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第九十五話 公爵閣下のティータイム
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俺の午後の日課は紅茶から始まる。
もちろん、俺が淹れるわけではない。アリア・フォン・アルテア。この国の王女にして、俺の領地の統治代行者であり、聖騎士団の団長でもある彼女が、毎日決まった時間に極上の紅茶を淹れに来るのだ。
「公爵閣下。本日の茶葉は、南方の新興国から取り寄せた『サンセット・ルージュ』にございます。芳醇な香りと深い味わいが特徴です」
彼女は俺の寝室(もはや『公爵私室』と呼ばれている)の隣に増築された、無駄に豪華なサンルームで、完璧な所作でティーセットを準備する。その銀製のポットから、琥珀色の液体がボーンチャイナのカップへと注がれる光景は、もはや芸術の域だった。
俺は『天使の寝床』から、しぶしぶサンルームの安楽椅子まで移動する。これが俺が一日のうちで、ベッドから最も離れる瞬間だ。
「……うむ」
俺は公爵らしい威厳を(無意識に)漂わせながら、カップを受け取った。立ち上る湯気は、花のような、果実のような甘い香りを運んでくる。一口すすると、濃厚な味わいとすっきりとした後味が口の中に広がった。
うまい。文句のつけようがない。
アリアは、俺が紅茶を味わう姿を満足げに、そしてどこか恍惚とした表情で見守っている。彼女にとって、この時間は神に仕える巫女の神聖な儀式のようなものなのだろう。
「ご報告いたします。商業都市における税収は今月も過去最高を更新。その一部を財源とし、賢者の学院に新たな研究棟を増設する計画が、学長殿より提出されております」
彼女は紅茶を飲みながら、領地の運営に関する報告を始めた。もちろん俺は聞いていない。ただ、BGMのようにその心地よい声を聞き流しているだけだ。俺が承認しようがしまいが、どうせ彼女とAI学長が完璧に物事を進めてくれるのだから。
完璧な紅茶。完璧な報告(無視するが)。完璧な午後のひととき。
このまま、日がな一日、この安楽椅子でうたた寝をするのも悪くない。
俺がそんな怠惰な思考に身を委ねようとした、その時。
「マスター! 大変です! エネルギー保存の法則が、破られようとしています!」
サンルームの扉が勢いよく開かれた。息を切らして飛び込んできたのは、もちろんリノ・シルヴァリーだった。その手には何やら複雑な数式が書き殴られた羊皮紙が、何枚も握られている。
アリアが、眉をひそめた。
「リノ。公爵閣下がお寛ぎの時間だ。無礼であろう」
「ですがアリア様! これはマスターが示された『世界の理』に関わる一大事なのです!」
リノは俺の前に駆け寄ると、羊皮紙の束をテーブルの上に叩きつけた。
「マスター! 学院の物理学部の連中が、あなたの『熱力学第二法則』の概念を独自に解釈し、『永久機関』の開発に成功したと発表しました! これはマスターが示された真理への冒涜です!」
永久機関。懐かしい響きだ。俺がアイスクリーム製造機を作った時に、ぽろっと口にした熱力学の法則が、どうやら学院でとんでもない方向に発展しているらしい。
俺は紅茶をもう一口すすると、面倒くさそうに羊皮紙を一瞥した。そこに描かれていたのは、水車とポンプを組み合わせた、前世でもよく見たタイプの典型的な永久機関の模型図だった。
俺は心底うんざりしたため息をついた。
「……無理だ、そんなもの」
俺のあまりにも素っ気ない一言に、リノははっとしたように顔を上げた。
「摩擦とエネルギー変換ロスを計算に入れていない。水の位置エネルギーはポンプを動かす過程で、熱や音といった別のエネルギーに変換され、必ず失われる。入力したエネルギーよりも出力が大きくなることは、絶対にない。それがエネルギー保存の法則だ」
俺にとっては、前世の中学生レベルの科学知識。
だがこの世界の、魔術という超常現象が当たり前に存在する世界の住人にとって、その概念はまさに神の言葉に等しかった。
リノの紫色の瞳が、カッと見開かれた。
彼女は俺の言葉を、まるで神託を書き留めるかのように猛烈な勢いで羊皮紙の余白にメモし始めた。
「まさつ……エネルギーへんかんロス……! 熱や、音に……! なるほど! 魔法現象においても、術式の構成が複雑化するほど意図しないエネルギーロスが発生する! それを計算に入れていなかった! だから古代の巨大魔法は、理論上の出力と実際の出力に誤差が……! そうか! そうだったのか!」
彼女は一人で納得し、一人で興奮し、ぶつぶつと呟きながら研究者の世界へと没入していった。
アリアは、その俺とリノのやり取りを微笑ましげに、そして深い感銘を受けた表情で見守っていた。
