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第二十三話 リノの探求心
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燃えるような赤髪の王女が去っていく。その背中を見送りながら、俺は心底安堵のため息をついた。ようやく、嵐は過ぎ去った。これでまた、静かで平穏な怠惰の日々に戻れる。
俺は踵を返し、我が城の扉を閉めようとした。もう二度と、面倒な客人が現れないことを祈りながら。
「お待ちください」
背後から、鈴を転がすような、しかし妙に理知的な響きを持つ声がかかった。
俺はゆっくりと振り返る。そこには、あのエルフの魔術師が一人、まだ立っていた。銀色の髪が風に揺れ、大きな紫色の瞳が、まるで獲物を見つけた肉食獣のように、キラキラと輝いていた。
「……なんだ。あんたも早く帰ってくれ。俺は眠いんだ」
「素晴らしい!」
俺の不機見な言葉を完全に無視して、エルフは一歩、ずいっとこちらに踏み込んできた。
「実に素晴らしい問答でした! あのアリア様を、言葉だけで完全に論破するとは! 『国がどうなろうと俺には関係ない』『俺の安眠の前では塵芥同然』! まさに至言! 真理です!」
彼女は、なぜか恍惚とした表情で、俺の暴言を反芻している。頭がおかしいんじゃないか、このエルフは。
「あれは、ただの俺の本音だ。論破も何もない」
「いいえ! あれは、俗世の価値観から完全に解脱した者だけが至れる境地の言葉です! あなたほどの力を持つ方が、なぜ国や民といった矮小なものに奉仕しなければならないのですか! 個人の探求こそが至上! あなたの態度は、全ての魔術師が見習うべきものです!」
彼女は興奮気味にまくし立てた。話が全く噛み合っていない。俺はただ怠けたいだけなのだが、このエルフの目には、俺が何か高尚な哲学者にでも見えているらしい。
面倒くさい。アリアとは別の意味で、猛烈に面倒くさい。
俺は会話を打ち切るため、無言で扉を閉めようとした。だが、その隙間に、すっと彼女の白い指が差し込まれる。
「お待ちを。まだ、本題に入っていません」
リノと名乗ったか、このエルフは、にこりと人の悪い笑みを浮かべた。
「あなた、一体何者なのですか? いえ、あなたのその『技術』は、一体何なのですか? あの家屋の自己修復機能付き防衛術式。水そのものを誘導する物質操作魔法。そして、畑全体を覆う多層構造の聖域結界。どれ一つ取っても、現代魔法の常識を遥かに超えています」
矢継ぎ早に専門用語が飛び出す。俺には何のことかさっぱり分からない。
「……知らん。俺は魔法なんて使えん」
「嘘をおっしゃらないでください。あれほどの魔力制御、生半可なことではありません。あなたのその力、ぜひ私に、このリノ・シルヴァリーに、研究させていただけませんか!」
彼女の瞳は、もはや狂信者のそれだった。知的好奇心という名の炎が、その紫色の瞳の奥で燃え盛っている。
「断る。研究も何も、人に教えられるようなものじゃない。それに、面倒だ」
「そこを何とか! 私は、この謎を解明するためなら、どんな協力も惜しみません! お望みなら、私の持つ全ての知識を提供します! 古代魔法の文献だって、好きなだけお見せしますよ!」
「いらん。俺が欲しいのは、静かな時間と安眠だけだ」
俺はきっぱりと断り、今度こそ力ずくで扉を閉めようとした。だが、リノは細い腕で必死に扉を押さえている。見た目に反して、かなりの力だ。
「なぜです! これほどの偉大な発見を、独り占めするおつもりですか!」
「独り占めも何も、俺が俺のために使ってるだけだ。他人に公開する義理はない」
「なんて、なんて素晴らしいエゴイズム! それもまた、真理を探究する者のあるべき姿! ますますあなたに興味が湧きました!」
駄目だ、こいつ。話が通じない。俺の言葉が、全て彼女の中でポジティブに変換されてしまう。
俺は扉を押すのをやめた。不毛な力比べは、魔力の無駄だ。
