無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第四話:情報という武器

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ジョセフが忠誠を誓った翌日。アッシュの部屋には、主と執事という仮面を被った共犯者が二人きりで向き合っていた。

「頼みたいことは三つある」

アッシュは静かに切り出した。彼の赤い瞳は、年齢にそぐわない冷徹な光を宿している。ジョセフは背筋を伸ばし、その言葉を待った。

「一つ目は資金だ。母上が俺に遺してくれた宝飾品や、帝都の片隅にある小さな土地の権利書があるはずだ。それを誰にも気づかれずに換金し、いつでも動かせる金貨に変えておいてほしい」

破滅の未来を回避し、生き延びるためには金が要る。屋敷を出た後の生活資金、人を雇うための資金。何をするにしても、立つ鳥跡を濁さず、しかし懐は温かくしておく必要があった。

「畏まりました。長年懇意にしている商人がおります。彼ならば口も堅く、足もつかないでしょう」

ジョセフは淀みなく答えた。彼の「信頼:80」という数値が、その商人が本当に信用できる人物であることを示唆している。スキルはこういう時にも役立つ。

「二つ目は情報だ。この屋敷内の全ての噂、特に父上や兄上たちの動向を逐一報告してほしい。誰と会い、何を話しているのか。どんな些細なことでも構わない」

前世の会社組織で学んだことの一つ。情報戦を制する者が、全てを制する。誰が誰と繋がり、誰が誰を裏切ろうとしているのか。その力関係を見誤った者は、真っ先に切り捨てられる。

「承知いたしました。屋敷の使用人たちの中には、私の顔に免じて口を開く者もおりましょう」

ジョセフの言葉には自信が滲んでいた。彼の長年の奉公で培われた人脈は、アッシュにとって金銭以上の価値を持つ資産だった。

「そして三つ目。これが最も重要だ」

アッシュは一度言葉を切り、ジョセフの目を見据えた。
「俺のことは、今まで通り『無能な出来損ない』として扱ってくれ。誰に対してもだ。お前も、俺に憐憫の情を抱いているフリをしろ」

「アッシュ様……」

ジョセフの感情に「困惑:70」「痛み:50」が浮かぶ。忠誠を誓った主人に、侮蔑の仮面を被れという命令は酷だったのだろう。

「いいか、ジョセフ。俺の最大の武器は、敵が俺を侮っていることだ。警戒されないことだ。その武器を、自ら手放す愚は犯したくない」

アッシュの真剣な眼差しに、ジョセフは覚悟を決めたように頷いた。「畏まりました。アッシュ様の御心のままに」。彼の「忠誠心」の数値が98に上昇した。困難な命令を理解し、受け入れたことで、彼の忠誠はさらに強固なものになったのだ。

ジョセフが下がった後、アッシュは一人、自室で思考に耽っていた。駒は手に入れた。だが、彼自身も武器を磨かねばならない。アッシュは目を閉じ、意識を【感情経済】に集中させた。

スキルを発動させると、屋敷中に散らばる人々の感情が、色とりどりの光点のように感じられる。最初は漠然としたノイズのようだったが、意識を研ぎ澄ませていくと、その光点の位置や強さが判別できるようになった。壁の向こう、廊下の先、階下の食堂。人々の感情の気配が、ぼんやりとだが掴める。

(これは使える……)

完全な透視能力ではない。だが、どこに誰がいるのか、その人物が今どんな感情でいるのかが、おおよそ把握できる。これと聴覚を組み合わせれば、盗聴に近い芸当が可能になるかもしれない。

アッシュは、屋敷の中で最も強く、複雑な感情が渦巻いている場所へと意識を向けた。父の書斎だ。そこからは、「怒り」「苛立ち」「優越感」といった激しい感情の反応が絶えず発せられている。おそらく、兄たちが父と話しているのだろう。

興味を引かれたアッシュは、自室を出て書斎の近くまで移動した。分厚い扉が閉ざされ、中の声はほとんど聞こえない。しかし、壁に耳を当て、スキルを最大まで集中させると、情報が断片的に流れ込んできた。

耳に届くのは、くぐもった声。しかし、スキルがその声の主の感情を補足する。

「……第二王子は、あまりにも短慮が過ぎる」

父グレイグの声だ。「失望:80」「苛立ち:70」。

「ですが父上、彼の後ろには陛下と皇后宮様がついております。我々が第一王子に肩入れしていると見なされるのは得策ではありません」

長兄アルフォンスの冷静な声。「計算:90」「野心:85」。彼は父の怒りを宥めつつ、自分の望む方向へ議論を誘導しようとしている。

「フン。気に食わねえ野郎だ。だが、今のうちに恩を売っておくのも悪くねえ。次の夜会で、何か仕出かすかもしれねえな」

次兄ベルナルドの荒々しい声。「闘争心:70」「軽蔑:60」。彼は第二王子を好いてはいないが、利用価値は認めているようだ。

会話が途切れ途切れに聞こえる。第二王子。夜会。失敗。責任。キーワードがアッシュの頭の中で繋がっていく。そして、決定的な言葉が彼の耳に届いた。

「万が一、第二王子が何か大きな失態を犯した場合……誰かに責任を取ってもらう必要がありますな。例えば、出来損ないの弟、とか」

アルフォンスの言葉。その声には何の感情も乗っていなかった。ただ、事実を述べるかのように淡々と。しかし、アッシュのスキルは彼の内面を正確に読み取っていた。「冷酷:95」「計算:90」。

(……やはり、そうか)

アッシュは壁から静かに離れた。心臓は、驚くほど落ち着いていた。予感は確信に変わった。兄たちは、来るべき権力闘争の火種として、アッシュをスケープゴートにする準備を着々と進めている。第二王子が問題を起こした時、その責任を全てアッシュに被せ、ヴェルヘイム家は被害者の顔をして第一王子派に恩を売る。そういう筋書きだろう。

(俺を駒として使うつもりか。上等だ)

怒りはない。ただ、冷たい闘志が湧き上がってくる。前世で、理不尽な責任を押し付けられて会社を追われた同僚の顔が浮かんだ。もう二度と、あんな結末は繰り返さない。

アッシュはすぐさま自室に戻り、再びジョセフを呼び出した。今度の彼の表情は、先ほどとは打って変わって険しいものだった。

「ジョセフ、命令を追加する」

「なんなりと」

「第二王子主催の夜会について、徹底的に調べろ。招待客のリスト、当日の警備体制、そして何より、第二王子自身の最近の素行。誰と会い、どんな問題を起こしているか。金はいくらかかってもいい。どんな些細な情報でもいいから、全て集めるんだ」

アッシュの鋭い視線に、ジョセフは事の重大さを察した。「畏まりました」と彼は深く頭を下げ、静かに部屋を退出していった。

一人残されたアッシュは、窓際に置かれたチェス盤に目をやった。白と黒の駒が、静かに対峙している。彼は黒のキングの駒を指で弾いた。カツン、と乾いた音が部屋に響く。

(お前たちが俺を駒だと思うなら、好きにすればいい)

だが、盤上の駒は、必ずしもプレイヤーの意のままに動くとは限らない。時には、駒がプレイヤー自身を喰らうことだってあるのだ。

「情報は武器だ。そして感情は、その武器を振るうための引き金になる」

アッシュは静かに呟いた。彼の反撃の計画が、今、静かに、そして確実に動き始めていた。帝国の誰もがまだ知らない。無能と蔑まれた公爵家の三男が、やがて帝国そのものを揺るがす嵐の中心になることを。
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