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第五十話:帝都からの勅使
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『辺境の悪魔』の噂は、帝都の社交界を駆け巡り、ついに皇帝アルノルト三世の耳にまで達した。
玉座の間。皇帝は、金細工が施された壮麗な椅子に深く腰掛け、サイモンから提出された報告書に目を通していた。その顔は、大理石像のように無表情だったが、瞳の奥では複雑な感情が渦巻いていた。
「……にわかには、信じがたい話だな」
皇帝は、低い声で呟いた。
追放したはずの、魔力も才能もない公爵家の三男が、グランツ帝国の大軍を退け、売国奴の伯爵を捕らえた。報告書には、動かぬ証拠として、バルツァー伯爵の署名が入った密約書も添えられている。
玉座の前にひざまずくサイモンは、緊張に体を硬くさせていた。
「全て、真実にございます、陛下。我が主、アッシュ・フォン・ヴェルヘイム様は、卓越した知略と采配で、この国家の危機を救いました」
主、という言葉に、周囲に控える大臣たちがざわめいた。一介の騎士が、罪人であるはずの少年を「主」と呼んだのだ。
皇帝は、そのざわめきを手で制すと、サイモンに問いかけた。
「そのほうの主は、ヴェルヘイム公爵ではなく、その三男であると申すか」
「はっ。我が剣は、もはやアッシュ様のためだけに捧げる所存。彼の御方こそ、腐敗した帝国を救う真の英雄であると、このサイモン、確信しております」
サイモンの言葉には、一点の曇りもなかった。彼の「忠誠心」は、アッシュという存在に完全に染め上げられていた。
皇帝は、しばらく黙考していた。
彼の感情を、アッシュのスキルで見たならば、「驚愕:70」「警戒:80」、そして「利用価値:90」という数値が浮かび上がって見えただろう。
グランツ帝国との国境線は、長年の懸案事項だった。その脅威を、追放したはずの罪人が、ほとんど独力で退けてしまった。これは、帝国にとって僥倖であると同時に、新たな脅威の台頭をも意味していた。
辺境で、帝国の法も届かぬ場所で、強大な軍事力とカリスマを持つ者が現れた。これを放置すれば、いずれ帝国の喉元に牙を突き立てる、第二のバルツァーになりかねない。
(……飼い慣らすか、あるいは、潰すか)
皇帝の頭の中で、冷徹な計算が始まる。
だが、今の帝国に、ヴァイスラントを力でねじ伏せるほどの余力はない。それに、国を救った英雄を、理由なく罰することはできない。民衆の反発を招くだけだ。
ならば、選択肢は一つ。
「……分かった。騎士サイモンよ、大儀であった」
皇帝は、ついに決断を下した。
「そなたの主、アッシュ・フォン・ヴェルヘイムの功績は、帝国に対する大いなる貢献と認める。売国奴バルツァーの身柄と、その証拠を帝都へ届けた功も大きい」
皇帝は立ち上がると、厳かに宣言した。
「よって、アッシュ・フォン・ヴェルヘイムにかけられていた全ての罪を赦免する。そして、国を救った英雄として、帝都への凱旋を命じる。これは、皇帝としての勅命である!」
その言葉に、玉座の間は再びどよめいた。罪人が、一転して英雄として帝都に呼び戻される。前代未聞の事態だった。
皇帝の真意は、アッシュを帝都という鳥籠の中に入れ、自らの監視下に置くことだった。彼の力を利用しつつ、その危険な牙を抜いてしまおうという、老獪な政治判断。
そして、この決定に最も複雑な感情を抱いたのは、その場に列席していたヴェルヘイム公爵、グレイグとその息子アルフォンスだった。
彼らは、アッシュの名が皇帝の口から出た瞬間から、顔を青ざめさせていた。自分たちが捨てたはずの「出来損ない」が、今や皇帝さえも無視できない英雄となって、自分たちの前に帰ってくる。その事実は、彼らにとって悪夢以外の何物でもなかった。アルフォンスの完璧な表情には、僅かな「焦り」と「憎悪」が浮かんでいた。
