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二章
九、逃げ道
しおりを挟む家からは出たものの、戸の前には相変わらずあの槍持ちの男が立っていた。
恐らくだが屋敷の周囲にも複数人の監視や見張りがついているのだろうと思われる。
しかし縄で縛られたり、拘束を受けているわけではない。ある程度は信頼してくれたのだろうか、となんとなく楊甜は思った。
「しかし左輔都尉は、よくもまぁあんなにつらつらと説得力のある言葉が出てきますね」
「半分は本心だからな」
「え」
「…冗談だ」
呉を裏切るという気持ちが半分あるというのか。思わず顧承は目を見開いて、冷や汗を浮かべる。
これが冗談であるのなら、諸葛恪はあまりにも冗談を吐くのが下手だと言わざるを得ない。
「さて、ここからどうしたものか。おい、馬鹿」
「急に悪口で呼ばれた…」
「お前が落頭民らしく首を飛ばすことが出来れば、全て解決なんだけどな」
「うっ」
諸葛恪は指で楊甜の額を弾く。どうやら虫の居所が悪いらしい。
必要な噓ではあったが、楊甜を自分の妾と紹介したことが相当気に食わなかったのだろう。
ただ、古びた家屋である。抜け出そうと思えば、それこそ夜など比較的簡単に逃げることはできるだろう。
「子直(顧承のあざな)、帰り道は覚えてるか?」
「左輔都尉が覚えていないのなら、当然自分も覚えてませんよ」
「さてどうしたものか」
「ご主人様、僕には、その、聞かないんですか?」
「お前っ、もしかして覚えてるのか?」
「あ、いや、覚えてないです。ごめんなさぃぃ」
「…殺されたいようだな」
「違いますっ、最初から期待されてない感じがちょっと寂しくてぇっ」
あまり騒げば外の警護に怪しまれる。
楊甜は咄嗟に椅子から降りて地面に正座しつつ、命拾いしたと胸の内で呟いた。
「仕方ない、危険だがやるしかないな」
「ふぇ?」
「子直、楊甜、お前らはまだ日が落ち切らない内に逃げろ。帰り道は案ずるな」
「左輔都尉、そんな無茶な」
「楊甜、お前が子直を守って導け。帰り道は"ホトトギス"が知らせてくれる、良いな?」
「ご主人様は…?」
「残ってあの警護の気を引いておく。お前らは逃げろ、そして援軍を呼んで来い。この砦を攻め落とすぞ」
諸葛恪の目的は最初からそれであった。敵の拠点の位置を探り、攻め、情報を無理やり掴むという強硬策。
虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うが、諸葛恪は功を求めるあまり身に降り掛かる火の粉に無頓着過ぎる気がした。
言っている意味があまりにも分からない。顧承は首を振るが、楊甜はその言葉に頷いていた。
「ここに残るとか、ホトトギスとか、馬鹿言わないでください。このまま大人しくしましょう、幸い相手はこちらに気を許してる」
「長老と呼ばれていたあの老人を見てなかったのか。あまりにも情報に通じている。劉阿将軍は民衆にまで名の知られていた人ではないし、任地は西の荊州だった。それなのに奴は知っていた」
「確かに、それはそうですが」
「直に俺らの正体も見抜くだろう。そのときに慌てても遅い。子直、敵の警戒の外に出れば諸葛家の伏兵がすぐに駆け付ける。それを指揮してこの地に攻め込むのはお前だ。いいな」
「貴方は、どこまで先が見えて…」
諸葛恪はそのまま立ち上がり、土間へと歩いていく。そして自然に、警護の男に話しかけた。
家屋の間取りも大して調べていないのにもう動くのか。顧承は眉を顰め、周囲を見渡す。
窓の竹の格子を外すのは流石に目立ちすぎるだろう。そもそも間取りも狭く、おかしな行動をすればすぐに目が向いてしまう。
ならば厠か。駄目だ、警護人の立っている戸から外に出て、隣の厠の小屋に出なければならない。
「あの、子直さん」
「どうした?」
「出入り口が一つしかないっていうのは、おかしくないですか?もし外敵が来た時どうするんでしょう」
「そういえば、そうだな」
「僕も山で隠れて生きてきたんで何となく分かります。身を隠す場所や、逃げ道は作っておきたいはず…」
空間で言えば土間、台所、居間があるだけ。普通は台所に勝手口があるものだが見当たらなかった。
壁には獣の毛皮が並び、居間の奥の押し入れを開くと、身を覆えるほどの薄い布が数枚綺麗に畳まれている。
石のごつごつした床の上に、この布を敷いて寝るのか。考えただけでも顧承はゾッとする思いであった。
すると楊甜はおもむろにその布を取り出す。不思議なことに何故かその床だけ板で組まれていたのだ。
「ちょっと待ってください」
楊甜は床板を外すと、そこには穴が。楊甜は自分の首を外して髪を両手で掴みながら、恐る恐る首を穴に垂らしていく。
穴は狭く、暗い。しかしあまり深くはなく、横にどこまでも続いていた。そしてかすかに雨の臭いも流れてきている気がする。
髪を引き上げて再び首をくっつける。顧承は気が気でない様子でそわそわと辺りを警戒しているようだった。
「行きましょう。僕が先導します」
「左輔都尉は」
「大丈夫です、ご主人様は凄い人なので」
曇りの一切無い笑顔。顧承は思わずその笑顔に捕われ、同時に「羨ましい」とも思った。
こうして楊甜はするすると穴に入っていく。外では諸葛恪と警護の男の雑談が弾んでいる様子が聞こえていた。
顧承はその数枚の布を穴に放り、音を立てないように下る。
そして床板も元通りに、押し入れの戸も静かに閉められた。
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