クラスで3番目に可愛い無口なあの子が実は手話で話しているのを俺だけが知っている

夏見ナイ

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第77話 甘いチョコレート、甘い言葉

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二月十四日、バレンタイン当日。
俺は朝からそわそわして、全く落ち着かなかった。
教室のドアを開けるたびに心臓がどきりと跳ねる。女子たちがひそひそと何かを話しているだけで「ついに来たか!?」と身構えてしまう。
健太からは「おい航、お前今日、挙動不審すぎだろ。もらえるって分かってんのに、そんなに嬉しいか」と朝から散々からかわれた。

でも、俺が期待していた「その瞬間」はなかなか訪れなかった。
朝のホームルーム前も休み時間も昼休みも。
雫はいつもと変わらず、少しだけ恥ずかしそうに俺に微笑むだけで、何かを渡してくる気配はない。
その態度に、俺の心は少しだけちくりと痛んだ。
(もしかして、忘れてる……?)
いや、そんなはずはない。昨日の夜、あんなに可愛いメッセージをくれたじゃないか。
(それとも、渡すタイミングを失ってるだけ……?)
そうに違いない。
俺は自分にそう言い聞かせ、最後のチャンスである放課後を待つことにした。

最後の授業が終わるチャイムが、やけに長く感じられた。
ホームルームが終わり、生徒たちが「お疲れー」と言いながら次々と教室を出ていく。
俺はわざとゆっくりと帰り支度を始めた。
雫も同じように、ゆっくりと教科書を鞄に詰めている。
その横顔は緊張で少しだけ硬く、頬はほんのりと赤らんでいた。

やがて教室に残っているのは、俺と彼女と、そして「気を利かせて」最後まで残っている健太と天ноさんたちだけになった。彼らはニヤニヤしながら、まるで世紀のイベントを見守る観客のように壁際で俺たちの様子を窺っている。
その視線が痛い。

雫は全ての荷物を鞄に詰め終えると、意を決したようにすっと立ち上がった。
そして俺の机の前に、ゆっくりと歩いてくる。
その手には可愛らしいピンク色のリボンがかけられた小さな紙袋が、大切そうに握られていた。

来た。
ついに来た。
俺の心臓が破裂しそうなほど激しく高鳴り始めた。

俺の目の前で立ち止まった雫は、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
そして、その震える手で俺の前にそっと紙袋を差し出した。
声はない。
でも、その姿だけで彼女の全ての気持ちが痛いほど伝わってきた。
「…………」
俺は言葉を失い、ただその光景を見つめていた。
周りで見守っていた健太たちからも、固唾をのむ気配が伝わってくる。

「……もらって、いいの?」
俺がなんとかそれだけ声を絞り出すと、彼女はこくりと何度も頷いた。
俺はまるで聖火を受け取るかのように、恭しくその紙袋を受け取った。
ずしりとした重み。そしてふわりと香る、甘いチョコレートの匂い。

その瞬間、遠巻きに見ていた天野さんたちから「きゃー!」という小さな、しかし抑えきれない歓声が上がった。
健太は「よっしゃ!」と、なぜか俺以上にガッツポーズをしている。
その祝福の喧騒の中で、俺と雫は二人だけの世界にいた。

俺は彼女にちゃんとお礼を言わなければ、と思った。
でも、ただ「ありがとう」と言うだけじゃ足りない。
俺のこのどうしようもないくらい嬉しい気持ちを、全部伝えたかった。

俺は受け取った紙袋を一度机の上に置き、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
そして手話で言葉を紡ぐ。
『すごく、嬉しい。ありがとう』

俺の言葉に彼女は、心の底から安堵したようにふわりと花が咲くように微笑んだ。
その笑顔が見れただけで、俺はもう十分に幸せだった。
でも、彼女からのプレゼントはそれだけでは終わらなかった。

彼女は少しだけ躊躇うように自分の指先を見つめた後。
意を決したように、もう一度俺に向かって指を動かし始めた。
それは俺が今まで彼女から一度ももらったことのない、特別な、特別な言葉だった。

まず、自分の胸を優しく撫でるように円を描く。『大好き』
そして、頬をそっと撫でる。『だよ』

『大好きだよ』

そのあまりにもストレートで、あまりにも甘い愛の言葉。
それを読み取った瞬間、俺の頭は完全に真っ白になった。
思考が停止する。
心臓が止まったかと思った。

彼女はその言葉を紡ぎ終えると、恥ずかしさの限界に達したのか顔を真っ赤にして、脱兎のごとく教室から駆け出していってしまった。
「あ、おい!」
俺が呼び止める間もなく、その小さな背中は廊下の向こうへと消えていく。

一人教室に残された俺は、しばらくの間、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
大好き、だよ。
その言葉が、その指の動きが、脳内で何度も何度もリフレインする。

「……おい、航。生きてるか?」
心配した健太が俺の肩を揺さぶってくる。
俺はハッと我に返った。
そして込み上げてくるどうしようもない幸福感に、顔が崩壊していくのをもう抑えることができなかった。
俺はその場にへたり込みそうになるのを必死で堪え、天を仰いだ。

「……最高だ」

俺の心の底からの呟き。
それは周りの喧騒にかき消されるくらい小さな声だったかもしれない。
でもその言葉には、俺の今日という日への、そして彼女への全ての感謝と愛情が込められていた。

甘いチョコレートと、甘い、甘い愛の言葉。
俺の人生で最も甘いバレンタインデー。
この日の出来事を、俺はきっと一生忘れることはないだろう。
家に帰ってこのチョコレートを、一粒一粒大切に味わうのが今から楽しみで仕方がない。
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