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第70話:前哨戦
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グライフ帝国軍の先遣隊、およそ千騎の騎馬兵団は、アルカディアのあまりの変貌ぶりに足を止めるしかなかった。
彼らの手元にある地図では、ここはただの辺境の渓谷地帯のはずだった。だが、目の前にそびえ立つのは帝国の首都さえも凌駕しかねないほどの、壮大で異様な城塞都市。
「……報告にあったものと、まるで違うではないか」
先遣隊を率いる指揮官は眉をひそめ、望遠鏡でその城壁を観察した。
壁は土や石を積み上げたものではない。まるで大地そのものが隆起して形成されたかのような、継ぎ目のない一体構造。そして、その表面からは微かだが魔力を弾く神聖なオーラさえ感じられた。
「ヴァルケンハイン将軍閣下に報告! 敵、予想を上回る規模の要塞を構築している、と!」
斥候が馬を返し、後方の本隊へと伝令に走る。
指揮官は慎重な判断を下した。
「全軍、これより五十スタディオン(約五キロ)後退! 本隊の到着を待つ! 決して軽率に手を出すな!」
だが、その判断はわずかに遅かった。
彼らがこのアルカディアの国土に許可なく足を踏み入れた、その瞬間から。
俺の国はすでに彼らを『敵』と認識し、その迎撃システムを起動させていたのだから。
「――なんだ?」
撤退を開始しようとした帝国軍の兵士の一人が、空を見上げて呟いた。
青く晴れ渡っていたはずの空が、アルカディアの上空だけにわかに黒い雲で覆われ始めている。
それは俺が発動させた権能、【ガイア・ウェザー】だった。
ザアアアアアアッ!
次の瞬間、バケツをひっくり返したような局地的な豪雨が、帝国軍の頭上だけに降り注いだ。
「うわあっ!」
「なんだ、この雨は!?」
兵士たちは突然の豪雨に混乱する。乾燥していた大地はみるみるうちに水分を吸い、ぬかるみへと変わっていく。馬の蹄は泥に取られ、身動きが取りづらくなっていく。
そして本当の悪夢は、森からやってきた。
俺がこの日のために密かに育てておいた『森の巨人』たち――トレントの大軍が、雨に濡れた森の中から地響きを立ててその姿を現したのだ。
その数、百体以上。
一体一体が家屋ほどもある巨体を持つ、歩く自然災害。
「テ、トレントだと!? なぜ、こんな場所にこれほどの数が!」
指揮官が絶叫する。
トレントたちは逃げ惑う帝国軍の騎馬隊へと、その巨大な腕を容赦なく振り下ろしていく。
馬はその威圧感に怯えて暴れ、兵士たちはぬかるんだ地面で体勢を立て直すこともできず、次々と木の巨人の餌食となっていった。
だが、俺の狙いは彼らの殲滅ではなかった。
これはただの『警告』。そして『陽動』。
彼らの注意が正面のトレント軍団に引きつけられている、その隙に。
俺たちの本当の『牙』が動いていた。
「……行くぞ」
城壁の地下深く。
俺がスキルで作り出した秘密の通路から、少数精鋭の部隊が音もなく出撃していた。
先頭を走るのは銀色の閃光、フェンリル。
その背には黒いマントで姿を隠したシルフィが跨っている。
そして、その後ろを大地に溶け込むかのように、リズベットと俺が率いる十体のガイア・ガーディアンが続く。
俺たちの目的は敵の先遣隊ではない。
その後方にいるであろう本隊の『補給部隊』だ。
フェンリルは神狼の嗅覚で敵の食料や武具が放つ匂いを正確に捉え、森の中を最短ルートで駆け抜けていく。
やがて俺たちの視界に、長く伸びた荷馬車の列が見えてきた。
帝国軍の生命線、補給部隊だ。
彼らは前線で起きている混乱など知らず、のんびりと行軍を続けている。
「……獲物を見つけたぜ」
リズベットがウォーハンマーを握りしめ、好戦的に笑う。