「……分かった。もういい。あんたの好きにしろ。ただし、俺に話しかけるな。俺の家の周りをうろつくな。静かにして、勝手に帰ってくれ」
俺は最終通告として、そう言い放った。これが、俺にできる最大限の譲歩だった。
だが、リノは、その言葉にぱあっと顔を輝かせた。
「では、ここにいてもいいということですね!」
「話を聞いていたか? 帰れと言ったんだ」
「いいえ、『勝手にしろ』とおっしゃいました。それはつまり、私の行動を黙認するという意味ですね? 分かりました! では、お言葉に甘えさせていただきます!」
彼女はそう言うと、何を思ったか、俺の家の玄関のすぐ横に、ぺたんと座り込んだ。まるで、番犬のようだ。
「……何をしている」
「ここを動かなければ、あなたの技術の秘密が、いつか必ず分かると信じています。私は諦めません。あなたが根負けして、私に全てを教えてくれるその日まで、ここをキャンプ地とします!」
リノは高らかに宣言した。
俺は、頭が痛くなってきた。家の前に、こんな目立つエルフが座り込んでいたら、どうなるか。村の連中が、またぞろぞろと集まってきて、新たな騒動になるに違いない。そうなれば、俺の安眠は完全に妨害される。
力ずくで追い払うか? このエルフ、見た目によらず手強そうだ。魔法で抵抗されたら、家が壊れるかもしれない。それは面倒だ。
無視して家に入るか? 彼女は、絶対に諦めないだろう。夜中に奇声を発したり、家の壁に向かって魔法の実験を始めたりするかもしれない。それもまた、安眠の妨げになる。
どうすれば、一番楽に、この状況を終わらせられるか。
俺の脳が、前世で培った問題解決能力を、怠惰を守るためだけにフル回転させる。
そして、俺は最悪の中の、まだマシな選択肢を選び出した。
俺は、大きな、本当に大きなため息をついた。
「……家に入れ」
「え?」
リノが、きょとんとした顔で俺を見上げた。
「外で騒がれるよりは、中で静かにしてもらった方が、まだマシだ。ただし、条件がある」
俺は、人差し指を立てた。
「第一に、俺にみだりに話しかけるな。第二に、家の中の物を勝手に触るな。第三に、俺の睡眠を絶対に妨害するな。この三つが守れるなら、好きにしろ」
リノは、一瞬呆然としていたが、すぐに状況を理解したらしい。彼女の顔が、満面の笑みに変わった。
「はい! はい! もちろんです! 約束します! ありがとうございます、マスター!」
「誰がマスターだ」
俺は悪態をつきながら、渋々、彼女を家の中に招き入れた。
こうして、俺の完璧な引きこもり要塞に、好奇心旺盛な天才エルフという、最も招かれざる客人が、転がり込んでくることになったのだった。
俺は踵を返し、我が城の扉を閉めようとした。もう二度と、面倒な客人が現れないことを祈りながら。
「お待ちください」
背後から、鈴を転がすような、しかし妙に理知的な響きを持つ声がかかった。
俺はゆっくりと振り返る。そこには、あのエルフの魔術師が一人、まだ立っていた。銀色の髪が風に揺れ、大きな紫色の瞳が、まるで獲物を見つけた肉食獣のように、キラキラと輝いていた。
「……なんだ。あんたも早く帰ってくれ。俺は眠いんだ」
「素晴らしい!」
俺の不機見な言葉を完全に無視して、エルフは一歩、ずいっとこちらに踏み込んできた。
「実に素晴らしい問答でした! あのアリア様を、言葉だけで完全に論破するとは! 『国がどうなろうと俺には関係ない』『俺の安眠の前では塵芥同然』! まさに至言! 真理です!」
彼女は、なぜか恍惚とした表情で、俺の暴言を反芻している。頭がおかしいんじゃないか、このエルフは。
「あれは、ただの俺の本音だ。論破も何もない」
「いいえ! あれは、俗世の価値観から完全に解脱した者だけが至れる境地の言葉です! あなたほどの力を持つ方が、なぜ国や民といった矮小なものに奉仕しなければならないのですか! 個人の探求こそが至上! あなたの態度は、全ての魔術師が見習うべきものです!」
