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第108話:平和への礎
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大陸大戦が終結して半年が過ぎた。
講和条約によって、大陸には表面的には穏やかな平和が訪れていた。帝国は軍備を大幅に縮小し、その視線は内政の復興へと向けられている。解放された属国たちは、新しい国造りに奔走していた。
だが水面下では、新しい時代の秩序を巡る静かな、しかし熾烈な綱引きがすでに始まっていた。
「……面白いことになっているな」
公爵執務室で、クラウスは王国全土に張り巡らされた電信網からもたらされる最新の大陸情勢報告書を読み上げながら、皮肉げに口元を歪めた。
「帝国を恐れる必要がなくなった中小国の一部が、今度は我々王国の急成長を新たな脅威と見なし始めている。彼らは水面下で連携し、我々に対抗するための新たな同盟を結ぼうとしているようだ」
「人間の歴史は常にその繰り返しだ」と俺は答えた。「一つの大きな脅威が去れば、次の脅威を探し出し、互いに疑心暗鬼に陥る。恐怖による支配は真の平和をもたらさないことの何よりの証拠だよ」
「では、どうする? 一度、我々の『力』を改めて見せつけてやるか?」
クラウスの氷のような目が、俺の真意を探るように光った。
「いや」
俺は静かに首を振った。「俺たちが今、世界に示すべきは力ではない。全く新しい未来の形だ」
俺たちの本当の戦いは、ここから始まるのだ。
その一ヶ月後。
王都には、大陸中の全ての国々の王や特使たちが集結していた。
彼らが集まった目的はただ一つ。
俺が提唱した新しい国際協調の枠組み、『国際連盟』の第一回総会に参加するためだった。
会場となったのは、王城に隣接して新たに建設された壮麗な国際会議場だ。円形の巨大な議場は、全ての国の代表が対等な立場で議論できるように設計されていた。
華やかな民族衣装に身を包んだ各国の代表たち。その顔には、新しい時代へのわずかな期待と、それ以上に大きな疑念と腹の探り合いの色が浮かんでいた。
彼らにとって我々王国は、帝国を打ち破った新しい覇者だ。この会議も結局は、王国の意向を各国に押し付けるための形式的な儀式に過ぎないのではないか。
そんな不信の空気が、会場全体を重く支配していた。
会議の冒頭、議長として壇上に立った俺は、その重い空気を一身に受け止めながら、静かに語り始めた。
「皆様。本日、我々は歴史の新しいページを開くためにここに集いました」
俺の声はマイクを通して、巨大な議場の隅々までクリアに響き渡った。
「我々の歴史は戦争の歴史でした。力を持つ者が持たざる者を支配し、奪い、そして憎しみの連鎖が幾世代にもわたって繰り返されてきた。……もう、そんな時代は終わりにしませんか」
俺は、集団安全保障と対話による紛争解決という国際連盟の基本理念を改めて力強く訴えた。
俺の演説が終わると、会場からは儀礼的なまばらな拍手が送られた。
だがすぐに、敗戦国である帝国の代表、老宰相が立ち上がった。
「……リオ公爵閣下」
その声は弱々しかったが、その言葉はこの場にいる多くの中小国の代表たちの本音を代弁するものだった。
「あなたの語る理想は実に美しい。だが、それは所詮、絵に描いた餅に過ぎないのではないかな。結局のところ、その『平和』とやらは、貴国、王国の圧倒的な軍事力を背景にした新しい形の『支配』に他ならないのではないか?」
その核心を突く問いに、議場は水を打ったように静まり返った。
誰もが俺の答えを固唾をのんで見守っている。
俺は静かに頷いた。
「……あなたの御懸念はもっともです。力は時に平和を脅かす最大の凶器となり得る。そのことを私自身、誰よりも深く理解しているつもりです」
俺は壇上から降り、議場の中央へと歩みを進めた。
そして、各国の代表たちの一人一人の顔を見渡しながら語りかけた。
「だからこそ、私は提案したい。我々が真の平和を築くための、力に頼らないもう一つの礎を」
俺は隣に控えていたエリアーナに目配せをした。
エリアーナは立ち上がると、凛とした声で宣言した。
「我がアシュフォード商会はここに、『大陸自由貿易協定』の締結を提唱いたします!」
その全く新しい提案に、議場は再びどよめいた。
エリアーナは続けた。
