追放された”お荷物”の俺がいないと、聖女も賢者も剣聖も役立たずらしい

夏見ナイ

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第71話 世界の危機

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、俺が北の空に見た一瞬の禍々しい光。
それは気のせいなどではなかった。

世界が静かに、しかし確実に破滅へと向かう音だったのだ。



大陸の最北端。人類の領域と魔王が支配する『永劫凍土』とを隔てる巨大な天然の城壁『嘆きの山脈』。一年を通して吹雪が吹き荒れ、いかなる軍勢も越えることはできないとされてきた絶対の防衛線。

その山脈の中腹にある王国最北の監視砦。
凍てつく風の中、見張りの兵士が震えながら眼下に広がる魔王領を監視していた。いつもと変わらない、白と灰色の死の世界。そう思っていた。

「……ん?」

兵士は目を凝らした。
永劫凍土の地平線の彼方に、黒い『染み』のようなものが広がっている。吹雪によるただの影か。そう思ったが、その染みは明らかにこちらに向かってその範囲を拡大してきていた。

それは、軍勢だった。
何万、いや何十万という規模の魔物の大軍勢。その先頭には禍々しい紫色の瘴気を放つ巨大な城のようなものが、大地を削りながら進んでいた。

「て、敵襲! 魔王軍だ! 魔王軍が山脈を越えてくるぞ!」

兵士の絶叫が砦中に響き渡った。警鐘が狂ったように鳴り響く。だが、それはあまりにも遅すぎた。

魔王軍の先頭から一人の男がふわりと宙に浮き上がった。漆黒の鎧を身にまとい、その背中にはまるで夜そのものを切り取ったかのような巨大な翼が生えている。

男は監視砦を睥睨すると、面白そうに口の端を吊り上げた。

「脆弱なる人間どもよ。我が名はヴラド。魔王様に仕える四天王が一人、『呪詛の魔将』ヴラドなり」

その声は魔力を帯び、砦にいる全ての兵士の脳に直接響き渡った。

「今日この日より、この大陸は我らが陛下のものとなる。まずは手始めだ。お前たちの心に根源的な恐怖を植え付けてやろう」

ヴラドがゆっくりと右手を掲げる。その手のひらに、おぞましい紫色の魔力が渦を巻いた。

「――滅びよ。そして、絶望せよ。『魂魄腐蝕の呪詛(ソウル・ディケイ)』」

彼がそう呟いた瞬間、不可視の呪いの波が監視砦全体を包み込んだ。

砦の中にいた兵士たちの身に異変が起きた。

「あ……が……」

ある者は突然胸を押さえて苦しみだし、その場に崩れ落ちた。その身体はまるで数十年分の時を一度に経過したかのように急速に皺だらけになり、やがて塵となって崩れていった。

「やめろ……来るな……!」

ある者は存在しない敵の幻影に怯え、狂ったように剣を振り回し始めた。そして、隣にいた仲間の胸をその剣で貫いた。

「母さん……寒いよ……」

ある者は全ての気力を失い、赤子のようにうずくまってただ泣きじゃくるだけだった。

砦は一瞬にして地獄へと変わった。戦闘らしい戦闘は何一つない。ただ、呪いが兵士たちの魂を内側から腐らせ、殺し、狂わせ、壊していった。

呪詛の魔将ヴラ-ド。
彼の戦いとは、すなわち精神の蹂躙だった。



王都アークライト。
最北の監視砦からの連絡が途絶え、偵察のために派遣した飛竜騎士が半死半生の状態で帰還したことで、王国上層部は未曾有のパニックに陥っていた。

玉座の間では国王主催の緊急会議が開かれていた。集まったのは王国の重鎮である貴族たちと騎士団の上層部だ。

「馬鹿な……! 嘆きの山脈がこうもたやすく……!」
「呪詛の魔将ヴラド……。古文書に記された伝説上の存在ではなかったのか!」
「奴の呪いは鎧も城壁も意味をなさない! 我々に対抗する術はあるのか!?」

