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第68話:【幕間】竜の牙④ -崩壊-
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王都の最も安く、最も汚い酒場。
その片隅で、ガイウスは一人濁ったエールを呷っていた。
ボルガンとリオネルが去り、「竜の牙」が事実上崩壊してから数ヶ月。彼の凋落は、もはや誰の目にも明らかだった。
Aランクだった頃に貯めた金は、とうの昔に底をついた。ギルドからの依頼も、今の彼に回ってくるのはゴブリン退治や薬草採取といった、Fランク冒険者が受けるような雑用ばかり。それをこなすだけの気力も、今の彼にはなかった。
日銭を稼ぐために、彼は日雇いの荷物運びやドブさらいのような仕事まで手を出した。かつて英雄と謳われた男の、惨めな末路だった。
酒場の誰もが、彼を嘲笑と侮蔑の目で見ている。
「おい、見ろよ。元Aランク様のお成りだぜ」
「竜の牙も落ちたもんだな。あの雑用係がいなくなってから、あっという間だったな」
「なんでも、リーダーが無能で仲間を追い出したのが原因らしいぜ」
ひそひそと、しかしわざと聞こえるように囁かれる陰口。
その一つ一つが鋭い棘となって、ガイウスのささくれだった心に突き刺さる。
彼はジョッキを握りしめる手に力を込めた。怒鳴り返してやりたかった。だが、今の彼にはその力も資格もない。
すべては事実だったからだ。
アルフォンス。
あの男の顔が、脳裏に浮かんで離れない。
あの男を追放したあの日から、すべてが狂った。
なぜ、俺はあいつの価値に気づけなかったのか。
なぜ、俺はくだらないプライドのために、自らの手で自分の居場所を破壊してしまったのか。
後悔がどす黒い泥のように、彼の心を埋め尽くしていく。
「……セレスティア様は、どこへ行かれたんだ……」
彼はか細い声で呟いた。
パーティが崩壊した後、セレスティアもまた何の言葉も残さず、彼の前から姿を消していた。
彼女だけが自分の価値を認めてくれる、唯一の女神だったはずなのに。
その女神にさえ見捨てられた。
彼は完全に孤独だった。
そんな絶望の底にいた彼の前に、一つの影がすっと立った。
「……ガイウス、だな」
聞き覚えのある声。
ガイウスが虚ろな目で顔を上げると、そこに立っていたのはかつての仲間、盾役のドワーフ、ボルガンだった。
彼の姿は以前とは全く違っていた。
くたびれた鎧は磨き上げられた鋼鉄の鎧に変わり、その背中には彼自身の故郷であるドワーフの国の紋章が誇らしげに刻まれている。その顔からかつての疲弊の色は消え、自信に満ちた力強い光が宿っていた。
「……ボルガン。お前……」
「故郷に帰ったんだ。そして国の騎士団に再仕官した」
ボルガンはガイウスの向かいの席にどかりと腰を下ろした。「お前と違って、俺にはまだ帰る場所があったんでな」
その言葉には憐れみも嘲りもなかった。ただ事実だけを告げる静かな響きがあった。
「……何しに来た。俺を笑いに来たのか」
「まさか」ボルガンは首を横に振った。「お前に最後の忠告をしに来ただけだ」
彼は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上に置いた。それは指名手配書だった。
そこに描かれていたのは、ガイウスもよく知る聖女セレスティアの美しい肖像画。
「……セレスティア様が、なぜ……」
「こいつは聖女なんかじゃねえ。大陸全土で暗躍する邪教団『黄昏の蛇』の最高幹部の一人だ。王家といくつかの国が合同で極秘に捜査を進めていた。そして先日、ついにその正体が割れた」
ボルガンの言葉に、ガイウスは息を呑んだ。
