最後のカードは、

豆狸

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第二話 仮面の歌姫

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 女性にしては低く、男性にしては高く、それでいてだれが聞いても心地良い歌声が室内に満ちています。

 ──ここは享楽の館、悪徳の温床。

 だれが持ち主かもわからない王都の外れにある館には、夜ごと仮面をつけた人々が集まって、ダンスや賭博に興じているのです。
 館の二階へ上がる階段の前に立つ使用人に小遣いを渡すと部屋の鍵を渡してくれるので、そのまま密室で恋の遊戯に興じる人間もいると聞きます。
 美しい歌手や役者に狂った下位貴族の令嬢達の中には、ここでお気に入りに貢ぐための資金を稼ぐ方もいらっしゃるとか……ただの噂ですけれどね。

 生まれて初めてつけた目もとを隠す仮面に違和感を覚えながら、私はその部屋へ入りました。
 この館へ入るのに招待状はいりません。
 金を持っているとひと目でわかる服と装飾品を身に纏っていれば良いのです。もちろん借金をして用意した借りものでもかまいません。

 私が入ったのは一階にある賭博部屋です。
 出入口のすぐ近くにあるテーブルに銀髪の男性が座っています。
 私と同じように目もとを隠す仮面をつけているので顔はわかりませんが、この王国では銀髪といえば王家か王族の血を分けた公爵家の人間と決まっています。色粉で染めているのでしょうけれど、随分と不敬な真似をするものです。

 実は私も髪を染めています。
 もっともこの王国で一番多い茶色の髪を珍しい黒色に染めているので、却って目立っているかもしれません。
 室内の人々の視線を感じます。

 仕方がありません。
 私の髪は濃い茶色で、黒以外には染められなかったのです。最初に元の髪から色を抜けば良かったのかもしれませんけれど、それでは普段の生活で困ります。
 目立つ黒髪でもデュフール伯爵家令嬢ジョゼフィンだと気づかれさえしなければ良いのです。

 館の窓の外は漆黒の闇に閉ざされています。
 マティス様に付き添ってもらうこともなく、こんな夜遅くに出かけるのは初めてです。
 でもなぜか少し気分が高揚するのを感じます。お母様ほどではありませんが、私もカードゲームが好きだからでしょうか。

「……悪いが、私は女性に不自由はしていない」

 銀髪の男性と同じテーブルに腰かけると、そんな言葉を投げかけられました。
 どこかの下位貴族の令嬢と同じように客を探しているのだと思われたのでしょう。
 彼の言葉を裏付けるかのように、部屋の中央で歌っていた仮面の歌姫が歌をやめて近づいてきました。

 歌姫は銀髪の男性の同行者で、室内にいるほかの人間にせがまれて歌を歌っていただけなのでしょう。
 その歌姫の正体はだれもが知っています。
 先ほどまでの見事な歌を聞いたからには疑うことはありません。こんなに天才的な歌唱力を持っているのはひとりだけです。

 王都の大劇場や高位貴族家の園遊会を沸かせている麗しの歌姫シャンターラは、享楽の館以外でも仮面をつけています。
 王宮で密かに開かれたという独演会でも仮面を取らなかったという噂です。
 どこかのだれかを思わせる金の巻き毛が、天井の照明を反射して薄赤く煌めきました。

「彼でなくて私にご用事かしら?」

 目もとを隠す仮面の下で、蠱惑的な赤い唇が弧を描きます。
 私は首を横に振りました。

「いいえ、私は彼に用事があるのです。イカサマに気づかれたときすぐ逃げ出せる、出入口近くのテーブルに座って対戦相手を待っている彼と『最後のカード』の話がしたいのです」
「『最後のカード』は気まぐれだ。君のもとへ来るとは限らないぞ」

 『最後のカード』には、複数の意味があります。
 五枚のカードで役を作るカードゲームにおいては、カードの一枚である『仮面の道化師』を差します。
 『仮面の道化師』はほかのカードに置き換えることが出来るので、それまで役が出来ていなくても、最後に手に入れたカードが『仮面の道化師』ならなにかに置き換えることで役を作れます。この場合の『最後のカード』は、『最後の希望』という意味でもあるのです。

「それが必ず来るのです。あと一ヶ月ほどで訪れる私の誕生パーティで、みっつの顔を持つ『最後のカード』が」
「「……っ」」

 銀髪の男性と金の巻き毛の歌姫が息を飲みました。
 ふたりともカードゲーム以外での『最後のカード』の意味を知っているのでしょう。
 こちらの意味を知るものは、おそらく少数です。カードゲーム好きだったお母様が、カードゲームの用語を悪いものを現す隠語に使われていることに怒っていなければ、私も知ることはなかったでしょう。

 みっつの顔を持つ『最後のカード』は禁じられた薬のことです。

 ひとつ目の顔は病の苦痛に苦しむ人々を癒す神の薬鎮痛剤
 ふたつ目の顔は快楽を与え人々を虜にする邪神の薬麻薬
 みっつ目の顔は冥府へと人々を連れて行く死神の薬毒薬

 すべての薬がそうとも言えますが、わずかな量の違いと飲み合わせで驚くほど効果を変えるその薬は、どのカードにでも置き換えられる『仮面の道化師』の印象を重ねられて『最後のカード』と呼ばれているのでした。
 専門家以外には扱いの難しい鎮痛剤として正規に流通しているものよりも、麻薬や毒薬として不法に流通しているもののほうが遥かに多いのが今の状況です。貴族達が邪魔な当主や跡取りを操ったり始末したりするのに、とても都合の良い薬ですものね。
 王太子殿下は状況を重く見て、ご自身直属の近衛騎士に探らせていると……これもただの噂です。

 銀髪の男性が立ち上がり、私に迫ります。

「……二階へ行こう」
「ごめんなさい、私も男性には不自由していませんの。婚約者がいるのですわ」
「な……っ」
「冗談です」

 腹を割って話をするためには、人のいない二階の密室へ行くのが最善です。
 不埒な意味などないとわかっていたものの、先ほどの銀髪の男性の言葉に軽く意趣返しをしてから、私は席を立ちました。

 私は臆病な小心者です。きっとお父様に似たのでしょう。
 お母様が亡くなるまでは、愛人親娘のことを隠して良い婿を演じ続けていたお父様に。
 病弱だったお爺様を早くに亡くし、お若いころから当主としてデュフール伯爵家を運営しつつ、カードゲームというご自身の楽しみも満喫していらした有能で豪快なお母様のようにはなれません。

 このときの私は、みっつの顔を持つ『最後のカード』の件でお父様と愛人親娘が処罰されれば良いというくらいのことしか考えていませんでした。
 ですが、享楽の館を出たときの私が持っていた人生のカードは『最悪の父親』『真実の愛』『仮面の歌姫』『最愛の母(故人)』『裏切り』──このときすでに『最悪の家族』という役は崩れ落ちて、新しい役が形作られようとしていたのです。
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