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第38話:国王からの召喚状
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王都の政治力学という、見えない敵の存在を認識してから、アシュフォード領の空気は微妙に変化した。
表面上は、以前と変わらぬ穏やかな冬の日々が流れている。だが、水面下では、来るべき嵐に備えた準備が着々と進められていた。
エリアーナは、商会の利益を惜しみなく投入し、王都に潜ませた密偵の数を倍増させた。貴族たちの会食の噂話から、商業ギルドの内部情報まで、あらゆる情報が彼女の元へと集約されていく。
バルガスは、軍の再編に着手した。パイク兵とクロスボウ兵の連携をさらに洗練させると同時に、少数の精鋭からなる偵察部隊を組織し、領地周辺の警戒レベルを最大限に引き上げた。
そして俺は、シルフィと共に魔導炉の開発を加速させていた。
「シルフィ、すごいぞ! マナの出力を安定させることができれば、この小さな炉一つで、大鍋の水を一瞬で沸騰させられる!」
「本当!? じゃあ、お風呂もすぐに入れるようになるの?」
「ああ、その通りだ! もう薪を大量に燃やす必要はなくなる!」
俺たちは、マナを熱に変換する効率を、当初の数倍にまで高めることに成功していた。それは、来るべき産業革命の、確かな足音だった。
誰もが、自分の役割を理解し、黙々とそれをこなしていく。
俺たちは、一枚岩の城塞となり、王都から吹き付けるであろう嵐に備えていた。
だが、嵐は、俺たちの予想とは全く違う形で、そしてあまりにも早く、この辺境の地に到達した。
その日、アシュフォード領に、一台の豪奢な馬車が到着した。
馬車には、王家の紋章である「黄金の獅子」が燦然と輝いていた。護衛として付き従う騎士たちも、王都の近衛騎士団に所属する、エリート中のエリートたちだ。
領民たちは、何事かと遠巻きにその光景を眺めている。
馬車から降りてきたのは、国王の側近を名乗る、一人の文官だった。彼は、尊大な態度で父アルフォンスの前に立つと、金色の装飾が施された、一通の羊皮紙を恭しく捧げ持った。
「国王アルベール三世陛下より、アシュフォード子爵家当主アルフォンス、並びにその三男リオ・アシュフォードに対し、召喚状である。謹んで拝受せよ」
その言葉は、屋敷のホールに響き渡り、その場にいた全員を凍り付かせた。
召喚状。
それは、貴族にとって、拒否権のない絶対の命令だった。
父は、震える手でその召喚状を受け取った。そこには、流麗な筆跡で、こう記されていた。
『その勇気と知恵をもって、国の脅威を退けた英雄、リオ・アシュフォードを王都に召す。余は、そなたの功績を直接称え、その類いまれなる才を、この目で見届けたいと欲する。一月後、王城にて謁見を許す。遅参は許さぬ』
「……なんということだ」
父は、青ざめた顔で呟いた。
エリアーナと俺は、顔を見合わせた。
最悪の事態だった。
王都の政治ゲームには、距離を置いて関わっていく。それが俺たちの方針だった。だが、国王自らが、俺をそのゲーム盤のど真ん中へと、強制的に引きずり出そうとしてきたのだ。
『功績を称える』。
聞こえはいい。だが、その裏にある本当の意図は、火を見るより明らかだった。
国王は、俺という存在を、そして俺の持つ技術を、直接その目で値踏みし、自分の駒として使えるかどうかを判断しようとしているのだ。
もし、俺が彼の意に沿わなければ。あるいは、彼の手に負えない危険な存在だと判断されれば。
その場で、俺の首が飛ぶ可能性すらある。
まさに、獅子の巣に、手土産を持って自ら出向けと言っているようなものだ。
その夜、緊急の会議が開かれた。
「断ることはできんのか、リオ!」
父が、悲痛な声で叫んだ。
「国王の召喚を拒否すれば、それは反逆と見なされる。その時点で、アシュフォード家は終わりです」
エリアーナが、冷静に、しかし厳しい現実を告げる。
「行くしかないのよ。これは、避けられない試練だわ」
「しかし、危険すぎる!」とバルガスが声を荒らげた。「王都には、リオ様の力を狙う者、その命を狙う者がうようよしているはずです。そんな場所に、リオ様お一人で行かせるわけにはいきません!」
「俺もそう思う」
俺は、静かに口を開いた。
「俺一人で行くつもりはない。皆で行くんだ」
俺の言葉に、全員が息をのむ。
「バルガス、あんたは俺の護衛として同行してもらう。最強の剣がなければ、話にならないからな」
