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第117話:それぞれの未来
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エーテルネット構想の発表からさらに数年の歳月が流れた。王国は、俺が描いたロードマップの上を、時に躓きながらも確実に未来へと向かって走り続けていた。
俺は公爵として、そしてプロジェクト・ミネルヴァの最高責任者として相変わらず多忙な日々を送っていた。だが、俺がかつてのように全ての現場に顔を出し、細かな指示を与える必要はもはやなくなっていた。
なぜなら俺のかけがえのない仲間たちが、それぞれの戦場で俺の理想を俺以上に深く理解し、そして見事に実現してくれていたからだ。その日、俺は彼らが築き上げたそれぞれの「未来」の姿をこの目で確かめるために王都を巡ることにした。
最初に訪れたのは、王城の中枢、宰相執務室だった。
かつては古めかしいタペストリーが飾られていたその部屋は、今や巨大な王国地図と、アナリティカル・エンジンと直結した最新の情勢を表示する表示盤が設置された、近代的な司令室へと姿を変えていた。その中央の椅子に座り、膨大な情報の中からこの国の進むべき道筋を、冷静にそして的確に指し示しているのはエリアーナだった。
彼女はもはや、アシュフォード商会の代表ではない。
国王アルベール三世からの絶対的な信頼を得て、この国で初めての女性宰相の地位に就いていたのだ。
「……北部の鉄鋼生産量が計画値を三パーセント下回っているわ。原因は、輸送用鉄道のダイヤの乱れ。クラウス、すぐに輸送大臣に連絡を。三日以内に改善案を提出させなさい」
「承知いたしました、宰相閣下」
彼女の補佐官として完璧に職務をこなすクラウスとの連携は、もはや阿吽の呼吸だった。
俺の姿に気づくと、エリアーナは宰相としての厳しい仮面を一瞬だけ解き、穏やかな笑みを浮かべた。
「視察かしら、リオ? 残念ながら、あなたとのんびりお茶を飲んでいる時間はないのだけれど」
「分かっているさ。ただあんたがこの国をどれだけ見事に動かしているかを見ておきたかっただけだ」
俺の言葉に彼女は少しだけ誇らしげに胸を張った。
「あなたの描く無茶苦茶な未来を実現させるのが私の仕事よ。大変だけれど、悪くないわ。国という最大の商会の経営を任されているのだもの」
その瞳には、かつて家の道具として生きることを嘆いていた少女の面影はどこにもなかった。そこにあったのは、自らの知性と意志で国家の未来を切り拓く一人の偉大な政治家の姿だった。
次に俺が向かったのは、郊外の王立士官学校だった。
訓練場には、バルガスの雷のような、しかし愛情に満ちた声が響き渡っていた。
「何をやってる! 敵はお前たちの都合を待ってはくれんぞ! 状況判断をコンマ一秒でも早くしろ!」
校長となったバルガスは、もはやただの屈強な武人ではなかった。その眼差しは、国の未来を担う若者たちを育てる厳しくも慈愛に満ちた教育者のそれだった。
彼が学生たちに課していたのは、最新のシミュレーション訓練だった。
アナリティカル・エンジンとエーテルネットで接続された巨大な地図盤の上で、学生たちは仮想の敵と刻一刻と変わる戦況の中で、最も合理的な判断を下すことを求められていた。
「俺はあなたに仕えるただの剣でした」
訓練を終えたバルガスは、夕日に染まる訓練場を眺めながら俺に静かに語った。
「ですが今は違います。俺はあなたの理想と戦術を受け継ぐ、次の世代の無数の剣を育てる鍛冶師でもあるのです。彼らがこの国の本当の平和の盾となるでしょう」
その無骨な横顔には揺るぎない誇りが刻まれていた。
大学の魔導科学研究所の扉を開けると、そこは静かな、しかし濃密な知的な熱気に満ちていた。
白衣を纏ったシルフィが、巨大な黒板にびっしりと書き込まれた複雑な数式を前に、学生たちと熱心な議論を交わしている。
「……マナと電磁場の相互変換効率は、この方程式でほぼ説明できるはずよ。問題は、この触媒となるアーククリスタルの結晶構造の歪みをどうやって最小限に抑えるか……」
彼女はもはや、人目を恐れる内気なエルフの少女ではなかった。
『魔導物理学』という新しい学問の扉を開いた、若き天才的な権威として、学生たちから絶大な尊敬を集めていた。
彼女の研究は、小型でクリーンな次世代のエネルギー源、『魔力発電』の実用化を目前にまで引き寄せていた。
「……リオ!」
俺の姿を見つけると彼女は、研究者の顔からいつもの屈託のない笑顔に戻った。
