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第119話:公爵の休日
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その日は、雲一つない完璧な青空が広がる休日だった。
俺は、山のような執務を無理やりクラウスに押し付け、一つの目的のために朝から屋敷のガレージに籠っていた。
目的のブツは、数ヶ月かけて俺が趣味と実益を兼ねて作り上げた、最新の傑作。
やがて準備を終えた俺は、屋敷の玄関で待っていたエリアーナを、得意げな顔で迎えに行った。
「エリアーナ、待たせたな。さあ、行こうか」
「もう、リオ。一体どこへ連れていくつもりなの? ピクニックだなんて、子供みたいに……」
少し呆れたように言う彼女の言葉は、ガレージから姿を現した俺の愛車を見て途切れた。
そこにいたのは、馬ではなかった。
流線型の深紅のボディ。真鍮でできた装飾が、朝日にキラキラと輝いている。革張りの座席が二つ。そして、車体の前部には、小型化された高性能の魔導蒸気機関が、静かな鼓動を刻んでいた。
「……これは」
「俺の専用車、『ロードスター』だ。どうだ、美しいだろう?」
俺が開発した、最新型の蒸気自動車。これまでのトラックのような無骨なものではない。貴族の個人的な移動手段として設計された、二人乗りのオープンカーだ。
エリアーナは、その未来からやってきたかのような乗り物を、ただ呆然と見つめていた。
「さあ、乗ってくれ、宰相閣下。今日は俺が君のお抱え運転手だ」
俺が悪戯っぽく笑いながらドアを開けると、彼女はまるで夢でも見ているかのような顔で、ゆっくりと助手席にその身を滑り込ませた。
俺が運転席に座り、いくつかのバルブを操作すると、ロードスターはシュッシュッという心地よい蒸気の音を立てて、静かに走り出した。
石畳の上を滑るように進む。馬車のような不快な揺れは、ほとんどない。
屋敷の門を出て王都のメインストリートを走ると、道行く人々が皆、驚きの顔でこちらを振り返った。
「見てみろ! リオ公爵様の新しい馬車だ!」
「馬がいないのに走ってるぞ!」
彼らの好奇と賞賛の視線を浴びながら、俺たちは風を切って王都の郊外へと向かう。
エリアーナは初めは緊張した面持ちだったが、吹き抜ける風が彼女の美しい髪を優しくなびかせると、次第にその表情が子供のような純粋な喜びに満ちたものへと変わっていった。
「……すごいわ。風がこんなに気持ちいいなんて」
俺は、ダッシュボードに組み込まれた木箱のスイッチを入れた。
すると、その箱から軽快な音楽が流れ始めた。
王立ラジオ放送局が今朝放送している、オーケストラの生演奏だ。
エリアーナは目を見開いた。「音楽まで……。まるで楽団を一緒に連れて走っているみたい」
「これがドライブというものさ」
俺たちは笑い合った。
やがて、俺たちの頭上を一つの影が横切っていった。
見上げると、そこには銀色の翼を持つ飛行機『イカロス』の最新型が、青い空を悠然と飛んでいた。おそらく大学の定期飛行訓練だろう。
エリアーナは、その光景を眩しそうに見上げながら呟いた。
「……信じられないわ。たった数年前まで、この世界の全ては馬の速さで動いていたのに」
鉄の馬が地を走り。
ラジオの音楽が風に乗り。
そして、鉄の鳥が空を飛ぶ。
俺が夢見た、平和で豊かで、そして少しだけ未来的な日常が、今、確かにここにあった。
俺たちは、王都から一時間ほど走った見晴らしの良い小さな丘の上で車を止めた。
眼下には豊かな緑の絨毯のような田園風景が広がり、遠くには発展を続ける王都の白い街並みが見える。
エリアーナは、いつの間にか用意していたらしい大きなバスケットを車のトランクから取り出した。
「さあ、ランチの時間よ。宰相特製のサンドイッチはいかがかしら?」
彼女が悪戯っぽく笑う。
俺たちは、丘の上の大きな木の木陰に布を広げ、遅い昼食を始めた。
エリアーナが(おそらくは侍女に)作らせたサンドイッチは、驚くほど美味しかった。
俺たちは、他愛のない話をした。
大学の変わり者の教授の噂話。
士官学校の若い士官候補生たちの微笑ましい恋物語。
