デバフ専門の支援術師は勇者パーティを追放されたので、呪いのアイテム専門店を開きます

夏見ナイ

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第三十六話 王都からの影

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勇者パーティが嵐のように去ってから、二週間が過ぎた。【ノアの箱舟】には、すっかり元の穏やかな日常が戻っていた。壁の傷はエリオの土魔法できれいに修復され、床の傷はルナが「これも店の歴史だ」と言って、あえてそのまま残してある。

「よし、できたぞ! 『忘れ物防止の鍵掛け』だ!」

工房から、ノアが満足げな声を上げた。彼が手にしていたのは、一見すると何の変哲もない木製の鍵掛けだった。

「これを玄関にかけておけば、家を出る時に忘れ物があると、鍵がカタカタと震えて知らせてくれるんだ。代償として、たまに何もなくても震えるけど」
「その代償、心臓に悪いわね……」

帳簿をつけていたルナが、呆れたように呟く。だが、その顔には笑みが浮かんでいた。店が繁盛し、仲間たちの生活が安定したことで、彼女の表情も出会った頃よりずっと柔らかくなっている。

そんな平和な昼下がり。店のドアベルが、カランと鳴った。

入ってきたのは、一人の地味な男だった。年は三十代半ばだろうか。灰色の質素な服をまとい、その顔には特に目立った特徴がない。人混みに紛れれば、一秒で姿を見失ってしまいそうな、影の薄い男だった。

男は、客を装いながらも、その鋭い観察眼で店内をくまなく見渡していた。彼の名はシャドウ。国王直属の密偵であり、アレスの報告の真偽を確かめるために派遣された、影の専門家だった。

(これが、あの呪術師の店か……。アレス様の報告によれば、人心を惑わす危険な巣窟のはずだが)

シャドウの目には、報告とは全く違う光景が映っていた。店内の客たちは皆、リラックスした様子で商品を眺めている。スタッフの少女たちは、柔らかな笑顔で客に応対している。どこにも、危険な雰囲気など感じられない。

その時、一人の若い母親が、赤ん坊を抱いて困った顔でアンナに相談していた。

「この子、夜泣きがひどくて……。私も主人も、もう何日も眠れていないんです」
「お辛いですね。ですが、この子の心から聞こえてくるのは、寂しさや苦しさではありません。ただ、お母様が大好きで、ずっと見ていたいという、純粋な想いだけですよ」

アンナの言葉に、母親ははっとした顔になり、愛おしそうに我が子を見つめた。

「そんな……。私は、この子をうるさいとさえ思っていたのに……」
「『子守唄のオルゴール』です」

ノアが、小さなオルゴールを差し出した。

「これを枕元で鳴らせば、赤ちゃんは朝までぐっすり眠ってくれます。代償として、この子守唄は、お母様の頭の中で一日中鳴り響くことになりますが」
「まあ! それくらい、どうってことありませんわ!」

母親は心から感謝し、オルゴールを大事そうに受け取って帰っていった。シャドウは、その一部始終を目の当たりにし、内心の混乱を隠せない。

(人心を惑わす……? 違う。これは、救済だ。勇者様の報告は、一体何だったんだ)

シャドウは、自らも何かを試すことにした。彼はカウンターに近づき、アンナに向き合う。

「何か、疲れが取れるような道具はあるか」

彼は、密偵という仕事柄、常に神経を張り詰め、何年も安眠したことがなかった。その心の疲労が、彼の影をより薄くしている原因でもあった。

アンナは、シャドウの顔をじっと見つめ、静かに言った。

「お客様は、お体よりも、心がずっと緊張しておられるのですね。まるで、世界中の全てを敵だと思っているかのように……。それでは、お休みになれませんよね」

その言葉に、シャドウは全身に鳥肌が立った。誰にも見せたことのない、心の鎧のさらに奥深くを、この少女はいともたやすく見抜いたのだ。

奥から出てきたノアは、シャドウに一つの小さな枕を差し出した。

「『一夜限りの安眠枕』です。これを使って眠れば、あなたは今夜だけ、全ての警戒心から解放され、赤子のように眠ることができるでしょう」
「……代償は?」

シャドウは、かろうじて声を絞り出した。

「翌朝、ものすごい寝癖がつきます」

そのあまりにも平和な代償に、シャドウは一瞬、呆気に取られた。

「……これを、一つもらおう」

シャドウは枕を受け取ると、代金を払い、足早に店を後にした。彼は、人気の無い路地裏で立ち止まり、深く息をつく。

(ノア……。あの男は、危険人物などではない。むしろ、聖職者と呼ぶべき男だ)

シャドウは、アレスの報告が、個人的な憎悪に満ちた虚偽であると確信した。

しかし、同時に、彼は背筋が凍るような思いにも駆られていた。

(だが、この力は……。人の心を見抜き、常識外れの奇跡を起こすこの力は、使い方を誤れば、確かに国家を揺るがす脅威となりうる。国王陛下には、ありのままを報告せねばなるまい)

彼の掌の中にある小さな枕が、まるで国家の運命を左右する天秤の錘のように、ずしりと重く感じられた。王都からの影は、まだこの街から完全には去っていなかった。
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