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第70話 穏やかな日々
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秋が深まり、エデンの森が赤や黄色に色づく頃、俺たちの楽園は初めての収穫祭を終え、穏やかな冬支度の季節を迎えていた。
町の広場では男たちが冬のための薪を割り、女たちは収穫した穀物を粉に挽いている。工房からは職人たちの槌音がリズミカルに響き、学び舎からは子供たちの元気な声が聞こえてくる。その全てが、活気と未来への希望に満ちた心地よい協奏曲のようだった。
俺は、新しく建てられた鐘楼の頂上からその光景を眺めていた。
数ヶ月前までは人もまばらな寂れた村だった場所が、今や二百人以上が暮らす一つの生命体のように息づく町へと成長している。緑の城壁に守られた美しい家々。整備された石畳の道。そして何より、そこに住む人々の屈託のない笑顔。
「……良い町になったな」
俺の口から自然とそんな言葉が漏れた。
追放され全てを失ったと思っていたあの日。まさか自分がこんなにも温かい居場所を仲間たちと共に築き上げることになるとは、夢にも思わなかった。
「リアム様」
背後から優しい声がかかった。振り返ると、セレスティアが温かいハーブティーの入ったカップを二つ盆に乗せて立っていた。
「ここからの眺めは素敵ですわね。町中のみんなの顔がよく見えます」
彼女はそう言って俺の隣に並んだ。その横顔は聖女としての気品と、一人の女性としての穏やかさに満ちている。
「君が毎日みんなの健康を祈ってくれているおかげだよ。この町に病気の者が一人もいないのは君の力だ」
「いいえ。リアム様がわたくしの力を引き出してくださるからですわ」
彼女ははにかむように微笑んだ。その笑顔を見ているだけで心が洗われるようだった。俺たちは言葉もなく、しばらくの間眼下に広がる自分たちの楽園を眺めていた。
午後は訓練場で過ごすことが日課になっていた。
そこではルナリエルとダリウスがエデン警備隊の若者たちに剣の稽古をつけていた。二人の剣聖による直接指導。それは王国騎士団でも滅多に受けられない、あまりにも贅沢な訓練だった。
「違う! 腰の回転が甘いわよ! 剣は腕で振るうのではなく、身体全体で振るうの!」
ルナリエルの鋭い檄が飛ぶ。その隣でダリウスが若者一人一人の構えを無言で、しかし的確に修正していく。その指導は対照的でありながら、不思議なほど調和が取れていた。
俺の姿を認めると、二人は若者たちに休憩を命じこちらへ歩み寄ってきた。
「リアム。ちょうどいい。少し手合わせに付き合え」
ダリウスが木剣を一本、俺に放ってよこした。
「ええっ、俺が? あんたたちの相手になんてなるわけないだろう」
「構わん。お前の指揮官としての『眼』を鈍らせるわけにはいかんからな。俺たちの動きをその眼で捉え、活路を見出す訓練だ」
彼の言葉にルナリエルも面白そうに口の端を吊り上げた。
「いいわね、それ。さあ、リアム。どちらからでもかかってきなさい。三秒もてば褒めてあげるわ」
結局、俺は二人の剣聖を相手に無様な逃げ回りを披露する羽目になった。神速で繰り出される二人の剣戟はもはや芸術の域に達している。俺にできることと言えば、ソフィアに叩き込まれた戦術理論を総動員し、彼らの次の動きを予測してひたすら転がり避けることだけだった。
もちろん、三秒どころか一撃も交えることなく、俺は泥だらけになって地面に転がされた。
「……まだまだ、だな」
ダリウスが俺に手を差し伸べながら静かに言った。その目には厳しいながらも確かな信頼の色が浮かんでいる。
「だが、お前のおかげで俺は再びこの剣を握る意味を見つけた。感謝している、リアム」
そのぶっきらぼうな感謝の言葉が何よりも嬉しかった。
汗を流した後は、アイリスとフレアが俺を空の散歩へと連れ出してくれた。
「リアムさん、見てください! 町がまた少し大きくなりましたよ!」
フレアの背中の上でアイリスが子供のようにはしゃいだ。上空から見下ろすエデンはもはやただの村ではなく、森の中に生まれた美しい宝石のような一つの都市の姿をしていた。
「これもアイリスとフレアが毎日資材を運んでくれるおかげだよ。二人はいまやこの町の発展に欠かせない最高の働き手だ」
俺がそう言って彼女の頭を撫でると、彼女は「えへへ」と嬉しそうに顔を赤らめた。
空から戻ると、今度はソフィアが図書館で俺を待っていた。
