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第六話:追放への準備
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兄の陰謀という名の招待状を受け取ったアッシュは、その舞台に上がるための準備を淡々と進めていた。彼の頭の中には、すでに幕が下りた後の光景が広がっている。
「ジョセフ。俺が追放される先は、おそらくヴァイスラントになるだろう」
深夜の密談。アッシュの言葉に、ジョセフは息を呑んだ。
「ヴァイスラント……。帝国の北の果て、人呼んで『永久凍土の牢獄』。まさか、そこまでとは……」
ジョセフの感情に「絶望:70」という暗い色が浮かぶ。無理もない。ヴァイスラントは、最も重い罪を犯した貴族が送られる流刑地だ。一度送られれば、二度と生きては戻れないと噂される死の土地。
「王族への毒殺未遂となれば、そのくらいが妥当だ。兄上たちは俺に再起の機会など与えるつもりはない。だからこそ、そこがいい」
アッシュは冷静に続けた。
「誰もが見捨てた土地だからこそ、干渉もない。俺だけの国を作るには、うってつけの場所だ。だから、ヴァイスラントの情報を集めてほしい。地図、気候、人口、どんな産物があるのか。公式な記録だけでなく、商人や傭兵が語る噂話のような生の情報が欲しい」
「……畏まりました。あらゆる手を尽くしましょう」
ジョセフはアッシュの覚悟を前に、自らの絶望を押し殺した。彼の「決意」の数値が再び力強く輝く。
資金の準備も着々と進んでいた。ジョセフは懇意にしているという宝石商と密会を重ねていた。公爵家の監視の目を欺くため、取引は深夜、人通りのない裏路地で行われた。母の形見であった豪華なネックレスや腕輪が、一つまた一つとずっしりとした金貨の袋に変わっていく。
「アッシュ様。換金は全て完了いたしました。金貨にしておよそ五千枚。これだけの額になりますと、運ぶだけでも一苦労です」
数日後、ジョセフは疲労の色を浮かべながらも、確かな成果を報告した。貴族の基準からすれば微々たる額かもしれないが、無一文で辺境に乗り込むには十分すぎる元手だった。
「ご苦労だった。その金は分散して隠せ。夜会の日、俺が捕らえられた後、騒ぎに紛れて屋敷の外に運び出すんだ。合流地点は追って指示する」
「承知いたしました」
アッシュは夜会までの数日間、徹底して無力な少年を演じ続けた。食事の席では俯き、誰とも目を合わせない。たまに兄たちと廊下ですれ違えば、怯えたように道を譲る。その姿は、周囲の使用人たちの「憐憫」と「軽蔑」の感情をますます強固なものにした。
兄アルフォンスの感情は、日に日に「優越感」と「油断」に満ちていった。彼はアッシュを完全に見下しきっていた。自分の計画が完璧に進んでいると信じて疑っていない。アッシュの無抵抗な態度は、彼の自信をさらに増長させる最高のスパイスだった。
その間にも、ジョセフが集めたヴァイスラントの情報がアッシュの元に届けられた。それは、想像以上に絶望的な内容だった。
厳しい冬は一年の半分以上を占め、大地は凍てつき作物は育たない。人口は僅か数千人。そのほとんどが、希望を失った元罪人やその子孫たちだ。帝国からの支援は名ばかりで、人々は常に飢えと寒さに苦しんでいる。領内には盗賊が蔓延り、治安という概念は存在しないに等しい。
「まるで、生き地獄ですな……」
報告書を読み上げるジョセフの声は、かすかに震えていた。
しかし、アッシュは誰もが見過ごすような、些細な記述に目を留めていた。
「『かつて、山から奇妙な光を放つ黒い石が採れたという伝承がある』……か」
「ええ。ですが、使い道も分からず、今では誰も見向きもしないそうです」
黒い石。アッシュの前世の知識が、それが何を意味する可能性があるかを告げていた。石炭か、あるいはこの世界特有の魔力を秘めた鉱石か。いずれにせよ、凍てつく土地においては計り知れない価値を持つエネルギー資源となり得る。
「『土地は痩せているが、雪解け水は豊富』……」
