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第18話:商会の躍進とエリアーナの手腕
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アシュフォード鋼の誕生は、領地の産業基盤を根底から変えた。だが、その真価が領地全体に浸透するには、まだ時間が必要だった。
一方で、すでに完成している産品たちは、一人の辣腕経営者の下で、爆発的な勢いでその価値を開花させようとしていた。
アシュフォード商会代表、エリアーナ・フォン・ヴァイス。彼女の手腕は、俺の想像を遥かに超えるものだった。
「リオ、あなたにはこれを」
商会のオフィスと化した応接室で、エリアーナは俺に一枚の羊皮紙を突きつけた。そこには、ガラス、石鹸、醤油、それぞれの製品に求められる品質基準が、恐ろしいほど細かく箇条書きにされていた。
「いいこと? 商売で最も重要なのは『信用』よ。そのためには、製品の品質が常に一定でなければならないわ。大きさ、重さ、色、透明度。全ての製品をこの基準で検品し、合格したものだけを『アシュフォード商会正規品』として出荷します」
彼女は、俺が感覚的に行っていた「ものづくり」を、厳格な「品質管理」という概念に昇華させた。俺は開発者として、その基準をクリアするための製造マニュアルの作成に追われることになった。
エリアーナの改革はそれだけではなかった。
彼女は王都の実家から、金の力で信頼できるベテランの文官を引き抜いてきた。そして、領内の若者の中から読み書きのできる者を数人抜擢し、複式簿記の基礎を徹底的に叩き込んだ。
金の流れは全て記録され、在庫は毎日棚卸しされる。誰が、いつ、どこで、何を、いくらで売ったのか。その全てが、エリアーナの手元に集約されるシステムが、瞬く間に構築されていった。
かつては貴族の道楽と見られていた俺たちの活動は、彼女の手によって、本格的な「事業」へと変貌を遂げたのだ。
そして、準備が整うと、エリアーナはすぐに行動を開始した。
最初のターゲットは、ガラスだった。
彼女は王都の大物宝石商であるバルト商会を、わざわざこの辺境の地まで呼びつけたのだ。
応接室に通されたのは、見るからに老獪そうな商人、ゲッコー・バルト。彼はエリアーナの若さと美貌を見て、完全に侮りきった表情を浮かべていた。
「これはこれは、エリアーナ様。このような辺境で商会を始められたとか。して、ヴァイス伯爵家のお力添えで、どのようなお宝を見つけられましたかな?」
その言葉には、辺境の小娘から安く買い叩いてやろうという下心が透けて見えた。
エリアーナは、完璧な淑女の笑みを浮かべたまま、一枚のガラス板をテーブルの上に置いた。
ゲッコーの目が、ガラス板を見た瞬間に変わった。宝石商としての彼の目が、その異常なまでの透明度と品質を一瞬で見抜いたのだ。
「こ、これは……まさか……」
「お察しの通り、ガラスですわ。見ての通り、気泡も歪みも一切ない、完璧な製品です」
ゴクリ、とゲッコーが喉を鳴らす。
「素晴らしい! まさに奇跡の逸品! エリアーナ様、これをぜひ、当商会に卸してはいただけませんか! 値段は、いくらでもお支払いいたしますぞ!」
ゲッコーが身を乗り出した、その瞬間。
エリアーナは、悪戯っぽく微笑んだ。
「あら、残念ですわ。私どもは、これを売るつもりはあまりないのです」
「なっ……!?」
「何せ、これを作るには大変な手間と時間がかかりますの。ですから、まずはアシュフォード領内の建物の窓を全てこれに変えるのが先決かと。販売できるのは、早くても数年後になるかしら」
エリアーナの言葉に、ゲッコーの顔が真っ青になる。数年後では話にならない。このガラスの噂が広まれば、他の商会が黙っているはずがない。独占契約を結ぶなら、今しかない。
「お、お待ちください! エリアーナ様! そこを何とか!」
完全に主導権が逆転した。
エリアーナは、ここぞとばかりに冷徹なビジネスの顔を見せる。
「……そこまでおっしゃるのなら、特別に。ただし、条件があります。価格はこちらで決めさせていただきます。そして、当面お譲りできるのは、月に五枚が限度。それ以上は、いくらお金を積まれても無理ですわ」
強気の価格。そして、徹底した供給制限。
それは、ガラスの希少価値とブランドイメージを極限まで高めるための、狡猾なまでの戦略だった。ゲッコーは顔を歪めながらも、その条件を飲むしかなかった。
