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第五話:仕組まれた陰謀
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ジョセフがもたらす情報は、乾いた砂が水を吸うようにアッシュの中に蓄積されていった。彼の有能さはアッシュの想像以上だった。屋敷内の噂話から帝都の闇市場の動向まで、金と長年の信用を駆使して、驚くべき速さで情報を集めてくる。
「アッシュ様、これが第二王子レオルド殿下の最近の素行に関する報告です」
ジョセフが差し出した羊皮紙には、びっしりと文字が書き込まれていた。アッシュはそれに静かに目を通す。
第二王子レオルド。皇帝の次男でありながら、その評価は芳しくない。短気で傲慢。気に入らないことがあると、すぐに暴力に訴える悪癖がある。最近はとある子爵家の令嬢にご執心だが、その令嬢には既に婚約者がいる。そして、今度の夜会には、その令嬢と婚約者の両名が招待されているという。
「ご丁寧に、火種まで用意されているとはな」
アッシュは皮肉げに呟いた。これ見よがしに置かれた燃料だ。第二王子の性格からして、夜会の場で婚約者に対して何らかの挑発を行うことは想像に難くない。
「アルフォンス兄上は、騎士団の一部に影響力を持っていたはずだ。夜会の警備にも、兄上の息がかかった者が配置されるだろう」
そうなれば、第二王子が騒ぎを起こしても、警備は意図的に初動を遅らせる。あるいは、逆に過剰に反応して事態を悪化させることも可能だ。混乱は計画の温床となる。
(混乱の中で、第二王子が『何者か』に襲われる。そして、その犯人に俺を仕立て上げる)
そこまでが、アッシュの描いた兄の計画の骨子だった。あまりに稚拙で、見え透いている。だが、権力というものは、時にそうした単純な筋書きを真実にしてしまう力を持つ。無能な三男が嫉妬に狂い、王子に刃を向けた。ヴェルヘイム家は悲しみと共に、罪人である息子を断罪した。美しい物語だ。
しかし、まだピースが足りない。この計画には、アッシュを確実に犯人に仕立て上げるための決定的な「証拠」が必要なはずだ。
その答えは、数日後の夜にもたらされた。
アッシュは自室で読書をしていたが、【感情経済】が屋敷の特定の場所で、強い感情の反応を捉えた。父の書斎ではない。兄アルフォンスの私室だ。そこからは、「優越感:90」「冷酷:85」「期待:70」といった、彼の計画が順調に進んでいることを示す感情が漏れ出ていた。そして、もう一つ。次兄ベルナルドの「不満:60」「疑念:50」という感情も混じっている。
二人は密談している。
アッシュは静かに本を閉じ、音を立てずに部屋を出た。アルフォンスの私室は、アッシュの部屋からそう遠くない。彼は壁の陰に身を潜め、聴覚とスキルを極限まで研ぎ澄ませた。
「……本当にうまくいくのか、兄上。相手は王子だぞ」
ベルナルドの苛立った声が聞こえる。
「問題ない。全て手はずは整っている」
アルフォンスの落ち着き払った声がそれに答える。彼の感情は、完璧な計画への絶対的な自信に満ちていた。
「夜会で使う『毒』は手に入れた。もちろん、命に別状はない。数日眠るだけの、ごく弱い無味無臭の薬だ。王子が飲むワイングラスに、事前に仕込んでおく」
毒、という言葉に、ベルナルドの感情が「警戒:70」に跳ね上がった。
「毒だと?正気か!」
「静かにしろ、ベルナルド。だから言っただろう、ただの眠り薬だと。重要なのは『第二王子が毒を盛られ、倒れた』という事実だ。医官も買収済みで、大げさに『毒によるものだ』と騒ぎ立ててくれる」
アッシュは息を呑んだ。予想以上に計画は悪質で、そして用意周到だった。ただの暴行事件の濡れ衣ではない。王族に対する毒殺未遂。それは国家への反逆に等しい大罪だ。
「そして、騒ぎになった後、アッシュの部屋を捜索させる。そうすれば……」
アルフォンスの声に、愉悦の色が混じる。
「……彼の机の引き出しから、王子が飲んだものと『同じ毒の入った小瓶』が見つかるというわけだ。無能な弟が、王子に恥をかかされた子爵令嬢の婚約者に唆され、凶行に及んだ。筋書きはこうだ。婚約者は早々に口を封じる」
「……汚えやり方だ」
ベルナルドが吐き捨てる。彼の感情には「嫌悪:70」が浮かんでいたが、計画に反対するほどの「正義感」はなかった。兄の計画に乗ることで得られる利益が、彼の良心を黙らせていた。
アッシュは、もうそれ以上聞く必要はないと判断した。静かにその場を離れ、自室に戻る。窓から差し込む月明かりが、彼の白い顔を青く照らしていた。