「しかし、春先の雪崩で毎年川が堰き止められ、治水が追いつかないと」
豊富な水資源。治水さえできれば、農業用水として活用できる。前世の知識を応用すれば、不可能ではないかもしれない。
ジョセフが絶望の記録として持ってきた報告書は、アッシュの目には可能性に満ちた事業計画書に見えていた。痩せた土地、希望を失った人々。それはつまり、しがらみがなく、全てを一から作り上げられるということだ。領民の感情が「絶望」で満ちているなら、少しの「希望」を与えるだけで、彼らの感情は劇的に変化するだろう。食料、安全、そして仕事。それらを与える者に、人々は絶大な「忠誠心」を寄せるはずだ。
(ヴァイスラントは死の土地ではない。眠れる宝の山だ)
アッシュの口元に、微かな笑みが浮かんだ。ジョセフは、その主の表情に、理解を超えた何かを感じていた。この御方は、我々が見ているものとは全く違う景色を見ている。
そして、運命の夜会の前日。
最後の準備として、アッシュはジョセフに一枚の羊皮紙を渡した。そこには、数名の貴族の名前が記されていた。
「ジョセフ。ここに名前がある者たちは、没落寸前か、あるいはアルフォンス兄上に何らかの弱みを握られている者たちだ。夜会で俺が断罪された後、彼らは真っ先に兄上を称賛し、俺を罵るだろう。彼らの顔と名前、そしてその時の感情を覚えておけ」
それは、未来の復讐相手のリストだった。
「いつか、必ずこの借りを返しに帝都へ戻る。その日のために、敵を覚えておく必要がある」
「……アッシュ様」
ジョセフは言葉を失った。アッシュはただ逃げ延びるのではない。全てを奪われた場所へ、再び舞い戻り、全てを奪い返すつもりなのだ。
老執事は、深く、静かに頭を下げた。彼の感情ウィンドウは、もはや一つの感情で満たされていた。
「忠誠心:100」
準備は整った。金、情報、そして唯一無二の協力者。アッシュは窓の外に広がる帝都の夜景を見つめた。明日、彼はこの場所から追放される。しかし、それは終わりの始まりに過ぎない。
(待っていろ、兄上。お前たちが用意した舞台で、最高の道化を演じてやろう。そして、お前たちが俺を忘れた頃に、全てをひっくり返しに来てやる)
アッシュの赤い瞳が、復讐の炎で静かに揺らめいていた。
「ジョセフ。俺が追放される先は、おそらくヴァイスラントになるだろう」
深夜の密談。アッシュの言葉に、ジョセフは息を呑んだ。
「ヴァイスラント……。帝国の北の果て、人呼んで『永久凍土の牢獄』。まさか、そこまでとは……」
ジョセフの感情に「絶望:70」という暗い色が浮かぶ。無理もない。ヴァイスラントは、最も重い罪を犯した貴族が送られる流刑地だ。一度送られれば、二度と生きては戻れないと噂される死の土地。
「王族への毒殺未遂となれば、そのくらいが妥当だ。兄上たちは俺に再起の機会など与えるつもりはない。だからこそ、そこがいい」
アッシュは冷静に続けた。
「誰もが見捨てた土地だからこそ、干渉もない。俺だけの国を作るには、うってつけの場所だ。だから、ヴァイスラントの情報を集めてほしい。地図、気候、人口、どんな産物があるのか。公式な記録だけでなく、商人や傭兵が語る噂話のような生の情報が欲しい」
「……畏まりました。あらゆる手を尽くしましょう」
ジョセフはアッシュの覚悟を前に、自らの絶望を押し殺した。彼の「決意」の数値が再び力強く輝く。
資金の準備も着々と進んでいた。ジョセフは懇意にしているという宝石商と密会を重ねていた。公爵家の監視の目を欺くため、取引は深夜、人通りのない裏路地で行われた。母の形見であった豪華なネックレスや腕輪が、一つまた一つとずっしりとした金貨の袋に変わっていく。
「アッシュ様。換金は全て完了いたしました。金貨にしておよそ五千枚。これだけの額になりますと、運ぶだけでも一苦労です」
数日後、ジョセフは疲労の色を浮かべながらも、確かな成果を報告した。貴族の基準からすれば微々たる額かもしれないが、無一文で辺境に乗り込むには十分すぎる元手だった。
「ご苦労だった。その金は分散して隠せ。夜会の日、俺が捕らえられた後、騒ぎに紛れて屋敷の外に運び出すんだ。合流地点は追って指示する」