「この協定に加盟する国々の間では、全ての関税を撤廃し、人、物、そして金の自由な移動を保証します。経済的な結びつきを、どこまでも強く、深くするのです」
そして俺が、その構想の真の目的を告げた。
「考えてみてください。互いの国の経済がもはや切り離すことができないほど深く結びついていたらどうなるか。隣国と戦争をすることは、自らの腕を切り落とすことと同じになるのです。平和は理想だけでは守れない。だが、平和が具体的な『利益』を生むのだとすれば。話は別ではないでしょうか」
力による平和の強制ではない。
経済的な相互依存による戦争の抑止。
それは彼らの凝り固まった頭では思いつきもしなかった、全く新しい平和へのアプローチだった。
さらに俺は技術供与についても言及した。
「我が王国が持つ農業技術、医療技術、そして教育のシステム。それらの基礎的な部分を、連盟に加盟する全ての国に無償で供与することを約束します。共に、豊かになるのです。貧困こそが戦争の最大の温床なのですから」
軍事力という「アメとムチ」だけでなく、経済と技術という「共有される利益」を示す。
議場の重く冷え切っていた空気が少しずつ変わり始めていくのが分かった。
疑念の目が、わずかな、しかし確かな希望の光へと変わっていく。
その日の会議は深夜まで続いた。
そして最終的に、国際連盟憲章は全ての国の賛成多数をもって採択された。
大陸に新しい平和への礎が確かに置かれたのだ。
だが、その歴史的な一日を終え、執務室に戻った俺の心は決して晴れやかではなかった。
俺は一人、巨大な大陸地図を見つめていた。
今日、確かに一つの大きな歩みを踏み出した。
だが、俺は知っていた。
会議の場で俺の提案に賛同の意を示したあの代表たちの目の奥に、一瞬だけよぎった自国の利益を計算する冷たい光を。
条約も制度も、人の心の奥底にある欲望や猜疑心まで縛ることはできない。
本当の平和は、この地図の上で線を引くだけで実現するような簡単なものではないのだ。
それはこれから何十年、いや何百年という長い時間をかけて、人々の心の中に一つ一つレンガを積み上げるように築いていくしかない、途方もなく困難な事業なのだ。
国際連負の設立。
それはゴールではない。
本当の平和への長く果てしない道のりの、スタートラインにようやく立てたというだけのことに過ぎない。
俺は、その道のりの険しさを改めて噛み締めていた。
俺の戦いは、まだ始まったばかりなのだ、と。
講和条約によって、大陸には表面的には穏やかな平和が訪れていた。帝国は軍備を大幅に縮小し、その視線は内政の復興へと向けられている。解放された属国たちは、新しい国造りに奔走していた。
だが水面下では、新しい時代の秩序を巡る静かな、しかし熾烈な綱引きがすでに始まっていた。
「……面白いことになっているな」
公爵執務室で、クラウスは王国全土に張り巡らされた電信網からもたらされる最新の大陸情勢報告書を読み上げながら、皮肉げに口元を歪めた。
「帝国を恐れる必要がなくなった中小国の一部が、今度は我々王国の急成長を新たな脅威と見なし始めている。彼らは水面下で連携し、我々に対抗するための新たな同盟を結ぼうとしているようだ」
「人間の歴史は常にその繰り返しだ」と俺は答えた。「一つの大きな脅威が去れば、次の脅威を探し出し、互いに疑心暗鬼に陥る。恐怖による支配は真の平和をもたらさないことの何よりの証拠だよ」
「では、どうする? 一度、我々の『力』を改めて見せつけてやるか?」
クラウスの氷のような目が、俺の真意を探るように光った。
「いや」
俺は静かに首を振った。「俺たちが今、世界に示すべきは力ではない。全く新しい未来の形だ」
俺たちの本当の戦いは、ここから始まるのだ。
その一ヶ月後。
王都には、大陸中の全ての国々の王や特使たちが集結していた。
彼らが集まった目的はただ一つ。
俺が提唱した新しい国際協調の枠組み、『国際連盟』の第一回総会に参加するためだった。
会場となったのは、王城に隣接して新たに建設された壮麗な国際会議場だ。円形の巨大な議場は、全ての国の代表が対等な立場で議論できるように設計されていた。
華やかな民族衣装に身を包んだ各国の代表たち。その顔には、新しい時代へのわずかな期待と、それ以上に大きな疑念と腹の探り合いの色が浮かんでいた。
彼らにとって我々王国は、帝国を打ち破った新しい覇者だ。この会議も結局は、王国の意向を各国に押し付けるための形式的な儀式に過ぎないのではないか。
そんな不信の空気が、会場全体を重く支配していた。