(毒殺未遂……か。俺を社会的に殺すだけでなく、物理的にも確実に葬り去るつもりだな)
この計画が実行されれば、アッシュに弁明の機会など与えられない。即刻捕らえられ、見せしめのように処刑されるだろう。ヴェルヘイム公爵家は、悲劇の英雄として第一王子派からの同情と信頼を得る。完璧な計画だ。アッシュ・フォン・ヴェルヘイムという存在がいなければ。
普通なら絶望する場面だろう。パニックに陥り、逃亡を考えるか、あるいは無謀にも兄に問い詰めるか。
だが、アッシュの心は氷のように冷え切っていた。
(面白い。実に面白いじゃないか)
前世で、彼は常に受け身だった。理不尽な要求を呑み、責任を押し付けられ、なすすべもなく摩耗していった。だが今は違う。彼の手には【感情経済】という武器がある。そして、敵の計画の全貌を、敵自身よりも正確に把握している。
(この陰謀、乗ってやろう)
アッシュは決断した。兄の計画通りに動いてやる。無知で無能な哀れな弟を、完璧に演じきってやる。彼らが勝利を確信し、油断しきったその瞬間こそが、アッシュにとって最大の好機となる。
彼はすぐにジョセフを呼んだ。
「ジョセフ、計画に変更がある」
「なんなりと、お申し付けください」
「俺は、兄上の計画通りに捕まる。反逆者として、この家を追放されるだろう。だから、お前にはその後の準備を頼みたい」
ジョセフの顔が強張る。彼の「忠誠心」の数値が揺らぎ、「動揺:80」「心配:90」が激しく点滅した。
「アッシュ様、それはあまりにも危険です!罠だと分かっていながら……」
「これが最も確実な道だ、ジョセフ」
アッシュは老執事の言葉を遮った。
「俺が自力でこの家を出ようとすれば、必ず追手が差し向けられる。だが、『国家反逆罪で追放される罪人』ならば話は別だ。ヴェルヘイム家は俺を見捨て、帝国は俺を忘れ去る。そうなれば、俺は誰の監視もない自由の身となれる。これは、俺がこの鳥籠から飛び立つための、唯一無二の好機なのだ」
アッシュの赤い瞳には、一切の迷いがなかった。その覚悟に満ちた眼差しに、ジョセフは言葉を失う。やがて、彼は深く、深く頭を下げた。
「……アッシュ様の覚悟、しかと拝察いたしました。このジョセフ、命に代えても準備を整えさせていただきます」
彼の感情から「動揺」が消え、「決意:95」という鋼のような光が宿るのを、アッシュは見届けた。
夜会の日は、数日後に迫っていた。アッシュは何も知らないフリをして、ただ黙々と本を読み続ける。その姿は、運命に翻弄されるだけの哀れな少年にしか見えなかった。
だが、彼の頭の中では、無数の思考が高速で回転していた。追放先はどこになるか。資金の隠し場所は。ジョセフとの合流方法は。兄たちが描いた脚本を、彼は自分のための一人舞台へと、静かに書き換えていた。
嵐の前の静けさ。アルフォンスはほくそ笑み、ベルナルドは目をそらし、父は無関心を貫く。彼らはまだ、自分たちが育てていたのが、か弱い羊ではなく、牙を隠した狼であったことを知らなかった。
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ジョセフが差し出した羊皮紙には、びっしりと文字が書き込まれていた。アッシュはそれに静かに目を通す。
第二王子レオルド。皇帝の次男でありながら、その評価は芳しくない。短気で傲慢。気に入らないことがあると、すぐに暴力に訴える悪癖がある。最近はとある子爵家の令嬢にご執心だが、その令嬢には既に婚約者がいる。そして、今度の夜会には、その令嬢と婚約者の両名が招待されているという。
「ご丁寧に、火種まで用意されているとはな」
アッシュは皮肉げに呟いた。これ見よがしに置かれた燃料だ。第二王子の性格からして、夜会の場で婚約者に対して何らかの挑発を行うことは想像に難くない。
「アルフォンス兄上は、騎士団の一部に影響力を持っていたはずだ。夜会の警備にも、兄上の息がかかった者が配置されるだろう」
そうなれば、第二王子が騒ぎを起こしても、警備は意図的に初動を遅らせる。あるいは、逆に過剰に反応して事態を悪化させることも可能だ。混乱は計画の温床となる。
(混乱の中で、第二王子が『何者か』に襲われる。そして、その犯人に俺を仕立て上げる)
そこまでが、アッシュの描いた兄の計画の骨子だった。あまりに稚拙で、見え透いている。だが、権力というものは、時にそうした単純な筋書きを真実にしてしまう力を持つ。無能な三男が嫉妬に狂い、王子に刃を向けた。ヴェルヘイム家は悲しみと共に、罪人である息子を断罪した。美しい物語だ。
しかし、まだピースが足りない。この計画には、アッシュを確実に犯人に仕立て上げるための決定的な「証拠」が必要なはずだ。
