81 / 96
第85話 揺るがぬ忠誠
しおりを挟む
「……お断りします」
リリアの静かで、しかし凛とした声が夜の静寂に響いた。
そのあまりにも予想外の返答に、ザラキエルの美しい顔が初めてわずかに歪んだ。
「……ほう? 今、何と?」
「お断りします、と言ったのです」
リリアはもはや俯いていなかった。彼女は魔王四天王の一人であるザラキエルを、その大きな瞳で真っ直ぐに見据えていた。
「確かにあなたの言う通りかもしれません。人間は信じられない。そしてゴブ様も、いつか私を切り捨てるのかもしれない。彼の世界は弱肉強食。それが理なのでしょうから」
彼女の言葉は、ザラキエルが突きつけた厳しい現実を一度全て受け入れるものだった。
「ですが」とリリアは続けた。その声には一点の曇りもなかった。「それでも私は彼を信じます」
「……愚かな。何を根拠に?」
ザラキエルの声に、苛立ちの色が滲み始める。
「根拠などありません」リリアは静かに微笑んだ。「ただ、私はこの目で見てきたのです。彼が仲間を失い、血を流しながらも決して諦めなかった姿を。彼が戦えない弱いゴブリンたちにさえ役割を与え、その居場所を作ろうとした姿を。そして……」
彼女の脳裏に、あの日の光景が蘇っていた。
人間たちに追い詰められていた名も知れぬエルフの子供。その子を守るために彼は何の計算もなく、ただ衝動的に自分よりも遥かに格上の敵の前に立ちはだかった。
「彼は私を救ってくれた時、『仲間だからだ』と言いました。そこには何の打算も計算もなかった。ただ目の前で脅かされている仲間を守りたいという、純粋な想いだけがあった。私はそれを信じます」
ザラキエルの言葉は巧みだった。だが、彼は一つだけ致命的な見落としをしていた。
俺という存在がただの合理主義の塊ではないこと。その冷徹な仮面の下に、前世で失った「仲間」や「居場所」に対する不器用で、しかし誰よりも強い渇望を隠していることを。
リリアは、その本質を誰よりも近くで見て感じ取っていたのだ。
「あなたの言う『救い』はとても甘美に聞こえます。ですが、それは結局魔王という新たな支配者に媚びへつらうだけの偽りの安寧ではありませんか? それでは何も変わらない。私はもう誰かに与えられた居場所で、怯えながら生きるのはごめんなさい」
彼女は一歩前に出た。その小さな身体から、ザラキエルでさえも気圧されるほどの強い意志の力が放たれていた。
「私の居場所はここです」
彼女は自分の胸にそっと手を当てた。
「あの不器用で口の悪い、でも誰よりも仲間想いな私たちの王の隣。彼と共に、たとえ明日喰われるかもしれないとしても、自分たちの手で未来を築き上げていく。それが私の選んだ道です」
それは、リリア・シルヴァニアという一人のエルフの魂の叫びだった。
故郷を失い全てを諦めかけていた少女が、新たな居場所を見つけ自らの意志でその運命を掴み取ろうとする、力強い独立宣言だった。
「……そうか」
ザラキエルは差し伸べていた手をゆっくりと下ろした。
彼の顔からは表情が消え失せていた。
それは無関心ではない。自らの策が完全に破れたことを認めた、冷徹な現実認識の顔だった。
彼はリリアという存在を見誤っていた。
彼女は、この国の弱点などではなかった。
むしろ、この国の『心』そのもの。王の冷徹な知略に温かい魂を吹き込む、絶対不可欠な存在。彼女がいる限り、この国はただの暴力装置にはならない。
「……見事だ、エルフの娘。お前のその揺るがぬ忠誠、我が主にも見せて差し上げたかったほどだ」
ザラキエルの声にはもはや甘さはなかった。
そこには敵意とも敬意ともつかない、複雑な響きが込められていた。
「だが、覚えておくがいい。世界はお前たちが思うほど甘くはない。その美しい理想が、いずれお前たち自身を滅ぼすことになるやもしれんぞ」
彼はそう言い残すと、背後を振り返った。
そして影の中へと溶けるように消えようとした、その時だった。
「――それ以上、俺の女に近づくな」
低く、地を這うような声が夜の静寂を切り裂いた。
声の主はいつからそこにいたのか。
ザラキエルの背後の影の中から、もう一つのさらに濃密な闇がゆっくりと人型を形作っていた。
漆黒の翼。
ゴブリンロードの威圧感。
そして、その紅い瞳には仲間を、そしてリリアを脅かされたことに対する絶対零度の怒りが燃え盛っていた。
俺が、そこに立っていた。
戦場から戻ってきたのだ。
リリアの静かで、しかし凛とした声が夜の静寂に響いた。
そのあまりにも予想外の返答に、ザラキエルの美しい顔が初めてわずかに歪んだ。
「……ほう? 今、何と?」
「お断りします、と言ったのです」