(……すごい。国父様はたった一言で、あのリノですら気づかなかった世界の真理を、いとも容易く示された。そしてリノは、その神の知恵の一端に触れ、新たな発見の喜びに打ち震えている。なんと、なんと尊い師弟の姿なのだろう)
彼女の脳内で、俺のただの知識の切り売りは深遠なる哲学問答へと、完璧に変換されていた。
やがて、アリアは何かを思いついたように、かしこまって俺に提案した。
「……公爵閣下。今のお姿を拝見し、改めて思いました」
「はい?」
「閣下のお知恵をこのような形で、不定期に伺うだけではあまりにも、もったいない。どうか王都の大臣たちや、各分野の専門家たちとの『定例報告会』の場を設けさせてはいただけないでしょうか。もちろん閣下がお出ましになる必要はございません。学長の【アリストテレス】様を介して、閣下のご意見を定期的に拝聴する機会を……」
定例、報告会。
その単語を聞いた瞬間、俺の脳内に前世の忌まわしい記憶が蘇った。
終わらない会議。無意味なプレゼン。上司への根回し。
「……面倒だ」
俺は即座に、そして心からの嫌悪感を込めて一蹴した。
アリアは、やはり、という顔で頷いた。
「……で、ですよね。俗世の者たちが閣下のお時間をこれ以上奪うなど、あってはならないことでした。申し訳ございません」
だが俺の頭の片隅で、別の思考が動き始めていた。
確かに会議は面倒だ。だがこうしてアリアやリノが、いちいち俺の元へ報告や質問に来るのも、それはそれで面倒くさい。
俺の静かなティータイムが中断されるのは、好ましくない。
(……王都からのあらゆる問い合わせ、報告、陳情。それら全てを、完全に自動で処理するシステムがあれば……)
AI学長のアリストテレスをさらに進化させる。
彼を窓口として、王国の政治・経済・軍事の全てに関する情報をリアルタイムで収集・分析させる。そして問題が発生した場合は、俺が過去に示した判断基準(という名の、ただの面倒くさがりな発言)を元に、最適解を導き出し、自動で各省庁に指示を出す。
完璧な、全自動国家運営システム。
それさえあれば、俺はもうアリアの報告を聞く必要すらなくなる。
俺の午後のティータイムは、誰にも邪魔されない完璧なものになる。
俺は安楽椅子に深く体を預け、目を閉じた。
紅茶の豊かな香りを楽しみながら。
脳内では、新たな、そして究極の丸投げシステムの壮大な設計図が、静かに描き出されようとしていた。
そのどこか満ち足りた俺の表情を、アリアはこう解釈していた。
(……国父様は微笑んでおられる。私が、あの方の理想の国の形を、少しずつでも理解し、実現しようとしていることを喜んでくださっているのだ)
彼女の献身的な勘違いは、もはや誰にも止められなかった。
もちろん、俺が淹れるわけではない。アリア・フォン・アルテア。この国の王女にして、俺の領地の統治代行者であり、聖騎士団の団長でもある彼女が、毎日決まった時間に極上の紅茶を淹れに来るのだ。
「公爵閣下。本日の茶葉は、南方の新興国から取り寄せた『サンセット・ルージュ』にございます。芳醇な香りと深い味わいが特徴です」
彼女は俺の寝室(もはや『公爵私室』と呼ばれている)の隣に増築された、無駄に豪華なサンルームで、完璧な所作でティーセットを準備する。その銀製のポットから、琥珀色の液体がボーンチャイナのカップへと注がれる光景は、もはや芸術の域だった。
俺は『天使の寝床』から、しぶしぶサンルームの安楽椅子まで移動する。これが俺が一日のうちで、ベッドから最も離れる瞬間だ。
「……うむ」
俺は公爵らしい威厳を(無意識に)漂わせながら、カップを受け取った。立ち上る湯気は、花のような、果実のような甘い香りを運んでくる。一口すすると、濃厚な味わいとすっきりとした後味が口の中に広がった。
うまい。文句のつけようがない。
アリアは、俺が紅茶を味わう姿を満足げに、そしてどこか恍惚とした表情で見守っている。彼女にとって、この時間は神に仕える巫女の神聖な儀式のようなものなのだろう。
「ご報告いたします。商業都市における税収は今月も過去最高を更新。その一部を財源とし、賢者の学院に新たな研究棟を増設する計画が、学長殿より提出されております」
彼女は紅茶を飲みながら、領地の運営に関する報告を始めた。もちろん俺は聞いていない。ただ、BGMのようにその心地よい声を聞き流しているだけだ。俺が承認しようがしまいが、どうせ彼女とAI学長が完璧に物事を進めてくれるのだから。
完璧な紅茶。完璧な報告(無視するが)。完璧な午後のひととき。
このまま、日がな一日、この安楽椅子でうたた寝をするのも悪くない。
俺がそんな怠惰な思考に身を委ねようとした、その時。
「マスター! 大変です! エネルギー保存の法則が、破られようとしています!」
サンルームの扉が勢いよく開かれた。息を切らして飛び込んできたのは、もちろんリノ・シルヴァリーだった。その手には何やら複雑な数式が書き殴られた羊皮紙が、何枚も握られている。