その答えは、数日後の夜にもたらされた。
アッシュは自室で読書をしていたが、【感情経済】が屋敷の特定の場所で、強い感情の反応を捉えた。父の書斎ではない。兄アルフォンスの私室だ。そこからは、「優越感:90」「冷酷:85」「期待:70」といった、彼の計画が順調に進んでいることを示す感情が漏れ出ていた。そして、もう一つ。次兄ベルナルドの「不満:60」「疑念:50」という感情も混じっている。
二人は密談している。
アッシュは静かに本を閉じ、音を立てずに部屋を出た。アルフォンスの私室は、アッシュの部屋からそう遠くない。彼は壁の陰に身を潜め、聴覚とスキルを極限まで研ぎ澄ませた。
「……本当にうまくいくのか、兄上。相手は王子だぞ」
ベルナルドの苛立った声が聞こえる。
「問題ない。全て手はずは整っている」
アルフォンスの落ち着き払った声がそれに答える。彼の感情は、完璧な計画への絶対的な自信に満ちていた。
「夜会で使う『毒』は手に入れた。もちろん、命に別状はない。数日眠るだけの、ごく弱い無味無臭の薬だ。王子が飲むワイングラスに、事前に仕込んでおく」
毒、という言葉に、ベルナルドの感情が「警戒:70」に跳ね上がった。
「毒だと?正気か!」
「静かにしろ、ベルナルド。だから言っただろう、ただの眠り薬だと。重要なのは『第二王子が毒を盛られ、倒れた』という事実だ。医官も買収済みで、大げさに『毒によるものだ』と騒ぎ立ててくれる」
アッシュは息を呑んだ。予想以上に計画は悪質で、そして用意周到だった。ただの暴行事件の濡れ衣ではない。王族に対する毒殺未遂。それは国家への反逆に等しい大罪だ。
「そして、騒ぎになった後、アッシュの部屋を捜索させる。そうすれば……」
アルフォンスの声に、愉悦の色が混じる。
「……彼の机の引き出しから、王子が飲んだものと『同じ毒の入った小瓶』が見つかるというわけだ。無能な弟が、王子に恥をかかされた子爵令嬢の婚約者に唆され、凶行に及んだ。筋書きはこうだ。婚約者は早々に口を封じる」
「……汚えやり方だ」
ベルナルドが吐き捨てる。彼の感情には「嫌悪:70」が浮かんでいたが、計画に反対するほどの「正義感」はなかった。兄の計画に乗ることで得られる利益が、彼の良心を黙らせていた。
アッシュは、もうそれ以上聞く必要はないと判断した。静かにその場を離れ、自室に戻る。窓から差し込む月明かりが、彼の白い顔を青く照らしていた。
(毒殺未遂……か。俺を社会的に殺すだけでなく、物理的にも確実に葬り去るつもりだな)
この計画が実行されれば、アッシュに弁明の機会など与えられない。即刻捕らえられ、見せしめのように処刑されるだろう。ヴェルヘイム公爵家は、悲劇の英雄として第一王子派からの同情と信頼を得る。完璧な計画だ。アッシュ・フォン・ヴェルヘイムという存在がいなければ。
普通なら絶望する場面だろう。パニックに陥り、逃亡を考えるか、あるいは無謀にも兄に問い詰めるか。
だが、アッシュの心は氷のように冷え切っていた。
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彼はすぐにジョセフを呼んだ。
「ジョセフ、計画に変更がある」
「なんなりと、お申し付けください」
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ジョセフの顔が強張る。彼の「忠誠心」の数値が揺らぎ、「動揺:80」「心配:90」が激しく点滅した。
「アッシュ様、それはあまりにも危険です!罠だと分かっていながら……」
「これが最も確実な道だ、ジョセフ」
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アッシュの赤い瞳には、一切の迷いがなかった。その覚悟に満ちた眼差しに、ジョセフは言葉を失う。やがて、彼は深く、深く頭を下げた。
「……アッシュ様の覚悟、しかと拝察いたしました。このジョセフ、命に代えても準備を整えさせていただきます」
彼の感情から「動揺」が消え、「決意:95」という鋼のような光が宿るのを、アッシュは見届けた。
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だが、彼の頭の中では、無数の思考が高速で回転していた。追放先はどこになるか。資金の隠し場所は。ジョセフとの合流方法は。兄たちが描いた脚本を、彼は自分のための一人舞台へと、静かに書き換えていた。
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