辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。

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第26話『薬庵への襲撃、名を護る処方』

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夜明け前――
薬庵を覆う薬草の香りに、かすかに違う気配が混じった。

 

リーナは調薬室で薬瓶を整理していたが、その違和感にすぐに気付いた。
微かに鉄の匂い――血と、そしてあの、名を奪う香の匂い。

 

「……来たのね」

 

恐れていたことが、ついに起こる。
けれど彼女の手は震えなかった。

 

ノアが駆け込んでくる。

 

「先生……外に……黒い人たちが……!」

 

「大丈夫、ノア。
今からあなたにしてほしいことがあるわ」

 

リーナは机の上から二つの瓶を手に取り、ノアに渡した。

 

「これは《心結び香》。
庵の患者名簿に書かれている人の“呼ばれたい名前”を守る香りよ。
もし庵に入ってこられたら、この香を割って皆に吸わせて」

 

ノアの瞳が怯えて潤む。

 

「先生は……どうするの?」

 

「私は、薬師としてこの庵を護るわ。
ノアは患者を護って」

 

ノアはきゅっと唇を噛み、涙を浮かべながら頷いた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

そして夜が明ける頃、薬庵の門が静かに開かれた。

 

黒の処方師が、黒外套の配下を数人連れて立っていた。

 

「……辺境の薬師よ。
我らは貴様の庵に“名を解放する処方”を届けに来た」

 

リーナは庵の庭先に立ち、調薬外套を揺らして彼らを睨む。

 

「名を奪うことを“解放”だなんて、歪んでるわね。
あなたが配っている薬は人から名前を奪い、ただの“器”にするだけじゃない。
心すら灰にする」

 

黒の処方師は冷たく笑った。

 

「名は重い。
それを抱え込んで苦しむ者を、幾人見た?
私の処方はその痛みから解き放ってやる。
貴様のように名を護ると言うが、それは痛みを抱え込ませるだけだ」

 

リーナは小さく息を吐いた。

 

「あなたの処方は優しく見えて、ただの破壊よ。
“護る”ということは、痛みも共に支えること。
その覚悟がない者に、人の名前を語る資格なんてないわ」

 

黒の処方師が手を上げると、黒外套たちが一斉に薬瓶を取り出した。
そこから漂うのは、紛れもなく《名奪い香》。

 

「庵にいる者たちを解放してやろう。
二度と誰かに名を呼ばれず、思い出すこともない安寧を与えてやる」

 

「させないわ」

 

リーナは自らの調薬袋から一本の瓶を取り出し、蓋を開けた。

 

それは《誓名結界香》――
患者名簿に記された名を基に、庵そのものに名の結界を張る処方。

 

青白い香が溢れ出し、庵を包むと、そこに記された人々の名前が空中に微かに光を描いた。

 

「……これが……?」

 

黒外套の一人が戸惑ったように香を嗅ぎ、わずかに苦しそうに首を押さえた。

 

リーナの瞳が鋭く光る。

 

「ここは、私が処方した人たちの“名前”で守られている場所よ。
あなたたちの名を奪う香は、庵の中には入れない」

 

黒の処方師は目を細めた。

 

「……ならば、力づくで結界を破るまで」

 

指が小さく動き、黒外套たちが一斉に庵へと踏み込んできた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

庵の中、ノアはリーナに言われた通り《心結び香》を割り、
部屋の中に満ちる甘い香りを皆に吸わせていた。

 

震える子供、泣きそうな老婆――
けれど皆が、小さく自分の名前を唱えると、その声が光を残して宙へと浮かんだ。

 

「大丈夫……リーナ先生が護ってくれる……!」

 

そう誰かが呟いたとき、外から黒い影が庵の扉を押し開けた。

 

「やめろ……ここは……!」

 

ノアが震える手で庇うように立った。

 

「どけ、小僧。
名を持つ苦痛から解き放ってやる」

 

黒外套が手にした香壺を振ろうとした瞬間――

 

「させないって言ったでしょう!」

 

その背後からリーナの声が響き、次の瞬間、強烈な薬香が弾けた。

 

それは《名響薬》。
嗅いだ者の中に刻まれた最も古い記憶――“誰かに名を呼ばれた瞬間”を逆流させる強い処方。

 

黒外套たちは苦痛に呻き、膝をついた。

 

「……やめろ……そんな記憶……俺は……」

 

「あなたたちだって、本当は誰かに名前を呼ばれていたはずよ。
その痛みと共に、生きてきたはずなのに!」

 

リーナの声は鋭く、しかしどこか悲しみに満ちていた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

黒の処方師がゆらりと歩み出た。

 

「……やはり、辺境の薬師。
貴様は甘い」

 

「そうね。
私は甘い。
患者の涙を見れば胸が痛むし、誰かが名を失うと知れば、必死で薬を調合する。
それでも――私は薬師だから、その甘さを選ぶわ」

 

黒の処方師が静かに手を上げた。

 

「では見せてやろう。
名など、いかに脆いものかを」

 

その指先から、黒い香が広がった。

 

名を奪う香が、まるで夜霧のように庵へと伸びる。

 

リーナは震える足を踏みしめ、両手を胸の前で合わせた。

 

「お願い……みんな、自分の名を――呼んで!」

 

庵にいた人々が、一斉に声を上げる。

 

「私は……ミーナ……!」
「僕はカイ……!」
「わたしは……お母さんに呼ばれた……エリナ……!」

 

その声が光となり、黒い香を押し返していく。

 

黒の処方師が初めてわずかに顔を歪めた。

 

「……くだらん。
だが今日はこれまでだ」

 

次の瞬間、彼の姿は霧のように溶け、闇に消えていった。

 

リーナは崩れるように膝をつき、胸を押さえた。

 

(……危なかった……
でも、皆が自分の名を呼んだから……守れた……)

 

ノアが駆け寄り、震える声で泣きながらリーナにしがみついた。

 

「先生……護れた……!」

 

「ええ……護れたわ。
これが……名を護る処方よ」

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 
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