無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第四十一話:ヴァイスラント防衛戦、開戦

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夜明けの光は、地平線を埋め尽くす鉄の津波を照らし出していた。グランツ帝国の軍勢、およそ千。整然と隊列を組み、掲げられた無数の槍先が朝陽を反射して鈍く輝く。彼らが踏みしめる大地は震え、その地響きはヴァイスラントの防衛線に立つ兵士たちの心を直接揺さぶった。

「……ひっ」
柵の向こうを睨んでいた若い義勇兵の一人が、恐怖に息を呑んだ。目の前に広がるのは、人の壁。人の森。自分たちがこれまで相手にしてきた盗賊団など、児戯に等しいと思わせる圧倒的な暴力の具現だった。
彼の感情が「恐怖:95」に振り切れる。それは、彼一人だけではなかった。最前線に立つ義勇兵たちの心は、今まさに、その物量によって押し潰されようとしていた。

「怯むな!顔を上げろ!」
最前線で指揮を執るガイウスの怒声が飛んだ。その声は、隻腕の将軍が持つ歴戦の覇気を帯び、兵士たちの恐怖をわずかに打ち払う。
「敵はただの案山子の集まりだと思え!頭数は多いが、魂は空っぽだ!我らの後ろには家族がいる!守るべき故郷がある!ここで一歩でも引けば、全てを失うと思え!」
ガイウスの言葉が、兵士たちの心に最後の杭を打ち込む。彼らの「恐怖」は消えない。だが、それを上回る「覚悟」と「闘志」が、震える手足に力を与えた。

軍勢の先頭。黒い軍馬にまたがった一人の大男が、ヴァイスラントの貧相な防衛設備を眺め、侮蔑に満ちた笑みを浮かべていた。グランツ帝国将軍、ゲルハルト。
「はっ、これが噂のヴァイスラントか。ただの農民が立て籠もる、鶏小屋ではないか」
彼の感情は「傲慢:95」「油断:90」。彼の目には、この戦は手柄を立てるための簡単な作業にしか映っていなかった。

「全軍、前へ!」
ゲルハルトが掲げた剣を振り下ろす。それを合図に、帝国軍の先鋒、およそ三百の兵が鬨の声を上げ、ヴァイスラントへと続く唯一の道へと殺到した。

地響きが、津波の轟音へと変わる。
ヴァイスラント防衛軍の誰もが、息を呑んでその突撃を見つめていた。

敵の先頭集団が、道の半ばまで差し掛かった、その瞬間。
突如、地面が牙を剥いた。先頭を走っていた数十人の兵士たちが、悲鳴と共に地面の下へと姿を消す。ブロックが設計した、巧みに偽装された巨大な落とし穴だった。穴の底には、鋭く尖らせた杭が無数に植えられている。

だが、敵の勢いは止まらない。
「怯むな!進め!穴など死体で埋めてしまえ!」
後続の兵士たちは、仲間たちの断末魔の叫びを意にも介さず、穴に落ちた者たちを踏み越えて前進を続ける。その非情な光景は、ヴァイスラントの兵士たちに、敵が自分たちとは全く違う生き物であることを叩きつけた。

落とし穴を突破した敵兵は、次に待ち受ける鋭い木の杭の柵へと殺到した。彼らは斧を振り上げ、力任せに柵を破壊しようとする。
「今だ、放て!」
柵の背後に潜んでいた弓兵部隊から、サイモンの号令で矢の雨が放たれた。矢は次々と敵兵に突き刺さり、数人が地面に倒れる。

だが、その抵抗も、大軍の前では焼け石に水だった。敵は損害を無視し、ついに柵の一部を破壊することに成功した。
「突破口が開いたぞ!なだれ込め!」

敵兵が、壊れた柵の隙間から、濁流のように流れ込んでくる。
「第一防衛線、放棄!第二防衛線まで後退!」
ガイウスは冷静に指示を飛ばした。義勇兵たちは、訓練通りに秩序を保ちながら後退し、村の入り口に設けられた第二の防衛線、石と土で築かれた胸壁の背後へと陣形を組み直す。

だが、誰もが理解していた。このままでは、ジリ貧だと。第二防それに、戦力差は歴然だった。防衛線を突破されるのも、時間の問題だった。

後方の丘の上。セレスティアは、その絶望的な光景を歯噛みしながら見つめていた。
(なぜ動けと言わないの、アッシュ……!)
彼女の膨大な魔力は、今にも暴発しそうなほど高まっている。今、彼女が広範囲殲滅魔法を放てば、敵の先鋒部隊を一掃できるはずだった。そうすれば、戦況は一変する。

だが、アッシュからの命令は「まだ動くな」。
彼女の感情には、「焦燥:80」「葛藤:90」という苦悩の色が渦巻いていた。自分の力を信じるべきか、あの食えない少年の言葉を信じるべきか。

そのアッシュは、さらに後方、村で最も高い物見櫓の頂上にいた。ジョセフだけを伴い、彼は戦場の全てを、まるで神の視点から眺めるかのように静観していた。彼のスキルは、敵味方双方の感情の動きを、リアルタイムで把握し続けている。

敵将ゲルハルトの「傲慢」は、最初の罠で僅かに揺らいだが、すぐに「油断」へと戻った。やはりただの小細工だ、と。
味方の兵士たちの「恐怖」は、「覚悟」によってなんとか抑え込まれているが、その限界は近い。

「アッシュ様……このままでは……」
傍らに立つジョセフが、心配そうに声をかけた。
「問題ない」
アッシュの声は、凪いでいた。
「全て、脚本通りだ」

彼の視線は、敵の本隊、将軍ゲルハルトがいるであろう中軍の一点に注がれていた。
敵はまだ、自分たちが圧倒的に優勢だと信じている。こちらの切り札も、まだ何も見せていない。
このままでは勝てない、と敵も味方も、そしてセレスティアさえもが思い込んでいる。その状況こそが、アッシュが望んだ最高の舞台だった。

「もう少しだ」
アッシュは、誰に言うでもなく呟いた。
「敵の油断が慢心に変わり、味方の絶望が覚悟へと昇華する。その瞬間は、もうすぐ来る」

彼の赤い瞳は、目の前の絶望的な戦況の、さらに先にある、まだ誰にも見えない勝機の一点だけを、静かに見据えていた。戦いは、まだ始まったばかりだった。
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