「俺たちがAランクでいられた頃、妙に羽振りが良かったのも、質の良いポーションが手に入ったのも、すべてこいつが裏で手を回していたからだ。俺たちは知らず知らずのうちに、邪教団の広告塔として利用されていただけだったんだよ」
「……嘘だ」
「嘘じゃねえ。そして、こいつが最後に接触したのがお前だ。ガイウス。お前はあいつに何を与えられた? 何をさせられようとした?」
ボルガンの鋭い目がガイウスを射抜く。
ガイウスの脳裏に、あの夜の森での出来事が鮮やかに蘇った。
セレスティアの甘い囁き。
邪神の欠片だという禍々しい魔石。
そして魔人へと変貌し、アルフォンスの村を襲ったあの悪夢。
「……俺は……俺は……」
彼は頭を抱え、がくがくと震え始めた。
自分はただ利用されていただけだった。英雄でも王の器でもなかった。ただ、邪教団の都合のいい捨て駒。
そのあまりにも残酷な真実が、彼のかろうじて残っていた理性を完全に破壊した。
「……そうか。分かった。もういい」
ボルガンはすべてを悟ったように静かに立ち上がった。「ガイウス。一つだけ教えてやる。お前が役立たずだと追い出したアルフォンス。あいつが今どうしているか知っているか?」
ガイウスは震えながら顔を上げた。
「あいつは辺境の地で一つの国を興した。腐敗した代官を打ち破り、民を圧政から解放した。大陸最強のグライフ帝国軍さえたった一人で退けたそうだ。今や大陸中の誰もが、あいつの名を畏敬の念を込めて『建国王』と呼んでいる」
建国王、アルフォンス。
その響きは、ガイウスにとって世界で最も聞きたくない言葉だった。
自分が捨てた石ころが、いつの間にか天に輝く太陽になっていた。
その光が、自分の惨めな姿を容赦なく照らし出す。
「……あ……」
ガイウスの口から意味のない声が漏れた。
「自業自得だ、ガイウス。お前は自分の手で本物の『宝』を捨てたんだ。そして偽物の『女神』に魂を売った。そのツケを今払っているだけだ」
ボルガンはそう言い残すと、ガイウスに背を向けた。
「待ってくれ、ボルガン!」
ガイウスは必死に手を伸ばした。かつての仲間に最後の救いを求めるように。
「俺は、どうすれば……」
ボルガンは足を止め、振り返ることなく静かに言った。
「……知るか。お前の人生だ。好きにしろ」
それが元仲間が彼にかけた最後の言葉だった。
ボルガンが去った後、ガイウスは一人酒場に残された。
彼の周りからは嘲笑も陰口も消えていた。
ただ、誰もが彼を汚物か何かのように遠巻きに見ているだけだった。
完全に孤立無援。
「……あ……ああ……あああああああああっ!」
ガイウスの口から獣のような絶望の咆哮が漏れ出した。
彼はテーブルの上のエール瓶を掴むと壁に叩きつけた。そして床に落ちたガラスの破片を拾い上げると、その切っ先を自分の喉元に突きつけた。
もう何もかもどうでもよかった。
英雄だった過去も、惨めな現在も、希望のない未来も。
すべてを終わらせてしまいたかった。
だが、彼がその切っ先を自分の喉に突き立てようとした、その瞬間。
彼の脳裏に、あの男の顔が浮かんだ。
自分を完膚なきまでに打ち破った、あの雑用係の冷たい目が。
『お前は、ただの弱い人間だ』
その言葉がリフレインする。
死ぬことさえ許されない。
あの男に負けたまま惨めに死ぬことなど、断じて許されない。
ガイウスの手からガラスの破片が力なく滑り落ちた。
彼の瞳から光が完全に消えた。
憎しみも嫉妬も後悔も絶望も、すべてが消え去った虚無の瞳。
彼はふらりと立ち上がると、まるで夢遊病者のようにおぼつかない足取りで酒場から出て行った。
どこへ行く当てもない。
ただ生きているだけの、抜け殻となって。
「竜の牙」はこうして完全に崩壊した。