「リアムさん。冬の間の新しいエネルギー源について、面白い文献を見つけましたの」
彼女が広げた羊皮紙には、地熱を利用した魔力循環システムについての高度な理論が記されていた。
「これを応用すれば、冬でも全ての家で床暖房が使えますし、温室を建てて冬の間も野菜を育てることが可能になりますわ」
彼女の瞳はいつも新しい知識への探究心で、きらきらと輝いている。彼女と話していると、この世界の可能性が無限に広がっていくような気がした。
聖女の祈り。剣聖の守り。竜の翼。賢者の知恵。
そして、それら全てを束ねる俺の存在。
俺たちはそれぞれの役割を果たし、この楽園を一日、また一日とより良い場所へと変えていた。
その夜。
教会の談話室では暖炉の火を囲んで俺たち仲間全員が集まっていた。テーブルの上には、セレスティアと村の女たちが腕を振るった温かいシチューが湯気を立てている。
「それにしてもダリウスさんの指導は厳しいですよ! おかげで俺たち、身体中が筋肉痛です!」
警備隊のタロウが笑いながら愚痴をこぼす。
「当たり前だ。お前たちの命はこのエデンそのものの命なのだからな。鍛錬に妥協は許さん」
ダリウスが真顔で答える。そのやり取りにみんながどっと笑った。
他愛のない会話。温かい食事。そして、仲間たちの笑顔。
俺はそんな光景を心の底から愛おしいと思っていた。
追放され独りだったあの頃。こんな未来が来るなんて、誰が想像できただろうか。
俺はふと窓の外の夜空を見上げた。冬の訪れを告げる澄み切った星空が広がっている。
その時だった。
遠い北の空。その地平線が一瞬だけオーロラのように、しかしどこか禍々しい紫色の光を放って揺らめいたように見えた。
「……今の、なんだ?」
俺は思わず呟いた。だが、その光に気づいた者は俺以外には誰もいなかった。
「リアム様、どうかしましたか?」
セレスティアが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「いや……なんでもない。気のせいかな」
俺はそう言って笑ってごまかした。気のせいだ。きっとただの気象現象か何かだろう。この平和な楽園に不吉な影が忍び寄るはずがない。
「さあ、冷めないうちに食べよう」
俺は仲間たちに向き直った。
「みんながいるこの食事が、俺にとって一番の幸せだ」
その言葉に、仲間たちがそれぞれの笑顔で応えてくれる。
俺は、この温かい日常がこれからもずっと永遠に続いていくものだと信じて疑わなかった。
町の広場では男たちが冬のための薪を割り、女たちは収穫した穀物を粉に挽いている。工房からは職人たちの槌音がリズミカルに響き、学び舎からは子供たちの元気な声が聞こえてくる。その全てが、活気と未来への希望に満ちた心地よい協奏曲のようだった。
俺は、新しく建てられた鐘楼の頂上からその光景を眺めていた。
数ヶ月前までは人もまばらな寂れた村だった場所が、今や二百人以上が暮らす一つの生命体のように息づく町へと成長している。緑の城壁に守られた美しい家々。整備された石畳の道。そして何より、そこに住む人々の屈託のない笑顔。
「……良い町になったな」
俺の口から自然とそんな言葉が漏れた。
追放され全てを失ったと思っていたあの日。まさか自分がこんなにも温かい居場所を仲間たちと共に築き上げることになるとは、夢にも思わなかった。
「リアム様」
背後から優しい声がかかった。振り返ると、セレスティアが温かいハーブティーの入ったカップを二つ盆に乗せて立っていた。
「ここからの眺めは素敵ですわね。町中のみんなの顔がよく見えます」
彼女はそう言って俺の隣に並んだ。その横顔は聖女としての気品と、一人の女性としての穏やかさに満ちている。
「君が毎日みんなの健康を祈ってくれているおかげだよ。この町に病気の者が一人もいないのは君の力だ」
「いいえ。リアム様がわたくしの力を引き出してくださるからですわ」
彼女ははにかむように微笑んだ。その笑顔を見ているだけで心が洗われるようだった。俺たちは言葉もなく、しばらくの間眼下に広がる自分たちの楽園を眺めていた。
午後は訓練場で過ごすことが日課になっていた。
そこではルナリエルとダリウスがエデン警備隊の若者たちに剣の稽古をつけていた。二人の剣聖による直接指導。それは王国騎士団でも滅多に受けられない、あまりにも贅沢な訓練だった。
「違う! 腰の回転が甘いわよ! 剣は腕で振るうのではなく、身体全体で振るうの!」