玉座の間は絶望と恐怖に満ちていた。誰もが有効な対策を打ち出せないまま、ただ互いの顔色を窺うだけだった。

「……『光の剣』は、どうした」

国王がか細い声で尋ねた。かつて幾度となく王国を危機から救ってきた英雄たちの名前。それが彼がすがる最後の希望だった。

だが、その問いに答えた王国騎士団総長の声は重く、そして暗かった。

「……陛下。誠に申し上げにくいことですが……」

総長はパーティーのBランク降格、そして先日の解散の事実をありのままに告げた。勇者アレクは廃人同様となり、聖女イリーナは詐欺師として追放され、賢者マルスと剣聖ダリウスは共に行方知れず。

王国最強の切り札はもはや存在しない。

その事実は会議室にいる全員に決定的な絶望を突きつけた。

「なんということだ……」

国王は玉座に深く沈み込んだ。
王国は最大の危機を前にして、あまりにも無力だった。



そんな世界の危機など、辺境の楽園エデンにはまだ届いていなかった。

村は冬の訪れを前に、穏やかな日常に包まれていた。俺はソフィアが設計した地熱利用の温室の建設を手伝っていた。完成すれば冬の間でも、村人たちは新鮮な野菜を食べることができる。

「リアムさん、ここの支柱、もう少し右ですわ!」
「アイリス、フレア! そっちの資材、お願いできるか!」

仲間たちと村人たちが一つの目標に向かって力を合わせる。その光景はどこまでも平和で、温かかった。

だが、その平和は一人の男の来訪によって終わりを告げた。

「リアム殿!」

血相を変えて村へ駆け込んできたのは行商人ギデオンだった。彼の馬は泡を吹き、彼自身も何日も寝ていないかのようにその顔はやつれきっていた。

「大変なことになった! 世界が……世界が終わるかもしれん!」

俺たちは彼を教会に招き入れ、詳しい話を聞いた。
魔王軍の侵攻。呪詛の魔将ヴラドの出現。そして、王国の絶望的な状況。彼が語る事実は、俺たちが築き上げてきたこの平和な日常とはあまりにもかけ離れた悪夢のような話だった。

「王都はもうパニック状態だ。北の都市や村々は次々とヴラドの呪いの前に陥落していると聞く。もはや人類に奴らを止める術はない……」

ギデオンは絶望に声を震わせた。

話を聞き終えた談話室は重い沈黙に包まれた。
仲間たちの顔にも初めて見る深刻な緊張の色が浮かんでいた。

セレスティアは苦しむ人々の姿を思い浮かべているのか、悲しそうに胸の前で手を組んでいる。ルナリエルとダリウスは戦士としての本能からか、静かに、しかし鋭く闘志を漲らせていた。アイリスは事の重大さを理解しきれていないのか、不安げに俺の顔を見つめている。ソフィアはその怜悧な頭脳で魔将ヴラドの『呪詛』という未知の力について分析を始めているようだった。

そして、俺は。

俺は静かに北の空を見つめていた。
あの夜に見た禍々しい紫色の光。その正体がこれだったのだ。

魔王軍。世界の危機。
それはかつて俺がいた『勇者パーティー』が本来立ち向かうべきだったものだ。だが、その英雄たちはもういない。

では、誰がこの世界を救うのか。

俺たちの楽園はまだ戦火から遠い。このまま何事もなかったかのように、この平和な日常を守り続けることもできるかもしれない。

だが、本当にそれでいいのか?

俺は自分の心に問いかけた。
この楽園の外で無数の人々が理由もなく絶望に沈んでいくのを、ただ見過ごすことが俺にできるのか。

答えは出ていた。

俺は仲間たちの顔を見回した。
彼女たちの瞳には同じ問いと、そして同じ答えが宿っているのを俺は確かに感じ取っていた。

戦いの時は来たのだ。

それは俺たちが望んだものではない。だが、避けることのできない運命。

俺たちの楽園の真価が、そして俺たちの絆の強さが今まさに試されようとしていた。
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