そして、シルフィが最近、新しい種類の光るキノコを発見して大喜びしていたこと。
そこには、公爵も宰相もいなかった。
ただ、穏やかな休日を共に過ごす、一組の若い男女がいるだけだった。
食事が終わると、エリアーナは俺の膝を枕にして草の上に横になった。
俺は彼女の柔らかな髪を指で優しく梳きながら、静かに言った。
「……なあ、エリアーナ」
「ん……?」
「これが俺の本当にやりたかったことなんだと思う」
彼女は黙って、俺の言葉の続きを待っていた。
「帝国を打ち破ることでも、国を豊かにすることでもない。ただ、こうしてあんたと一緒に、穏やかな日差しの中で美味しいものを食べて、くだらない話をして笑い合える。そんな当たり前の平和な一日。俺は、そのためにずっと戦ってきたのかもしれないな」
俺のその言葉を聞いて、エリアーナはゆっくりとその身を起こした。
そして彼女は、俺の頬にその両手をそっと添えた。
「……ええ。そうよ、リオ」
その瞳は、深い愛情と慈しみに満ち溢れていた。「そして、あなたはそれを、見事に成し遂げたわ。あなたは私に、そしてこの国に住む全ての人々に、この当たり前でかけがえのない平和な日常をプレゼントしてくれたのよ」
彼女の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
俺は、静かに目を閉じた。
唇に、柔らかく、そして温かい感触。
それはどんな言葉よりも雄弁に、彼女の感謝と愛を伝えてくれていた。
夕暮れの中、俺たちは再びロードスターに乗って、王都への帰路についていた。
ラジオからは、穏やかな夜想曲が流れている。
空には一番星が瞬き始めていた。
遠くに見える王都の街並みには、俺たちが灯した無数の電灯の光が、まるで地上の天の川のように美しく輝いていた。
俺が夢見た、平和で豊かな日常。
その光景をこの目に焼き付けながら。
俺は、このかけがえのない日常をこれからもずっと守り続けていくこと、そしてさらに輝かしいものへと発展させていくことを、心の底から誓っていた。
俺たちの創世の物語は、まだ終わらない。
この愛しい日常が未来永劫続いていくために。
俺の最後の仕事が、まだ残っているのだから。
俺は、山のような執務を無理やりクラウスに押し付け、一つの目的のために朝から屋敷のガレージに籠っていた。
目的のブツは、数ヶ月かけて俺が趣味と実益を兼ねて作り上げた、最新の傑作。
やがて準備を終えた俺は、屋敷の玄関で待っていたエリアーナを、得意げな顔で迎えに行った。
「エリアーナ、待たせたな。さあ、行こうか」
「もう、リオ。一体どこへ連れていくつもりなの? ピクニックだなんて、子供みたいに……」
少し呆れたように言う彼女の言葉は、ガレージから姿を現した俺の愛車を見て途切れた。
そこにいたのは、馬ではなかった。
流線型の深紅のボディ。真鍮でできた装飾が、朝日にキラキラと輝いている。革張りの座席が二つ。そして、車体の前部には、小型化された高性能の魔導蒸気機関が、静かな鼓動を刻んでいた。
「……これは」
「俺の専用車、『ロードスター』だ。どうだ、美しいだろう?」
俺が開発した、最新型の蒸気自動車。これまでのトラックのような無骨なものではない。貴族の個人的な移動手段として設計された、二人乗りのオープンカーだ。
エリアーナは、その未来からやってきたかのような乗り物を、ただ呆然と見つめていた。
「さあ、乗ってくれ、宰相閣下。今日は俺が君のお抱え運転手だ」
俺が悪戯っぽく笑いながらドアを開けると、彼女はまるで夢でも見ているかのような顔で、ゆっくりと助手席にその身を滑り込ませた。
俺が運転席に座り、いくつかのバルブを操作すると、ロードスターはシュッシュッという心地よい蒸気の音を立てて、静かに走り出した。
石畳の上を滑るように進む。馬車のような不快な揺れは、ほとんどない。
屋敷の門を出て王都のメインストリートを走ると、道行く人々が皆、驚きの顔でこちらを振り返った。
「見てみろ! リオ公爵様の新しい馬車だ!」
「馬がいないのに走ってるぞ!」
彼らの好奇と賞賛の視線を浴びながら、俺たちは風を切って王都の郊外へと向かう。
