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第50話:忍び寄る影
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アルカディア村の第一回収穫祭は三日三晩続いた。
人々は歌い、踊り、そして大地の実りを分ち合った。長かった圧政の時代が終わり、本当の平和が訪れたことを誰もが心から実感した祝祭だった。
祭りが終わった後、村には穏やかで、しかしどこか新しい活気に満ちた日常が戻ってきた。収穫した作物の貯蔵、冬に向けた準備、そして新たな村の区画整理。やるべきことは山積みだったが、そこに住む人々の顔には未来への希望が輝いていた。
俺も領主としての仕事の合間に、仲間たちと共にダンジョンの探索を再開していた。
第五階層で発見したオリハルコン芋は、リズベットの手によって少しずつ、しかし着実に俺たちの装備を神話の領域へと押し上げていく。シルフィはエリクサーリーフの安定栽培に成功し、村の医療水準は王都の宮廷をも凌駕するレベルに達しようとしていた。
すべてが順調だった。
俺たちの理想郷は、着実にその形を成し輝きを増していく。
俺たちはその輝きが、深い闇の底から邪悪な者たちの目を引きつけていることに、まだ気づいていなかった。
森の闇の中。
黒いローブを纏った『影』は数日間にわたり、アルカディア村の監視を続けていた。
その目はただの斥候のそれではない。獲物の生態を徹底的に分析し、その弱点と価値を見極める冷徹な捕食者の目だった。
最初に『影』は村の異常なまでの防御力に気づいた。
大地から隆起したとしか思えない魔力を帯びた巨大な壁。その上には強力な弩砲が設置され、エルフの射手と神狼と思わしき聖獣が常に警戒の目を光らせている。正攻法で攻め落とすのは、小国の軍隊でも不可能だろう。
次に『影』は村の生産力の源泉を探った。
畑を耕す無数の土のゴーレム。その動きは統制が取れており、一体一体が高い戦闘能力を秘めていることを示唆していた。そして村の中心部から感じる強大な魔力の奔流。地下に何か巨大な魔力の源――ダンジョンが存在していることを、『影』は確信した。
そして何より『影』を惹きつけたのは、この村全体から溢れ出す強烈なまでの『生命エネルギー』だった。
村人たちの幸福感、大地そのものの豊かさ、そしてそれらを束ねる領主アルフォンスという存在が放つ温かくも強大なオーラ。
それは『影』が仕える主、邪神の復活の儀式において、これ以上ないほどの極上の供物だった。
「報告は、以上です」
調査を終えた『影』は特殊な転移魔術で、漆黒の石で造られた神殿の一室に帰還していた。
その部屋の中央には禍々しい紋様が刻まれた祭壇があり、その前に一人の女が静かに佇んでいる。
表向きは聖女。慈愛に満ちた笑みを浮かべ、人々を癒やす光の使徒。
だがその仮面の下にある真の顔は、世界を破滅へと導く邪教団『黄昏の蛇』が誇る最高位の司祭の一人。
その女――セレスティアは『影』の報告を聞き、その美しい唇に冷たい笑みを浮かべた。
「面白いですわね。辺境の地に、そのような『聖域』が生まれていたとは」
彼女の声は聖女のそれとは似ても似つかない、底冷えのする響きを帯びていた。
「ポーション、ミスリル、そしてオリハルコンの気配まで……。その上、邪神様の贄として最高の魂の輝きを持つ土地。まるで我々のために用意されたかのような、完璧な祭壇ですわ」
セレスティアは祭壇に置かれた黒い水晶玉にそっと手を触れた。
「その地の領主はアルフォンスと申しましたか。これほどの奇跡を成し遂げるのですから、よほど高名な大魔術師か、あるいは古の賢者の生き残りかもしれませんわね」