「承知いたしました」
アッシュは夜会までの数日間、徹底して無力な少年を演じ続けた。食事の席では俯き、誰とも目を合わせない。たまに兄たちと廊下ですれ違えば、怯えたように道を譲る。その姿は、周囲の使用人たちの「憐憫」と「軽蔑」の感情をますます強固なものにした。
兄アルフォンスの感情は、日に日に「優越感」と「油断」に満ちていった。彼はアッシュを完全に見下しきっていた。自分の計画が完璧に進んでいると信じて疑っていない。アッシュの無抵抗な態度は、彼の自信をさらに増長させる最高のスパイスだった。
その間にも、ジョセフが集めたヴァイスラントの情報がアッシュの元に届けられた。それは、想像以上に絶望的な内容だった。
厳しい冬は一年の半分以上を占め、大地は凍てつき作物は育たない。人口は僅か数千人。そのほとんどが、希望を失った元罪人やその子孫たちだ。帝国からの支援は名ばかりで、人々は常に飢えと寒さに苦しんでいる。領内には盗賊が蔓延り、治安という概念は存在しないに等しい。
「まるで、生き地獄ですな……」
報告書を読み上げるジョセフの声は、かすかに震えていた。
しかし、アッシュは誰もが見過ごすような、些細な記述に目を留めていた。
「『かつて、山から奇妙な光を放つ黒い石が採れたという伝承がある』……か」
「ええ。ですが、使い道も分からず、今では誰も見向きもしないそうです」
黒い石。アッシュの前世の知識が、それが何を意味する可能性があるかを告げていた。石炭か、あるいはこの世界特有の魔力を秘めた鉱石か。いずれにせよ、凍てつく土地においては計り知れない価値を持つエネルギー資源となり得る。
「『土地は痩せているが、雪解け水は豊富』……」
「しかし、春先の雪崩で毎年川が堰き止められ、治水が追いつかないと」
豊富な水資源。治水さえできれば、農業用水として活用できる。前世の知識を応用すれば、不可能ではないかもしれない。
ジョセフが絶望の記録として持ってきた報告書は、アッシュの目には可能性に満ちた事業計画書に見えていた。痩せた土地、希望を失った人々。それはつまり、しがらみがなく、全てを一から作り上げられるということだ。領民の感情が「絶望」で満ちているなら、少しの「希望」を与えるだけで、彼らの感情は劇的に変化するだろう。食料、安全、そして仕事。それらを与える者に、人々は絶大な「忠誠心」を寄せるはずだ。
(ヴァイスラントは死の土地ではない。眠れる宝の山だ)
アッシュの口元に、微かな笑みが浮かんだ。ジョセフは、その主の表情に、理解を超えた何かを感じていた。この御方は、我々が見ているものとは全く違う景色を見ている。
そして、運命の夜会の前日。
最後の準備として、アッシュはジョセフに一枚の羊皮紙を渡した。そこには、数名の貴族の名前が記されていた。
「ジョセフ。ここに名前がある者たちは、没落寸前か、あるいはアルフォンス兄上に何らかの弱みを握られている者たちだ。夜会で俺が断罪された後、彼らは真っ先に兄上を称賛し、俺を罵るだろう。彼らの顔と名前、そしてその時の感情を覚えておけ」
それは、未来の復讐相手のリストだった。
「いつか、必ずこの借りを返しに帝都へ戻る。その日のために、敵を覚えておく必要がある」
「……アッシュ様」
ジョセフは言葉を失った。アッシュはただ逃げ延びるのではない。全てを奪われた場所へ、再び舞い戻り、全てを奪い返すつもりなのだ。
老執事は、深く、静かに頭を下げた。彼の感情ウィンドウは、もはや一つの感情で満たされていた。
「忠誠心:100」
準備は整った。金、情報、そして唯一無二の協力者。アッシュは窓の外に広がる帝都の夜景を見つめた。明日、彼はこの場所から追放される。しかし、それは終わりの始まりに過ぎない。
(待っていろ、兄上。お前たちが用意した舞台で、最高の道化を演じてやろう。そして、お前たちが俺を忘れた頃に、全てをひっくり返しに来てやる)
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