その名はギルドの歴史から誰にも惜しまれることなく、静かに消え去っていった。
一人の英雄の物語は、最も惨めで最も救いのない形で、その幕を閉じたのだった。
その片隅で、ガイウスは一人濁ったエールを呷っていた。
ボルガンとリオネルが去り、「竜の牙」が事実上崩壊してから数ヶ月。彼の凋落は、もはや誰の目にも明らかだった。
Aランクだった頃に貯めた金は、とうの昔に底をついた。ギルドからの依頼も、今の彼に回ってくるのはゴブリン退治や薬草採取といった、Fランク冒険者が受けるような雑用ばかり。それをこなすだけの気力も、今の彼にはなかった。
日銭を稼ぐために、彼は日雇いの荷物運びやドブさらいのような仕事まで手を出した。かつて英雄と謳われた男の、惨めな末路だった。
酒場の誰もが、彼を嘲笑と侮蔑の目で見ている。
「おい、見ろよ。元Aランク様のお成りだぜ」
「竜の牙も落ちたもんだな。あの雑用係がいなくなってから、あっという間だったな」
「なんでも、リーダーが無能で仲間を追い出したのが原因らしいぜ」
ひそひそと、しかしわざと聞こえるように囁かれる陰口。
その一つ一つが鋭い棘となって、ガイウスのささくれだった心に突き刺さる。
彼はジョッキを握りしめる手に力を込めた。怒鳴り返してやりたかった。だが、今の彼にはその力も資格もない。
すべては事実だったからだ。
アルフォンス。
あの男の顔が、脳裏に浮かんで離れない。
あの男を追放したあの日から、すべてが狂った。
なぜ、俺はあいつの価値に気づけなかったのか。
なぜ、俺はくだらないプライドのために、自らの手で自分の居場所を破壊してしまったのか。
後悔がどす黒い泥のように、彼の心を埋め尽くしていく。
「……セレスティア様は、どこへ行かれたんだ……」
彼はか細い声で呟いた。
パーティが崩壊した後、セレスティアもまた何の言葉も残さず、彼の前から姿を消していた。
彼女だけが自分の価値を認めてくれる、唯一の女神だったはずなのに。
その女神にさえ見捨てられた。
彼は完全に孤独だった。
そんな絶望の底にいた彼の前に、一つの影がすっと立った。
「……ガイウス、だな」
聞き覚えのある声。
ガイウスが虚ろな目で顔を上げると、そこに立っていたのはかつての仲間、盾役のドワーフ、ボルガンだった。
彼の姿は以前とは全く違っていた。
くたびれた鎧は磨き上げられた鋼鉄の鎧に変わり、その背中には彼自身の故郷であるドワーフの国の紋章が誇らしげに刻まれている。その顔からかつての疲弊の色は消え、自信に満ちた力強い光が宿っていた。
「……ボルガン。お前……」
「故郷に帰ったんだ。そして国の騎士団に再仕官した」
ボルガンはガイウスの向かいの席にどかりと腰を下ろした。「お前と違って、俺にはまだ帰る場所があったんでな」
その言葉には憐れみも嘲りもなかった。ただ事実だけを告げる静かな響きがあった。
「……何しに来た。俺を笑いに来たのか」
「まさか」ボルガンは首を横に振った。「お前に最後の忠告をしに来ただけだ」
彼は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上に置いた。それは指名手配書だった。
そこに描かれていたのは、ガイウスもよく知る聖女セレスティアの美しい肖像画。
「……セレスティア様が、なぜ……」
「こいつは聖女なんかじゃねえ。大陸全土で暗躍する邪教団『黄昏の蛇』の最高幹部の一人だ。王家といくつかの国が合同で極秘に捜査を進めていた。そして先日、ついにその正体が割れた」
ボルガンの言葉に、ガイウスは息を呑んだ。
