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第六十二話:正義の鉄槌
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裏帳簿。それは、財務卿オズワルド・フォン・ミュラーという巨象の心臓を貫く必殺の弾丸だった。だが、アッシュは、その弾丸を自らの手で放つことはしなかった。辺境の悪魔が放つ弾丸は、たとえそれが真実であっても政敵による陰謀だと疑われかねない。必要なのは、誰の目にも明らかな『正義』の執行者だった。
『北風商会』の地下室。アッシュは手に入れた裏帳簿を前に、セレスティアと改革派のリーダー、キルヒアイスを呼び集めていた。
「これがミュラー財務卿が長年にわたって蓄積してきた汚職の全てだ」
アッシュが帳簿のページをめくりながら説明する。そこには目を疑うような数字と、帝国の中枢を担う貴族たちの名前が生々しく並んでいた。
「軍事物資の横領、税金の不正還流、敵国への密輸……。その罪状は国家反逆罪にさえ匹敵する」
帳簿の内容を検分したキルヒアイスは、怒りに顔を震わせた。
「……許しがたい。我々が民から集めた血税が、このような者たちの私腹を肥やすために使われていたとは……!」
彼の感情が、「怒り:99」「義憤:95」に染まる。
セレスティアもまた、そのあまりにも醜い不正の実態に言葉を失っていた。
「これを公にすれば、ミュラー卿だけでなくアルフォンス様の派閥そのものに壊滅的な打撃を与えられるわ……!」
彼女の翡翠色の瞳には、悪を断罪する炎が燃え盛っていた。
「そうだ」
アッシュは頷いた。
「だが問題は『誰が』これを公にするかだ」
アッシュはセレスティアに視線を向けた。
「この鉄槌を振り下ろす役目は、貴女にしかできない、セレスティア殿」
「……私に?」
セレスティアは戸惑ったように聞き返した。
「ああ。俺がこの証拠を突きつければ、それはただの政敵による告発と見なされる。だが『帝国の薔薇』として知られ、その高潔さで知られる貴女が告発すれば、その言葉には絶対的な重みが加わる。誰もがそれが真実であると信じるだろう」
それはアッシュの計算でもあった。セレスティアを正義の執行者として前面に押し出すことで、この断罪劇を私的な復讐ではなく帝国を浄化するための公的な粛清へと昇華させる。そうすれば民衆の支持はさらに盤石なものとなる。
「……分かったわ」
セレスティアはアッシュの意図を理解し、覚悟を決めたように頷いた。
「この役目、謹んで引き受けましょう。私の正義が帝国を蝕む悪を断つというのなら」
計画は迅速に進められた。
セレスティアはヴァーミリオン侯爵家の権威を使い、皇帝直属の監察官と極秘に接触した。監察官は帝国内の不正を監視する独立した機関であり、皇帝以外には誰の命令も受けない。その長官は数少ない清廉潔白な人物として知られていた。
セレスティアは監察長官に、匿名の手紙という形で裏帳簿の写しを渡した。
『帝国の未来を憂う者より。財務卿オズワルド・フォン・ミュラーの不正の証拠、ここにあり。貴殿の正義の剣が帝国の膿を断ち切ることを信じて』
写しを受け取った監察長官は、その内容に驚愕しすぐさま極秘の裏調査を開始した。裏帳簿に記された金の流れを追っていくと、その全てが事実であることを彼は突き止めざるを得なかった。
そして運命の日が来た。
その日は年に一度、帝国議会で国家予算の審議が行われる重要な日だった。皇帝臨席のもと、全ての有力貴族と大臣が一堂に会していた。
議会はミュラー財務卿による自画自賛に満ちた国家財政の報告から始まった。彼はいかに自分の手腕によって帝国の財政が健全であるかをとうとうと語っていた。その傲慢な姿をアッシュは貴族席から冷ややかに見つめていた。
ミュラーの演説が終わり、拍手が起きようとしたその瞬間だった。
議会の扉が大きな音を立てて開かれた。
現れたのは皇帝直属の監察官たちと、その先頭に立つ監察長官だった。彼らの厳粛な雰囲気に、議会は水を打ったように静まり返る。