ルナリエルの鋭い檄が飛ぶ。その隣でダリウスが若者一人一人の構えを無言で、しかし的確に修正していく。その指導は対照的でありながら、不思議なほど調和が取れていた。
俺の姿を認めると、二人は若者たちに休憩を命じこちらへ歩み寄ってきた。
「リアム。ちょうどいい。少し手合わせに付き合え」
ダリウスが木剣を一本、俺に放ってよこした。
「ええっ、俺が? あんたたちの相手になんてなるわけないだろう」
「構わん。お前の指揮官としての『眼』を鈍らせるわけにはいかんからな。俺たちの動きをその眼で捉え、活路を見出す訓練だ」
彼の言葉にルナリエルも面白そうに口の端を吊り上げた。
「いいわね、それ。さあ、リアム。どちらからでもかかってきなさい。三秒もてば褒めてあげるわ」
結局、俺は二人の剣聖を相手に無様な逃げ回りを披露する羽目になった。神速で繰り出される二人の剣戟はもはや芸術の域に達している。俺にできることと言えば、ソフィアに叩き込まれた戦術理論を総動員し、彼らの次の動きを予測してひたすら転がり避けることだけだった。
もちろん、三秒どころか一撃も交えることなく、俺は泥だらけになって地面に転がされた。
「……まだまだ、だな」
ダリウスが俺に手を差し伸べながら静かに言った。その目には厳しいながらも確かな信頼の色が浮かんでいる。
「だが、お前のおかげで俺は再びこの剣を握る意味を見つけた。感謝している、リアム」
そのぶっきらぼうな感謝の言葉が何よりも嬉しかった。
汗を流した後は、アイリスとフレアが俺を空の散歩へと連れ出してくれた。
「リアムさん、見てください! 町がまた少し大きくなりましたよ!」
フレアの背中の上でアイリスが子供のようにはしゃいだ。上空から見下ろすエデンはもはやただの村ではなく、森の中に生まれた美しい宝石のような一つの都市の姿をしていた。
「これもアイリスとフレアが毎日資材を運んでくれるおかげだよ。二人はいまやこの町の発展に欠かせない最高の働き手だ」
俺がそう言って彼女の頭を撫でると、彼女は「えへへ」と嬉しそうに顔を赤らめた。
空から戻ると、今度はソフィアが図書館で俺を待っていた。
「リアムさん。冬の間の新しいエネルギー源について、面白い文献を見つけましたの」
彼女が広げた羊皮紙には、地熱を利用した魔力循環システムについての高度な理論が記されていた。
「これを応用すれば、冬でも全ての家で床暖房が使えますし、温室を建てて冬の間も野菜を育てることが可能になりますわ」
彼女の瞳はいつも新しい知識への探究心で、きらきらと輝いている。彼女と話していると、この世界の可能性が無限に広がっていくような気がした。
聖女の祈り。剣聖の守り。竜の翼。賢者の知恵。
そして、それら全てを束ねる俺の存在。
俺たちはそれぞれの役割を果たし、この楽園を一日、また一日とより良い場所へと変えていた。
その夜。
教会の談話室では暖炉の火を囲んで俺たち仲間全員が集まっていた。テーブルの上には、セレスティアと村の女たちが腕を振るった温かいシチューが湯気を立てている。
「それにしてもダリウスさんの指導は厳しいですよ! おかげで俺たち、身体中が筋肉痛です!」
警備隊のタロウが笑いながら愚痴をこぼす。
「当たり前だ。お前たちの命はこのエデンそのものの命なのだからな。鍛錬に妥協は許さん」
ダリウスが真顔で答える。そのやり取りにみんながどっと笑った。
他愛のない会話。温かい食事。そして、仲間たちの笑顔。
俺はそんな光景を心の底から愛おしいと思っていた。
追放され独りだったあの頃。こんな未来が来るなんて、誰が想像できただろうか。
俺はふと窓の外の夜空を見上げた。冬の訪れを告げる澄み切った星空が広がっている。
その時だった。
遠い北の空。その地平線が一瞬だけオーロラのように、しかしどこか禍々しい紫色の光を放って揺らめいたように見えた。
「……今の、なんだ?」
俺は思わず呟いた。だが、その光に気づいた者は俺以外には誰もいなかった。
「リアム様、どうかしましたか?」
セレスティアが不思議そうに俺の顔を覗き込む。
「いや……なんでもない。気のせいかな」
俺はそう言って笑ってごまかした。気のせいだ。きっとただの気象現象か何かだろう。この平和な楽園に不吉な影が忍び寄るはずがない。
「さあ、冷めないうちに食べよう」
俺は仲間たちに向き直った。
「みんながいるこの食事が、俺にとって一番の幸せだ」
その言葉に、仲間たちがそれぞれの笑顔で応えてくれる。
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