彼女はそのアルフォンスが、かつて自分たちがゴミのように捨てたあの無能な雑用係であることなど夢にも思っていなかった。彼女の記憶の中では、アルフォンスという存在はすでに塵芥のように消え去っていたからだ。
「ですが、いきなり事を構えるのは愚策。あの要塞を力で攻め落とすのは得策ではありません」
セレスティアは楽しそうに目を細めた。
「まずは揺さぶりをかけましょう。内側から、あるいはその領主の最も脆い部分からゆっくりと崩していくのが、美しいやり方というものです」
彼女の脳裏に一つの駒の姿が浮かんだ。
栄光を失い、仲間にも見捨てられ、今は酒に溺れるだけの惨めな元英雄。プライドだけが高く、嫉妬と憎悪に心を支配された実に扱いやすい駒が。
「『影』よ。王都へ行き、ガイウスという男を探しなさい。そして彼に囁くのです。『あなたを貶めたすべての元凶は、アルカディアにある』と。あとは彼が勝手に道化を演じてくれるでしょう」
「御意に」
『影』は音もなく闇に溶けて消えた。
一人残されたセレスティアは、黒い水晶玉を愛おしそうに撫でながら、これから始まるであろう遊戯に心を躍らせていた。
「待っていなさい、アルフォンス様。あなたの築き上げた理想郷はすべて、我が神の復活のために美しく崩れ落ちることになるのですから」
その頃、アルカディア村では。
俺たちは何も知らずに、穏やかな日常を送っていた。
俺は新しく改良されたゴンスケにカボチャの収穫方法を教え込んでいる。シルフィは診療所で子供たちに薬草の見分け方を教えていた。リズベットは工房で弟子たちに槌の振り方を豪快に指導している。
空は青く澄み渡り、畑からは土の香りと収穫の喜びの匂いがした。
それはどこまでも平和で、幸せな光景だった。
だが、その村に落ちる俺たちの影がいつもよりほんの少しだけ濃く、そして長くなったことに、まだ誰も気づいてはいなかった。
世界の闇が、その最も純粋な光を喰らおうと、静かにその顎を開き始めていた。
(第一部 完)
人々は歌い、踊り、そして大地の実りを分ち合った。長かった圧政の時代が終わり、本当の平和が訪れたことを誰もが心から実感した祝祭だった。
祭りが終わった後、村には穏やかで、しかしどこか新しい活気に満ちた日常が戻ってきた。収穫した作物の貯蔵、冬に向けた準備、そして新たな村の区画整理。やるべきことは山積みだったが、そこに住む人々の顔には未来への希望が輝いていた。
俺も領主としての仕事の合間に、仲間たちと共にダンジョンの探索を再開していた。
第五階層で発見したオリハルコン芋は、リズベットの手によって少しずつ、しかし着実に俺たちの装備を神話の領域へと押し上げていく。シルフィはエリクサーリーフの安定栽培に成功し、村の医療水準は王都の宮廷をも凌駕するレベルに達しようとしていた。
すべてが順調だった。
俺たちの理想郷は、着実にその形を成し輝きを増していく。
俺たちはその輝きが、深い闇の底から邪悪な者たちの目を引きつけていることに、まだ気づいていなかった。
森の闇の中。
黒いローブを纏った『影』は数日間にわたり、アルカディア村の監視を続けていた。
その目はただの斥候のそれではない。獲物の生態を徹底的に分析し、その弱点と価値を見極める冷徹な捕食者の目だった。
最初に『影』は村の異常なまでの防御力に気づいた。
大地から隆起したとしか思えない魔力を帯びた巨大な壁。その上には強力な弩砲が設置され、エルフの射手と神狼と思わしき聖獣が常に警戒の目を光らせている。正攻法で攻め落とすのは、小国の軍隊でも不可能だろう。
次に『影』は村の生産力の源泉を探った。
畑を耕す無数の土のゴーレム。その動きは統制が取れており、一体一体が高い戦闘能力を秘めていることを示唆していた。そして村の中心部から感じる強大な魔力の奔流。地下に何か巨大な魔力の源――ダンジョンが存在していることを、『影』は確信した。
