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第二十三話:勝利の代償
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夜空に立ち上った赤い狼煙は、戦場に散らばる義勇兵たちにとって絶対の命令だった。
「撤退だ!総員、撤退せよ!」
サイモンの号令が響き渡る。放火と奇襲で混乱の極みにあった盗賊たちは、もはや統率された追撃を行う力を持っていなかった。義勇兵たちは訓練通り、速やかに陣形を組み直し、計画された撤退路へと向かう。
「ちくしょう!もう少しだったのに!」
ボルグは悔しげに吐き捨てながらも、陽動部隊を率いて離脱を開始した。彼の感情には、敵を討ち漏らした「不満」と共に、作戦をやり遂げた「達成感」が混じっていた。
合流地点に、二つの部隊が次々と集結する。
「ボルグ、無事か!」
「ああ、サイモン殿こそ!手筈通りだ!」
負傷者は数名出たが、いずれも軽傷。死者はいない。作戦は、ほぼ完璧な成功を収めたはずだった。
だが、そこにいるべき一人の男の姿がなかった。
「ガイウス殿は……?」
サイモンは周囲を見回し、ハッとしたように血相を変えた。伝説の英雄は、まだこの合流地点に現れていない。
「まさか……!」
サイモンはボルグに部隊の指揮を一時的に任せると、単身、炎上するアジトへと引き返した。彼の胸を、経験したことのない凶兆が鷲掴みにしていた。
リーダーのテントは、半ば焼け落ちていた。その入り口を切り裂き、中に飛び込んだサイモンは、息を呑んだ。
そこには、血の海の中に横たわる、ガイウスの巨体があった。腹部からは夥しい量の血が流れ出し、その顔は蝋のように白い。
「ガイウス殿ッ!!」
サイモンの絶叫が、炎の音にかき消された。彼は震える手でガイウスの首筋に触れる。まだ、かろうじて脈はあった。弱々しいが、確かに生きている。
後を追ってきたボルグも、その惨状を見て言葉を失った。
「嘘だろ……あのジジイが……」
彼の感情が「驚愕」と「恐怖」に塗りつぶされる。自分たちを無敵の存在に変えてくれた師が、いとも簡単に打ち倒されている。その事実が、彼の自信を根底から揺さぶった。
「ぐずぐずするな!担架を作れ!急ぐんだ!」
サイモンは我に返り、叫んだ。彼らはテントの支柱と布で即席の担架を作り、ガイウスの巨体を慎重に乗せた。その重さは、物理的なもの以上に、彼らの心に重くのしかかった。
丘の上で、アッシュはその一部始終をスキルを通じて把握していた。ガイウスの生命反応が、風前の灯火のように揺らめいている。アッシュの胸に、前世でさえ感じたことのない、冷たい焦燥感が突き刺さった。
(死なせるな……!絶対に!)
彼は、ガイウスをただの駒だと思っていた。有能で、代えの効かない重要な駒。だが、今、彼が感じているこの感情は、駒を失うことへの合理的な損失計算ではなかった。それは、もっと根源的な、仲間を失うことへの恐れだった。
夜が明け始め、東の空が白み始めた頃。ボロボロになった義勇兵たちが、ヴァイスラントの村へと帰還した。
彼らを待っていた領民たちは、当初、歓声を上げようとした。だが、その声はすぐに飲み込まれた。彼らの目に映ったのは、勝利の凱旋ではなく、担架で運ばれる血塗れのガイウスの姿だったからだ。
村の空気は、一瞬にして凍り付いた。歓喜は悲嘆に、興奮は沈黙に変わる。勝利の代償は、あまりにも大きかった。
アッシュは、丘の上から駆け下りてくると、担架のそばに膝をついた。ガイウスの顔に色はなく、呼吸はほとんど聞こえない。腹部の傷は、素人目にも致命的だと分かった。
「ジョセフ!」
アッシュの声が、静まり返った広場に鋭く響いた。
「湯を沸かせ!ありったけの清潔な布と、薬草を!それから、強い酒もだ!」
「は、はい!」
ジョセフは慌てて館へと駆け戻っていった。
アッシュは、前世でかじっただけの乏しい医学知識を総動員した。消毒、止血、縫合。この世界にはない概念かもしれないが、今はやるしかなかった。彼はガイウスの鎧を剥がし、傷口を露わにする。それは、内臓にまで達しているであろう、絶望的な傷だった。
領民たちは、ただ遠巻きに見守ることしかできない。彼らの感情は「悲しみ」と「無力感」、そしてアッシュに向けられた「祈り」で満ちていた。自分たちのリーダーが、今、英雄の命を救おうとしている。
