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第五十一話:栄光の凱旋
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ヴァイスラントを出発して三週間。一行を取り巻く景色は、北の荒野の灰色から、帝国中心部の豊かな緑へと劇的に変わっていった。街道は整備され、すれ違う人々の顔には活気がある。だが、アッシュにとってその光景は、どこか現実感のない、遠い世界の出来事のように映っていた。
「……人が、多いです」
馬車の窓から外を覗いていたリリアが、戸惑ったように呟いた。彼女の猫の耳が、周囲の喧騒を拾ってぴくぴくと動いている。帝都に近づくにつれ、街道の往来は激しくなっていた。
「これが帝都の日常だ。慣れるしかあるまい」
向かいの席に座るガイウスが、苦笑しながら答えた。彼は、かつて自分が守った帝国の中心部へと帰還することに、複雑な感慨を抱いているようだった。
馬車の中には、アッシュ、リリア、ガイウス、そしてセレスティアが同乗していた。ジョセフは、御者台で手綱を握っている。帝都からの勅使は、英雄一行を丁重に護衛し、先導していた。
やがて、地平線の彼方に、巨大な城壁が見えてきた。帝都アルカディア。帝国の心臓部であり、アッシュにとっては忌まわしい記憶が眠る鳥籠でもあった。
「見ろ、中央門だ」
ガイウスが指差す。そこには、帝国の威光を示すかのように、巨大で壮麗な門がそびえ立っていた。皇帝や、大いなる功績を立てた英雄だけが通ることを許される、『栄光の門』。
アッシュは、その門を見つめながら、数ヶ月前の記憶を思い出していた。罪人として、汚物を運び出すための北門『嘆きの門』から追放された、あの日のことを。
(裏門から罪人として追い出され、今度は正門から英雄として迎え入れられる。全く、滑稽な芝居だ)
彼の心には、感慨も喜びもなかった。ただ、この茶番を演じきるための、冷たい計算があるだけだった。
馬車が栄光の門をくぐった瞬間、世界は音の洪水に包まれた。
「うおおおおおっ!」
「アッシュ様だ!」
「『辺境の英雄』が帰ってきたぞ!」
街道の両脇を、びっしりと埋め尽くした帝都の民衆。彼らは、旗を振り、花びらを投げ、熱狂的な歓声を上げてアッシュたちを迎えた。その数は、数千か、あるいは一万を超えているかもしれない。
アッシュはスキルを発動させ、彼らの感情を読み取った。
「歓喜:90」「期待:85」「興味:80」「尊敬:75」
純粋で、単純で、そして熱狂的な正の感情の奔流。彼らにとって、アッシュは難しい政治や陰謀など関係ない。国を救った、若く美しい英雄。ただそれだけだった。
「すごい……」
リリアは、その圧倒的な熱気に息を呑んだ。ガイウスも、民衆の歓迎ぶりに驚きを隠せない。
アッシュは、馬車の窓を開けると、穏やかな微笑みを浮かべて、ゆっくりと民衆に手を振った。その姿は、謙虚で、誠実で、民を愛する若き英雄そのものだった。完璧な演技。彼の内心とは裏腹に。
(熱狂とは、最も扱いやすく、そして最も移ろいやすい感情だ。今は俺を英雄と讃えるこの声も、明日には手のひらを返して石を投げてくるかもしれない)
彼は、この熱狂を冷静に分析していた。これは、利用すべき資源だ。だが、決して依存してはならない。
馬車が進むにつれて、沿道に立つ人々の層が変わってきた。みすぼらしい平民の姿が減り、代わりに、華やかな衣装に身を包んだ貴族たちの姿が目立ち始める。
彼らは、民衆のように熱狂的な声を上げることはない。ただ、扇で口元を隠したり、腕を組んだりしながら、値踏みするような、冷たい視線を馬車へと送っていた。
アッシュは、その視線の裏にある本心も、正確に読み取っていた。
『あの若造が、辺境の悪魔か。思ったより、か弱そうではないか』
「嫉妬:85」「侮蔑:60」
『グランツを退けた手腕は本物らしい。我が派閥に取り込めぬものか』
「利用価値:95」「警戒:80」
『ヴェルヘイムの出来損ないめが、調子に乗りおって。いずれ、引きずり下ろしてくれる』
「敵意:90」「憎悪:75」
