異世界転生したので、文明レベルを21世紀まで引き上げてみた ~前世の膨大な知識を元手に、貧乏貴族から世界を変える“近代化の父”になります~

夏見ナイ

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第51話:シリンダーとピストン

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作業小屋の中は、息を飲むような緊張感に満ちていた。
俺の号令一下、全ての者が持ち場につき、鉄の巨人が目覚めるのを固唾をのんで見守っている。
「シルフィ、頼む。魔導炉の出力を、ゆっくりと上げてくれ」
「うん!」
シルフィは、改良型魔導炉のコアにそっと手をかざした。彼女の体から、淡い緑色のマナが流れ出し、炉心に吸い込まれていく。炉の内部で、安定した熱エネルギーが発生し始めた。
熱は、分厚いアシュフォード鋼でできたボイラーへと伝わり、中に満たされた水を温め始める。
しばらくすると、ボイラーの表面から微かに湯気が立ち上り、コポコポという水が沸騰する音が聞こえてきた。
俺は、自作した原始的な圧力計――金属の管にバネと針を取り付けただけのものだが――の目盛りを、食い入るように見つめていた。
針が、ゆっくりと、しかし確実に上がっていく。
ボイラー内部で、高圧の蒸気が発生している証拠だ。
ゴウン、ゴウンと、鉄の巨人がまるで生き物のように唸りを上げ始めた。小屋全体が、その振動で微かに揺れる。
職人たちの額には、玉のような汗が浮かんでいた。エリアーナも、バルガスも、固く唇を結んでその光景を見守っている。
やがて、圧力計の針が、俺が設定した目標値に達した。
「よし……」
俺は深呼吸をし、機関の心臓部、シリンダーへと蒸気を送り込むための、真鍮製のバルブに手をかけた。
このバルブを開けば、高圧の蒸気がシリンダーに流れ込み、ピストンを力強く押し出すはずだ。そして、その往復運動が、巨大なフライホイールを回転させる。
「動け……!」
祈るような気持ちで、俺はバルブを捻った。

プシューーーーーッ!