「見てて。もうすぐだよ。あなたが最初に夢見た、『誰もがいつでもどこでもクリーンなエネルギーを使える世界』。私がこの手で実現させてみせるから」
その翡翠色の瞳は、かつてないほど力強く輝いていた。
そして最後に、俺は大学付属病院の外科病棟を訪れた。
手術を終えたばかりの一人の若い女医が、患者の家族に穏やかな笑みで結果を告げている。
「……ご安心ください。手術は成功しました。あとはゆっくりと回復を待つだけです」
その言葉に家族は涙を流して、何度も何度も頭を下げていた。
その若き天才外科医こそ、俺の妹リリアナだった。
彼女は俺がもたらした麻酔法と消毒法をさらに発展させ、数々のこれまで不可能とされてきた高難易度の手術を成功させていた。
その奇跡のような腕前と、患者に寄り添う深い慈愛の心から、彼女はいつしか人々から畏敬と親しみを込めて、『王都の聖女』と呼ばれるようになっていた。
「……お兄様」
俺に気づいた彼女は静かにこちらへ歩み寄ってきた。
「お疲れ様、リリアナ。大変な手術だったようだな」
「ええ。でも、大丈夫」
彼女はまっすぐな目で俺を見つめた。「お兄様が戦争という大きな死の連鎖を終わらせてくれた。だから今度は私が、病というもう一つの、小さな、でも終わりのない戦争を終わらせる番なの」
その小さな体には、この国の全ての病める人々の命を救うのだという、気高くそして揺るぎない使命感が宿っていた。
その夜、俺は自室で一人静かに、仲間たちのその頼もしい姿を思い返していた。
宰相となったエリアーナ。
教育者となったバルガス。
大学者となったシルフィ。
そして、聖女となったリリアナ。
俺はもう一人ではない。
俺が蒔いた種は俺の想像を遥かに超えて、立派な大樹へと成長し、それぞれの場所で新しい時代の豊かな森を創り始めていた。
その事実に、俺の胸は温かい、そして深い満足感で満たされた。
俺たちの未来は盤石だ。ならば俺の次の仕事は何だろうか。
それは、彼らが築き上げてくれたこの豊かで平和になった世界で、人々に新しい『夢』を見せてあげることではないだろうか。
技術がもたらす便利さや豊かさだけではない。人々の心を揺さぶり、感動させ、そして明日への活力を与えるような新しい文化の創造。
俺の脳裏に一つのアイデアが閃いた。光と影。そして、連続する静止した絵が、まるで生きているかのように動き出す、あの魔法のような装置。
映画。
そうだ。
次は、この世界に新しい物語を生み出そう。
俺は静かにペンを取り、新しい設計図の最初の一本の線を羊皮紙の上に描き始めたのだった。
俺は公爵として、そしてプロジェクト・ミネルヴァの最高責任者として相変わらず多忙な日々を送っていた。だが、俺がかつてのように全ての現場に顔を出し、細かな指示を与える必要はもはやなくなっていた。
なぜなら俺のかけがえのない仲間たちが、それぞれの戦場で俺の理想を俺以上に深く理解し、そして見事に実現してくれていたからだ。その日、俺は彼らが築き上げたそれぞれの「未来」の姿をこの目で確かめるために王都を巡ることにした。
最初に訪れたのは、王城の中枢、宰相執務室だった。
かつては古めかしいタペストリーが飾られていたその部屋は、今や巨大な王国地図と、アナリティカル・エンジンと直結した最新の情勢を表示する表示盤が設置された、近代的な司令室へと姿を変えていた。その中央の椅子に座り、膨大な情報の中からこの国の進むべき道筋を、冷静にそして的確に指し示しているのはエリアーナだった。
彼女はもはや、アシュフォード商会の代表ではない。
国王アルベール三世からの絶対的な信頼を得て、この国で初めての女性宰相の地位に就いていたのだ。
「……北部の鉄鋼生産量が計画値を三パーセント下回っているわ。原因は、輸送用鉄道のダイヤの乱れ。クラウス、すぐに輸送大臣に連絡を。三日以内に改善案を提出させなさい」
「承知いたしました、宰相閣下」
彼女の補佐官として完璧に職務をこなすクラウスとの連携は、もはや阿吽の呼吸だった。
俺の姿に気づくと、エリアーナは宰相としての厳しい仮面を一瞬だけ解き、穏やかな笑みを浮かべた。
「視察かしら、リオ? 残念ながら、あなたとのんびりお茶を飲んでいる時間はないのだけれど」
「分かっているさ。ただあんたがこの国をどれだけ見事に動かしているかを見ておきたかっただけだ」
俺の言葉に彼女は少しだけ誇らしげに胸を張った。
「あなたの描く無茶苦茶な未来を実現させるのが私の仕事よ。大変だけれど、悪くないわ。国という最大の商会の経営を任されているのだもの」