嫉妬、警戒、欲望、敵意。民衆の純粋な歓声とは対照的な、どす黒く、複雑に絡み合った負の感情の渦。
(なるほど。こちらの方が、よほどヴァイスラントの連中より扱いづらそうだ)
アッシュは、内心でため息をついた。
「どうやら、歓迎されていない客も多いようね」
隣で、セレスティアが皮肉げに呟いた。彼女もまた、貴族たちの冷ややかな視線に気づいていた。
「貴族社会とは、そういうものだ」
アッシュは、肩をすくめた。
「彼らにとって、俺は秩序を乱す異分子でしかない。排除すべき敵か、利用すべき駒か。そのどちらかでしか見ていない」
「あなたも、彼らをそう見ているのでしょう?」
セレスティアの翡翠色の瞳が、アッシュを射抜いた。
「もちろんだ」
アッシュは、あっさりと認めた。
「ここは、ヴァイスラント以上に巨大で、危険な戦場だ。感傷に浸っている余裕はない」
その時、馬車の窓から、見覚えのある壮麗な屋敷が見えた。白亜の壁に、青い屋根。ヴェルヘイム公爵家の邸宅だった。
アッシュは、その屋敷の二階の窓に、人影があるのを捉えた。父グレイグと、長兄アルフォンスだ。彼らは、カーテンの隙間から、英雄として凱旋するアッシュの姿を、苦々しい表情で見下ろしていた。
アッシュはスキルを使い、彼らの感情を探った。
父グレイグ。「怒り:80」「屈辱:90」「後悔:30」
長兄アルフォンス。「憎悪:95」「焦り:85」「恐怖:50」
自分たちが捨てた石が、磨かれていないどころか、巨大なダイヤモンドとなって帰ってきた。その事実に、彼らは混乱し、恐怖していた。
アッシュは、そんな彼らに向かって、窓越しに、ほんのわずかに口の端を吊り上げてみせた。誰にも気づかれない、静かな宣戦布告だった。
馬車は、やがて帝都の心臓部、皇帝が住まう王宮の巨大な門へと到着した。民衆の歓声が遠ざかり、代わりに、重厚な沈黙と、貴族たちの欲望が渦巻く世界が、アッシュたちを待ち受けていた。
馬車を降りたアッシュは、王宮へと続く赤い絨毯が敷かれた大階段を見上げた。
(さあ、第二幕の始まりだ)
彼の栄光の凱旋は、これから始まる、より大きく、そして陰湿な戦いの、華々しい開幕のベルに過ぎなかった。彼の本当の戦場は、この帝都。彼の復讐の舞台は、まさにここから始まろうとしていた。
「……人が、多いです」
馬車の窓から外を覗いていたリリアが、戸惑ったように呟いた。彼女の猫の耳が、周囲の喧騒を拾ってぴくぴくと動いている。帝都に近づくにつれ、街道の往来は激しくなっていた。
「これが帝都の日常だ。慣れるしかあるまい」
向かいの席に座るガイウスが、苦笑しながら答えた。彼は、かつて自分が守った帝国の中心部へと帰還することに、複雑な感慨を抱いているようだった。
馬車の中には、アッシュ、リリア、ガイウス、そしてセレスティアが同乗していた。ジョセフは、御者台で手綱を握っている。帝都からの勅使は、英雄一行を丁重に護衛し、先導していた。
やがて、地平線の彼方に、巨大な城壁が見えてきた。帝都アルカディア。帝国の心臓部であり、アッシュにとっては忌まわしい記憶が眠る鳥籠でもあった。
「見ろ、中央門だ」
ガイウスが指差す。そこには、帝国の威光を示すかのように、巨大で壮麗な門がそびえ立っていた。皇帝や、大いなる功績を立てた英雄だけが通ることを許される、『栄光の門』。
アッシュは、その門を見つめながら、数ヶ月前の記憶を思い出していた。罪人として、汚物を運び出すための北門『嘆きの門』から追放された、あの日のことを。
(裏門から罪人として追い出され、今度は正門から英雄として迎え入れられる。全く、滑稽な芝居だ)
彼の心には、感慨も喜びもなかった。ただ、この茶番を演じきるための、冷たい計算があるだけだった。
馬車が栄光の門をくぐった瞬間、世界は音の洪水に包まれた。
「うおおおおおっ!」
「アッシュ様だ!」
「『辺境の英雄』が帰ってきたぞ!」
街道の両脇を、びっしりと埋め尽くした帝都の民衆。彼らは、旗を振り、花びらを投げ、熱狂的な歓声を上げてアッシュたちを迎えた。その数は、数千か、あるいは一万を超えているかもしれない。