アッシュは、震える自分の手を叱咤しながら、処置を続けた。強い酒で傷口を洗い、焼け焦げたナイフで傷口を塞ぐ。原始的で、乱暴な治療法。それでも、何もしないよりはましだった。
処置を終える頃には、朝日が完全に昇っていた。アッシュの額には汗が滲み、その手は血で赤く染まっていた。
ガイウスの呼吸は、相変わらず弱々しい。生死の境を、今も彷徨っている。
アッシュは立ち上がり、静まり返る領民たちに向き直った。
「今回の戦い、我々は勝った。盗賊団は壊滅的な打撃を受け、二度とこの村を襲うことはないだろう。お前たちは、自分たちの手で安全を勝ち取ったんだ」
その言葉に、しかし誰一人として喜ぶ者はいなかった。
アッシュは、サイモンとボルグから戦闘の詳細を聞き出した。隻腕のガイウスを圧倒した、黒い剣を持つ謎の男の存在。そして、彼が残した「目的は果たした」という言葉。
(目的は、ガイウスの無力化、あるいは殺害……)
アッシュは確信した。あの盗賊団は、ただのならず者の集団ではなかった。その背後には、ガイウスの存在を危険視し、彼を排除しようとする何者かがいる。それは、帝国の内部の人間か、あるいは全く別の勢力か。
ヴァイスラントという辺境の地は、彼が思っていたような安息の地ではなかった。見えざる敵の影が、すぐそこまで迫っている。
アッシュは、意識のないガイウスの傍らに屈み込み、その手を握った。まだ、微かな温もりが残っている。
(死ぬなよ、ガイウス。お前にはまだ、やってもらわなければならないことがある。そして、俺には……お前という仲間が必要だ)
それは、彼がこの世界に来て初めて抱いた、誰かに対する純粋な渇望だった。
ヴァイスラントに訪れた最初の勝利は、アッシュに仲間という存在の重さと、これから始まる本当の戦いの過酷さを、同時に教え込んでいた。
「撤退だ!総員、撤退せよ!」
サイモンの号令が響き渡る。放火と奇襲で混乱の極みにあった盗賊たちは、もはや統率された追撃を行う力を持っていなかった。義勇兵たちは訓練通り、速やかに陣形を組み直し、計画された撤退路へと向かう。
「ちくしょう!もう少しだったのに!」
ボルグは悔しげに吐き捨てながらも、陽動部隊を率いて離脱を開始した。彼の感情には、敵を討ち漏らした「不満」と共に、作戦をやり遂げた「達成感」が混じっていた。
合流地点に、二つの部隊が次々と集結する。
「ボルグ、無事か!」
「ああ、サイモン殿こそ!手筈通りだ!」
負傷者は数名出たが、いずれも軽傷。死者はいない。作戦は、ほぼ完璧な成功を収めたはずだった。
だが、そこにいるべき一人の男の姿がなかった。
「ガイウス殿は……?」
サイモンは周囲を見回し、ハッとしたように血相を変えた。伝説の英雄は、まだこの合流地点に現れていない。
「まさか……!」
サイモンはボルグに部隊の指揮を一時的に任せると、単身、炎上するアジトへと引き返した。彼の胸を、経験したことのない凶兆が鷲掴みにしていた。
リーダーのテントは、半ば焼け落ちていた。その入り口を切り裂き、中に飛び込んだサイモンは、息を呑んだ。
そこには、血の海の中に横たわる、ガイウスの巨体があった。腹部からは夥しい量の血が流れ出し、その顔は蝋のように白い。
「ガイウス殿ッ!!」
サイモンの絶叫が、炎の音にかき消された。彼は震える手でガイウスの首筋に触れる。まだ、かろうじて脈はあった。弱々しいが、確かに生きている。
後を追ってきたボルグも、その惨状を見て言葉を失った。
「嘘だろ……あのジジイが……」
彼の感情が「驚愕」と「恐怖」に塗りつぶされる。自分たちを無敵の存在に変えてくれた師が、いとも簡単に打ち倒されている。その事実が、彼の自信を根底から揺さぶった。
「ぐずぐずするな!担架を作れ!急ぐんだ!」
サイモンは我に返り、叫んだ。彼らはテントの支柱と布で即席の担架を作り、ガイウスの巨体を慎重に乗せた。その重さは、物理的なもの以上に、彼らの心に重くのしかかった。
丘の上で、アッシュはその一部始終をスキルを通じて把握していた。ガイウスの生命反応が、風前の灯火のように揺らめいている。アッシュの胸に、前世でさえ感じたことのない、冷たい焦燥感が突き刺さった。
(死なせるな……!絶対に!)
