Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―

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第六章 5日前

71 占い師とテルマエ

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 407号室のリヨンは、一部始終全てを聞いた。
 ちょうど、ホテルマンに扮した憲兵隊員たちが役目を終えて「現地作戦室」である407号室に戻ってきたところだった。
 レシーバーをかなぐり捨て、部屋に帰ってきた「役者」らを突き飛ばすようにして駆けだした。
「中尉殿! どちらへ? 」
 一緒に「盗み聞き」していた憲兵隊の女性通信員が咎めたが、
「ああ、すぐ戻る!  それと、シュタルケを尾行する者に伝えてくれ。
 最後、肝心の決行日の連絡方法と大佐との会合予定が聞き取れなかった。
 ヤツは週番司令だ。夕刻までにはまだ間がある。この後グールド大佐と接触する可能性が高い。場所を突き止めてクィリナリスに伝えてくれ、と! 」
 伝言ももどかしく、部屋を出た。


 リヨンは、走った。
 ノロノロの蒸気エレベータを待ちきれずに階段を駆け下り、宿泊客でごった返すロビーを突っ切り、エントランスの馬車寄せに出た。


 何故なのですか、大佐!
 何故貴方が反乱将校たちの仲間になぞ!
 左遷された恨みからですか?
 だから、皇帝陛下に弓引くのですか?!

 
 どうしてもそれが信じられず、直接本人に問いただしたい思いに囚われてしまったのだ。
 いた!
 2メートル近い巨体をトーガに包んだ紳士がスブッラの大通りを南に向かって悠々と歩く後姿を見つけた。
 一気に駆け寄って問い詰めよう!
 再びリヨンが駆けだし始めた時、
「ちょいと、そこのお兄さん! お寄りなされ! 」
 聞き覚えのある声に振り向くや、大通りの舗道に、汚らしい黒い装束に身を包んだ怪しげなジジイが手相占いの店を開いていた。
 リヨンの体内に沸騰していた義憤の熱が、急速に、冷めた。
「どれどれ。・・・おや、まあ! 
 お兄さん、お顔に死相が現れておりますぞ!
 ちと、占って進ぜよう。今なら格安で視て進ぜましょうほどに」



「この、愚か者めが! 」
 407号室にはもう、ホテルマンに変装していた憲兵隊員たちはいなかった。
 宴会場まで伸ばしていた盗聴用のケーブルを巻き終えて来た憲兵隊の通信班の男女が受信機一式を撤収して帰り支度をしていた。
 彼らは、説教を垂れられているリヨンを気の毒そうに見やりながら、汚い黒のローブの老人に敬礼し、前後して部屋を出ていった。
 黒いローブを脱ぎ、白のトーガを身に付けながら、ウリル少将はなおもリヨンを睨みつけていた。
「かくも多くのスタッフと労力と時間とを費やしたミッションを、自ら全てブチ壊すところだったのだぞ! この、大馬鹿者めが! 」
 しかし、いつもならば半時ほどは続くはずのカミナリはいつもほどには大きくはなく、しかも、それ以上はもう、落ちては来なかった。
「経緯は言えぬが、グールド予備役大佐に一味の頭目であるバウマン予備役大尉が接触している情報を掴んだ。
 もしかして、今日の会合に現れるやも。そして、もしかすると未熟なお前が動揺して直接大佐に接触を図ろうとするかも、と危惧したのだ。まあ、来てよかったな。
 防患于未然(ぼうかんみぜん)※も、この稼業には大切な一事だ。覚えておくがいい」
 意気消沈するリヨンに、少将は言った。
「もうよいから行け! 『ヴィーナス』に首尾を聴かねばならんのだろうが! 」



 古代ローマの「公衆浴場」は、共和政期と帝政期では若干の違いはあるが首都ローマだけでなく地方都市にもひとつはあり、それぞれ高温浴室と微温浴室、冷浴室を基本として、所によって蒸気風呂や乾燥高温室なども備えていた。
 屋外運動のできるギムナシウムが併設されていたところもある。飲食、運動、読書、商売、哲学的議論などができる場所でもあったという。現代の同等なものを想定するとすれば、それは図書館、美術館、商店街、バー、レストラン、ジム、温泉が複合された施設と言える。
 運動をしたり入浴したりした後には身体にオイルを塗り、奴隷にマッサージをさせ、心身ともにリラックスして帰る。午前午後で性別が分けられていた所もあったが、基本、男女混浴だった。

 三千年後の帝都のそれも似たようなもので、乾燥高温室サウナでたっぷり汗を流したエマール中尉は冷水を浴び、それを何度か繰り返し、マッサージ室で施術を受けていると、今回のミッション指揮官リヨン中尉が浴衣である簡素なテュニカで現れ、隣の施術ベッドに腹ばいになり、施術を受け始めた。
「遅かったわね」
 素裸にオイルを塗られて施術を受けているエマール中尉が呼びかけた。
 リヨンはウンと頷いたのみで目を閉じたまま。
 しばらく並んでマッサージを受けた後、革の物入から小銭を取り出したリヨンはマッサージ師たちにチップをはずんで下がらせた。
「まさか、前の落下傘の大親分が現れるとはね。久しぶりに、めっちゃ冷汗をかいたわ」
 うつ伏せから上体を起こしたエマール中尉が呟いた。オイルのテカる豊かな胸がたゆん、とまろび出た。
「『Xデー』の連絡方法は? 」
『ヴィーナス』の美しい姿態にも雑談にも応じず、リヨンは用件のみを尋ねた。