会議の冒頭、議長として壇上に立った俺は、その重い空気を一身に受け止めながら、静かに語り始めた。
「皆様。本日、我々は歴史の新しいページを開くためにここに集いました」
俺の声はマイクを通して、巨大な議場の隅々までクリアに響き渡った。
「我々の歴史は戦争の歴史でした。力を持つ者が持たざる者を支配し、奪い、そして憎しみの連鎖が幾世代にもわたって繰り返されてきた。……もう、そんな時代は終わりにしませんか」
俺は、集団安全保障と対話による紛争解決という国際連盟の基本理念を改めて力強く訴えた。
俺の演説が終わると、会場からは儀礼的なまばらな拍手が送られた。
だがすぐに、敗戦国である帝国の代表、老宰相が立ち上がった。
「……リオ公爵閣下」
その声は弱々しかったが、その言葉はこの場にいる多くの中小国の代表たちの本音を代弁するものだった。
「あなたの語る理想は実に美しい。だが、それは所詮、絵に描いた餅に過ぎないのではないかな。結局のところ、その『平和』とやらは、貴国、王国の圧倒的な軍事力を背景にした新しい形の『支配』に他ならないのではないか?」
その核心を突く問いに、議場は水を打ったように静まり返った。
誰もが俺の答えを固唾をのんで見守っている。
俺は静かに頷いた。
「……あなたの御懸念はもっともです。力は時に平和を脅かす最大の凶器となり得る。そのことを私自身、誰よりも深く理解しているつもりです」
俺は壇上から降り、議場の中央へと歩みを進めた。
そして、各国の代表たちの一人一人の顔を見渡しながら語りかけた。
「だからこそ、私は提案したい。我々が真の平和を築くための、力に頼らないもう一つの礎を」
俺は隣に控えていたエリアーナに目配せをした。
エリアーナは立ち上がると、凛とした声で宣言した。
「我がアシュフォード商会はここに、『大陸自由貿易協定』の締結を提唱いたします!」
その全く新しい提案に、議場は再びどよめいた。
エリアーナは続けた。
「この協定に加盟する国々の間では、全ての関税を撤廃し、人、物、そして金の自由な移動を保証します。経済的な結びつきを、どこまでも強く、深くするのです」
そして俺が、その構想の真の目的を告げた。
「考えてみてください。互いの国の経済がもはや切り離すことができないほど深く結びついていたらどうなるか。隣国と戦争をすることは、自らの腕を切り落とすことと同じになるのです。平和は理想だけでは守れない。だが、平和が具体的な『利益』を生むのだとすれば。話は別ではないでしょうか」
力による平和の強制ではない。
経済的な相互依存による戦争の抑止。
それは彼らの凝り固まった頭では思いつきもしなかった、全く新しい平和へのアプローチだった。
さらに俺は技術供与についても言及した。
「我が王国が持つ農業技術、医療技術、そして教育のシステム。それらの基礎的な部分を、連盟に加盟する全ての国に無償で供与することを約束します。共に、豊かになるのです。貧困こそが戦争の最大の温床なのですから」
軍事力という「アメとムチ」だけでなく、経済と技術という「共有される利益」を示す。
議場の重く冷え切っていた空気が少しずつ変わり始めていくのが分かった。
疑念の目が、わずかな、しかし確かな希望の光へと変わっていく。
その日の会議は深夜まで続いた。
そして最終的に、国際連盟憲章は全ての国の賛成多数をもって採択された。
大陸に新しい平和への礎が確かに置かれたのだ。
だが、その歴史的な一日を終え、執務室に戻った俺の心は決して晴れやかではなかった。
俺は一人、巨大な大陸地図を見つめていた。
今日、確かに一つの大きな歩みを踏み出した。
だが、俺は知っていた。
会議の場で俺の提案に賛同の意を示したあの代表たちの目の奥に、一瞬だけよぎった自国の利益を計算する冷たい光を。
条約も制度も、人の心の奥底にある欲望や猜疑心まで縛ることはできない。
本当の平和は、この地図の上で線を引くだけで実現するような簡単なものではないのだ。
それはこれから何十年、いや何百年という長い時間をかけて、人々の心の中に一つ一つレンガを積み上げるように築いていくしかない、途方もなく困難な事業なのだ。
国際連負の設立。
それはゴールではない。
本当の平和への長く果てしない道のりの、スタートラインにようやく立てたというだけのことに過ぎない。
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