一週間後。
皇帝の勅命を携えた勅使の一団が、ヴァイスラントへと到着した。
華麗な装飾が施された馬車と、金銀の鎧に身を包んだ近衛騎士たち。それは、この貧しい土地にはあまりにも不釣り合いな光景だった。
勅使は、村の広場に集まった領民たちの前で、皇帝の言葉を高らかに読み上げた。
罪の赦免。英雄としての賞賛。そして、帝都への凱旋命令。
領民たちは、その報せに歓喜の声を上げた。自分たちのリーダーが、帝国に認められた。その事実は、彼らにとって最大の誇りだった。
だが、当のアッシュは、その勅命を冷めた目で受け止めていた。
(凱旋、か。聞こえはいいが、要は首輪をつけに来たというわけだ)
皇帝の狙いなど、彼にはお見通しだった。帝都へ行けば、賞賛と共に、厳しい監視と、貴族たちの嫉妬の渦に巻き込まれることになるだろう。安楽な生活は、さらに遠のく。
しかし、断るという選択肢はなかった。勅命に背くことは、帝国そのものへの反逆を意味する。まだ、その時期ではない。
アッシュは、勅使の前で恭しくひざまずき、勅命を拝受した。
「謹んで、お受けいたします。このアッシュ、陛下の御心のままに」
その姿は、皇帝に忠誠を誓う、謙虚な英雄そのものだった。
だが、彼の心の中では、全く別の計算が始まっていた。
(帝都か……。面白い。俺を追放したあの場所に、今度は英雄として乗り込んでやるのも、悪くない)
彼の視線の先には、かつて自分を貶め、捨てた、父と兄たちの顔が浮かんでいた。復讐の舞台は、辺境から帝都へと移る。
「準備をしろ」
アッシュは、傍らに控えるジョセフと、そして、共に帝都へ行くことを決意したガイウス、リリア、セレスティアに告げた。
「俺たちの本当の戦いは、これからだ」
ヴァイスラントの民に見送られ、アッシュは英雄として、帝都への帰路についた。
それは、凱旋という名の、新たな戦場への出征だった。
『辺境の悪魔』は、ついにその牙を、帝国の中枢へと向けようとしていた。
玉座の間。皇帝は、金細工が施された壮麗な椅子に深く腰掛け、サイモンから提出された報告書に目を通していた。その顔は、大理石像のように無表情だったが、瞳の奥では複雑な感情が渦巻いていた。
「……にわかには、信じがたい話だな」
皇帝は、低い声で呟いた。
追放したはずの、魔力も才能もない公爵家の三男が、グランツ帝国の大軍を退け、売国奴の伯爵を捕らえた。報告書には、動かぬ証拠として、バルツァー伯爵の署名が入った密約書も添えられている。
玉座の前にひざまずくサイモンは、緊張に体を硬くさせていた。
「全て、真実にございます、陛下。我が主、アッシュ・フォン・ヴェルヘイム様は、卓越した知略と采配で、この国家の危機を救いました」
主、という言葉に、周囲に控える大臣たちがざわめいた。一介の騎士が、罪人であるはずの少年を「主」と呼んだのだ。
皇帝は、そのざわめきを手で制すと、サイモンに問いかけた。
「そのほうの主は、ヴェルヘイム公爵ではなく、その三男であると申すか」
「はっ。我が剣は、もはやアッシュ様のためだけに捧げる所存。彼の御方こそ、腐敗した帝国を救う真の英雄であると、このサイモン、確信しております」
サイモンの言葉には、一点の曇りもなかった。彼の「忠誠心」は、アッシュという存在に完全に染め上げられていた。
皇帝は、しばらく黙考していた。
彼の感情を、アッシュのスキルで見たならば、「驚愕:70」「警戒:80」、そして「利用価値:90」という数値が浮かび上がって見えただろう。
グランツ帝国との国境線は、長年の懸案事項だった。その脅威を、追放したはずの罪人が、ほとんど独力で退けてしまった。これは、帝国にとって僥倖であると同時に、新たな脅威の台頭をも意味していた。