甲高い音と共に、白い蒸気がシリンダーから勢いよく噴き出した。
だが、それだけだった。
機関は、動かない。
ピストンは微動だにせず、巨大なフライホイールも沈黙したままだ。ただ、虚しく蒸気が漏れ出す音だけが、小屋の中に響き渡っていた。
「な……」
鍛冶屋の親方が、呆然と呟いた。「蒸気が、全部漏れちまってる……」
何度かバルブを開け閉めしてみたが、結果は同じだった。俺たちが数ヶ月かけて作り上げた鉄の巨人は、ただ盛大に蒸気を吹き出すだけの、役立たずの鉄くずにしか見えなかった。
作業小屋を支配していた緊張と期待は、一瞬にして、重い失望のため息へと変わった。
「そんな……あんなに精密に作ったはずなのに」
「どこかで、計算が狂っていたのか……」
職人たちは、がっくりと肩を落とした。彼らのこれまでの苦労が、全て水の泡になったかのような絶望感が、その場を支配していた。
エリアーナが、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「リオ……」
だが、俺の心は、不思議なほど冷静だった。
いや、むしろ、燃えていた。
プラントエンジニアとしての俺の血が、この予期せぬトラブルを前に、最高の挑戦相手を見つけたかのように、騒ぎ立てていたのだ。
「全員、落ち着け!」
俺は、声を張り上げた。「失敗じゃない。問題点が見つかっただけだ。これから、原因を特定する」
俺は、まだ熱を帯びているシリンダーに近づき、その構造を注意深く観察した。蒸気は、ピストンとシリンダーの隙間から漏れている。
原因は、密閉性の不足だ。
「親方、このシリンダーの内壁と、ピストンの表面をもう一度見せてくれ」
分解された部品を前に、俺は問題点を指摘していく。
「見てくれ。このシリンダーの内壁、肉眼では完璧に見える。だが、指でなぞってみろ。ごく僅かな、ミクロの単位での凹凸がある。ピストンも同じだ。この僅かな隙間が、高圧の蒸気にとっては、巨大な抜け道になるんだ」
職人たちは、言われた通りに部品の表面をなぞり、そのあまりにも高い要求レベルに、信じられないという顔をした。
「そして、もう一つ。最大の問題は、ここだ」
俺は、ピストンの先端を指差した。「このピストンとシリンダーが直接触れ合っている部分。金属同士が擦れ合えば、必ず隙間が生まれる。ここに、蒸気を完全に密閉するための『壁』が必要なんだ」
「壁、ですかい?」
「ああ。蒸気を通さず、しかしピストンの動きを妨げない、柔軟な壁だ。俺はこれを、『パッキン』と名付ける」
パッキン。この世界の誰も知らない、機械工学の基礎中の基礎となる概念。
俺は羊皮紙を取り出し、その場で新しい部品の設計図を描いた。
「アシュフォード鋼の薄い板を、円環状に加工する。ピストンリングだ。そして、そのリングを収める溝をピストンに彫り、その隙間に、油をたっぷりと染み込ませた、なめし革を挟み込むんだ。革の弾力性が、シリンダーとの僅かな隙間を完全に埋め、蒸気の漏れを防ぐ壁になる」
職人たちは、俺のその斬新な発想に、目から鱗が落ちるような表情をしていた。
「なるほど……金属の硬さと、革の柔らかさ、その両方を使うのか!」
「だが、リオ様。シリンダーの内壁を、これ以上滑らかにするなど、我々の技術では……」
弱音を吐く職人に、俺は首を振った。
「いや、できる。お前たちの腕と、アシュフォード鋼なら、必ずできる。やり方は、俺が教える」
俺は、彼らに「ホーニング」と呼ばれる、内燃機関のシリンダーを精密に研磨するための、前世の技術の基礎を説明した。特殊な砥石を使い、内壁に意図的に微細な網目状の傷をつけることで、潤滑油の保持性を高め、ピストンとの気密性を極限まで上げる技術だ。
俺の、常識を超えた知識と、揺るぎない自信。
それが、失いかけていた職人たちの心に、再び火を灯した。
「……分かった。分かったよ、リオ様!」
鍛冶屋の親方が、力強く立ち上がった。「そこまで言うなら、やってやろうじゃねえか! 俺たちの人生で、最高の鉄の塊を、もう一度作り直してやる!」
彼の言葉に、他の職人たちも、次々と奮い立った。
その日から、作業小屋では、再び鋼を打つ音が響き渡った。
それは、以前よりも、さらに緻密で、さらに根気のいる作業だった。
職人たちは、文字通り寝る間も惜しんで、シリンダーとピストンの再加工に取り組んだ。俺も、彼らの傍に付きっきりになり、マイクロメートル単位での調整を指示し続けた。
その様子を、エリアーナとシルフィは、静かに見守っていた。
「……信じられないわ。あんな絶望的な失敗の後で、誰も諦めていない。むしろ、前よりも活気に満ちているように見える」
エリアーナが、感嘆の声を漏らす。
シルフィは、黙って頷いた。彼女には、リオと職人たちの間に、目には見えない強い絆が結ばれているのが分かった。それは、共に困難に立ち向かう者だけが分かち合える、熱い魂の共鳴だった。

そして、運命の日から一週間後。
完璧なまでに再調整されたシリンダーとピストンが、再び鉄の巨人に組み込まれた。
作業小屋には、前回と同じメンバーが集まっていた。だが、その場の空気は、前回とは全く違っていた。
そこには、祈るような期待ではなく、自分たちの手で未来を掴み取るのだという、確固たる自信が満ちていた。
「火入れ、開始!」
俺の号令で、再び魔導炉が唸りを上げ、ボイラーの水が沸騰し始める。
圧力計の針が、ゆっくりと上昇していく。
俺は、バルブを握る手に、全ての者の想いが乗っているのを感じた。
再び、目標圧力に到達する。
俺は、仲間たちの顔を一人ずつ見渡し、そして、力強くバルブを捻った。
今度こそ、動いてくれ。
俺たちの、希望を乗せて。
次の瞬間、シリンダーに送り込まれた高圧蒸気は、もはや漏れ出すことはなかった。
その全ての力が、巨大なピストンに、一直線に注ぎ込まれた。
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