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四章
九、怪異の産まれ方
しおりを挟む眠れなかったのだろうか。諸葛恪の顔色は以前にも増して悪く、目つきもまた険しかった。
自分の力ではこの人を支えることが出来ない。近くに居るはずなのに、隣に立つことが出来ない。
それがとにかくもどかしくて、楊甜は思わず歯噛みする。
「今日は出る。数日は戻らない」
「お供しますっ!」
「邪魔だ。お前は来るな」
楊甜に一切目をくれず、諸葛恪は執務室の扉をぴしゃりと閉じた。
はっきりとした拒絶。追いかけようと思っても、足がすくんで動かなかった。
「はぁ、僕はどうすればいいんだろう…」
諸葛恪が出るとなれば、報告書などもまた諸葛恪の居るところに届くわけだから、ここ数日の取次の激務から楊甜は解放されることになる。
しかしそれでいいはずが無かった。諸葛恪が忙しくしている中で休むというのは、どうにもこうにも落ち着かない。
ひとまず拭き掃除でも。そう思って布巾を手に取り、もう一度大きなため息を吐く。
「ずいぶんな溜息だな」
「ふぇ?」
「ここだ、馬鹿首」
「あ、杜宇さん!」
窓に一羽のホトトギス。ずいぶんと久しぶりなような気がして、思わず笑みが零れる。
すると杜宇はキョロキョロと部屋を見渡し、そのまま楊甜の頭の上に飛び移った。
「小僧は居ないのか」
「今しがた出かけられましたけど。杜宇さんならすぐに追いつくと思いますよ」
「うん?お前は一緒についていかないのか?」
「あはは、いやぁ、来るなと突っぱねられちゃいまして」
「むぅ、それはマズいな」
「え?」
「お前も怪異なら分かるだろう。今のこの辺りは、いやこの江東の地に立ち込める瘴気は尋常ではないぞ」
言われずともそれは十分に感じているし、実際戦地に赴いてその異様な空気に怯える事しか出来なかったほどだ。
落頭民や厠鬼のように争いを好まない怪異は今、あの山地に近づくことすら恐ろしいのである。
こんなことは今までなかった。反乱や戦いなら何度も起きているが、今回ほど瘴気が溢れるようなことは無かったのだ。
「馬鹿首よ、なぜこのようなことになっていると思う」
「なぜって、それは、戦争が起きてるから…」
「戦争が起きるとなぜ瘴気が生じると思う」
「それは、えっと」
「そもそも多くの怪異はどのように生まれると思う」
「わ、分かりません…」
「怪異のほとんどは元々、ただの獣や木や石ころだ。それらが瘴気に触れ、怪異に変じることがある。そしてその瘴気は"怨恨"より生じる。特に怨恨を抱えながら死んだ人間の遺骸より生じるとされる」
それはこの俺も例外ではない。杜宇は憎らし気にそう呟く。
臣下に裏切られ、皇帝の座を奪われ、山中深くに封じ込められ、その怨恨が募りに募って杜宇はこの姿となったのだ。
ただ、楊甜には親が居た。しかしそもそも落頭民という存在がどのように生じたのか、それは知らない。先祖についても考えたことは無い。
「今回の小僧の戦は、かつてない規模だ。山中に暮らす数十万人の不服従民を全て降そうというのだからな。つまりそれだけ多くの人間から今、小僧は怨恨を向けられているということだ」
「数十万」
「そして恐らくだが、この仕組みを知る者が山中に居るな。意図的に怨恨を煽り立て、それを利用しようとしている者が」
「そ、そう言えばこの間、激しい戦いが起きたのですが、そのときの敵が異様な状態であったというか」
兵士達が口々に述べていたことである。あれは人ではないのではないか、と。
目の焦点が定まらず、憎悪だけを剝き出しにし、誰一人として死を恐れることなく突撃を繰り返す。
腹を裂かれてもなお戦い、腕を落とされても今度は喉元に噛みつこうとしてくる。
微塵も死を恐れない生き物など居るはずがないのに、彼らは全員が全員そういう存在になっていたのだとか。
「もしこれが怪異の仕業であるとすれば」
「それは、どういうことですか」
「可能性の話だ。人を惑わし、怨恨に染め上げる怪異が居ると考えれば」
「そんなの、そんなことが本当に出来るんですか?」
「知らん、怪異は理の外に居る存在だ。あり得ないとは言えん。しかしそんなことが出来るとすればもはやその怪異は、神の領域にあると言えるな」
「多くの人間に殺し合いをさせるのが、神…?」
「怪異とは本来人に仇なす存在だ。そして本当にそんな無茶苦茶なモノが生まれているのなら、人の世は滅ぶぞ。再び魑魅魍魎の蔓延る神話の時代に逆戻りだ」
そんな恐ろしい存在が今、諸葛恪を殺そうとしている。数多の怨恨を膨張させながら。一体、何故。
厠鬼の言葉を思い出す。諸葛恪の名を知らぬ怪異は無く、諸葛恪に遭えば必ず殺される。怪異は皆、それを恐れていると。
「ご主人様が、危ない」
「アレは天才だが、人だ。瘴気を感じることは難しく、怪異の出現の予兆を見ることは出来ん」
「僕なら感じ取れます!追いかけないと!!」
「待て、誰か信頼出来る者に仲介を頼め。ただ追いかけても追い返されるされるだけだぞ」
それもそうだ。ついてくるなと言われた以上、あの頑固な主人が意見を曲げることは無い。
しかしそんな諸葛恪を説得し、仲介できる人なんて。そう思ったとき、一人だけ頭にそのいけ好かない顔が浮かんだのであった。
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