婚約者を譲れと姉に「お願い」されました。代わりに軍人侯爵との結婚を押し付けられましたが、私は形だけの妻のようです。

ナナカ

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本編

(終話)オズウェルの譲歩

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「次は、いつ会えますか?」
「わからない。だが、またしばらくは忙しいだろう」
「せめて、食事をご一緒したいです」
「それはお断りしたはずだ」
「私に何か不満があるのなら、言ってください!」

 追いかけながらそう言った途端、侯爵様は立ち止まりました。

「不満など何もない」
「ならば、一緒に食事をしてください! ……部屋に、泊まってください!」
「俺はこの屋敷には泊まらない。そう決めている」

 また歩き始めた侯爵様を、私はさらに追いかけました。

「では、侯爵様のお屋敷ならいいですか! もうすぐ主だった部屋の内装が完成します!」
「俺の屋敷を気に入ってくれたのなら、エレナ殿の好きなように使っていい。だが俺はエレナ殿との同席は遠慮しよう」
「そんな……では、いつまで私のことを『エレナ殿』なんて硬く呼ぶのですかっ!」

 あっという間に玄関に着いてしまいました。
 必死に外套の端を握ると、侯爵様はため息を吐きながら振り返ってくれました。

「……あなたのことは、何とお呼びするべきだろうか」
「エレナとお呼びください。私も、オズウェル様とお呼びしたいです」

 開け放った扉の向こうで、侯爵様の馬が用意されていました。
 これ以上、引き止めるべきではありません。
 それはわかっています。
 でも、今日は絶対に譲りたくありませんでした。


「エレナと呼んでください。……オズウェル様」

 少し離れて様子を伺っているネイラのことも。扉を開けて待っている使用人のことも。侯爵様を迎えに来て、外でずっと待っている騎士様のことも。
 何も気にしないようにして、侯爵様の、オズウェル様の反応を待ちました。

「私は……子供過ぎますか?」

 オズウェル様は無言でした。
 私の前に立っていますが、視線は外で待っている馬へと向いていました。

 ……答えがないと言うことは、肯定なのでしょうか。
 そう諦めかけた時、侯爵様は整えていた髪をぐしゃぐしゃと掻き乱しました。

「エレナ殿の誘惑は強烈だな」
「え?」
「だが、無理だ。あなたはまだ若すぎる」

 ……無理、ですか?

 外套をつかんでいた手から、力が抜けました。
 オズウェル様は外へと足を踏み出しましたが、すぐに低くうなって足を止め、振り返りました。

「あなたはまだ十六歳だ。俺から見ると危ういほど若くて、軽々しく手を出せるものではない。だからあなたも……落ち着いてよく考えるべきだろう」

 頬に大きな手がふわりと触れました。触れたのは一瞬で、手はすぐに離れていきました。
 オズウェル様は扉を抜けて、外に出てしまいました。
 私も急いで追いかけましたが、すでに馬に跨って、くるりと歩かせています。


 ……もう行ってしまうのですか。
 なぜ、信用してくれないのですか。
 この一ヶ月、私はたくさん考えました。いろいろ学びました。オズウェル様にとっては小娘でも、小娘なりに真剣に考え、覚悟を決めました。
 私は、オズウェル様の妻として生きたいのです……!

 感情が昂って、涙が勝手ににじみました。
 こんなことではいけません。オズウェル様の妻としてわがままは我慢して、侯爵夫人らしい笑顔を作って、そして……。

 ぐっと歯を噛み締めた時、馬が私のそばに歩いてきて、真前で足を止めました。
 思わず顔を上げると、金色の目と合いました。
 驚いて瞬きをしてせいか、たまっていた涙がこぼれてしまいました。

 馬上のオズウェル様は、一瞬動きを止めました。
 私の涙の意味を考えているようでした。
 やがて体を大きく屈めて手を伸ばし、頬を流れる涙の筋を指の背でそっと拭ってくれました。
 手袋をはめていない指は、暖かく感じます。
 気がつくと、私はオズウェル様の手を両手で捕まえていました。

「……私、オズウェル様とお話しするのが好きです。お仕事が忙しいのなら私から会いに行きます。よく考えろとおっしゃったけれど、私はもう十分に考えました。たくさん考えたから……絶対にすぐ会いに行きますから、お時間を分けてください! いってらっしゃいませ、オズウェル様!」

 心の中の言葉も、お見送りの言葉も、やっと言えました。
 お見送りにしては感情的な言い方だったかもしれません。お名前も、大きすぎる声で呼んでしまいました。
 でもオズウェル様は、また少し眉を動かしましたが、特に不快そうな様子はありませんでした。


 ほっとして、私が思わず微笑んだ時。
 オズウェル様は私の手をぐっと掴みました。

「そうか、あなたから来てくれるのか。それは楽しみだな。お茶と菓子を用意してお待ちしよう」

 馬上のオズウェル様は笑っていました。
 低く笑いながら、私を見つめながら身を乗り出しました。

「だが、やはりしばらく誘惑は控えてほしい。……エレナ、あなたの体のためにも」

 頭上から聞こえる低い声は、まるで耳元で囁かれているようです。
 思わずすくんだのに、オズウェル様は手を離してくれません。それどころか、握り込んだ手に口付けをしました。
 唇が肌に触れる時間が……長過ぎる気がします。
 真っ赤になって動揺する私を見て、オズウェル様はさらに笑い、それからやっと離れていきました。



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