アシュフォード商会は、最初の商談で、一個師団を一年間維持できるほどの莫大な利益を確保した。
エリアーナの快進撃は止まらない。
石鹸は「王侯貴族御用達・魔法の洗浄石」というキャッチコピーで売り出し、近隣都市の富裕層や高級旅館に飛ぶように売れた。
醤油と味噌は、腕利きの料理人を招いて試食会を開き、その味で完全に虜にした。そして、独占販売契約を結ぶことで、アシュフォードの調味料を使った料理を一種のステータスシンボルへと押し上げた。
アシュフォード鋼だけは、エリアーナもその戦略的重要性を理解し、外部への販売を固く禁じた。まずは領内の農具や工具を全て鋼製のものに更新し、圧倒的な生産力の差を確立することが最優先だと、彼女は判断したのだ。
アシュフォード商会がもたらした富は、目に見える形で領地を変えていった。
領内には立派な商会の事務所が建てられ、活気のある声が響いている。主要な道は石畳で舗装され、川には頑丈な石橋が架けられた。全て、商会の利益から出た資金で行われた公共事業だった。
領民の暮らしは豊かになり、その富が、さらなる領地の発展へと再投資される。完璧な好循環が生まれていた。
その夜、俺は開発室で新しい機械の設計図を描いていた。そこへ、エリアーナが帳簿の束を抱えてやってくる。
「リオ、これが今月分の収支報告よ。目を通しておいて」
その横顔は、少し疲れてはいたが、充実感に満ち溢れていた。王都にいた頃の、凍てついたような表情はもうどこにもない。
「すごいな。あんたの手にかかれば、俺の作ったものが何倍もの価値になる」
俺が感心して言うと、彼女はフンと鼻を鳴らした。
「当たり前でしょう? 私が誰だと思っているの」
憎まれ口を叩きながらも、その口元は嬉しそうに緩んでいる。
「でも、元になる『製品』がなければ、私もただの商人に過ぎないわ。あなたの生み出すものがあってこそ、私の力が活きる」
開発者と経営者。
俺たちは、互いが互いにとって不可欠な存在となっていた。
「私たちの仕事は、まだ始まったばかりよ」
エリアーナは、窓の外に広がる、活気づいた領地の夜景を見ながら言った。
「ええ、そうだな」
俺も、彼女の隣に立ち、同じ景色を見つめた。
この領地は、これからもっと豊かになる。もっと発展する。
俺と彼女、この最強のパートナーがいる限り、その未来に疑いの余地はなかった。
だが、その急成長が、新たな嵐を呼び寄せようとしていることを、俺たちはまだ知らなかった。
豊かさは、時に、穏やかな日常を脅かす嵐の種となるのだから。
一方で、すでに完成している産品たちは、一人の辣腕経営者の下で、爆発的な勢いでその価値を開花させようとしていた。
アシュフォード商会代表、エリアーナ・フォン・ヴァイス。彼女の手腕は、俺の想像を遥かに超えるものだった。
「リオ、あなたにはこれを」
商会のオフィスと化した応接室で、エリアーナは俺に一枚の羊皮紙を突きつけた。そこには、ガラス、石鹸、醤油、それぞれの製品に求められる品質基準が、恐ろしいほど細かく箇条書きにされていた。
「いいこと? 商売で最も重要なのは『信用』よ。そのためには、製品の品質が常に一定でなければならないわ。大きさ、重さ、色、透明度。全ての製品をこの基準で検品し、合格したものだけを『アシュフォード商会正規品』として出荷します」
彼女は、俺が感覚的に行っていた「ものづくり」を、厳格な「品質管理」という概念に昇華させた。俺は開発者として、その基準をクリアするための製造マニュアルの作成に追われることになった。
エリアーナの改革はそれだけではなかった。
彼女は王都の実家から、金の力で信頼できるベテランの文官を引き抜いてきた。そして、領内の若者の中から読み書きのできる者を数人抜擢し、複式簿記の基礎を徹底的に叩き込んだ。
金の流れは全て記録され、在庫は毎日棚卸しされる。誰が、いつ、どこで、何を、いくらで売ったのか。その全てが、エリアーナの手元に集約されるシステムが、瞬く間に構築されていった。
かつては貴族の道楽と見られていた俺たちの活動は、彼女の手によって、本格的な「事業」へと変貌を遂げたのだ。
そして、準備が整うと、エリアーナはすぐに行動を開始した。
最初のターゲットは、ガラスだった。
彼女は王都の大物宝石商であるバルト商会を、わざわざこの辺境の地まで呼びつけたのだ。
応接室に通されたのは、見るからに老獪そうな商人、ゲッコー・バルト。彼はエリアーナの若さと美貌を見て、完全に侮りきった表情を浮かべていた。
