無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第五十三話:皇帝の天秤

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ヴェルヘイM公爵家での偽りの歓迎から数日後。アッシュはついに、皇帝アルノルト三世との正式な謁見の日を迎えた。王宮の最も奥に位置する玉座の間は、帝国の権威を象徴する空間だった。磨き上げられた大理石の床、天井まで届く巨大な円柱、そして、壁面を飾る歴代皇帝の肖像画。その全てが、訪れる者に圧倒的な威圧感を与えるように設計されていた。

アッシュは、ガイウス、サイモン、そしてセレスティアを伴い、玉座へと続く長い絨毯の上をゆっくりと進んだ。リリアは護衛として、扉の外で待機している。彼女をこのような場所に連れてくれば、アルフォンスのような貴族たちが、また余計な口実を見つけてくるだろうと判断したからだ。

玉座には、壮麗な衣装に身を包んだ皇帝アルノルト三世が、深々と腰掛けていた。年の頃は六十代。長く帝国を治めてきた者だけが持つ、老獪さと威厳がその全身から滲み出ている。その両脇には、帝国の中枢を担う大臣たちがずらりと並び、値踏みするような視線をアッシュたちに送っていた。

「面を上げよ、『辺境の英雄』よ」
皇帝の、静かだがよく通る声が、広間に響いた。

アッシュは、命じられた通りに顔を上げた。彼はスキルを発動させ、玉座に座る男の心を直接読み取る。
皇帝アルノルト三世。
「警戒:90」「利用価値:95」「好奇心:80」「殺意:10」
やはり、というべき感情の羅列だった。アッシュの力を利用しようという強い意志。だが同時に、制御不能と判断すれば、即座に排除しようという冷徹な殺意も、その奥底に微かに灯っていた。この老獪な皇帝は、アッシュを英雄としてではなく、危険な猛獣として見ているのだ。

「アッシュ・フォン・ヴェルヘイム。そなたの功績、まことに見事であった」
皇帝は、感情を一切表に出さず、淡々と続けた。
「売国奴バルツァーを捕らえ、帝国の長年の脅威であったグランツの軍勢を退けた。その功は、何をもって賞するべきか、朕も頭を悩ませておるところよ」

それは、建前だった。褒賞を与えることで、アッシュに貸しを作り、彼を帝国の枠組みの中に縛り付けようという意図が透けて見える。

「もったいのうございます、陛下」
アッシュは、恭しく頭を下げた。
「私が成したことなど、帝国と陛下への忠誠心から出た、ささやかな働きに過ぎません。褒賞など、めっそうもないことでございます」
謙虚な臣下。完璧な演技だった。その姿に、大臣たちの中から、安堵と侮りの感情がいくつか生まれるのをアッシュは見逃さなかった。

だが、皇帝はそんな単純な演技には騙されない。
「謙遜は無用だ。功には、功で報いる。それが、帝国の法だ」
皇帝は、傍らに控えていた侍従に合図を送った。侍従は、巻物を手に取り、高らかに読み上げ始めた。

「勅命である!アッシュ・フォン・ヴェルヘイムを、これまでの功績に鑑み、侯爵の位に叙する!また、彼が復興させたヴァイスラントを、正式な侯爵領として与えるものとする!」

侯爵。その言葉に、玉座の間が大きくどよめいた。
公爵家の三男坊、それも一度は罪人として追放された者が、一足飛びに侯爵位に叙される。前代未聞の、破格の待遇だった。それは、皇帝がアッシュの功績を認めているという、帝国全土に対する明確なメッセージでもあった。

だが、アッシュはこの褒賞の裏にある、皇帝の真意を正確に理解していた。
侯爵という高い地位は、アッシュに名誉と権力を与える。だが同時に、それは彼を帝国の貴族社会という、がんじがらめのシステムの中に組み込むことでもあった。辺境で自由に振る舞っていた『悪魔』を、帝都のルールが支配する檻の中に入れようというのだ。
そして、ヴァイスラントを正式な領地として与えることも、一見すれば寛大な処置に見える。だがそれは、「お前は、あの辺境から出てくるな」という、無言の牽制でもあった。

(甘いな、皇帝陛下。俺が、そんな分かりやすい首輪に、大人しく繋がれるとでも?)

アッシュは、内心で嘲笑しながらも、表面的には感激に打ち震える演技を続けた。
「な……!もったいなき幸せ!このアッシュ、生涯をかけて、陛下へのご恩に報いる所存でございます!」
彼は、床に額をこすりつけ、最大限の感謝を示した。

皇帝は、その姿に満足げに頷いた。彼の「警戒」の数値が、わずかに下がる。
(まずは、うまくいった。この若造も、地位と名誉には弱いと見える)
皇帝の、そんな心の声が聞こえてくるようだった。

謁見は、滞りなく終わった。
アッシュが侯爵に叙されたという報せは、すぐに帝都中に広まり、貴族社会に大きな衝撃を与えた。
特に、ヴェルヘイム公爵家では、その衝撃は地震のようだった。

「侯爵だと……!?あの出来損ないが、我らと同じ……いや、そこらの伯爵よりも上の地位になっただと!?」
父グレイグは、報告を聞いて激昂した。
長兄アルフォンスは、無表情の裏で、その整った顔を憎悪に歪めていた。自分こそが次代の公爵であり、ヴェルヘイム家の、そして帝国の中心に立つべき存在だと信じていた。その彼のプライドを、弟の破格の出世は、ズタズタに引き裂いたのだ。

アッシュは、そんな家族の反応を、ジョセフから報告として聞きながら、静かにチェスの駒を動かしていた。
「皇帝は、俺とヴェルヘイム家を天秤にかけている」

アッシュは、盤上を見つめながら呟いた。
「俺に侯爵位を与えることで、ヴェルヘイム家の力を相対的に削ぎ、牽制する。同時に、俺という新たな駒を手に入れ、貴族間のパワーバランスを操ろうとしている。実に、老獪なやり方だ」

だが、皇帝は一つ、大きな間違いを犯していた。
アッシュは、皇帝のチェス盤の上で踊る駒ではない。彼自身が、皇帝をも駒として利用しようとする、プレイヤーなのだ。

「さて、と」
アッシュは、立ち上がった。
「侯爵様になったことだし、そろそろ俺も、帝都の社交界とやらに顔を出してみるか。どんな面白い駒が、転がっているか楽しみだ」

彼の赤い瞳は、これから始まる、より複雑で、陰湿な権力闘争という名のゲームを前にして、楽しげに輝いていた。皇帝が与えた侯爵という地位は、彼にとって檻などではない。帝都という新たな戦場で、自由に動き回るための、最高の隠れ蓑を手に入れたに過ぎなかった。
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