そして何より『影』を惹きつけたのは、この村全体から溢れ出す強烈なまでの『生命エネルギー』だった。
村人たちの幸福感、大地そのものの豊かさ、そしてそれらを束ねる領主アルフォンスという存在が放つ温かくも強大なオーラ。
それは『影』が仕える主、邪神の復活の儀式において、これ以上ないほどの極上の供物だった。
「報告は、以上です」
調査を終えた『影』は特殊な転移魔術で、漆黒の石で造られた神殿の一室に帰還していた。
その部屋の中央には禍々しい紋様が刻まれた祭壇があり、その前に一人の女が静かに佇んでいる。
表向きは聖女。慈愛に満ちた笑みを浮かべ、人々を癒やす光の使徒。
だがその仮面の下にある真の顔は、世界を破滅へと導く邪教団『黄昏の蛇』が誇る最高位の司祭の一人。
その女――セレスティアは『影』の報告を聞き、その美しい唇に冷たい笑みを浮かべた。
「面白いですわね。辺境の地に、そのような『聖域』が生まれていたとは」
彼女の声は聖女のそれとは似ても似つかない、底冷えのする響きを帯びていた。
「ポーション、ミスリル、そしてオリハルコンの気配まで……。その上、邪神様の贄として最高の魂の輝きを持つ土地。まるで我々のために用意されたかのような、完璧な祭壇ですわ」
セレスティアは祭壇に置かれた黒い水晶玉にそっと手を触れた。
「その地の領主はアルフォンスと申しましたか。これほどの奇跡を成し遂げるのですから、よほど高名な大魔術師か、あるいは古の賢者の生き残りかもしれませんわね」
彼女はそのアルフォンスが、かつて自分たちがゴミのように捨てたあの無能な雑用係であることなど夢にも思っていなかった。彼女の記憶の中では、アルフォンスという存在はすでに塵芥のように消え去っていたからだ。
「ですが、いきなり事を構えるのは愚策。あの要塞を力で攻め落とすのは得策ではありません」
セレスティアは楽しそうに目を細めた。
「まずは揺さぶりをかけましょう。内側から、あるいはその領主の最も脆い部分からゆっくりと崩していくのが、美しいやり方というものです」
彼女の脳裏に一つの駒の姿が浮かんだ。
栄光を失い、仲間にも見捨てられ、今は酒に溺れるだけの惨めな元英雄。プライドだけが高く、嫉妬と憎悪に心を支配された実に扱いやすい駒が。
「『影』よ。王都へ行き、ガイウスという男を探しなさい。そして彼に囁くのです。『あなたを貶めたすべての元凶は、アルカディアにある』と。あとは彼が勝手に道化を演じてくれるでしょう」
「御意に」
『影』は音もなく闇に溶けて消えた。
一人残されたセレスティアは、黒い水晶玉を愛おしそうに撫でながら、これから始まるであろう遊戯に心を躍らせていた。
「待っていなさい、アルフォンス様。あなたの築き上げた理想郷はすべて、我が神の復活のために美しく崩れ落ちることになるのですから」
その頃、アルカディア村では。
俺たちは何も知らずに、穏やかな日常を送っていた。
俺は新しく改良されたゴンスケにカボチャの収穫方法を教え込んでいる。シルフィは診療所で子供たちに薬草の見分け方を教えていた。リズベットは工房で弟子たちに槌の振り方を豪快に指導している。
空は青く澄み渡り、畑からは土の香りと収穫の喜びの匂いがした。
それはどこまでも平和で、幸せな光景だった。
だが、その村に落ちる俺たちの影がいつもよりほんの少しだけ濃く、そして長くなったことに、まだ誰も気づいてはいなかった。
世界の闇が、その最も純粋な光を喰らおうと、静かにその顎を開き始めていた。
(第一部 完)
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