「これはこれは、エリアーナ様。このような辺境で商会を始められたとか。して、ヴァイス伯爵家のお力添えで、どのようなお宝を見つけられましたかな?」
その言葉には、辺境の小娘から安く買い叩いてやろうという下心が透けて見えた。
エリアーナは、完璧な淑女の笑みを浮かべたまま、一枚のガラス板をテーブルの上に置いた。
ゲッコーの目が、ガラス板を見た瞬間に変わった。宝石商としての彼の目が、その異常なまでの透明度と品質を一瞬で見抜いたのだ。
「こ、これは……まさか……」
「お察しの通り、ガラスですわ。見ての通り、気泡も歪みも一切ない、完璧な製品です」
ゴクリ、とゲッコーが喉を鳴らす。
「素晴らしい! まさに奇跡の逸品! エリアーナ様、これをぜひ、当商会に卸してはいただけませんか! 値段は、いくらでもお支払いいたしますぞ!」
ゲッコーが身を乗り出した、その瞬間。
エリアーナは、悪戯っぽく微笑んだ。
「あら、残念ですわ。私どもは、これを売るつもりはあまりないのです」
「なっ……!?」
「何せ、これを作るには大変な手間と時間がかかりますの。ですから、まずはアシュフォード領内の建物の窓を全てこれに変えるのが先決かと。販売できるのは、早くても数年後になるかしら」
エリアーナの言葉に、ゲッコーの顔が真っ青になる。数年後では話にならない。このガラスの噂が広まれば、他の商会が黙っているはずがない。独占契約を結ぶなら、今しかない。
「お、お待ちください! エリアーナ様! そこを何とか!」
完全に主導権が逆転した。
エリアーナは、ここぞとばかりに冷徹なビジネスの顔を見せる。
「……そこまでおっしゃるのなら、特別に。ただし、条件があります。価格はこちらで決めさせていただきます。そして、当面お譲りできるのは、月に五枚が限度。それ以上は、いくらお金を積まれても無理ですわ」
強気の価格。そして、徹底した供給制限。
それは、ガラスの希少価値とブランドイメージを極限まで高めるための、狡猾なまでの戦略だった。ゲッコーは顔を歪めながらも、その条件を飲むしかなかった。
アシュフォード商会は、最初の商談で、一個師団を一年間維持できるほどの莫大な利益を確保した。
エリアーナの快進撃は止まらない。
石鹸は「王侯貴族御用達・魔法の洗浄石」というキャッチコピーで売り出し、近隣都市の富裕層や高級旅館に飛ぶように売れた。
醤油と味噌は、腕利きの料理人を招いて試食会を開き、その味で完全に虜にした。そして、独占販売契約を結ぶことで、アシュフォードの調味料を使った料理を一種のステータスシンボルへと押し上げた。
アシュフォード鋼だけは、エリアーナもその戦略的重要性を理解し、外部への販売を固く禁じた。まずは領内の農具や工具を全て鋼製のものに更新し、圧倒的な生産力の差を確立することが最優先だと、彼女は判断したのだ。
アシュフォード商会がもたらした富は、目に見える形で領地を変えていった。
領内には立派な商会の事務所が建てられ、活気のある声が響いている。主要な道は石畳で舗装され、川には頑丈な石橋が架けられた。全て、商会の利益から出た資金で行われた公共事業だった。
領民の暮らしは豊かになり、その富が、さらなる領地の発展へと再投資される。完璧な好循環が生まれていた。
その夜、俺は開発室で新しい機械の設計図を描いていた。そこへ、エリアーナが帳簿の束を抱えてやってくる。
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その横顔は、少し疲れてはいたが、充実感に満ち溢れていた。王都にいた頃の、凍てついたような表情はもうどこにもない。
「すごいな。あんたの手にかかれば、俺の作ったものが何倍もの価値になる」
俺が感心して言うと、彼女はフンと鼻を鳴らした。
「当たり前でしょう? 私が誰だと思っているの」
憎まれ口を叩きながらも、その口元は嬉しそうに緩んでいる。
「でも、元になる『製品』がなければ、私もただの商人に過ぎないわ。あなたの生み出すものがあってこそ、私の力が活きる」
開発者と経営者。
俺たちは、互いが互いにとって不可欠な存在となっていた。
「私たちの仕事は、まだ始まったばかりよ」
エリアーナは、窓の外に広がる、活気づいた領地の夜景を見ながら言った。
「ええ、そうだな」
俺も、彼女の隣に立ち、同じ景色を見つめた。
この領地は、これからもっと豊かになる。もっと発展する。
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