アリアが、眉をひそめた。
「リノ。公爵閣下がお寛ぎの時間だ。無礼であろう」
「ですがアリア様! これはマスターが示された『世界の理』に関わる一大事なのです!」
リノは俺の前に駆け寄ると、羊皮紙の束をテーブルの上に叩きつけた。
「マスター! 学院の物理学部の連中が、あなたの『熱力学第二法則』の概念を独自に解釈し、『永久機関』の開発に成功したと発表しました! これはマスターが示された真理への冒涜です!」
永久機関。懐かしい響きだ。俺がアイスクリーム製造機を作った時に、ぽろっと口にした熱力学の法則が、どうやら学院でとんでもない方向に発展しているらしい。
俺は紅茶をもう一口すすると、面倒くさそうに羊皮紙を一瞥した。そこに描かれていたのは、水車とポンプを組み合わせた、前世でもよく見たタイプの典型的な永久機関の模型図だった。
俺は心底うんざりしたため息をついた。
「……無理だ、そんなもの」
俺のあまりにも素っ気ない一言に、リノははっとしたように顔を上げた。
「摩擦とエネルギー変換ロスを計算に入れていない。水の位置エネルギーはポンプを動かす過程で、熱や音といった別のエネルギーに変換され、必ず失われる。入力したエネルギーよりも出力が大きくなることは、絶対にない。それがエネルギー保存の法則だ」
俺にとっては、前世の中学生レベルの科学知識。
だがこの世界の、魔術という超常現象が当たり前に存在する世界の住人にとって、その概念はまさに神の言葉に等しかった。
リノの紫色の瞳が、カッと見開かれた。
彼女は俺の言葉を、まるで神託を書き留めるかのように猛烈な勢いで羊皮紙の余白にメモし始めた。
「まさつ……エネルギーへんかんロス……! 熱や、音に……! なるほど! 魔法現象においても、術式の構成が複雑化するほど意図しないエネルギーロスが発生する! それを計算に入れていなかった! だから古代の巨大魔法は、理論上の出力と実際の出力に誤差が……! そうか! そうだったのか!」
彼女は一人で納得し、一人で興奮し、ぶつぶつと呟きながら研究者の世界へと没入していった。
アリアは、その俺とリノのやり取りを微笑ましげに、そして深い感銘を受けた表情で見守っていた。
(……すごい。国父様はたった一言で、あのリノですら気づかなかった世界の真理を、いとも容易く示された。そしてリノは、その神の知恵の一端に触れ、新たな発見の喜びに打ち震えている。なんと、なんと尊い師弟の姿なのだろう)
彼女の脳内で、俺のただの知識の切り売りは深遠なる哲学問答へと、完璧に変換されていた。
やがて、アリアは何かを思いついたように、かしこまって俺に提案した。
「……公爵閣下。今のお姿を拝見し、改めて思いました」
「はい?」
「閣下のお知恵をこのような形で、不定期に伺うだけではあまりにも、もったいない。どうか王都の大臣たちや、各分野の専門家たちとの『定例報告会』の場を設けさせてはいただけないでしょうか。もちろん閣下がお出ましになる必要はございません。学長の【アリストテレス】様を介して、閣下のご意見を定期的に拝聴する機会を……」
定例、報告会。
その単語を聞いた瞬間、俺の脳内に前世の忌まわしい記憶が蘇った。
終わらない会議。無意味なプレゼン。上司への根回し。
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俺は即座に、そして心からの嫌悪感を込めて一蹴した。
アリアは、やはり、という顔で頷いた。
「……で、ですよね。俗世の者たちが閣下のお時間をこれ以上奪うなど、あってはならないことでした。申し訳ございません」
だが俺の頭の片隅で、別の思考が動き始めていた。
確かに会議は面倒だ。だがこうしてアリアやリノが、いちいち俺の元へ報告や質問に来るのも、それはそれで面倒くさい。
俺の静かなティータイムが中断されるのは、好ましくない。
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AI学長のアリストテレスをさらに進化させる。
彼を窓口として、王国の政治・経済・軍事の全てに関する情報をリアルタイムで収集・分析させる。そして問題が発生した場合は、俺が過去に示した判断基準(という名の、ただの面倒くさがりな発言)を元に、最適解を導き出し、自動で各省庁に指示を出す。
完璧な、全自動国家運営システム。
それさえあれば、俺はもうアリアの報告を聞く必要すらなくなる。
俺の午後のティータイムは、誰にも邪魔されない完璧なものになる。
俺は安楽椅子に深く体を預け、目を閉じた。
紅茶の豊かな香りを楽しみながら。
脳内では、新たな、そして究極の丸投げシステムの壮大な設計図が、静かに描き出されようとしていた。
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