彼は、ガイウスをただの駒だと思っていた。有能で、代えの効かない重要な駒。だが、今、彼が感じているこの感情は、駒を失うことへの合理的な損失計算ではなかった。それは、もっと根源的な、仲間を失うことへの恐れだった。
夜が明け始め、東の空が白み始めた頃。ボロボロになった義勇兵たちが、ヴァイスラントの村へと帰還した。
彼らを待っていた領民たちは、当初、歓声を上げようとした。だが、その声はすぐに飲み込まれた。彼らの目に映ったのは、勝利の凱旋ではなく、担架で運ばれる血塗れのガイウスの姿だったからだ。
村の空気は、一瞬にして凍り付いた。歓喜は悲嘆に、興奮は沈黙に変わる。勝利の代償は、あまりにも大きかった。
アッシュは、丘の上から駆け下りてくると、担架のそばに膝をついた。ガイウスの顔に色はなく、呼吸はほとんど聞こえない。腹部の傷は、素人目にも致命的だと分かった。
「ジョセフ!」
アッシュの声が、静まり返った広場に鋭く響いた。
「湯を沸かせ!ありったけの清潔な布と、薬草を!それから、強い酒もだ!」
「は、はい!」
ジョセフは慌てて館へと駆け戻っていった。
アッシュは、前世でかじっただけの乏しい医学知識を総動員した。消毒、止血、縫合。この世界にはない概念かもしれないが、今はやるしかなかった。彼はガイウスの鎧を剥がし、傷口を露わにする。それは、内臓にまで達しているであろう、絶望的な傷だった。
領民たちは、ただ遠巻きに見守ることしかできない。彼らの感情は「悲しみ」と「無力感」、そしてアッシュに向けられた「祈り」で満ちていた。自分たちのリーダーが、今、英雄の命を救おうとしている。
アッシュは、震える自分の手を叱咤しながら、処置を続けた。強い酒で傷口を洗い、焼け焦げたナイフで傷口を塞ぐ。原始的で、乱暴な治療法。それでも、何もしないよりはましだった。
処置を終える頃には、朝日が完全に昇っていた。アッシュの額には汗が滲み、その手は血で赤く染まっていた。
ガイウスの呼吸は、相変わらず弱々しい。生死の境を、今も彷徨っている。
アッシュは立ち上がり、静まり返る領民たちに向き直った。
「今回の戦い、我々は勝った。盗賊団は壊滅的な打撃を受け、二度とこの村を襲うことはないだろう。お前たちは、自分たちの手で安全を勝ち取ったんだ」
その言葉に、しかし誰一人として喜ぶ者はいなかった。
アッシュは、サイモンとボルグから戦闘の詳細を聞き出した。隻腕のガイウスを圧倒した、黒い剣を持つ謎の男の存在。そして、彼が残した「目的は果たした」という言葉。
(目的は、ガイウスの無力化、あるいは殺害……)
アッシュは確信した。あの盗賊団は、ただのならず者の集団ではなかった。その背後には、ガイウスの存在を危険視し、彼を排除しようとする何者かがいる。それは、帝国の内部の人間か、あるいは全く別の勢力か。
ヴァイスラントという辺境の地は、彼が思っていたような安息の地ではなかった。見えざる敵の影が、すぐそこまで迫っている。
アッシュは、意識のないガイウスの傍らに屈み込み、その手を握った。まだ、微かな温もりが残っている。
(死ぬなよ、ガイウス。お前にはまだ、やってもらわなければならないことがある。そして、俺には……お前という仲間が必要だ)
それは、彼がこの世界に来て初めて抱いた、誰かに対する純粋な渇望だった。
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