彼女は興奮気味にまくし立てた。話が全く噛み合っていない。俺はただ怠けたいだけなのだが、このエルフの目には、俺が何か高尚な哲学者にでも見えているらしい。
面倒くさい。アリアとは別の意味で、猛烈に面倒くさい。
俺は会話を打ち切るため、無言で扉を閉めようとした。だが、その隙間に、すっと彼女の白い指が差し込まれる。
「お待ちを。まだ、本題に入っていません」
リノと名乗ったか、このエルフは、にこりと人の悪い笑みを浮かべた。
「あなた、一体何者なのですか? いえ、あなたのその『技術』は、一体何なのですか? あの家屋の自己修復機能付き防衛術式。水そのものを誘導する物質操作魔法。そして、畑全体を覆う多層構造の聖域結界。どれ一つ取っても、現代魔法の常識を遥かに超えています」
矢継ぎ早に専門用語が飛び出す。俺には何のことかさっぱり分からない。
「……知らん。俺は魔法なんて使えん」
「嘘をおっしゃらないでください。あれほどの魔力制御、生半可なことではありません。あなたのその力、ぜひ私に、このリノ・シルヴァリーに、研究させていただけませんか!」
彼女の瞳は、もはや狂信者のそれだった。知的好奇心という名の炎が、その紫色の瞳の奥で燃え盛っている。
「断る。研究も何も、人に教えられるようなものじゃない。それに、面倒だ」
「そこを何とか! 私は、この謎を解明するためなら、どんな協力も惜しみません! お望みなら、私の持つ全ての知識を提供します! 古代魔法の文献だって、好きなだけお見せしますよ!」
「いらん。俺が欲しいのは、静かな時間と安眠だけだ」
俺はきっぱりと断り、今度こそ力ずくで扉を閉めようとした。だが、リノは細い腕で必死に扉を押さえている。見た目に反して、かなりの力だ。
「なぜです! これほどの偉大な発見を、独り占めするおつもりですか!」
「独り占めも何も、俺が俺のために使ってるだけだ。他人に公開する義理はない」
「なんて、なんて素晴らしいエゴイズム! それもまた、真理を探究する者のあるべき姿! ますますあなたに興味が湧きました!」
駄目だ、こいつ。話が通じない。俺の言葉が、全て彼女の中でポジティブに変換されてしまう。
俺は扉を押すのをやめた。不毛な力比べは、魔力の無駄だ。
「……分かった。もういい。あんたの好きにしろ。ただし、俺に話しかけるな。俺の家の周りをうろつくな。静かにして、勝手に帰ってくれ」
俺は最終通告として、そう言い放った。これが、俺にできる最大限の譲歩だった。
だが、リノは、その言葉にぱあっと顔を輝かせた。
「では、ここにいてもいいということですね!」
「話を聞いていたか? 帰れと言ったんだ」
「いいえ、『勝手にしろ』とおっしゃいました。それはつまり、私の行動を黙認するという意味ですね? 分かりました! では、お言葉に甘えさせていただきます!」
彼女はそう言うと、何を思ったか、俺の家の玄関のすぐ横に、ぺたんと座り込んだ。まるで、番犬のようだ。
「……何をしている」
「ここを動かなければ、あなたの技術の秘密が、いつか必ず分かると信じています。私は諦めません。あなたが根負けして、私に全てを教えてくれるその日まで、ここをキャンプ地とします!」
リノは高らかに宣言した。
俺は、頭が痛くなってきた。家の前に、こんな目立つエルフが座り込んでいたら、どうなるか。村の連中が、またぞろぞろと集まってきて、新たな騒動になるに違いない。そうなれば、俺の安眠は完全に妨害される。
力ずくで追い払うか? このエルフ、見た目によらず手強そうだ。魔法で抵抗されたら、家が壊れるかもしれない。それは面倒だ。
無視して家に入るか? 彼女は、絶対に諦めないだろう。夜中に奇声を発したり、家の壁に向かって魔法の実験を始めたりするかもしれない。それもまた、安眠の妨げになる。
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俺は、大きな、本当に大きなため息をついた。
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