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三章
七、張昭と諸葛恪
しおりを挟む官僚が一堂に会する呉の宮廷。玉座に腰を掛けるのは呉王朝の開祖"孫権"であり、その傍らには皇太子"孫登"が立つ。
戦は近い。既に同盟国である蜀漢の軍勢は行動を開始していた。
蜀漢の丞相"諸葛亮"は自ら軍を率い、長期戦も視野に入れて万全の準備を整えた上で秦嶺山脈を越えている。
呉も動かなければならない。もう戦の準備は完了しているのだ。
しかし大きな懸念点が一つだけ残っていた。山越族を如何に抑えるべきか、未だにその答えは出ていない。
「臣、衛将軍"全琮"が申し上げます。荊州方面および揚州方面軍の全軍の配備は既に完了しており、魏軍との戦力を比しても我が軍が全戦線で優位を保ち得るかと」
「うむ、では後日に将軍達も集合し次第、朕自ら開戦を宣言する。総大将は登、お前に任せるぞ」
「父帝のご期待に応えるべく奮戦いたします」
「お待ちください陛下。古来より跡継ぎは家を守り、内をまとめるものです。殿下を出陣させるのはお考え直しを」
「ふむ、全琮の言う通りだな。では朕が自ら出陣し、全琮および朱桓を朕の補佐に置く。それでどうだ」
「賢明なご判断かと」
どうやら孫権は上機嫌らしい。臣下からの諫言もすんなりと受け入れる。
最近の孫権は臣下からの僅かな指摘にも露骨に嫌な顔をすることがあっただけにこれは珍しい反応であった。
群臣の列へ戻った全琮も、これには不思議そうな顔を浮かべている。
「ただ戦を始めるにあたり、やはり一つだけ気になることがある。山越の賊共よ。我らが軍が兵を興せば決まって背後で蜂起する、実に煩わしき存在だ」
誰かこれに対処するための良き案は無いか。
孫権がそう言うと、群臣の中から一人、小柄な官僚が速足で前に進み出た。
「左輔都尉、諸葛恪に御座います」
その頬は先日孫権と会見したときより痩せており、目の下は暗く、眼光は獲物を狙う飢えた狼のように鋭い。
剥き出しの野心。その光景に孫権は大いに笑みを浮かべ、傍らに立つ孫登は心配そうに見守っていた。
「諸葛格か、発言を許すぞ」
「山越平定の任、この諸葛恪にお任せを。三年で山越族より四万の武装兵を徴兵してご覧に入れましょう」
その発言に官僚達が一斉にざわざわとし始めた。
無理もない、諸葛恪の発言はそれほどまでに無茶な内容であったためだ。
山越族と呼ばれる不服従民らは、ただの烏合の衆ではない。
孫呉成立以来、常に最大の問題であり続けた存在であり、僅か三年でどうこうできるような相手じゃないためだ。
更に山越族より四万の兵を徴するとなると、非戦闘員も合わせてその十倍もの人数を降伏させるという意味になる。
それはこの問題を根本から解決させると言っていることにもなり、いくら何でも夢物語だと言わざるを得ない。
「諸葛恪、この朝議で発言するからには責任を持たねばならん。まさか朕に嘘偽りを宣言したとは言うまいな」
「勝算があるからこそ申し上げました。もし完遂出来なければ、如何様にも処罰していただきたい」
「──お待ちくだされ」
玉座から腰を浮かせて前のめりに諸葛恪の話を聞こうとする孫権。
そんな孫権の気持ちを挫くかのように、次は老臣が前に進み出て諸葛恪の隣に並んだ。
「輔呉将軍、張昭に御座います。臣はこの大任を左輔都尉に預けるのは些か早計かと」
「師父殿、どうしてそう思うのだ。諸葛恪の才覚は皆も認めるところであろう」
「確かに才覚は鋭利なものがあります。されど軍勢を率いた経験も無く、以前には兵糧管理の仕事も不備があり更迭されております。大任を担う器では御座いますまい」
以前、諸葛恪は兵糧管理の職務を預かったことがある。
これは細々として煩雑な事務作業が多く、兵糧供出を担う各地の地方長官や豪族達との交渉も必要であった。
しかし諸葛恪はその煩雑な業務を嫌い、更に他所と協調する意思を見せずに各担当官との軋轢が増すばかりであったのだ。
この有様に陸遜や、果てには蜀漢の丞相"諸葛亮"ですら書状で諸葛恪の性格の危うさを指摘していた過去がある。
結局、諸葛恪は転任という形でこの役目を解かれてしまい、顧譚がその後任として現在は兵糧管理を担っていた。
「大任を担う器ではないとは、ずいぶんな評価ですね、輔呉将軍」
「今はまだ、という意味じゃ。実績もないのに大言を吐くでない」
「実績はない?確かに兵糧管理の任は請け負えませんでしたし、この任の重要さはよく分かっております。されど大将の職務は兵糧管理ばかりではない」
今の諸葛恪は孫権や孫登に近侍し、数々の複雑な相談事に対応するのが主な職務となっていた。
また国政に関する全体的な戦略であったり政策に関する話にも参与しており、その方面の実績は非常に大きい。
特に怪異の案件のほとんどは諸葛恪にしか対応できないものばかりで、此度の大任もその実績を踏まえての話だった。
「ならば如何にしてその結果を得る」
「丹陽郡の山地には数多くの不服従民が潜伏し、彼らは勇猛な精兵ばかり。また武具も充実しており、険峻な山間に潜んでいるため攻めるのも難しい」
「そうじゃ。迎撃しようと兵を出せば山に逃れ、兵を退けば略奪を繰り返し、攻めればまた山に逃げて手の出しようがない」
「なので攻めません。丹陽郡から新都郡にかけて、あの山地一帯を包囲します。言わば"城攻め"を行うのです」
「馬鹿な」
揚州の中央に位置する広大な山地を城に見立て丸々包囲するとなれば、どれだけの兵数や兵糧物資が必要になるというのか。
加えてこんな大規模で包囲戦を行うなど当然のように前例が無く、誰もが実現可能とは到底思えなかった。
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