「働きたくない…」と本気で祈ったら怠惰の神が降臨。【フルオート】で身の回りを快適にしていたら、インフラを整備した救国の英雄になっていた

夏見ナイ

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第二十二話 レイジ vs アリア

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レイジの家の前は、凍りついたような沈黙に包まれていた。

アリアは、リノが放った言葉の衝撃から立ち直れずにいた。「神の領域に足を踏み入れた、規格外の魔術師」。あの、生気の欠片もない男の姿と、そのあまりにも大仰な評価が、彼女の頭の中で激しく衝突し、思考を麻痺させていた。

「……リノ。本気で言っているのか」

かろうじて絞り出した声に、リノはあっさりと頷いた。その瞳は、未知のおもちゃを見つけた子供のように、純粋な好奇心で輝いている。

「もちろんです。私のこの目は誤魔化せません。あの家は、魔法技術の塊です。宝の山です。いえ、もはや神殿と言ってもいい」

「しかし、あの男の態度はどう説明する! 私を、王女である私を前にして、あの無礼極まりない態度は!」

「さあ? そこが一番興味深い点じゃないですか」

リノは楽しそうに肩をすくめた。「全てを超越しきった結果、俗世への興味を失ったのかもしれませんし、あるいは、我々には理解できない、何か深遠な理由があるのかもしれません。それを確かめるために、私は彼と話がしたいのです」

言うが早いか、リノはくるりと踵を返し、再びレイジの家の扉へと向かった。

「待て、リノ! 何をする気だ!」

アリアは慌ててその後を追う。

「決まっているでしょう。対話の時間です。ノックで駄目なら、別の方法を試すまで」

リノはそう言うと、扉の前で目を閉じ、両手をゆっくりと掲げた。彼女の周囲の空気が、ピリピリと震え始める。魔力が収束していく気配。

「やめろ! 無礼だと言っているだろう!」

アリアが制止の声を上げるが、リノは聞く耳を持たない。彼女は古代言語の呪文を紡ぎ始めた。おそらく、扉にかけられた錠を、魔法的に解錠しようとしているのだ。

だが、次の瞬間。

バチッ!

リノの指先から放たれた魔力の糸が、扉に触れる寸前で弾け飛んだ。見えない壁に阻まれたかのように。

「……っ!」

リノは目を見開き、数歩後ずさった。

「面白い……。単純な反魔法障壁(アンチ・マジック)じゃない。侵入しようとした魔力を、そのまま術者に跳ね返すカウンター式の防衛術式。しかも、全く魔力の揺らぎがなかった。常時発動型? それでいてこの効率……信じられない」

リノはぶつぶつと専門用語を呟きながら、今度は家の壁に手を伸ばそうとする。アリアは、このままでは天才魔術師の暴走が止められないと悟った。

「もうよい! 私が、もう一度話をつける!」

アリアはリノの前に割り込み、再び扉を強く叩いた。

「開けろ、レイジ! 話が終わるまで、ここを動くつもりはないぞ!」

もはや王女の威厳も何もない。ただ、この不可解な状況に決着をつけたいという、一途な思いだけが彼女を突き動かしていた。

その頃、ようやく二度寝に入ろうとしていた俺の耳に、再びあの甲高い声が突き刺さった。

(……まだいたのか、あの連中)

