしい足音が近づいてくる。すぐに、回廊の向こうから現れた人に、僕はあっと声を上げた。
「文徳さん!」
「――羅華様、ご機嫌麗しゅう……!」
暗緑色の袖を合わせて綺麗な礼をとるのは、お兄様の側近の文徳さんだ。いつも笑ってるお顔が汗びっしょりで、驚いてしまう。
「ごきげんよう、文徳さん。そんなに急いで、どうしたんですか?」
「はっ、申し訳ありません! 実は、羅華様にお力添え賜りたく、お探し申しておりました……」
「僕にですか?」
キョトンと首を傾げると、文徳さんは頷いた。
「はい。実は、屋敷の結界旗が壊れまして……」
「えっ!」
僕は目を丸くした。
「職人総出で修繕を行っているのですが、奥様の”手本”が複雑ゆえ、難航しております。羅華様のお手を煩わせることになり、心苦しいのですが……」
「何を言うんですっ。僕で良ければ手伝わせてください!」
手のひらで胸を叩く。玄家お抱えの職人達にはかなわないけれど、僕も霊符づくりは得意だもの。意気込みを見せると、文徳さんはほっとしたように頷いてくれた。
「ありがとうございます。では、参りましょう!」
「はいっ」
文徳さんは、人差し指をちょいと招いて、僕の手の中に休んでいた蝶を呼び戻す。あ、文徳さんの式神だったんだ。
「可愛いですねー。僕もほしいなあ」
「簡単な伝書や、人探しなどに便利ですよ。羅華様は霊符づくりがご達者ですから、簡単にできましょう」
なごやかに世間話をしながら、霊符づくりを行う工房に向かった。
お兄様のご住居の片隅に、霊符の工房はあった。
玄家は、王様の命令でたくさんの魔物を狩ったり、要人の護衛をしてるでしょう。だから、いかなるときでも霊符を備えておけるよう、大きな工房を持ってるんだよ。
優秀な職人さんたちが、玄家のために腕を振るってくださってるんだ――
「戻りましたよ!」
文徳さんが観音開きの扉を開けると、わっと職人さんたちが振り返った。いくつも作業台が並ぶ室内に、十数人詰めて下さっている。みんな袖をたくし上げて、前掛けをしていて。そして、
――わあ、皆すごいくま! 疲れてそう……!
殺気だってる、と表現できそうな工房内に、僕はたじたじになる。
それに、よく考えてみたら、僕は工房に入ったことがないんだった。お兄様もお姉様も、霊符のご依頼には、直接お部屋に来てくださるから……。きっと、僕の腕前が拙いから、工房に入ったらお邪魔になるとのお考えだったんだと思う。
――勢いで来ちゃったけど、良かったのかなあ? お姉様に怒られちゃう?!
入り口で釘付けになっていると、文徳さんに「さあ」と背を押され、促される。
「皆さん注目! なんと、羅華様が応援に駆けつけて下さいましたよ!」
「ど、どうも。よろしくお願いしますー」
えへ、と笑って手を振ると、わっと歓声が上がる。
「おお、羅華様だ!」
「ありがたい……久々に布団で寝れる!」
予想外に、すごく歓迎してもらって、照れてしまう。僕は、ぺこりと頭を下げた。
「僕、みなさんのお力になれると聞いて……! 未熟者ですが、一生けん命頑張りますので、よろしくお願いします」
「ありがとうございます……! ささ、どうぞこちらに!」
盛大な拍手の上がるなか、大きな作業台に案内してもらった。
そこに広げてあるものを見て、僕は「わあ」と感嘆の声を漏らしてしまう。
「すごい……」
結界旗――大屋根の四隅で、はたはたしてるのしか見たことなかったから、びっくりだ。
お布団にできそうな大きさの布は、真ん中で引き裂けてしまってる。
それでも、細工の見事さがわかった。漆黒の厚みのある生地の全面に、呪力を込めた糸で繊細に刺繍が施されてるんだ。目が痛くなるほどの細かさのそれは、布を傾けると模様が変化して見える。
「なるほど、呪を合わせがけしてるのか……それで、遠目からだと玄家の家紋に見えたんだー。お洒落ですねっ」
興奮していると、文徳さんが「治せそうですか」と尋ねる。僕は、ワクワクしながら頷いた。
「やってみます!」
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