辺境で、帝国の法も届かぬ場所で、強大な軍事力とカリスマを持つ者が現れた。これを放置すれば、いずれ帝国の喉元に牙を突き立てる、第二のバルツァーになりかねない。
(……飼い慣らすか、あるいは、潰すか)
皇帝の頭の中で、冷徹な計算が始まる。
だが、今の帝国に、ヴァイスラントを力でねじ伏せるほどの余力はない。それに、国を救った英雄を、理由なく罰することはできない。民衆の反発を招くだけだ。
ならば、選択肢は一つ。
「……分かった。騎士サイモンよ、大儀であった」
皇帝は、ついに決断を下した。
「そなたの主、アッシュ・フォン・ヴェルヘイムの功績は、帝国に対する大いなる貢献と認める。売国奴バルツァーの身柄と、その証拠を帝都へ届けた功も大きい」
皇帝は立ち上がると、厳かに宣言した。
「よって、アッシュ・フォン・ヴェルヘイムにかけられていた全ての罪を赦免する。そして、国を救った英雄として、帝都への凱旋を命じる。これは、皇帝としての勅命である!」
その言葉に、玉座の間は再びどよめいた。罪人が、一転して英雄として帝都に呼び戻される。前代未聞の事態だった。
皇帝の真意は、アッシュを帝都という鳥籠の中に入れ、自らの監視下に置くことだった。彼の力を利用しつつ、その危険な牙を抜いてしまおうという、老獪な政治判断。
そして、この決定に最も複雑な感情を抱いたのは、その場に列席していたヴェルヘイム公爵、グレイグとその息子アルフォンスだった。
彼らは、アッシュの名が皇帝の口から出た瞬間から、顔を青ざめさせていた。自分たちが捨てたはずの「出来損ない」が、今や皇帝さえも無視できない英雄となって、自分たちの前に帰ってくる。その事実は、彼らにとって悪夢以外の何物でもなかった。アルフォンスの完璧な表情には、僅かな「焦り」と「憎悪」が浮かんでいた。
一週間後。
皇帝の勅命を携えた勅使の一団が、ヴァイスラントへと到着した。
華麗な装飾が施された馬車と、金銀の鎧に身を包んだ近衛騎士たち。それは、この貧しい土地にはあまりにも不釣り合いな光景だった。
勅使は、村の広場に集まった領民たちの前で、皇帝の言葉を高らかに読み上げた。
罪の赦免。英雄としての賞賛。そして、帝都への凱旋命令。
領民たちは、その報せに歓喜の声を上げた。自分たちのリーダーが、帝国に認められた。その事実は、彼らにとって最大の誇りだった。
だが、当のアッシュは、その勅命を冷めた目で受け止めていた。
(凱旋、か。聞こえはいいが、要は首輪をつけに来たというわけだ)
皇帝の狙いなど、彼にはお見通しだった。帝都へ行けば、賞賛と共に、厳しい監視と、貴族たちの嫉妬の渦に巻き込まれることになるだろう。安楽な生活は、さらに遠のく。
しかし、断るという選択肢はなかった。勅命に背くことは、帝国そのものへの反逆を意味する。まだ、その時期ではない。
アッシュは、勅使の前で恭しくひざまずき、勅命を拝受した。
「謹んで、お受けいたします。このアッシュ、陛下の御心のままに」
その姿は、皇帝に忠誠を誓う、謙虚な英雄そのものだった。
だが、彼の心の中では、全く別の計算が始まっていた。
(帝都か……。面白い。俺を追放したあの場所に、今度は英雄として乗り込んでやるのも、悪くない)
彼の視線の先には、かつて自分を貶め、捨てた、父と兄たちの顔が浮かんでいた。復讐の舞台は、辺境から帝都へと移る。
「準備をしろ」
アッシュは、傍らに控えるジョセフと、そして、共に帝都へ行くことを決意したガイウス、リリア、セレスティアに告げた。
「俺たちの本当の戦いは、これからだ」
ヴァイスラントの民に見送られ、アッシュは英雄として、帝都への帰路についた。
それは、凱旋という名の、新たな戦場への出征だった。
『辺境の悪魔』は、ついにその牙を、帝国の中枢へと向けようとしていた。
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