その瞳には、かつて家の道具として生きることを嘆いていた少女の面影はどこにもなかった。そこにあったのは、自らの知性と意志で国家の未来を切り拓く一人の偉大な政治家の姿だった。
次に俺が向かったのは、郊外の王立士官学校だった。
訓練場には、バルガスの雷のような、しかし愛情に満ちた声が響き渡っていた。
「何をやってる! 敵はお前たちの都合を待ってはくれんぞ! 状況判断をコンマ一秒でも早くしろ!」
校長となったバルガスは、もはやただの屈強な武人ではなかった。その眼差しは、国の未来を担う若者たちを育てる厳しくも慈愛に満ちた教育者のそれだった。
彼が学生たちに課していたのは、最新のシミュレーション訓練だった。
アナリティカル・エンジンとエーテルネットで接続された巨大な地図盤の上で、学生たちは仮想の敵と刻一刻と変わる戦況の中で、最も合理的な判断を下すことを求められていた。
「俺はあなたに仕えるただの剣でした」
訓練を終えたバルガスは、夕日に染まる訓練場を眺めながら俺に静かに語った。
「ですが今は違います。俺はあなたの理想と戦術を受け継ぐ、次の世代の無数の剣を育てる鍛冶師でもあるのです。彼らがこの国の本当の平和の盾となるでしょう」
その無骨な横顔には揺るぎない誇りが刻まれていた。
大学の魔導科学研究所の扉を開けると、そこは静かな、しかし濃密な知的な熱気に満ちていた。
白衣を纏ったシルフィが、巨大な黒板にびっしりと書き込まれた複雑な数式を前に、学生たちと熱心な議論を交わしている。
「……マナと電磁場の相互変換効率は、この方程式でほぼ説明できるはずよ。問題は、この触媒となるアーククリスタルの結晶構造の歪みをどうやって最小限に抑えるか……」
彼女はもはや、人目を恐れる内気なエルフの少女ではなかった。
『魔導物理学』という新しい学問の扉を開いた、若き天才的な権威として、学生たちから絶大な尊敬を集めていた。
彼女の研究は、小型でクリーンな次世代のエネルギー源、『魔力発電』の実用化を目前にまで引き寄せていた。
「……リオ!」
俺の姿を見つけると彼女は、研究者の顔からいつもの屈託のない笑顔に戻った。
「見てて。もうすぐだよ。あなたが最初に夢見た、『誰もがいつでもどこでもクリーンなエネルギーを使える世界』。私がこの手で実現させてみせるから」
その翡翠色の瞳は、かつてないほど力強く輝いていた。
そして最後に、俺は大学付属病院の外科病棟を訪れた。
手術を終えたばかりの一人の若い女医が、患者の家族に穏やかな笑みで結果を告げている。
「……ご安心ください。手術は成功しました。あとはゆっくりと回復を待つだけです」
その言葉に家族は涙を流して、何度も何度も頭を下げていた。
その若き天才外科医こそ、俺の妹リリアナだった。
彼女は俺がもたらした麻酔法と消毒法をさらに発展させ、数々のこれまで不可能とされてきた高難易度の手術を成功させていた。
その奇跡のような腕前と、患者に寄り添う深い慈愛の心から、彼女はいつしか人々から畏敬と親しみを込めて、『王都の聖女』と呼ばれるようになっていた。
「……お兄様」
俺に気づいた彼女は静かにこちらへ歩み寄ってきた。
「お疲れ様、リリアナ。大変な手術だったようだな」
「ええ。でも、大丈夫」
彼女はまっすぐな目で俺を見つめた。「お兄様が戦争という大きな死の連鎖を終わらせてくれた。だから今度は私が、病というもう一つの、小さな、でも終わりのない戦争を終わらせる番なの」
その小さな体には、この国の全ての病める人々の命を救うのだという、気高くそして揺るぎない使命感が宿っていた。
その夜、俺は自室で一人静かに、仲間たちのその頼もしい姿を思い返していた。
宰相となったエリアーナ。
教育者となったバルガス。
大学者となったシルフィ。
そして、聖女となったリリアナ。
俺はもう一人ではない。
俺が蒔いた種は俺の想像を遥かに超えて、立派な大樹へと成長し、それぞれの場所で新しい時代の豊かな森を創り始めていた。
その事実に、俺の胸は温かい、そして深い満足感で満たされた。
俺たちの未来は盤石だ。ならば俺の次の仕事は何だろうか。
それは、彼らが築き上げてくれたこの豊かで平和になった世界で、人々に新しい『夢』を見せてあげることではないだろうか。
技術がもたらす便利さや豊かさだけではない。人々の心を揺さぶり、感動させ、そして明日への活力を与えるような新しい文化の創造。
俺の脳裏に一つのアイデアが閃いた。光と影。そして、連続する静止した絵が、まるで生きているかのように動き出す、あの魔法のような装置。
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