リリアはもはや俯いていなかった。彼女は魔王四天王の一人であるザラキエルを、その大きな瞳で真っ直ぐに見据えていた。
「確かにあなたの言う通りかもしれません。人間は信じられない。そしてゴブ様も、いつか私を切り捨てるのかもしれない。彼の世界は弱肉強食。それが理なのでしょうから」
彼女の言葉は、ザラキエルが突きつけた厳しい現実を一度全て受け入れるものだった。
「ですが」とリリアは続けた。その声には一点の曇りもなかった。「それでも私は彼を信じます」
「……愚かな。何を根拠に?」
ザラキエルの声に、苛立ちの色が滲み始める。
「根拠などありません」リリアは静かに微笑んだ。「ただ、私はこの目で見てきたのです。彼が仲間を失い、血を流しながらも決して諦めなかった姿を。彼が戦えない弱いゴブリンたちにさえ役割を与え、その居場所を作ろうとした姿を。そして……」
彼女の脳裏に、あの日の光景が蘇っていた。
人間たちに追い詰められていた名も知れぬエルフの子供。その子を守るために彼は何の計算もなく、ただ衝動的に自分よりも遥かに格上の敵の前に立ちはだかった。
「彼は私を救ってくれた時、『仲間だからだ』と言いました。そこには何の打算も計算もなかった。ただ目の前で脅かされている仲間を守りたいという、純粋な想いだけがあった。私はそれを信じます」
ザラキエルの言葉は巧みだった。だが、彼は一つだけ致命的な見落としをしていた。
俺という存在がただの合理主義の塊ではないこと。その冷徹な仮面の下に、前世で失った「仲間」や「居場所」に対する不器用で、しかし誰よりも強い渇望を隠していることを。
リリアは、その本質を誰よりも近くで見て感じ取っていたのだ。
「あなたの言う『救い』はとても甘美に聞こえます。ですが、それは結局魔王という新たな支配者に媚びへつらうだけの偽りの安寧ではありませんか? それでは何も変わらない。私はもう誰かに与えられた居場所で、怯えながら生きるのはごめんなさい」
彼女は一歩前に出た。その小さな身体から、ザラキエルでさえも気圧されるほどの強い意志の力が放たれていた。
「私の居場所はここです」
彼女は自分の胸にそっと手を当てた。
「あの不器用で口の悪い、でも誰よりも仲間想いな私たちの王の隣。彼と共に、たとえ明日喰われるかもしれないとしても、自分たちの手で未来を築き上げていく。それが私の選んだ道です」
それは、リリア・シルヴァニアという一人のエルフの魂の叫びだった。
故郷を失い全てを諦めかけていた少女が、新たな居場所を見つけ自らの意志でその運命を掴み取ろうとする、力強い独立宣言だった。
「……そうか」
ザラキエルは差し伸べていた手をゆっくりと下ろした。
彼の顔からは表情が消え失せていた。
それは無関心ではない。自らの策が完全に破れたことを認めた、冷徹な現実認識の顔だった。
彼はリリアという存在を見誤っていた。
彼女は、この国の弱点などではなかった。
むしろ、この国の『心』そのもの。王の冷徹な知略に温かい魂を吹き込む、絶対不可欠な存在。彼女がいる限り、この国はただの暴力装置にはならない。
「……見事だ、エルフの娘。お前のその揺るがぬ忠誠、我が主にも見せて差し上げたかったほどだ」
ザラキエルの声にはもはや甘さはなかった。
そこには敵意とも敬意ともつかない、複雑な響きが込められていた。
「だが、覚えておくがいい。世界はお前たちが思うほど甘くはない。その美しい理想が、いずれお前たち自身を滅ぼすことになるやもしれんぞ」
彼はそう言い残すと、背後を振り返った。
そして影の中へと溶けるように消えようとした、その時だった。
「――それ以上、俺の女に近づくな」
低く、地を這うような声が夜の静寂を切り裂いた。
声の主はいつからそこにいたのか。
ザラキエルの背後の影の中から、もう一つのさらに濃密な闇がゆっくりと人型を形作っていた。
漆黒の翼。
ゴブリンロードの威圧感。
そして、その紅い瞳には仲間を、そしてリリアを脅かされたことに対する絶対零度の怒りが燃え盛っていた。
俺が、そこに立っていた。
戦場から戻ってきたのだ。
32
あなたにおすすめの小説
M.M.O. - Monster Maker Online
夏見ナイ
SF
現実世界に居場所を見出せない大学生、神代悠。彼が救いを求めたのは、モンスターを自由に創造できる新作VRMMO『M.M.O.』だった。
彼が選んだのは、戦闘能力ゼロの不遇職【モンスターメイカー】。周囲に笑われながらも、悠はゴミ同然の素材と無限の発想力を武器に、誰も見たことのないユニークなモンスターを次々と生み出していく。