アッシュはスキルを発動させ、彼らの感情を読み取った。
「歓喜:90」「期待:85」「興味:80」「尊敬:75」
純粋で、単純で、そして熱狂的な正の感情の奔流。彼らにとって、アッシュは難しい政治や陰謀など関係ない。国を救った、若く美しい英雄。ただそれだけだった。
「すごい……」
リリアは、その圧倒的な熱気に息を呑んだ。ガイウスも、民衆の歓迎ぶりに驚きを隠せない。
アッシュは、馬車の窓を開けると、穏やかな微笑みを浮かべて、ゆっくりと民衆に手を振った。その姿は、謙虚で、誠実で、民を愛する若き英雄そのものだった。完璧な演技。彼の内心とは裏腹に。
(熱狂とは、最も扱いやすく、そして最も移ろいやすい感情だ。今は俺を英雄と讃えるこの声も、明日には手のひらを返して石を投げてくるかもしれない)
彼は、この熱狂を冷静に分析していた。これは、利用すべき資源だ。だが、決して依存してはならない。
馬車が進むにつれて、沿道に立つ人々の層が変わってきた。みすぼらしい平民の姿が減り、代わりに、華やかな衣装に身を包んだ貴族たちの姿が目立ち始める。
彼らは、民衆のように熱狂的な声を上げることはない。ただ、扇で口元を隠したり、腕を組んだりしながら、値踏みするような、冷たい視線を馬車へと送っていた。
アッシュは、その視線の裏にある本心も、正確に読み取っていた。
『あの若造が、辺境の悪魔か。思ったより、か弱そうではないか』
「嫉妬:85」「侮蔑:60」
『グランツを退けた手腕は本物らしい。我が派閥に取り込めぬものか』
「利用価値:95」「警戒:80」
『ヴェルヘイムの出来損ないめが、調子に乗りおって。いずれ、引きずり下ろしてくれる』
「敵意:90」「憎悪:75」
嫉妬、警戒、欲望、敵意。民衆の純粋な歓声とは対照的な、どす黒く、複雑に絡み合った負の感情の渦。
(なるほど。こちらの方が、よほどヴァイスラントの連中より扱いづらそうだ)
アッシュは、内心でため息をついた。
「どうやら、歓迎されていない客も多いようね」
隣で、セレスティアが皮肉げに呟いた。彼女もまた、貴族たちの冷ややかな視線に気づいていた。
「貴族社会とは、そういうものだ」
アッシュは、肩をすくめた。
「彼らにとって、俺は秩序を乱す異分子でしかない。排除すべき敵か、利用すべき駒か。そのどちらかでしか見ていない」
「あなたも、彼らをそう見ているのでしょう?」
セレスティアの翡翠色の瞳が、アッシュを射抜いた。
「もちろんだ」
アッシュは、あっさりと認めた。
「ここは、ヴァイスラント以上に巨大で、危険な戦場だ。感傷に浸っている余裕はない」
その時、馬車の窓から、見覚えのある壮麗な屋敷が見えた。白亜の壁に、青い屋根。ヴェルヘイム公爵家の邸宅だった。
アッシュは、その屋敷の二階の窓に、人影があるのを捉えた。父グレイグと、長兄アルフォンスだ。彼らは、カーテンの隙間から、英雄として凱旋するアッシュの姿を、苦々しい表情で見下ろしていた。
アッシュはスキルを使い、彼らの感情を探った。
父グレイグ。「怒り:80」「屈辱:90」「後悔:30」
長兄アルフォンス。「憎悪:95」「焦り:85」「恐怖:50」
自分たちが捨てた石が、磨かれていないどころか、巨大なダイヤモンドとなって帰ってきた。その事実に、彼らは混乱し、恐怖していた。
アッシュは、そんな彼らに向かって、窓越しに、ほんのわずかに口の端を吊り上げてみせた。誰にも気づかれない、静かな宣戦布告だった。
馬車は、やがて帝都の心臓部、皇帝が住まう王宮の巨大な門へと到着した。民衆の歓声が遠ざかり、代わりに、重厚な沈黙と、貴族たちの欲望が渦巻く世界が、アッシュたちを待ち受けていた。
馬車を降りたアッシュは、王宮へと続く赤い絨毯が敷かれた大階段を見上げた。
(さあ、第二幕の始まりだ)
彼の栄光の凱旋は、これから始まる、より大きく、そして陰湿な戦いの、華々しい開幕のベルに過ぎなかった。彼の本当の戦場は、この帝都。彼の復讐の舞台は、まさにここから始まろうとしていた。
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