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四章
八、流れ星
しおりを挟むあれは、明らかな敵の"挑発"であった。だから王磊をただ殺すのではなく、残虐にいたぶって帰したのだ。
敵は諸葛恪の戦略の意図を見抜いている。その甘い理想論すら。故に、命を弄ぶ。
勝手に憐れみ、上から偉そうに手を差し伸べるのなら、その手を引きずり下ろし殺してやろう。
我らに共存の道などない。これはその明確な意思表示であった。
「楊甜、何日寝ないつもりだ。俺への嫌がらせか」
「僕はご主人様の、従者です。ご主人様が寝ないのなら、先に、寝るわけには」
あの戦が起きた後のこと、山越族は多方面で昼夜を問わない小規模な戦闘を繰り返し始めた。
ただ、敵がこの戦術を取ることも諸葛恪は既に想定済みである。故に各地の防備を固め、予備戦力の配備も完璧に近い形で準備を整えていた。
しかし被害は増える一方であり、諸葛亮の業務量は急速に膨らんでいく。
それは何故か。単純な話である。将兵が諸葛恪の統制から外れる行動を繰り返していたためだ。
呉人はとにかく気性が荒い。武人ともなればその性格の傾向は顕著に表れる。朱桓軍などはその最たる例であろう。
馬鹿にしていた敵から馬鹿にされ、黙ってられる呉の兵は居ない。
加えて王磊の最後の叫びが呪いのように全ての将兵の胸に刻みつけられ、言葉に乗って広がっているのだ。
こうして各地の守備隊は、敵の攻勢に勝手に反撃を行って追撃し、山中で行方不明になる。
そして後日その行方不明になった兵士の弄ばれた遺骸が送り届けられ、更に将兵らの怒りは抑えきれなくなっていた。
どれだけ軍規違反の将兵を罰しても追いつかない。包囲網に穴が開かないように部隊を采配する必要もある。
気づけばもう三日は寝ていなかった。眠ろうとしても、王磊の呪いが頭に残っており、眠れそうにない。
「ご主人様は、戦を避けたいだけなのに。どうして、どうして人は殺し合うんでしょうか…」
「お前がそれを言うか。もうすっかり呉の人間だな。落頭民が呉人からどのような扱いを受けて来たか、知ってるだろ」
「そ、それはそうですけど、でも、ご主人様は違います」
「…みんながみんなお前みたいなやつだったら平和なのかもな」
「え?そ、そうですか?」
「褒めてねぇぞ。頭がお花畑の馬鹿だっつってんだ」
忙しなく書簡を出したり戻したり整列させたり掃除したり。楊甜の従者ぶりもすっかりと板についていた。
また次々と届けられる書簡を受け取り、逆に次は受け渡して、それでいてずっと笑顔なのだ。明らかに疲れた様子なのに、だ。
楊甜が居なかったらこの役所全体の空気はもっと澱んでいただろう。それは諸葛恪もよく分かっていた。
しかしあらゆる事態が思い通りにいかない現状に、やはり心は荒んでいく。もはや軽口を叩くことすらしんどかった。
失敗は許されない。
自分で断った退路である。
「楊甜、もういい。今日は俺も休む、お前も休め」
「ほ、ホントですか!よかったぁ…」
心底ほっとした表情でその場にへたり込む楊甜。やっと休めるという安堵ではない、その笑顔は諸葛恪に向けられたものであった。
よくもまぁ他人をそんなに案じられるものだと呆れるように息を吐き、諸葛恪はそのまま自室へと戻る。
雲ひとつない夜空であった。
そしてやたらと星が落ちていた。
「…俺は、まだ甘いのだろうか」
孫権の面前で張昭と議論を交わした日のことを、陸遜と対面で言葉を交わした日のことを思い出す。
張昭は諸葛恪の戦略を「現実の見えていない理想論」と詰り、そして陸遜は「お前は甘い」と失望に近い評を降していた。
出来る限りのことをやってきた自負がある。一切の妥協も無く、だ。
それでも甘いのか。将兵らが勝手に軍規を乱すこの現状は、やはり自分の甘さから来るものなのだろう。
ならば更に強く締め上げるしかない。数字だけを見ればこの戦略に誤りはないのだ。
だったら、その数字を乱す"感情"を排除しなければならない。
諸葛恪の瞳は、暗く深い。それは失望にも似た決意であった。
すると一羽のホトトギスが飛んできて、開いていた竹製の格子窓の淵に留まる。
杜宇であった。確か杜宇は今、蜀漢の宰相"諸葛亮"の側に居るはず。寝台から腰を上げ、近くに寄った。
「如何されましたか、古蜀(杜宇が昔治めていた国)陛下。今は五丈原にいらっしゃるはずでは」
「諸葛亮の命脈が尽きた」
「え…」
「床に臥せ、もう長くない。別れは済ませて来た故、ここに来た」
間違いなくこの時代を代表する英傑であり、自分と同じ血の通う叔父である。
会ったことは無い。しかし深い親愛は抱いていた。心のどこかで密かに憧れてもいた。
「諸葛亮がこの杜宇に残した最後の言葉(呪い)は "恪を頼みます" だった。あの野郎、俺をまだ自由にさせてくれないみたいだ」
「叔父上ほどの人でも、死ぬのですね」
「恩人の最後の頼みは聞いてやらねば、俺も目覚めが悪い。感謝しろ」
そう言って杜宇は再び夜空へと飛んでいく。
今日もまた、諸葛恪はあまり眠ることが出来ないまま、夜が明けたのであった。
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