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第五話 赤い館
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バスキス伯爵令嬢セシリャは、早くに母を亡くしていた。
セシリャの母である先代女伯爵は病弱で、その病状は第三王子アレハンドロのものと酷似していた。
王家の血を引くが故の病だったのかもしれない。
入り婿の父は亡き妻のことはもちろん娘セシリャのことも愛していたが、幼い子どもが母性を求めるのは当然のことだ。
男の子しかいなかったセペダ侯爵夫人は、次男の婚約者のセシリャを我が子以上に可愛がった。
嫁と姑の仲が良い。本来なら歓迎されるべきことだったが、フリオにとっては胸に降り積もっていくしこりのひとつでしかなかった。
それは、フリオが婚約者のセシリャや自分の家族と真摯に向き合っていれば、学園で出会ったサルディネロ男爵令嬢メンティロソの甘言に溺れていなければ、いつかは消えていく小さなしこりに過ぎなかったのだけれど。
「馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい……」
馬車の中で呟きながら、フリオは王都にあるセペダ侯爵邸へと戻った。
頭の中では口とは違うことを呟いていた。
……聖女の伝説なんておとぎ話だ。セシリャが聖女の血を引いているからなんだというのだ。あの女はならず者に攫われて、今ごろ泣き叫んでいるか、心も体も壊されているころだ、と。呟くというより、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
王都の侯爵邸は、酷く静まり返っていた。
息子であるフリオが戻って来たというのに、館の扉は開かない。
フリオは詰め所にいた休憩中の門番達に命じて扉を開けさせた。門を守っている人間を連れてくるわけにはいかないからだ。休憩中の門番の中には隊長を務めている者もいた。
赤──
館内に広がっていたのは紛れもなく、『燃える炎のような赤』だった。
「ひぃっ!」
門番達が情けない声を上げる。門番の隊長が辺りを見回して言う。
「これは血ですね。今撒き散らかされたかのように鮮やかな……」
壁も床も天井も『燃える炎のような赤』で塗り潰されていた。
館の中に人の気配はない。
門を守っている人間にも事情を知らせてくると、連れて来た門番の中のひとりが姿を消した。フリオは残りの門番と館内に進んだ。
応接室も赤かった。
食堂も厨房も、住人の部屋も使用人の部屋も。
すべてが赤くてだれもいなかった。
「……フリオ坊ちゃま、連絡に行った者達が戻って来ませんね」
「そうだな。俺達も外へ出るか。あまりにも異常な状況だ。俺達だけでは対処出来ないだろう」
震える声の門番に呼びかけられて、フリオは館から出ることを決めた。
なにか恐ろしいことが起こっているのはわかるのだが、それがなんなのかがわからない。
館内を染めている赤はあまりにも鮮やかで、隊長に血だと言われても実感がなかった。いつの間にか鼻が麻痺したのか、血液特有の生臭い匂いも感じない。
館を出て、門までの長い前庭を歩いていく。
馬車を片付けて馬の世話をしている御者を呼べば、どこかへ救援を求めに行くことも可能だろう。
しかし、どこへ、とフリオは唸る。婚約者であるセシリャとの関係が良好であったなら、バスキス伯爵家に相談するのが一番なのだが。
「サルディネロ男爵家が役に立つとは思えない。いっそ不興を買うことを覚悟で、直接王家に報告したほうが……」
「ぼ、坊ちゃまっ!」
「どうした?」
同行していた門番が指差すところを見れば、門の鉄柵が赤く染まっていた。
そこに立っているはずの人間の姿はない。
さっきは無事だった門番の詰め所も赤く染まっていた。馬車はあったものの、御者も馬も赤だけを残していなくなっていた。
「仕方がない。近くの貴族家で馬を借りて……」
そう言いながら振り向いたフリオの瞳に映ったのは、これまで同行していた門番達の姿ではなく、地面を染める『燃える炎のような赤』だった。
セシリャの母である先代女伯爵は病弱で、その病状は第三王子アレハンドロのものと酷似していた。
王家の血を引くが故の病だったのかもしれない。
入り婿の父は亡き妻のことはもちろん娘セシリャのことも愛していたが、幼い子どもが母性を求めるのは当然のことだ。
男の子しかいなかったセペダ侯爵夫人は、次男の婚約者のセシリャを我が子以上に可愛がった。
嫁と姑の仲が良い。本来なら歓迎されるべきことだったが、フリオにとっては胸に降り積もっていくしこりのひとつでしかなかった。
それは、フリオが婚約者のセシリャや自分の家族と真摯に向き合っていれば、学園で出会ったサルディネロ男爵令嬢メンティロソの甘言に溺れていなければ、いつかは消えていく小さなしこりに過ぎなかったのだけれど。
「馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい馬鹿馬鹿しい……」
馬車の中で呟きながら、フリオは王都にあるセペダ侯爵邸へと戻った。
頭の中では口とは違うことを呟いていた。
……聖女の伝説なんておとぎ話だ。セシリャが聖女の血を引いているからなんだというのだ。あの女はならず者に攫われて、今ごろ泣き叫んでいるか、心も体も壊されているころだ、と。呟くというより、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
王都の侯爵邸は、酷く静まり返っていた。
息子であるフリオが戻って来たというのに、館の扉は開かない。
フリオは詰め所にいた休憩中の門番達に命じて扉を開けさせた。門を守っている人間を連れてくるわけにはいかないからだ。休憩中の門番の中には隊長を務めている者もいた。
赤──
館内に広がっていたのは紛れもなく、『燃える炎のような赤』だった。
「ひぃっ!」
門番達が情けない声を上げる。門番の隊長が辺りを見回して言う。
「これは血ですね。今撒き散らかされたかのように鮮やかな……」
壁も床も天井も『燃える炎のような赤』で塗り潰されていた。
館の中に人の気配はない。
門を守っている人間にも事情を知らせてくると、連れて来た門番の中のひとりが姿を消した。フリオは残りの門番と館内に進んだ。
応接室も赤かった。
食堂も厨房も、住人の部屋も使用人の部屋も。
すべてが赤くてだれもいなかった。
「……フリオ坊ちゃま、連絡に行った者達が戻って来ませんね」
「そうだな。俺達も外へ出るか。あまりにも異常な状況だ。俺達だけでは対処出来ないだろう」
震える声の門番に呼びかけられて、フリオは館から出ることを決めた。
なにか恐ろしいことが起こっているのはわかるのだが、それがなんなのかがわからない。
館内を染めている赤はあまりにも鮮やかで、隊長に血だと言われても実感がなかった。いつの間にか鼻が麻痺したのか、血液特有の生臭い匂いも感じない。
館を出て、門までの長い前庭を歩いていく。
馬車を片付けて馬の世話をしている御者を呼べば、どこかへ救援を求めに行くことも可能だろう。
しかし、どこへ、とフリオは唸る。婚約者であるセシリャとの関係が良好であったなら、バスキス伯爵家に相談するのが一番なのだが。
「サルディネロ男爵家が役に立つとは思えない。いっそ不興を買うことを覚悟で、直接王家に報告したほうが……」
「ぼ、坊ちゃまっ!」
「どうした?」
同行していた門番が指差すところを見れば、門の鉄柵が赤く染まっていた。
そこに立っているはずの人間の姿はない。
さっきは無事だった門番の詰め所も赤く染まっていた。馬車はあったものの、御者も馬も赤だけを残していなくなっていた。
「仕方がない。近くの貴族家で馬を借りて……」
そう言いながら振り向いたフリオの瞳に映ったのは、これまで同行していた門番達の姿ではなく、地面を染める『燃える炎のような赤』だった。
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