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四章
七、呪いの言葉
しおりを挟む悪い予感がする。こういう時の予感は無視しない方がいい。
後方に置かれた本営から感じる前線の不自然な威圧に、諸葛恪は五百の精兵を率いて駆けだした。
楊甜が震えるほどの瘴気が満ちているとなると、十中八九、何かしら「怪異」が"この戦役"に関わっていると見ても良い。
そしてこれは諸葛恪の想定する「最悪の状況」であった。
戦場から逸れ、西方の高い丘に駆け上がる。
前線の様子が見えた。それは狂気的な戦意を剥きだした人の群れ。
鉄砲水のように人が人を押し潰しながら、矢が刺さっても、剣が胸を貫き手足を失おうとも、敵は退かない。
それは王磊の先鋒部隊を蹴散らし、防御柵をひとつ、またひとつと踏み潰し、狂気の流れは止まらない。
「味方を助けるぞ!この旗に続けっ!!」
隘路を抜けた先、ここなら馬も足を取られにくい。
濡れた地を蹴って、諸葛恪は先頭を駆け、剣を天に掲げる。
敗走する味方とそれを追う敵の濁流。「諸葛」の旗を靡かせる一団はその濁流の脇腹に突っ込んで、突き抜けた。
もう一度。馬首を返して斬りこむ。
言葉にもなっていない怨嗟の怒号が飛び交う人の群れの中、諸葛恪は剣を振り、敵を斬りつけながら再び突き抜けた。
「将軍!敵、退却を開始したようです!」
「…はぁ、はぁ、こちらの、被害は」
「敵の不意を討ちました。我らは一人も欠けておりません。しかし、味方の被害が」
「本営より、残りの兵を全部出す。負傷兵を後退させ、動ける者は壊れた柵を補修し、塹壕を掘りなおせ。敵がまたいつ攻めてくるかも分かないぞ」
「御意!」
嫌な汗だった。ぐっしょりと鎧の下は濡れており、敵の血と自分の汗が混ざっているような感覚がこの上なく気持ち悪い。
湿度も高く、汗が乾く様子もない。戦場を見渡せば地に伏す人間ばかりで、死に切れず痛みに悶える声が辺りを満たしている。
これが戦争である。人と人の殺し合い。
ここで傷を負い、死んでいった者達は全て自分の責任である。それが大将という立場である。
諸葛恪は自分の爪を自分の手のひらに突き刺すような強さで拳を握った。
「将軍、報告です。王磊殿が、帰還されました」
「本当か!」
「し、しかし…」
目を赤くし涙を滲ませる兵士が幕舎に飛び込んでくる。既に夕暮れであり、敵が再び攻め寄せてくることは無かった。
味方の兵士の遺骸を丁重に並べ、敵の遺骸を埋めていた作業中のことである。
伝令兵と共に幕舎を飛び出す。楊甜もこのときばかりは諸葛恪の側から離れようとはせず着いて来た。
「ひっ」
「王磊、か…?」
味方の兵士の背に抱えられた、四肢を潰され、目を抉られ、鼻を削がれた男。
すでに息も絶え絶えであり、血を流し過ぎている。今にも死にゆかんとする男がそこに居た。
周囲では彼の部下であろう者達が血の涙をこらえ、見るも無残な姿になった王磊を目に焼き付けんとしていた。
「隊長は最後まで最前に残り、味方を逃がすべく奮闘されておりました。我らの命があるのは、隊長のおかげなのです」
「…王磊、聞こえるか。諸葛恪だ。よく戦った、お前の働きは必ずこの諸葛恪が上大将軍にお伝えする」
すると王磊の口が僅かに動き、吐息の様な掠れた声で「将軍」と諸葛恪を呼ぶ。
諸葛恪はすぐさま王磊の口元に耳を寄せ、その肩に手を置いた。
「何だ。諸葛恪はここに居るぞ」
「お願い、します」
「あぁ」
「…必ず、奴らに、報いを」
地の底から湧くかのような怨嗟の呪い。王磊の感情は真っ黒な怒りで染め上げられていた。
「殺せ、頼む、殺してくれ、奴らを、全員」
「王磊もういい、お前の願いは分かった、だから」
「殺せ!!殺せぇっ!!!!」
血を吐きながら叫び、叫びながら死んだ。
諸葛恪はその血を顔に浴びながら、体は小刻みに震えていた。その様子を見ていた楊甜も同様である。
周囲の兵士は皆、眉間に深い皺を刻み、膝をつき、王磊の最後を見届けていた。
怒りと恨み。大地がその激情に染まっていくのが分かる。そして楊甜はそれと同時に、瘴気の強さが増していくのを感じた。
「顧承」
「はい」
「王磊を丁重に弔い、その遺骸を家族の下へ。上大将軍には俺から報告する」
「それは自分が…、いえ、承知しました」
味方の被害は王磊の部下がほとんどであり、他の部隊に出た死傷者の数は僅かであった。
戦場に倒れていた人間はその多くが敵。また恐ろしいことに、降伏をしてきたり、捕虜となった敵兵は一人もいなかった。
捕縛した者も多くが即座に自死したとされ、敵情を探ることは一切出来ないまま。
このとき戦場に立っていた兵士は皆こう語る。
我々は本当に同じ人間と戦っていたのだろうか、と。
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