無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第六十三話:次兄の凶刃

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財務卿ミュラーの失脚はアルフォンス派にとって致命的な打撃となった。派閥の資金源を断たれただけでなくその権威は地に堕ちた。これまでアルフォンスに追従していた貴族たちは蜘蛛の子を散らすように彼の下を去り、今や彼の周りに残っているのはミュラーと同じく不正に深く関与し、もはや逃げ場のない数名の側近だけだった。

ヴェルヘイム邸のアルフォンスの執務室は、墓場のような静けさに包まれていた。かつての自信に満ちた貴公子の面影はなく、そこにいたのは全てを失い復讐心という名の暗い炎だけを燃やす憔悴した一人の男だった。

「アッシュ……アッシュ……!」
アルフォンスは呪詛のように弟の名を繰り返し呟いていた。彼の感情は、「憎悪:100」「絶望:90」、そして追い詰められた獣の「凶暴性:85」で満ちていた。
彼はもはや正攻法ではアッシュに勝てないことを悟っていた。知略でも政治力でも、弟は自分のはるか先を行っている。ならば残された手段は一つしかない。

最も原始的で、最も確実な方法。
物理的な排除。

「……もう我慢ならん」
アルフォ-ンスの隣で苛立たしげに腕を組んでいた男が、ついに沈黙を破った。次兄のベルナルドだった。
彼は兄アルフォンスのように陰湿な謀略を好まない。彼の信条は力こそが全て。気に食わない相手は剣でねじ伏せればいい。その単純な思考が今の彼を突き動かしていた。

「兄上、いつまでそうやって指を咥えて見ているつもりだ! あの忌々しい弟はもはや我々にとって害虫でしかない! ならば踏み潰すまでだ!」
ベルナルドの感情は、単純な「怒り」と「闘争心」で燃え上がっていた。

アルフォンスはそんな弟を虚ろな目で見上げた。
「……どうやってだ? 奴の周りにはあの隻腕の元騎士や獣人の化け物が常に控えている。我々の騎士団では手も足も出んだろう」

「ならば専門家を雇えばいい」
ベルナルドは不敵な笑みを浮かべた。
「帝都の闇には、どんな厳重な警備も潜り抜け標的の首を確実に獲る『影』がいる。金さえ払えば皇帝の首さえ狙えると言われる伝説の暗殺者集団がな」

『夜想曲(ノクターン)』
その名を口にした瞬間、部屋の空気が凍った。それは帝都の裏社会でさえその存在を口にすることを憚られる、最悪の暗殺ギルドの名だった。

アルフォンスは一瞬ためらった。暗殺。それは貴族の闘争において決して使ってはならない禁じ手。その一線を越えてしまえば、もう後戻りはできない。
だが、アッシュの顔が脳裏に浮かんだ瞬間、そのためらいは消え去った。

「……金はいくらでも用意しろ」
アルフォ-ンスは絞り出すような声で言った。
「奴の首に我が家の財産の全てを賭けてもいい。必ず息の根を止めろ」

その日の夜、ベルナルドは一人、帝都の最も治安の悪い地区にある寂れた酒場を訪れていた。そこが『夜想曲』との接触場所だった。
彼はギルドとの合言葉を告げると、酒場の地下にある秘密の部屋へと通された。

部屋の中には闇に溶け込むような黒衣を纏った一人の男が待っていた。その顔は仮面で覆われ、その気配はまるで存在しないかのように希薄だった。
「……依頼は?」
仮面の男が感情のない声で尋ねる。

「アッシュ・フォン・ヴェルヘイム。奴の首だ」
ベルナルドは金貨が詰まった重い袋をテーブルの上に置いた。
「報酬は、成功の暁にはこの十倍を支払う」

仮面の男は金貨の袋を一瞥すると、静かに頷いた。
「……承知した。三日後の新月の夜。標的の首は貴殿の元へ届けられるだろう」
男はそう言うと、まるで煙のようにその場から姿を消した。

一方、その頃。
『北風商会』の地下室で、アッシュは壁に貼られた帝都の地図を見ていた。彼の情報網は、ベルナルドの不審な動きをすでに察知していた。

「報告します。ベルナルド様が昨夜、『夜想曲』のアジトとされる酒場へ入っていくのを確認しました」
部下からの報告に、アッシュは眉一つ動かさなかった。

「……やはり、そう来たか」
彼の声は冷静だった。追い詰められた兄たちが最後にどのような手段に訴えるかなど、彼にはお見通しだったのだ。

「『夜想曲』……厄介な相手ね」
傍らにいたセレスティアが厳しい表情で言った。
「彼らはただの暗殺者ではないわ。影に潜み音を殺し、毒や呪術さえも使う闇の専門家集団。帝国の騎士団でさえ彼らのアジトを特定できずにいる」

「アッシュ様、すぐに警備を固めなければ!」
ジョセフが案じる声を上げる。

「その必要はない」
アッシュは静かに首を横に振った。
「警備を固めれば奴らは警戒して姿を現さないだろう。それでは根本的な解決にはならない。ネズミは巣ごと叩き潰さねば意味がない」

アッシュは壁の地図から視線を外し、部屋に控えていた二人の人物に向き直った。
一人は傷も癒え、完全な覇気を取り戻した隻腕の将軍、ガイウス。
もう一人は主の命令を待つ銀色の獣、リリア。

「ガイウス殿、リリア。お前たちに仕事を頼みたい」
アッシュの赤い瞳が冷徹な光を宿した。

「三日後の夜、俺の寝室に客人が来るだろう。その客人を最高のもてなしで出迎えてやってほしい」

それは罠だった。
アッシュは自らを餌として、帝都最強の暗殺者を誘き出すつもりなのだ。兄たちが放った凶刃を、そのまま彼らの喉元へと突き返すために。

「望むところだ」
ガイウスは不敵に笑った。
「腕が一本でも、闇夜のネズミ狩りくらいは造作もない」

「アッシュ様を狙う者は誰であろうと私が排除します」
リリアの瞳が獣のような鋭い光を放った。

三日後の新月の夜。
ヴェルヘイム邸のアッシュの私室は静寂に包まれていた。ベッドにはアッシュらしき人影が穏やかな寝息を立てているように見える。
だがその部屋の闇の中には、三つの影が静かに息を潜めていた。

獲物を待つ罠。
帝都の闇を支配する者と、辺境の悪魔が率いる者たちとの血で血を洗う戦いの火蓋が、今、静かに切って落とされようとしていた。
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