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第60話 ファーストキスは夕焼けの味
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夕闇が公園を静かに包み込んでいた。
俺は腕の中で小さく震える雫の体を、ただ抱きしめていた。
唇に残る、信じられないほどの柔らかさと温かい感触。
夏の終わりの涼しい風が、火照った俺の頬を撫でていく。
これがファーストキス。
俺の人生で最も甘くて、最も大切な瞬間だった。
どれくらいそうしていただろうか。
俺の胸に顔を埋めていた雫が、おずおずと身じろぎをした。
俺は名残惜しさを感じながらも、ゆっくりと腕の力を緩める。
そっと体を離すと、至近距離で彼女の潤んだ瞳と視線が絡んだ。
彼女の顔は今まで見たことがないくらい真っ赤に染まっていた。
夕闇の中でもはっきりと分かるほど、耳まで首筋まで全てが熟れた果実のように赤い。
大きく見開かれた瞳は、まだ夢見心地のように潤んで揺らめいている。
そのあまりにも初々しくて、あまりにも無防備な表情に、俺の心臓は再びぎゅっと鷲掴みにされた。
俺もきっと彼女と同じくらい、顔が赤くなっているに違いない。
俺たちは、お互いに何も言えないまま、ただ見つめ合っていた。
沈黙。
でも、それは気まずいものではなかった。
キスをする前と後では明らかに世界の密度が違う。俺たちの間に流れる空気は、とろりとした蜂蜜のように甘く、そして濃密だった。
「……そろそろ、帰らないと。暗くなってきたし」
俺がなんとかそれだけ声を絞り出す。
彼女は、こくりと夢から覚めたように小さく頷いた。
俺たちはベンチから立ち上がる。
そして、どちらからともなくごく自然に手を差し出した。
指と指を絡ませる恋人繋ぎ。
もうこの温もりがないと、俺たちは一歩も歩き出せないかもしれない。
帰り道は来た時よりもさらに無言だった。
でも、その沈黙は幸せな感情で満たされていた。
繋いだ手のひらからお互いの速い鼓動が、どくどくと伝わってくる。
それがどんな言葉よりも雄弁に、俺たちの気持ちを語っていた。
駅の改札口。
名残惜しい別れの時間が来た。
「じゃあ、またな」
俺がそう言うと、彼女はこくりと頷いた。その目はまだ少しだけ潤んでいて、どこか遠くを見ているようだ。
俺たちはゆっくりと手を離す。
彼女は改札を通り抜けようとして、ふと足を止めた。
そして、意を決したようにこちらを振り返る。
何かを伝えたい。
その強い意志が彼女の真剣な眼差しから伝わってきた。
俺は固唾を飲んで、彼女の次の言葉を待った。
彼女は少しだけ躊躇うように自分の指先を見つめた後。
ゆっくりと、しかしはっきりと手話で言葉を紡いでくれた。
まず、両手で宝箱をそっと開けるような仕草。『嬉しい』
そして、頬を優しく撫でる。『かった』
『……嬉しかった』
そのたった一言。
キスの感想を、彼女はそんな風に伝えてくれたのだ。
俺の心臓は喜びと愛おしさで、はち切れそうになった。
俺は込み上げてくる感情を抑えるのに必死で、ただ力強く頷き返すことしかできなかった。
彼女は俺の反応を見て、最高に幸せそうにふわりと微笑んだ。
そして、今度こそぺこりと一度お辞儀をすると、改札の向こう側へと消えていった。
一人になったホームで俺はまだ、自分の唇に残る感触を確かめるようにそっと指でなぞっていた。
嬉しかった、か。
俺もだよ。
世界で一番幸せだった。
その日の夜。
ベッドの上で俺は今日の出来事を、何度も何度も反芻していた。
雫からメッセージが届いたのは、日付が変わる少し前だった。
『今日は、本当にありがとうございました』
いつもと同じ丁寧な挨拶。
でも、その文字の奥に隠しきれない照れと、幸福感が滲んでいるように見えた。
俺は少しだけ悩んだ後、返信する。
『俺の方こそ。……あの、さ。びっくりさせたよな。ごめん』
すぐに既読がついた。
そして、返ってきたメッセージに俺はベッドの上で、声にならない叫びを上げた。
『ううん、びっくりしたけど……』
『嫌じゃ、なかったです』
そのあまりにも健気で、あまりにも可愛らしい言葉。
俺はスマホを胸に抱きしめ、枕に顔を埋めて悶絶した。
追い打ちをかけるように彼女から次のメッセージが届く。
『むしろ……その……すごく、嬉しかったです』
そのメッセージには、顔を真っ赤にして頭から湯気を出しているウサギのスタンプが添えられていた。
もうダメだ。
俺の理性は完全に崩壊した。
好きだ。好きすぎる。
この子のことを、どうしようもなく愛している。
俺は震える指でなんとか返信を打った。
『俺も、すごく、幸せだった』
『おやすみな なさい、航くん。夢で、会えたらいいな』
『おやすみ、雫。絶対に、会いに行くよ』
いつもよりずっと甘い「おやすみ」の挨拶を交わし、俺はスマホを閉じた。
部屋の明かりを消すと、暗闇の中で今日の出来事が鮮やかな色のまま蘇ってくる。
ファーストキスは夏の終わりの夕焼けの味がした。
甘くて少しだけ切なくて、そしてどうしようもなく幸せな味がした。