エリアーナは初めは緊張した面持ちだったが、吹き抜ける風が彼女の美しい髪を優しくなびかせると、次第にその表情が子供のような純粋な喜びに満ちたものへと変わっていった。
「……すごいわ。風がこんなに気持ちいいなんて」
俺は、ダッシュボードに組み込まれた木箱のスイッチを入れた。
すると、その箱から軽快な音楽が流れ始めた。
王立ラジオ放送局が今朝放送している、オーケストラの生演奏だ。
エリアーナは目を見開いた。「音楽まで……。まるで楽団を一緒に連れて走っているみたい」
「これがドライブというものさ」
俺たちは笑い合った。
やがて、俺たちの頭上を一つの影が横切っていった。
見上げると、そこには銀色の翼を持つ飛行機『イカロス』の最新型が、青い空を悠然と飛んでいた。おそらく大学の定期飛行訓練だろう。
エリアーナは、その光景を眩しそうに見上げながら呟いた。
「……信じられないわ。たった数年前まで、この世界の全ては馬の速さで動いていたのに」
鉄の馬が地を走り。
ラジオの音楽が風に乗り。
そして、鉄の鳥が空を飛ぶ。
俺が夢見た、平和で豊かで、そして少しだけ未来的な日常が、今、確かにここにあった。
俺たちは、王都から一時間ほど走った見晴らしの良い小さな丘の上で車を止めた。
眼下には豊かな緑の絨毯のような田園風景が広がり、遠くには発展を続ける王都の白い街並みが見える。
エリアーナは、いつの間にか用意していたらしい大きなバスケットを車のトランクから取り出した。
「さあ、ランチの時間よ。宰相特製のサンドイッチはいかがかしら?」
彼女が悪戯っぽく笑う。
俺たちは、丘の上の大きな木の木陰に布を広げ、遅い昼食を始めた。
エリアーナが(おそらくは侍女に)作らせたサンドイッチは、驚くほど美味しかった。
俺たちは、他愛のない話をした。
大学の変わり者の教授の噂話。
士官学校の若い士官候補生たちの微笑ましい恋物語。
そして、シルフィが最近、新しい種類の光るキノコを発見して大喜びしていたこと。
そこには、公爵も宰相もいなかった。
ただ、穏やかな休日を共に過ごす、一組の若い男女がいるだけだった。
食事が終わると、エリアーナは俺の膝を枕にして草の上に横になった。
俺は彼女の柔らかな髪を指で優しく梳きながら、静かに言った。
「……なあ、エリアーナ」
「ん……?」
「これが俺の本当にやりたかったことなんだと思う」
彼女は黙って、俺の言葉の続きを待っていた。
「帝国を打ち破ることでも、国を豊かにすることでもない。ただ、こうしてあんたと一緒に、穏やかな日差しの中で美味しいものを食べて、くだらない話をして笑い合える。そんな当たり前の平和な一日。俺は、そのためにずっと戦ってきたのかもしれないな」
俺のその言葉を聞いて、エリアーナはゆっくりとその身を起こした。
そして彼女は、俺の頬にその両手をそっと添えた。
「……ええ。そうよ、リオ」
その瞳は、深い愛情と慈しみに満ち溢れていた。「そして、あなたはそれを、見事に成し遂げたわ。あなたは私に、そしてこの国に住む全ての人々に、この当たり前でかけがえのない平和な日常をプレゼントしてくれたのよ」
彼女の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
俺は、静かに目を閉じた。
唇に、柔らかく、そして温かい感触。
それはどんな言葉よりも雄弁に、彼女の感謝と愛を伝えてくれていた。
夕暮れの中、俺たちは再びロードスターに乗って、王都への帰路についていた。
ラジオからは、穏やかな夜想曲が流れている。
空には一番星が瞬き始めていた。
遠くに見える王都の街並みには、俺たちが灯した無数の電灯の光が、まるで地上の天の川のように美しく輝いていた。
俺が夢見た、平和で豊かな日常。
その光景をこの目に焼き付けながら。
俺は、このかけがえのない日常をこれからもずっと守り続けていくこと、そしてさらに輝かしいものへと発展させていくことを、心の底から誓っていた。
俺たちの創世の物語は、まだ終わらない。
この愛しい日常が未来永劫続いていくために。
俺の最後の仕事が、まだ残っているのだから。
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