異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~

夏見ナイ

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第37話:王都の政治力学

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魔導炉の基礎実験が成功し、アシュフォード領には新たな可能性の扉が開かれた。俺とシルフィは、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、毎日開発室に籠って実験を繰り返していた。マナの出力をどう安定させるか。熱効率をどう上げるか。課題は山積みだったが、その一つ一つを解決していくプロセスは、技術者としての俺にとって至上の喜びだった。
領内は、戦勝の熱狂も落ち着き、穏やかな冬の日常が流れていた。拡大した領地では、新しい農法を学ぶ元グライフ領の民たちの姿があり、アシュフォード商会がもたらす富は、人々の暮らしを確実に豊かにしている。
このまま、この平和な研究と開発の日々が続けばいい。
俺は本気でそう思い始めていた。だが、そんな甘い幻想は、一本の矢によって届けられた密書によって、あっけなく打ち砕かれることになる。

その日、俺がシルフィと共に魔力測定器の改良に取り組んでいると、エリアーナが険しい表情で開発室に入ってきた。彼女の手には、ヴァイス家の紋章が入った封蝋で封じられた、一通の羊皮紙が握られていた。
「リオ、少し時間をくれるかしら。王都から、あまり良くない報せが届いたわ」
彼女のただならぬ雰囲気に、俺はすぐに作業を中断した。シルフィにも席を外してもらい、二人きりになると、エリアーナは重い口を開いた。
「まず、前提として。私たちが送った報告書は、王都で絶大な効果を発揮したわ。あまりにも劇的すぎたせいでね」
彼女は密書を広げ、その内容を読み上げ始めた。
「私たちの『ありえない勝利』は、今や王都中の噂になっている。吟遊詩人たちが、尾ひれをつけまくった英雄譚を歌い、酒場の話題はアシュフォードのことで持ちきり。あなたは『辺境の若き英雄』として、一種の伝説になりつつあるわ」
「そりゃ、大げさだな」
「問題は、その伝説が一人歩きしていることよ」
エリアーナの表情が、さらに険しくなる。
「ある者は、あなたを『神に愛された聖者』だと崇め、ある者は『悪魔と契約した錬金術師』だと恐れている。そして、最も厄介なことに、王城の権力者たちは、あなたを『無視できない脅威』であり、同時に『喉から手が出るほど欲しい駒』だと認識し始めた」
「駒、だと?」
「そうよ。今の王都は、大きく分けて三つの派閥に分かれているわ」
エリアーナは、指を折りながら説明を始めた。
「一つは、国王アルベール三世を中心とする『国王派』。彼らは中央集権化を進め、国全体の富国強兵を目指している革新派よ。彼らは、あなたの持つ新しい技術に強い興味を示している。あなたを取り込めば、自分たちの政策を一気に進められると考えているわ」
「なるほどな」
「二つ目は、古くからの大貴族たちが集まる『保守派』。その筆頭が、マリウス公爵。彼らは、自分たちの既得権益が脅かされることを何よりも恐れている。新興勢力であるあなたを、自分たちの地位を脅かす最大の危険分子と見なしているわ。あなたの技術を奪うか、あるいはあなた自身を亡き者にしてでも、その力を封じ込めようとするでしょうね」
そして、彼女は三本目の指を立てた。
「最後は、どちらにもつかず、有利な方になびこうと様子を窺っている、大多数の『日和見派』。彼らは、あなたがどちらの派閥につくか、固唾をのんで見守っている」
俺は、頭が痛くなってきた。グライフ子爵のような、単純な敵が恋しくなるほど、面倒くさい話だ。
「つまり、俺の存在が、王都の政治バランスを崩す、厄介な石ころになっちまったってわけか」
「石ころですって? とんでもない。あなたはもはや、彼らにとって『台風の目』そのものよ」
エリアーナは、深いため息をついた。
「あなたは、ただ領地を豊かにし、民を守りたかっただけでしょう。でも、その結果として手に入れた力は、あまりにも大きすぎた。そして、その力は、権力者たちの欲望を激しく刺激してしまったのよ」
彼女は、密書の最後の一文を、静かに読み上げた。
「『リオ・アシュフォードの首には、もはや王侯貴族が羨むほどの値段がつけられていると考えよ』……これが、私の父からの、唯一の親心らしい忠告だわ」
その言葉は、開発室の静寂に重く響いた。
これまで俺たちが戦ってきた相手は、強欲ではあっても、顔の見える敵だった。だが、これから相手にするのは、王都の奥深くで、笑顔の仮面の下に殺意を隠し持つ、見えない敵だ。
暗殺者か、政治的な罠か、あるいは甘い言葉で近づいてきて、全てを奪い去ろうとする者か。
考えただけで、うんざりした。
「……面倒なことになったな」
俺は、心の底からそう呟いた。やっと研究に没頭できると思ったのに、これではまるで、巨大な蟻地獄に足を踏み入れてしまったようなものだ。
「ええ、本当にね」とエリアーナも同意した。「これからは、ただ物を作って売るだけでは済まされない。商会の活動一つ一つに、政治的な配慮が必要になるわ。どの貴族と取引し、どの派閥と距離を置くか。全てが、私たちの運命を左右することになる」
「つまり、俺たちは好むと好まざるとに関わらず、この国の薄汚い政治ゲームに、プレイヤーとして参加させられるってわけか」
「そういうこと。そして、このゲームで敗北すれば、待っているのは破滅だけよ」
俺たちは、しばらく黙り込んだ。
窓の外では、雪が静かに降り積もり、領地を白く覆っていく。その光景は、まるで嵐の前の静けさのようだった。
やがて、俺は静寂を破った。
「分かった。やるべきことは変わらない」
俺の言葉に、エリアーナが顔を上げる。
「俺たちは、俺たちのやり方を貫く。どの派閥にも与しない。アシュフォードは、アシュフォードとして、独立した道を歩む」
「……それが、一番困難な道よ」
「知っている。だが、誰かの駒になるつもりは毛頭ない。俺たちの運命は、俺たちの手で決める」
俺の目には、もはや面倒くさがる色はない。領地の指導者としての、冷徹な覚悟が宿っていた。
「エリアーナ、情報網をさらに強化してくれ。王都のハイエナたちの動きを、一つ残らず監視する。バルガスには、軍の再編と、さらなる訓練を命じる。そして、俺は……」
俺は、魔導炉の設計図に目を落とした。
「俺は、俺たちの力を、さらに引き上げる。誰にも、手出しできないほどの、圧倒的な技術力という名の城壁を築き上げるんだ」
敵が見えないのなら、こちらからは手を出さない。だが、もし相手が牙を剥いてくるのなら、その牙を根元から叩き折るだけの準備はしておく。
それが、俺の出した答えだった。
エリアーナは、俺のその覚悟を見て、静かに、しかし力強く頷いた。
「分かったわ。あなたがそう決めたのなら、私はあなたのための最高の武器と、最高の盾を用意する。情報と、金という名のね」
俺たちの間に、もはや言葉は必要なかった。
辺境の地で始まった俺たちのささやかな革命は、今、国家レベルの巨大な権力闘争という、新たなステージへとその舞台を移そうとしていた。
夜空を見上げ、俺は自嘲気味に呟く。
「面白くなってきた、なんて言っていられるのも、今のうちかもしれな」
降りしきる雪は、これから始まるであろう、冷たく、そして厳しい戦いの時代の到来を、静かに告げているようだった。
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