「……何事だ、監察長官。ここは神聖なる帝国議会の場であるぞ」
皇帝が訝しげに問いかけた。
監察長官は玉座の前まで進み出ると深く一礼し、そして議会全体に響き渡る声で言い放った。
「陛下、並びに議員諸君! この場をお借りし、国家に対する重大な反逆行為を告発いたします!」
彼は手に持った裏帳簿の写しを高く掲げた。
「財務卿、オズワルド・フォン・ミュラー! 貴殿を巨額の国家予算横領、収賄、そして敵国への物資密輸という国家反逆罪の容疑で告発する!」
その言葉は議会に投下された爆弾だった。
ミュラー財務卿の顔から血の気が引いた。
「ば、馬鹿な! 何を言うか! それは私を陥れるための捏造だ!」
彼は必死に叫んだ。
だが監察長官は次々と動かぬ証拠を突きつけた。裏帳簿の記述と実際の金の流れが一致することを証明する数々の書類。武器商人との密会を証言する者の名。
ミュラーの嘘は、完璧な証拠の前でもろくも崩れ去っていった。
議会は大混乱に陥った。特にアルフォンス派の貴族たちは顔面蒼白になっていた。自分たちの金庫番が自分たちの目の前で断罪されているのだ。火の粉が自分たちに及ぶことを誰もが恐れた。
長兄アルフォンスはただ一人、無表情のままその光景を見つめていた。だが彼の握りしめられた拳は、その内なる激情を物語っていた。彼の派閥の生命線が今、断ち切られようとしている。そしてその背後で糸を引いているのが誰であるのかを、彼は痛いほど理解していた。
「……財務卿を捕らえよ」
皇帝は苦渋の表情で、しかし厳粛に命じた。
監察官たちが抵抗するミュラーの両腕を掴み、議会から引きずり出していく。
「アルフォンス様! お助けを! これは罠です! あのアッシュという悪魔の罠なのですぞ!」
ミュラーの最後の悲鳴が、虚しく議会に響き渡った。
こうして長年帝国の中枢に巣食っていた巨悪は、公衆の面前で失脚した。
正義の鉄槌は、完璧な形で振り下ろされたのだ。
アッシュはその光景を静かに見つめていた。彼の隣でセレスティアは、自らの正義が成し遂げられた瞬間を固い表情で見届けていた。
アッシュの派閥切り崩しの計画は、最初の、そして最大の成功を収めた。
だが彼は知っていた。
追い詰められた獣は、最後の最後で最も危険な牙を剥くということを。
彼の視線は、静かに絶望の淵に立つ兄、アルフォンスへと向けられていた。本当の戦いは、これからだった。
『北風商会』の地下室。アッシュは手に入れた裏帳簿を前に、セレスティアと改革派のリーダー、キルヒアイスを呼び集めていた。
「これがミュラー財務卿が長年にわたって蓄積してきた汚職の全てだ」
アッシュが帳簿のページをめくりながら説明する。そこには目を疑うような数字と、帝国の中枢を担う貴族たちの名前が生々しく並んでいた。
「軍事物資の横領、税金の不正還流、敵国への密輸……。その罪状は国家反逆罪にさえ匹敵する」
帳簿の内容を検分したキルヒアイスは、怒りに顔を震わせた。
「……許しがたい。我々が民から集めた血税が、このような者たちの私腹を肥やすために使われていたとは……!」
彼の感情が、「怒り:99」「義憤:95」に染まる。
セレスティアもまた、そのあまりにも醜い不正の実態に言葉を失っていた。
「これを公にすれば、ミュラー卿だけでなくアルフォンス様の派閥そのものに壊滅的な打撃を与えられるわ……!」
彼女の翡翠色の瞳には、悪を断罪する炎が燃え盛っていた。
「そうだ」
アッシュは頷いた。
「だが問題は『誰が』これを公にするかだ」
アッシュはセレスティアに視線を向けた。
「この鉄槌を振り下ろす役目は、貴女にしかできない、セレスティア殿」
「……私に?」
セレスティアは戸惑ったように聞き返した。
「ああ。俺がこの証拠を突きつければ、それはただの政敵による告発と見なされる。だが『帝国の薔薇』として知られ、その高潔さで知られる貴女が告発すれば、その言葉には絶対的な重みが加わる。誰もがそれが真実であると信じるだろう」