「はっ! この命に代えても!」
「エリアーナ、あんたにも来てもらう。王都の政治は、あんたの知識がなければ乗り切れない。それに、あんたの実家であるヴァイス伯爵家との関係も、はっきりさせる時が来た」
エリアーナは、こくりと頷いた。その目には、自らの過去と対峙する覚悟が宿っていた。
「そして、シルフィ」
俺が彼女の名前を呼ぶと、シルフィはビクリと肩を震わせた。
「君も、一緒に来てほしいんだ」
「わ、私……も?」
「ああ。国王が興味を持っているのは、俺の戦術だけじゃない。噂になっている『邪悪なる錬金術』、その正体も確かめたいはずだ。君の『魔法』という力こそが、俺たちの最大の切り札であり、同時に最大の交渉材料になる」
それは、シルフィを再び危険な政治の舞台に引きずり出すことを意味していた。彼女を矢面に立たせることに、俺は強い罪悪感を覚えていた。
だが、シルフィは、俺の目をまっすぐに見つめ返した。
「……行く。私も、リオと一緒に行くよ」
その声には、もう迷いはなかった。「リオが、私の力を必要としてくれるなら。私は、どこへでも行く」
彼女の成長と、その信頼に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
こうして、王都へ向かうメンバーは決まった。
俺、エリアーナ、バルガス、そしてシルフィ。
アシュフォード領の頭脳と、心臓部が、ごっそりと王都へ向かうことになる。
「留守は、大丈夫なのか?」
父が、不安げに尋ねる。
「問題ありません。父上と、兄上たちに任せます。それに、俺たちが作り上げたシステムは、俺たちがいなくても、しばらくは問題なく機能するように設計してあります」
ゴードンたち農夫も、鍛冶屋の親方も、俺たちのやり方を理解している。商会の文官たちも、エリアーナの教えを忠実に守るだろう。
俺たちが築き上げてきたものは、それほど脆くはない。
俺は、静かに立ち上がった。
「行くぞ、王都へ」
その声は、これから始まるであろう、人生で最も危険で、最も困難な戦いに挑む男の、決意表明だった。
「俺たちの未来を、俺たちの手で掴み取るために」
国王からの召喚状。
それは、拒否権のない命令であり、同時に、俺たちが辺境の小領主という立場から、国の中心へと躍り出るための、最初で最後のチャンスでもあった。
嵐が来るのを待つのではない。
俺たち自身が、嵐の中心へと、飛び込んでいくのだ。
その先にあるのが、栄光か、それとも破滅か。
それは、まだ誰にも分からなかった。
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バルガスは、軍の再編に着手した。パイク兵とクロスボウ兵の連携をさらに洗練させると同時に、少数の精鋭からなる偵察部隊を組織し、領地周辺の警戒レベルを最大限に引き上げた。
そして俺は、シルフィと共に魔導炉の開発を加速させていた。
「シルフィ、すごいぞ! マナの出力を安定させることができれば、この小さな炉一つで、大鍋の水を一瞬で沸騰させられる!」
「本当!? じゃあ、お風呂もすぐに入れるようになるの?」
「ああ、その通りだ! もう薪を大量に燃やす必要はなくなる!」
俺たちは、マナを熱に変換する効率を、当初の数倍にまで高めることに成功していた。それは、来るべき産業革命の、確かな足音だった。
誰もが、自分の役割を理解し、黙々とそれをこなしていく。
俺たちは、一枚岩の城塞となり、王都から吹き付けるであろう嵐に備えていた。
だが、嵐は、俺たちの予想とは全く違う形で、そしてあまりにも早く、この辺境の地に到達した。
その日、アシュフォード領に、一台の豪奢な馬車が到着した。
馬車には、王家の紋章である「黄金の獅子」が燦然と輝いていた。護衛として付き従う騎士たちも、王都の近衛騎士団に所属する、エリート中のエリートたちだ。
領民たちは、何事かと遠巻きにその光景を眺めている。
馬車から降りてきたのは、国王の側近を名乗る、一人の文官だった。彼は、尊大な態度で父アルフォンスの前に立つと、金色の装飾が施された、一通の羊皮紙を恭しく捧げ持った。
「国王アルベール三世陛下より、アシュフォード子爵家当主アルフォンス、並びにその三男リオ・アシュフォードに対し、召喚状である。謹んで拝受せよ」
その言葉は、屋敷のホールに響き渡り、その場にいた全員を凍り付かせた。
召喚状。
それは、貴族にとって、拒否権のない絶対の命令だった。