俺は静かに合図を送った。
「――やれ」
次の瞬間。
森の闇から百発の矢が同時に放たれた。
シルフィがエルフの秘術『多重影矢(マルチプルアロー)』を放ったのだ。一本の矢が百本に分身し、補給部隊を護衛していた兵士たちを正確に射抜いていく。
矢には殺傷力はない。シルフィが調合した強力な眠り薬が塗られているだけだ。
兵士たちは悲鳴を上げる間もなく、次々とその場に崩れ落ち、深い眠りについた。
「うおおおおおっ!」
混乱する荷馬車の列に、リズベットとガイア・ガーディアンたちが突撃する。
彼らの目的は人の殺傷ではない。ただ、荷馬車そのものの『破壊』。
オリハルコンの戦斧が分厚い荷馬車の車輪を薪のように断ち切る。
リズベットのウォーハンマーが積まれた食料の樽をスイカのように粉砕していく。
あっという間に補給部隊はその機能を完全に喪失した。
山と積まれていた食料は泥にまみれ、予備の武具は無残な鉄くずへと姿を変えた。
「……よし、撤収だ」
俺たちは任務を完了すると、再び森の闇へと姿を消した。
ゲリラ戦。電撃的な一点突破。
大軍相手には最も効果的な戦術だった。
俺たちがアルカディアに帰還する頃には雨は上がり、トレントたちも再び森の木々へと姿を戻していた。
後に残されたのは、半壊状態の先遣隊と完全に破壊された補給部隊の無残な残骸だけ。
その日の夜。
帝国軍の本陣ではヴァルケンハイン将軍が、次々と舞い込んでくる信じがたい敗北の報告に静かに耳を傾けていた。
彼の鉄仮面のような無表情な顔は一切変わらない。
だが、その瞳の奥では冷たい氷のような怒りの炎が燃え上がっていた。
「……面白い」
彼は地図の上に置かれたアルカディア村を示す駒を、指でなぞりながらぽつりと呟いた。
「地形を操り、森を兵とし、そしてこちらの背後を正確に突いてくる神出鬼没の遊撃部隊……。ただの蛮族ではない、か。相手にとって不足はない」
彼は副官に、静かに、しかし揺るぎない声で命令を下した。
「全軍に伝えろ。これよりアルカディアを完全に包囲する。一匹の蟻も外には出さん。そして内部からのいかなる攻撃も許すな」
「兵糧攻め、でございますか?」
「いや」
ヴァルケンハインは冷たく言い放った。
「――殲滅戦だ」
彼が信じるのはただ一つ。
圧倒的な物量と規律による、完全な『蹂躙』。
アルカディアとグライフ帝国の本当の総力戦の火蓋が、今、静かに切って落とされようとしていた。
前哨戦は終わったのだ。
彼らの手元にある地図では、ここはただの辺境の渓谷地帯のはずだった。だが、目の前にそびえ立つのは帝国の首都さえも凌駕しかねないほどの、壮大で異様な城塞都市。
「……報告にあったものと、まるで違うではないか」
先遣隊を率いる指揮官は眉をひそめ、望遠鏡でその城壁を観察した。
壁は土や石を積み上げたものではない。まるで大地そのものが隆起して形成されたかのような、継ぎ目のない一体構造。そして、その表面からは微かだが魔力を弾く神聖なオーラさえ感じられた。
「ヴァルケンハイン将軍閣下に報告! 敵、予想を上回る規模の要塞を構築している、と!」
斥候が馬を返し、後方の本隊へと伝令に走る。
指揮官は慎重な判断を下した。
「全軍、これより五十スタディオン(約五キロ)後退! 本隊の到着を待つ! 決して軽率に手を出すな!」
だが、その判断はわずかに遅かった。
彼らがこのアルカディアの国土に許可なく足を踏み入れた、その瞬間から。
俺の国はすでに彼らを『敵』と認識し、その迎撃システムを起動させていたのだから。
「――なんだ?」
撤退を開始しようとした帝国軍の兵士の一人が、空を見上げて呟いた。
青く晴れ渡っていたはずの空が、アルカディアの上空だけにわかに黒い雲で覆われ始めている。
それは俺が発動させた権能、【ガイア・ウェザー】だった。
ザアアアアアアッ!