それはアッシュの計算でもあった。セレスティアを正義の執行者として前面に押し出すことで、この断罪劇を私的な復讐ではなく帝国を浄化するための公的な粛清へと昇華させる。そうすれば民衆の支持はさらに盤石なものとなる。
「……分かったわ」
セレスティアはアッシュの意図を理解し、覚悟を決めたように頷いた。
「この役目、謹んで引き受けましょう。私の正義が帝国を蝕む悪を断つというのなら」
計画は迅速に進められた。
セレスティアはヴァーミリオン侯爵家の権威を使い、皇帝直属の監察官と極秘に接触した。監察官は帝国内の不正を監視する独立した機関であり、皇帝以外には誰の命令も受けない。その長官は数少ない清廉潔白な人物として知られていた。
セレスティアは監察長官に、匿名の手紙という形で裏帳簿の写しを渡した。
『帝国の未来を憂う者より。財務卿オズワルド・フォン・ミュラーの不正の証拠、ここにあり。貴殿の正義の剣が帝国の膿を断ち切ることを信じて』
写しを受け取った監察長官は、その内容に驚愕しすぐさま極秘の裏調査を開始した。裏帳簿に記された金の流れを追っていくと、その全てが事実であることを彼は突き止めざるを得なかった。
そして運命の日が来た。
その日は年に一度、帝国議会で国家予算の審議が行われる重要な日だった。皇帝臨席のもと、全ての有力貴族と大臣が一堂に会していた。
議会はミュラー財務卿による自画自賛に満ちた国家財政の報告から始まった。彼はいかに自分の手腕によって帝国の財政が健全であるかをとうとうと語っていた。その傲慢な姿をアッシュは貴族席から冷ややかに見つめていた。
ミュラーの演説が終わり、拍手が起きようとしたその瞬間だった。
議会の扉が大きな音を立てて開かれた。
現れたのは皇帝直属の監察官たちと、その先頭に立つ監察長官だった。彼らの厳粛な雰囲気に、議会は水を打ったように静まり返る。
「……何事だ、監察長官。ここは神聖なる帝国議会の場であるぞ」
皇帝が訝しげに問いかけた。
監察長官は玉座の前まで進み出ると深く一礼し、そして議会全体に響き渡る声で言い放った。
「陛下、並びに議員諸君! この場をお借りし、国家に対する重大な反逆行為を告発いたします!」
彼は手に持った裏帳簿の写しを高く掲げた。
「財務卿、オズワルド・フォン・ミュラー! 貴殿を巨額の国家予算横領、収賄、そして敵国への物資密輸という国家反逆罪の容疑で告発する!」
その言葉は議会に投下された爆弾だった。
ミュラー財務卿の顔から血の気が引いた。
「ば、馬鹿な! 何を言うか! それは私を陥れるための捏造だ!」
彼は必死に叫んだ。
だが監察長官は次々と動かぬ証拠を突きつけた。裏帳簿の記述と実際の金の流れが一致することを証明する数々の書類。武器商人との密会を証言する者の名。
ミュラーの嘘は、完璧な証拠の前でもろくも崩れ去っていった。
議会は大混乱に陥った。特にアルフォンス派の貴族たちは顔面蒼白になっていた。自分たちの金庫番が自分たちの目の前で断罪されているのだ。火の粉が自分たちに及ぶことを誰もが恐れた。
長兄アルフォンスはただ一人、無表情のままその光景を見つめていた。だが彼の握りしめられた拳は、その内なる激情を物語っていた。彼の派閥の生命線が今、断ち切られようとしている。そしてその背後で糸を引いているのが誰であるのかを、彼は痛いほど理解していた。
「……財務卿を捕らえよ」
皇帝は苦渋の表情で、しかし厳粛に命じた。
監察官たちが抵抗するミュラーの両腕を掴み、議会から引きずり出していく。
「アルフォンス様! お助けを! これは罠です! あのアッシュという悪魔の罠なのですぞ!」
ミュラーの最後の悲鳴が、虚しく議会に響き渡った。
こうして長年帝国の中枢に巣食っていた巨悪は、公衆の面前で失脚した。
正義の鉄槌は、完璧な形で振り下ろされたのだ。
アッシュはその光景を静かに見つめていた。彼の隣でセレスティアは、自らの正義が成し遂げられた瞬間を固い表情で見届けていた。
アッシュの派閥切り崩しの計画は、最初の、そして最大の成功を収めた。
だが彼は知っていた。
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