父は、震える手でその召喚状を受け取った。そこには、流麗な筆跡で、こう記されていた。
『その勇気と知恵をもって、国の脅威を退けた英雄、リオ・アシュフォードを王都に召す。余は、そなたの功績を直接称え、その類いまれなる才を、この目で見届けたいと欲する。一月後、王城にて謁見を許す。遅参は許さぬ』
「……なんということだ」
父は、青ざめた顔で呟いた。
エリアーナと俺は、顔を見合わせた。
最悪の事態だった。
王都の政治ゲームには、距離を置いて関わっていく。それが俺たちの方針だった。だが、国王自らが、俺をそのゲーム盤のど真ん中へと、強制的に引きずり出そうとしてきたのだ。
『功績を称える』。
聞こえはいい。だが、その裏にある本当の意図は、火を見るより明らかだった。
国王は、俺という存在を、そして俺の持つ技術を、直接その目で値踏みし、自分の駒として使えるかどうかを判断しようとしているのだ。
もし、俺が彼の意に沿わなければ。あるいは、彼の手に負えない危険な存在だと判断されれば。
その場で、俺の首が飛ぶ可能性すらある。
まさに、獅子の巣に、手土産を持って自ら出向けと言っているようなものだ。
その夜、緊急の会議が開かれた。
「断ることはできんのか、リオ!」
父が、悲痛な声で叫んだ。
「国王の召喚を拒否すれば、それは反逆と見なされる。その時点で、アシュフォード家は終わりです」
エリアーナが、冷静に、しかし厳しい現実を告げる。
「行くしかないのよ。これは、避けられない試練だわ」
「しかし、危険すぎる!」とバルガスが声を荒らげた。「王都には、リオ様の力を狙う者、その命を狙う者がうようよしているはずです。そんな場所に、リオ様お一人で行かせるわけにはいきません!」
「俺もそう思う」
俺は、静かに口を開いた。
「俺一人で行くつもりはない。皆で行くんだ」
俺の言葉に、全員が息をのむ。
「バルガス、あんたは俺の護衛として同行してもらう。最強の剣がなければ、話にならないからな」
「はっ! この命に代えても!」
「エリアーナ、あんたにも来てもらう。王都の政治は、あんたの知識がなければ乗り切れない。それに、あんたの実家であるヴァイス伯爵家との関係も、はっきりさせる時が来た」
エリアーナは、こくりと頷いた。その目には、自らの過去と対峙する覚悟が宿っていた。
「そして、シルフィ」
俺が彼女の名前を呼ぶと、シルフィはビクリと肩を震わせた。
「君も、一緒に来てほしいんだ」
「わ、私……も?」
「ああ。国王が興味を持っているのは、俺の戦術だけじゃない。噂になっている『邪悪なる錬金術』、その正体も確かめたいはずだ。君の『魔法』という力こそが、俺たちの最大の切り札であり、同時に最大の交渉材料になる」
それは、シルフィを再び危険な政治の舞台に引きずり出すことを意味していた。彼女を矢面に立たせることに、俺は強い罪悪感を覚えていた。
だが、シルフィは、俺の目をまっすぐに見つめ返した。
「……行く。私も、リオと一緒に行くよ」
その声には、もう迷いはなかった。「リオが、私の力を必要としてくれるなら。私は、どこへでも行く」
彼女の成長と、その信頼に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
こうして、王都へ向かうメンバーは決まった。
俺、エリアーナ、バルガス、そしてシルフィ。
アシュフォード領の頭脳と、心臓部が、ごっそりと王都へ向かうことになる。
「留守は、大丈夫なのか?」
父が、不安げに尋ねる。
「問題ありません。父上と、兄上たちに任せます。それに、俺たちが作り上げたシステムは、俺たちがいなくても、しばらくは問題なく機能するように設計してあります」
ゴードンたち農夫も、鍛冶屋の親方も、俺たちのやり方を理解している。商会の文官たちも、エリアーナの教えを忠実に守るだろう。
俺たちが築き上げてきたものは、それほど脆くはない。
俺は、静かに立ち上がった。
「行くぞ、王都へ」
その声は、これから始まるであろう、人生で最も危険で、最も困難な戦いに挑む男の、決意表明だった。
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それは、拒否権のない命令であり、同時に、俺たちが辺境の小領主という立場から、国の中心へと躍り出るための、最初で最後のチャンスでもあった。
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