俺の額に、くっきりと青筋が浮かぶ。いい加減にしてほしい。人の家の前で騒ぐな。安眠妨害も甚だしい。

このまま無視を決め込んでも、あの女騎士の性格からして、日が暮れるまで扉を叩き続けそうだ。そうなれば、俺の貴重な睡眠時間は永久に失われる。

仕方ない。

俺は、人生で最大級のため息をついた。そして、重い、本当に重い体を、ゆっくりとベッドから起こした。

ギィ……。

俺が自らの手で扉を開けると、そこには案の定、仁王立ちする女騎士と、その背後で目を輝かせているエルフの姿があった。

「……何の用だ。さっき、用はないと言ったはずだが」

俺は、隠そうともしない不機嫌さを声に乗せた。眠気を邪魔された俺は、魔王よりも恐ろしい存在なのだと、目の前の連中は知るべきだ。

俺の登場に、アリアは一瞬怯んだようだったが、すぐに気を取り直して厳しい表情を作った。

「単刀直入に聞く。貴様の力は、本物か。この村で起きている奇跡は、全て貴様の仕業なのか」

「……だとしたら、どうだと言うんだ」

もはや隠すのも面倒になった。どうせこのエルフには、ある程度見抜かれているのだろう。

俺が肯定ともとれる返事をすると、アリアはぐっと息を飲んだ。彼女の瞳に、戸惑いと、ほんのわずかな期待の色が浮かぶ。

「……なぜだ」

彼女の声は、震えていた。

「なぜ、それほどの力を持ちながら、隠している! なぜ、国のためにその力を使おうとしない! この国は、多くの問題を抱えている。貧困、食糧難、隣国との緊張……貴様の力があれば、その全てを解決できるやもしれんのだぞ!」

アリアの言葉は、熱を帯びていく。それは、王族として国を憂い、民を愛する彼女の、魂からの叫びだった。

「それなのに、貴様はなんだ! こんな場所で、ただ無為に時間を過ごしているだけではないか! その怠惰な態度は、一体何なのだ! 貴様には、誇りも、民を思う心もないのか!」

正論だった。あまりにも真っ直ぐで、一点の曇りもない、輝くような正論。

前世の俺なら、あるいは感銘を受けていたかもしれない。だが、過労死を経て、怠惰の神の祝福まで受けた今の俺には、その言葉は、ただのやかましい騒音にしか聞こえなかった。

俺は、彼女の熱弁が終わるのを待って、静かに口を開いた。

「……終わったか?」

「なっ……!」

「あんたが言いたいことは、それだけか?」

俺は、心底うんざりしていた。

国? 民? そんなもの、俺の知ったことじゃない。俺が望むのは、俺のテリトリーの平穏だけだ。この家と、このベッドの上。それが俺の世界の全てだ。

俺は、目の前の真っ直ぐすぎる王女様に、教えてやることにした。俺という人間が、どれほど彼女の理解からかけ離れた場所にいるのかを。

「国がどうなろうと、俺には関係ない。貧困も食糧難も、俺の腹が満たされていればどうでもいい。あんたたちの正義も理想も、俺の安眠の前では塵芥同然だ」

俺は、アリアの翡翠色の瞳を、まっすぐに見据えた。

「俺は、ただ静かに暮らしたいだけだ。ここで、誰にも邪魔されず、働かず、ただ寝ていたい。それだけだ。あんたたちみたいに、家の前でギャーギャー騒ぐ奴らがいると、それができない。迷惑なんだよ」

俺は、言い放った。

「分かったら、さっさと帰ってくれ。二度と俺の前に顔を見せるな」

時が、止まった。

アリアは、口を半開きにしたまま、凍りついたように動かない。彼女の瞳から、先ほどまで宿っていた期待の光が、急速に失われていくのが分かった。

やがて、その美しい顔が、深い、深い侮蔑の色に染まった。

「……そうか」

彼女の声は、氷のように冷たかった。

「貴様は、そういう男だったのだな。力に溺れ、己の欲望を満たすことしか考えられぬ、ただの獣か。いや、獣ですら己の群れを守る。貴様は、それ以下だ」

彼女は、俺に背を向けた。その背中は、小さく震えているように見えた。怒りか、あるいは失望か。

「……貴様のような男に、この国の未来を語った私が、馬鹿だった」

それだけを言い残し、アリアは一度も振り返ることなく、その場を去っていった。

二人の間に生まれた亀裂は、もはや修復不可能なほどに、深く、決定的なものとなった。

後に残されたのは、うんざりした顔の俺と、そして、なぜか恍惚とした表情で、目をキラキラと輝かせているエルフの魔術師だけだった。
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