「俺たちがAランクでいられた頃、妙に羽振りが良かったのも、質の良いポーションが手に入ったのも、すべてこいつが裏で手を回していたからだ。俺たちは知らず知らずのうちに、邪教団の広告塔として利用されていただけだったんだよ」
「……嘘だ」
「嘘じゃねえ。そして、こいつが最後に接触したのがお前だ。ガイウス。お前はあいつに何を与えられた? 何をさせられようとした?」
ボルガンの鋭い目がガイウスを射抜く。
ガイウスの脳裏に、あの夜の森での出来事が鮮やかに蘇った。
セレスティアの甘い囁き。
邪神の欠片だという禍々しい魔石。
そして魔人へと変貌し、アルフォンスの村を襲ったあの悪夢。
「……俺は……俺は……」
彼は頭を抱え、がくがくと震え始めた。
自分はただ利用されていただけだった。英雄でも王の器でもなかった。ただ、邪教団の都合のいい捨て駒。
そのあまりにも残酷な真実が、彼のかろうじて残っていた理性を完全に破壊した。
「……そうか。分かった。もういい」
ボルガンはすべてを悟ったように静かに立ち上がった。「ガイウス。一つだけ教えてやる。お前が役立たずだと追い出したアルフォンス。あいつが今どうしているか知っているか?」
ガイウスは震えながら顔を上げた。
「あいつは辺境の地で一つの国を興した。腐敗した代官を打ち破り、民を圧政から解放した。大陸最強のグライフ帝国軍さえたった一人で退けたそうだ。今や大陸中の誰もが、あいつの名を畏敬の念を込めて『建国王』と呼んでいる」
建国王、アルフォンス。
その響きは、ガイウスにとって世界で最も聞きたくない言葉だった。
自分が捨てた石ころが、いつの間にか天に輝く太陽になっていた。
その光が、自分の惨めな姿を容赦なく照らし出す。
「……あ……」
ガイウスの口から意味のない声が漏れた。
「自業自得だ、ガイウス。お前は自分の手で本物の『宝』を捨てたんだ。そして偽物の『女神』に魂を売った。そのツケを今払っているだけだ」
ボルガンはそう言い残すと、ガイウスに背を向けた。
「待ってくれ、ボルガン!」
ガイウスは必死に手を伸ばした。かつての仲間に最後の救いを求めるように。
「俺は、どうすれば……」
ボルガンは足を止め、振り返ることなく静かに言った。
「……知るか。お前の人生だ。好きにしろ」
それが元仲間が彼にかけた最後の言葉だった。
ボルガンが去った後、ガイウスは一人酒場に残された。
彼の周りからは嘲笑も陰口も消えていた。
ただ、誰もが彼を汚物か何かのように遠巻きに見ているだけだった。
完全に孤立無援。
「……あ……ああ……あああああああああっ!」
ガイウスの口から獣のような絶望の咆哮が漏れ出した。
彼はテーブルの上のエール瓶を掴むと壁に叩きつけた。そして床に落ちたガラスの破片を拾い上げると、その切っ先を自分の喉元に突きつけた。
もう何もかもどうでもよかった。
英雄だった過去も、惨めな現在も、希望のない未来も。
すべてを終わらせてしまいたかった。
だが、彼がその切っ先を自分の喉に突き立てようとした、その瞬間。
彼の脳裏に、あの男の顔が浮かんだ。
自分を完膚なきまでに打ち破った、あの雑用係の冷たい目が。
『お前は、ただの弱い人間だ』
その言葉がリフレインする。
死ぬことさえ許されない。
あの男に負けたまま惨めに死ぬことなど、断じて許されない。
ガイウスの手からガラスの破片が力なく滑り落ちた。
彼の瞳から光が完全に消えた。
憎しみも嫉妬も後悔も絶望も、すべてが消え去った虚無の瞳。
彼はふらりと立ち上がると、まるで夢遊病者のようにおぼつかない足取りで酒場から出て行った。
どこへ行く当てもない。
ただ生きているだけの、抜け殻となって。
「竜の牙」はこうして完全に崩壊した。
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