その常識外れの力は、孤高の美少女聖騎士や抜け目のない商人少女といった仲間を引き寄せ、やがて彼の名はサーバーに轟く。しかし、それは同時にゲームの支配を目論む悪徳ギルドとの全面対決の始まりを意味していた。
これは、最弱の職から唯一無二の相棒を創り出し、仲間と世界を守るために戦う、創造と成り上がりの物語。
ダンジョンに行くことができるようになったが、職業が強すぎた
ひまなひと
ファンタジー
主人公がダンジョンに潜り、ステータスを強化し、強くなることを目指す物語である。
今の所、170話近くあります。
(修正していないものは1600です)
俺の職業は【トラップ・マスター】。ダンジョンを経験値工場に作り変えたら、俺一人のせいでサーバー全体のレベルがインフレした件
夏見ナイ
SF
現実世界でシステムエンジニアとして働く神代蓮。彼が効率を求めVRMMORPG「エリュシオン・オンライン」で選んだのは、誰にも見向きもされない不遇職【トラップ・マスター】だった。
周囲の冷笑をよそに、蓮はプログラミング知識を応用してトラップを自動連携させる画期的な戦術を開発。さらに誰も見向きもしないダンジョンを丸ごと買い取り、24時間稼働の「全自動経験値工場」へと作り変えてしまう。
結果、彼のレベルと資産は異常な速度で膨れ上がり、サーバーの経済とランキングをたった一人で崩壊させた。この事態を危険視した最強ギルドは、彼のダンジョンに狙いを定める。これは、知恵と工夫で世界の常識を覆す、一人の男の伝説の始まり。
備蓄スキルで異世界転移もナンノソノ
ちかず
ファンタジー
久しぶりの早帰りの金曜日の夜(但し、矢作基準)ラッキーの連続に浮かれた矢作の行った先は。
見た事のない空き地に1人。異世界だと気づかない矢作のした事は?
異世界アニメも見た事のない矢作が、自分のスキルに気づく日はいつ来るのだろうか。スキル【備蓄】で異世界に騒動を起こすもちょっぴりズレた矢作はそれに気づかずマイペースに頑張るお話。
鈍感な主人公が降り注ぐ困難もナンノソノとクリアしながら仲間を増やして居場所を作るまで。
日本国 召喚獣管理省 関東庁 召喚獣総合事案即応科。
wakaba1890
ファンタジー
召喚獣。
それは向こう側とされる所から、10歳を迎えた日本人の子供の下に召喚されるモンスターのことである。
初代天皇・神武天皇が日本を建国した際に書かれた絵画には彼は金鵄と呼ばれる金色に輝く鵄(とび)と契約したのが原初となっている。
そして、縄文、弥生、古墳、飛鳥、平安、戦国時代から近代から今に至るまで、時代を動かしてきた人物の側には確かに召喚獣は介在していた。
また、奇妙な事に、日本国に限り、齢10歳を迎えた日本在住の日本人にのみ体のどこかから多種多様な紋章が発現し、当人が念じると任意の場所から召喚陣が現れ、人ならざるモンスターを召喚される。
そして、彼らモンスターは主人である当人や心を許した者に対して忠実であった。
そのため、古来の日本から、彼ら召喚獣は農耕、治水、土木、科学技術、エネルギー、政治、経済、金融、戦争など国家の基盤となる柱から、ありとあらゆる分野において、今日に至るまで日本国とアジアの繁栄に寄与してきた。
そして、建国から今まで、国益の基盤たる彼ら数万種類以上をも及ぶ召喚獣を取り締まり管理し、2600年以上と脈々と受け継がれてきた名誉ある国家職がーーーーー国家召喚獣管理官である。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
ハズレスキル【地図化(マッピング)】で追放された俺、実は未踏破ダンジョンの隠し通路やギミックを全て見通せる世界で唯一の『攻略神』でした
夏見ナイ
ファンタジー
勇者パーティの荷物持ちだったユキナガは、戦闘に役立たない【地図化】スキルを理由に「無能」と罵られ、追放された。
しかし、孤独の中で己のスキルと向き合った彼は、その真価に覚醒する。彼の脳内に広がるのは、モンスター、トラップ、隠し通路に至るまで、ダンジョンの全てを完璧に映し出す三次元マップだった。これは最強の『攻略神』の眼だ――。
彼はその圧倒的な情報力を武器に、同じく不遇なスキルを持つ仲間たちの才能を見出し、不可能と言われたダンジョンを次々と制覇していく。知略と分析で全てを先読みし、完璧な指示で仲間を導く『指揮官』の成り上がり譚。
一方、彼を失った勇者パーティは迷走を始める……。爽快なダンジョン攻略とカタルシス溢れる英雄譚が、今、始まる!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる