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第五話 先代侯爵の遺言<アマート侯爵ダミアーニ視点>
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ペルデンテは顔を隠して逃げ、フィリポと庭師はつかみ合いになった。
「あの女に状況を教えられて、母親は逃げる準備を始め、娘のほうは父親を助けに資材小屋へ向かいました。フィリポ様はクリミナーレに背中を刺され、倒れ込んだところを庭師に殴られて意識を失ったのです。なんとか一度意識は取り戻されて、私に事情を告げて後のことを指示なさったのですが……」
その日、ダミアーニは同じ家の中にいた。王都にある侯爵邸は広いので、庭の片隅にある資材小屋で起こっていたことに気づかなかったのは仕方がない。
(だけど僕は……)
おそらくクリミナーレが父フィリポを刺しに行く直前まで、自室で彼女と一緒にいたのだ。
彼女の母親が呼びに来たので、お手伝いに行ってくるね、と笑ってクリミナーレはいなくなった。
それから侯爵邸で彼女を見ていない。
庭師のことは聞いたが、親娘のことは聞いていない。
後で手紙が来て下町で再会したとき、本人は庭師とのつながりのせいで老家令に追い出されたと言っていた。
だから、老家令に自分のことは話さないで欲しいとも。
「……本当にクリミナーレが父上を刺したのか? 後ろからだったのなら、だれに刺されたのかわからないだろう? 母親のほうかもしれない」
「刺し傷の位置から一目瞭然です。ふたりの身長を考えれば間違いありません。あの娘の母親はかなり大柄でしたでしょう? わざわざ中腰になって後ろから刺す意味などありません」
「どうしてもっと早くに教えてくれなかったんだ!」
「あの三人のことは指名手配しています」
いくら指名手配をしていても、目の届かないところへ隠れられたのでは見つけようがない。
王都の下町は広く、奥は貧民街となっていて犯罪組織が支配している。
三人は下町と貧民街を行き来することで、上手く存在を消していたのだろうとニコロは溜息をつく。
「それに、まさか……まさかダミアーニ様があの娘と再会して、恋人同士になっているだなんて思うはずがないじゃないですか! どうして再会なさったときに言ってくださらなかったのです?」
「……は、母上は? それなら母上は共犯じゃないか! どうして母上を訴えなかったんだ!」
なんとなくその理由に気づきながらも、ダミアーニは問うた。
老家令ニコロの顔から表情が消え、彼は温もりの感じられない声で答えた。
「フィリポ様はマンデッリ男爵家を訴えた後、あの女とは離縁なさるおつもりでした。アマート侯爵家の跡取りも再婚後のお子様になさる予定だったのです。ですが、ああなってしまった以上アマート侯爵家の跡取りはダミアーニ様しかいらっしゃいません。アマート侯爵家の名に傷がつかぬよう、ダミアーニ様の母親であるあの女の罪は秘匿するようにと遺言なさったのです」
ニコロは自分を愛してなどいないのだと、ダミアーニは気づいた。
彼が仕えるのはアマート侯爵家であり、もし父フィリポが亡くならずに予定通りの行動を取っていたとしたら、ダミアーニではなく新しい跡取りを慈しんでいたのだろう。
ニコロは苦悶の表情で言葉を続ける。その苦悶は、ダミアーニを愛していないことを本人に気づかれたからではない。
「フィリポ様は公に訴えない代わり、一刻も早く病気に見せかけてあの女を殺せと私にお命じになりました。それがアマート侯爵家にとって一番良いことでございますからね。ですが私は……ロンバルディ伯爵家からの援助欲しさに、あの女を生き長らえさせてしまったのでございます。申し訳ございません、ダミアーニ様」
「……うん」
ダミアーニが父を亡くしたのは十四歳のときだった。
この国の貴族子女が通う学園は十五歳で入学する。
特待生として入る平民ならともかく、貴族の生徒の学費を免除するような仕組みはない。国や学園に支援を求めた時点で、一人前の貴族とは認められなくなるだろう。
そもそも落ちぶれたアマート侯爵家を運営していくための資金が必要だった。
母ペルデンテの罪を秘匿する以上マンデッリ男爵家から賠償金を取ることは出来ない。
老家令が彼女を始末したとしても、ダミアーニと彼らの血縁関係は消えないのだ。
「あの女に状況を教えられて、母親は逃げる準備を始め、娘のほうは父親を助けに資材小屋へ向かいました。フィリポ様はクリミナーレに背中を刺され、倒れ込んだところを庭師に殴られて意識を失ったのです。なんとか一度意識は取り戻されて、私に事情を告げて後のことを指示なさったのですが……」
その日、ダミアーニは同じ家の中にいた。王都にある侯爵邸は広いので、庭の片隅にある資材小屋で起こっていたことに気づかなかったのは仕方がない。
(だけど僕は……)
おそらくクリミナーレが父フィリポを刺しに行く直前まで、自室で彼女と一緒にいたのだ。
彼女の母親が呼びに来たので、お手伝いに行ってくるね、と笑ってクリミナーレはいなくなった。
それから侯爵邸で彼女を見ていない。
庭師のことは聞いたが、親娘のことは聞いていない。
後で手紙が来て下町で再会したとき、本人は庭師とのつながりのせいで老家令に追い出されたと言っていた。
だから、老家令に自分のことは話さないで欲しいとも。
「……本当にクリミナーレが父上を刺したのか? 後ろからだったのなら、だれに刺されたのかわからないだろう? 母親のほうかもしれない」
「刺し傷の位置から一目瞭然です。ふたりの身長を考えれば間違いありません。あの娘の母親はかなり大柄でしたでしょう? わざわざ中腰になって後ろから刺す意味などありません」
「どうしてもっと早くに教えてくれなかったんだ!」
「あの三人のことは指名手配しています」
いくら指名手配をしていても、目の届かないところへ隠れられたのでは見つけようがない。
王都の下町は広く、奥は貧民街となっていて犯罪組織が支配している。
三人は下町と貧民街を行き来することで、上手く存在を消していたのだろうとニコロは溜息をつく。
「それに、まさか……まさかダミアーニ様があの娘と再会して、恋人同士になっているだなんて思うはずがないじゃないですか! どうして再会なさったときに言ってくださらなかったのです?」
「……は、母上は? それなら母上は共犯じゃないか! どうして母上を訴えなかったんだ!」
なんとなくその理由に気づきながらも、ダミアーニは問うた。
老家令ニコロの顔から表情が消え、彼は温もりの感じられない声で答えた。
「フィリポ様はマンデッリ男爵家を訴えた後、あの女とは離縁なさるおつもりでした。アマート侯爵家の跡取りも再婚後のお子様になさる予定だったのです。ですが、ああなってしまった以上アマート侯爵家の跡取りはダミアーニ様しかいらっしゃいません。アマート侯爵家の名に傷がつかぬよう、ダミアーニ様の母親であるあの女の罪は秘匿するようにと遺言なさったのです」
ニコロは自分を愛してなどいないのだと、ダミアーニは気づいた。
彼が仕えるのはアマート侯爵家であり、もし父フィリポが亡くならずに予定通りの行動を取っていたとしたら、ダミアーニではなく新しい跡取りを慈しんでいたのだろう。
ニコロは苦悶の表情で言葉を続ける。その苦悶は、ダミアーニを愛していないことを本人に気づかれたからではない。
「フィリポ様は公に訴えない代わり、一刻も早く病気に見せかけてあの女を殺せと私にお命じになりました。それがアマート侯爵家にとって一番良いことでございますからね。ですが私は……ロンバルディ伯爵家からの援助欲しさに、あの女を生き長らえさせてしまったのでございます。申し訳ございません、ダミアーニ様」
「……うん」
ダミアーニが父を亡くしたのは十四歳のときだった。
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そもそも落ちぶれたアマート侯爵家を運営していくための資金が必要だった。
母ペルデンテの罪を秘匿する以上マンデッリ男爵家から賠償金を取ることは出来ない。
老家令が彼女を始末したとしても、ダミアーニと彼らの血縁関係は消えないのだ。
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