次の瞬間、バケツをひっくり返したような局地的な豪雨が、帝国軍の頭上だけに降り注いだ。
「うわあっ!」
「なんだ、この雨は!?」
兵士たちは突然の豪雨に混乱する。乾燥していた大地はみるみるうちに水分を吸い、ぬかるみへと変わっていく。馬の蹄は泥に取られ、身動きが取りづらくなっていく。
そして本当の悪夢は、森からやってきた。
俺がこの日のために密かに育てておいた『森の巨人』たち――トレントの大軍が、雨に濡れた森の中から地響きを立ててその姿を現したのだ。
その数、百体以上。
一体一体が家屋ほどもある巨体を持つ、歩く自然災害。
「テ、トレントだと!? なぜ、こんな場所にこれほどの数が!」
指揮官が絶叫する。
トレントたちは逃げ惑う帝国軍の騎馬隊へと、その巨大な腕を容赦なく振り下ろしていく。
馬はその威圧感に怯えて暴れ、兵士たちはぬかるんだ地面で体勢を立て直すこともできず、次々と木の巨人の餌食となっていった。
だが、俺の狙いは彼らの殲滅ではなかった。
これはただの『警告』。そして『陽動』。
彼らの注意が正面のトレント軍団に引きつけられている、その隙に。
俺たちの本当の『牙』が動いていた。
「……行くぞ」
城壁の地下深く。
俺がスキルで作り出した秘密の通路から、少数精鋭の部隊が音もなく出撃していた。
先頭を走るのは銀色の閃光、フェンリル。
その背には黒いマントで姿を隠したシルフィが跨っている。
そして、その後ろを大地に溶け込むかのように、リズベットと俺が率いる十体のガイア・ガーディアンが続く。
俺たちの目的は敵の先遣隊ではない。
その後方にいるであろう本隊の『補給部隊』だ。
フェンリルは神狼の嗅覚で敵の食料や武具が放つ匂いを正確に捉え、森の中を最短ルートで駆け抜けていく。
やがて俺たちの視界に、長く伸びた荷馬車の列が見えてきた。
帝国軍の生命線、補給部隊だ。
彼らは前線で起きている混乱など知らず、のんびりと行軍を続けている。
「……獲物を見つけたぜ」
リズベットがウォーハンマーを握りしめ、好戦的に笑う。
俺は静かに合図を送った。
「――やれ」
次の瞬間。
森の闇から百発の矢が同時に放たれた。
シルフィがエルフの秘術『多重影矢(マルチプルアロー)』を放ったのだ。一本の矢が百本に分身し、補給部隊を護衛していた兵士たちを正確に射抜いていく。
矢には殺傷力はない。シルフィが調合した強力な眠り薬が塗られているだけだ。
兵士たちは悲鳴を上げる間もなく、次々とその場に崩れ落ち、深い眠りについた。
「うおおおおおっ!」
混乱する荷馬車の列に、リズベットとガイア・ガーディアンたちが突撃する。
彼らの目的は人の殺傷ではない。ただ、荷馬車そのものの『破壊』。
オリハルコンの戦斧が分厚い荷馬車の車輪を薪のように断ち切る。
リズベットのウォーハンマーが積まれた食料の樽をスイカのように粉砕していく。
あっという間に補給部隊はその機能を完全に喪失した。
山と積まれていた食料は泥にまみれ、予備の武具は無残な鉄くずへと姿を変えた。
「……よし、撤収だ」
俺たちは任務を完了すると、再び森の闇へと姿を消した。
ゲリラ戦。電撃的な一点突破。
大軍相手には最も効果的な戦術だった。
俺たちがアルカディアに帰還する頃には雨は上がり、トレントたちも再び森の木々へと姿を戻していた。
後に残されたのは、半壊状態の先遣隊と完全に破壊された補給部隊の無残な残骸だけ。
その日の夜。
帝国軍の本陣ではヴァルケンハイン将軍が、次々と舞い込んでくる信じがたい敗北の報告に静かに耳を傾けていた。
彼の鉄仮面のような無表情な顔は一切変わらない。
だが、その瞳の奥では冷たい氷のような怒りの炎が燃え上がっていた。
「……面白い」
彼は地図の上に置かれたアルカディア村を示す駒を、指でなぞりながらぽつりと呟いた。
「地形を操り、森を兵とし、そしてこちらの背後を正確に突いてくる神出鬼没の遊撃部隊……。ただの蛮族ではない、か。相手にとって不足はない」
彼は副官に、静かに、しかし揺るぎない声で命令を下した。
「全軍に伝えろ。これよりアルカディアを完全に包囲する。一匹の蟻も外には出さん。そして内部からのいかなる攻撃も許すな」
「兵糧攻め、でございますか?」
「いや」
ヴァルケンハインは冷たく言い放った。
「――殲滅戦だ」
彼が信じるのはただ一つ。
圧倒的な物量と規律による、完全な『蹂躙』。
アルカディアとグライフ帝国の本当の総力戦の火蓋が、今、静かに切って落とされようとしていた。
前哨戦は終わったのだ。
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