 今回の会議の参加者には、私服に変装した別の憲兵隊員たちがすでに尾行に就いている。
 あとは、「それ」がいつ起こるのか。
 それが末端の兵たちに周知されたという事実さえあれば、計画の談合内容と併せて彼らを一斉に逮捕できるのだ。計画し、実行を企んだ、との罪で。
「月に3度、各連隊に営繕業者から配送の時刻を確認する電話が入る。それに偽装するみたい」
「驚いたな! 業者まで巻き込んでいるのか」
「あのシュタルケってヤツ。タダの秀才ボンボンじゃないわ。恐ろしく抜け目ない。
 でも、意外にも蹶起に一番批判的なのも彼ね。
 可能性は五分五分かもだけど、案外、彼を説得すれば反乱は起きないのかも」
「甘いな」
「どうしたの? なんか、暗いわよ」
 オイルを塗った素裸を惜しげもなく晒し、エマール中尉は身を起こした。
「ちょっと、特大のカミナリが落ちてね」
「カミナリ? 」
 リヨンは物入を取って先に立ち上がった。
「では、クィリナリスで連絡を待っている。キミはどうする? 」
「あたし、も少し揉んでもらってから行くわ。そのぐらいの役得があってもいいでしょ? 」
 オイルに濡れた形のいいヒップをツンと盛り上げ、再びうつ伏せになった『ヴィーナス』は、マッサージ師を呼んだ。
 リヨンは部屋を出た。





 一方。
「ホテルマン」班からバトンタッチを受け、反乱将校たちを尾行しているのは市民に偽装した憲兵隊員たちだった。
 反乱将校たちの多くは所属する軍団に戻っていったが、シュタルケ中尉を尾行した者は、難儀した。
 近衛軍団の歩兵中尉は、特に混雑するスブッラのチナ人街に分け入り、時に何度も後ろを振り返り、いくつかの商店の中に入ったり出たりして人並みの中に紛れようとしているのが明らかだった。
 ムキになって追うほどに小憎(こにく)らしくも引き離され、そして、ついに見失った。
 あるスタンドバーに入ったきり出て来ず、狭い店なので入るわけにも行かないで表で待っている間に裏口から消えてしまったらしい。
 思わず舌打ちした隊員だったが、後の祭りというヤツだった。


 同じく、グールド大佐を尾行した者も体よく撒かれた。
 やはり同じ混雑したスブッラのチナ人街で果物屋の店先から中に入った大佐の大柄な姿がいっかな出てこない。
 尾行していた者がしびれを切らして突入した。
「今店に入っていった大男はどうした? 」
 店主らしき貧相なチナ人を尋問した。
「誰だい、あんた? 」
「憲兵隊だ! 隠すとためにならんぞ! 」
「ああ、それなら裏から出て行っちまったよ。なあ、ダンナ。商売のジャマだから、とっとと消えておくれよ! 」
 急いで裏口に回ってみれば、今しも幌を被せた一台の荷馬車が通りを遠ざかっていくところだった。
 慌てて猛ダッシュ! 
 ノロノロガタゴト走る荷馬車に飛び乗った憲兵隊員は、
「おい! 憲兵隊だ! 馬車を止めろ! 」
 ガバッと幌を上げた。
 そして、荷馬車の荷台に積んである木箱を片っ端からひっくり返したが、大柄なイギリス系の男の姿などはどこにもいなかった。
「チクショウ! ハメられた! 」
 グールド大佐を追っていた憲兵隊員もまた、悔し気に臍(ほぞ)を噛んだ。














 アサシン・ヤヨイシリーズ ひとくちメモ

 83 四書五経、古代ローマの公衆浴場について


『防患于未然』
 俗语,拼音是fánɡ huàn yú wèi rán,意思是指在祸患发生之前就加以预防。出自《周易·既济》。
「災いを未然に防ぐ」は、災いが起こる前に防ぐという意味。『易経・季報』に由来している。

 Bai do 百科
 https://baike.baidu.com/item/%E9%98%B2%E6%82%A3%E4%BA%8E%E6%9C%AA%E7%84%B6/2888491


 四書五経(ししょごきょう)は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。
 君子が国家や政治に対する志を述べる「大説」であり日常の出来事に関する意見・主張や噂話など虚構・空想の話を書く「小説」と区別される。
『易経』は、その儒教の基本書籍である五経の筆頭に挙げられる経典であり、『周易』(しゅうえき、Zhōu Yì)または単に『易』(えき)とも呼ぶ。
 著者は厳密には不明だが、『周易正義』等に載せる伝説では六十四卦を作ったのが伏羲、本文(卦爻辞)を作ったのが周公旦とされている。 中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説き、人間処世上の指針・教訓の書とされる。語句は簡潔で、含蓄が有るとされる。





 古代ローマの「公衆浴場」

 公衆浴場は基本となる3種類の部屋、カルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷浴室)を中心として建設されていた。場合によっては、蒸気風呂のスダトリウムやラコニクムがあり、ラコニクムの方が乾燥していて現代のサウナ風呂に近い。
 帝政時代末期には、賭博や盗み、売春の根城になり、異民族の侵入で源泉を断たれ廃れた。


 バース(イングランド)の古代ローマの公衆浴場。周囲の柱の土台部分より上層の建物は後世の再現である。
 Diliff - 投稿者自身による著作物, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1231248による

 世界遺産オンラインガイド カラカラ大浴場
 https://worldheritagesite.xyz/contents/baths-of-caracalla/

 ポンペイの公衆浴場の平面図
 Overbeck - Harry Thurston Peck, Harpers Dictionary of Classical Antiquities., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3868560による
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