俺たちの関係は、このキスをきっかけにまた一つ新しい、そしてもっと深いステージへと確かに進んだのだ。
最高の気分のまま、俺は幸せな夢の中へとゆっくりと落ちていった。
俺は腕の中で小さく震える雫の体を、ただ抱きしめていた。
唇に残る、信じられないほどの柔らかさと温かい感触。
夏の終わりの涼しい風が、火照った俺の頬を撫でていく。
これがファーストキス。
俺の人生で最も甘くて、最も大切な瞬間だった。
どれくらいそうしていただろうか。
俺の胸に顔を埋めていた雫が、おずおずと身じろぎをした。
俺は名残惜しさを感じながらも、ゆっくりと腕の力を緩める。
そっと体を離すと、至近距離で彼女の潤んだ瞳と視線が絡んだ。
彼女の顔は今まで見たことがないくらい真っ赤に染まっていた。
夕闇の中でもはっきりと分かるほど、耳まで首筋まで全てが熟れた果実のように赤い。
大きく見開かれた瞳は、まだ夢見心地のように潤んで揺らめいている。
そのあまりにも初々しくて、あまりにも無防備な表情に、俺の心臓は再びぎゅっと鷲掴みにされた。
俺もきっと彼女と同じくらい、顔が赤くなっているに違いない。
俺たちは、お互いに何も言えないまま、ただ見つめ合っていた。
沈黙。
でも、それは気まずいものではなかった。
キスをする前と後では明らかに世界の密度が違う。俺たちの間に流れる空気は、とろりとした蜂蜜のように甘く、そして濃密だった。
「……そろそろ、帰らないと。暗くなってきたし」
俺がなんとかそれだけ声を絞り出す。
彼女は、こくりと夢から覚めたように小さく頷いた。
俺たちはベンチから立ち上がる。
そして、どちらからともなくごく自然に手を差し出した。
指と指を絡ませる恋人繋ぎ。
もうこの温もりがないと、俺たちは一歩も歩き出せないかもしれない。
帰り道は来た時よりもさらに無言だった。
でも、その沈黙は幸せな感情で満たされていた。
繋いだ手のひらからお互いの速い鼓動が、どくどくと伝わってくる。
それがどんな言葉よりも雄弁に、俺たちの気持ちを語っていた。
駅の改札口。
名残惜しい別れの時間が来た。
「じゃあ、またな」
俺がそう言うと、彼女はこくりと頷いた。その目はまだ少しだけ潤んでいて、どこか遠くを見ているようだ。
俺たちはゆっくりと手を離す。
彼女は改札を通り抜けようとして、ふと足を止めた。
そして、意を決したようにこちらを振り返る。
何かを伝えたい。
その強い意志が彼女の真剣な眼差しから伝わってきた。
俺は固唾を飲んで、彼女の次の言葉を待った。
彼女は少しだけ躊躇うように自分の指先を見つめた後。
ゆっくりと、しかしはっきりと手話で言葉を紡いでくれた。
まず、両手で宝箱をそっと開けるような仕草。『嬉しい』
そして、頬を優しく撫でる。『かった』
『……嬉しかった』
そのたった一言。
キスの感想を、彼女はそんな風に伝えてくれたのだ。
俺の心臓は喜びと愛おしさで、はち切れそうになった。
俺は込み上げてくる感情を抑えるのに必死で、ただ力強く頷き返すことしかできなかった。
彼女は俺の反応を見て、最高に幸せそうにふわりと微笑んだ。
そして、今度こそぺこりと一度お辞儀をすると、改札の向こう側へと消えていった。
一人になったホームで俺はまだ、自分の唇に残る感触を確かめるようにそっと指でなぞっていた。
嬉しかった、か。
俺もだよ。
世界で一番幸せだった。
その日の夜。
ベッドの上で俺は今日の出来事を、何度も何度も反芻していた。
雫からメッセージが届いたのは、日付が変わる少し前だった。
『今日は、本当にありがとうございました』
いつもと同じ丁寧な挨拶。
でも、その文字の奥に隠しきれない照れと、幸福感が滲んでいるように見えた。
俺は少しだけ悩んだ後、返信する。
『俺の方こそ。……あの、さ。びっくりさせたよな。ごめん』
すぐに既読がついた。
そして、返ってきたメッセージに俺はベッドの上で、声にならない叫びを上げた。
『ううん、びっくりしたけど……』
『嫌じゃ、なかったです』
そのあまりにも健気で、あまりにも可愛らしい言葉。
俺はスマホを胸に抱きしめ、枕に顔を埋めて悶絶した。
追い打ちをかけるように彼女から次のメッセージが届く。
『むしろ……その……すごく、嬉しかったです』
そのメッセージには、顔を真っ赤にして頭から湯気を出しているウサギのスタンプが添えられていた。
もうダメだ。
俺の理性は完全に崩壊した。
好きだ。好きすぎる。
この子のことを、どうしようもなく愛している。
俺は震える指でなんとか返信を打った。
『俺も、すごく、幸せだった』
『おやすみな なさい、航くん。夢で、会えたらいいな』
『おやすみ、雫。絶対に、会いに行くよ』
いつもよりずっと甘い「おやすみ」の挨拶を交わし、俺はスマホを閉じた。
部屋の明かりを消すと、暗闇の中で今日の出来事が鮮やかな色のまま蘇ってくる。
ファーストキスは夏の終わりの夕焼けの味がした。
甘くて少しだけ切なくて、そしてどうしようもなく幸せな味がした。
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