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第六話 赤い夜
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いつの間にか、すっかり日が暮れていた。
霧に包まれた世界の中、フリオは遠くに見える小さな光に向けて歩き続けている。
王都のセペダ侯爵邸の門から出ると、すべてが霧に包まれていて、フリオは隣家に辿り着くことも出来なかったのだ。自宅へ戻ることは出来たものの、そこは相変わらず『燃える炎のような赤』に染まっていた。
戻れば、赤。
戻らなければ、霧。
そして霧に包まれた世界は少しずつ明るさを失い、暗く閉ざされていく。夜が来るのだ。
だれも教えてくれなかったけれど、そもそも尋ねることの出来るだれかもいなかったけれど、フリオは確信していた。
……王宮の中庭で第三王子アレハンドロに聞いた話は事実だった。聖女の血を引くセシリャは邪神に魅入られたのだ、と。
邪神はセシリャを独占するために、彼女が心を寄せた者達を排除していっているのに違いない。セシリャはフリオよりもフリオの家族と仲が良く、セペダ侯爵家に仕えるもの達のことも大切に思っていた。
「そうだ、邪神だ。邪神でなければ、どうしてこんなことが出来るんだ」
──だけどね、
ひとり呟きながら光を求めて歩き続けるフリオの耳に、ひとりで語り続けていたときのアレハンドロの声が蘇る。
──聖女の血を引く女性と婚約者が、ちゃんと愛し愛されていれば、邪神が割り込むことなんて出来ないんだよ。
何代か前の王族も邪神に魅入られたけれど、誠実な婚約者と愛し愛されていたために邪神はなにも出来なかったのだと、第三王子は言った。
「俺が悪いのか? 俺がセシリャを愛すれば良かったのか?」
愛していなかったわけではない。幼いころは愛していた。
ただ成長に伴って婿でしかない、種馬の役目しか求められていない自分を惨めに感じるようになったのだ。
サルディネロ男爵令嬢メンティロソは、それはもう見事にフリオの自虐心を煽り、歪んだ自尊心を盛り立ててくれた。セシリャを攫って貶める計画に賛同させることで、フリオが我に返っても逃げられない状況に仕立て上げた。
メンティロソだけが悪いわけではない。
婚約者のいる身でありながら、近づいてきた男爵令嬢を拒まなかったのはフリオだ。
嬉し気にセシリャの悪評を垂れ流し、彼女より優位に立ったつもりで悦に入っていたのもフリオだ。あの忌まわしい計画を受け入れたのもフリオ自身だ。
「だが、だが、だが……」
フリオひとりなら計画を企んでも実行は出来なかった。
少々捻くれていても血筋正しい侯爵子息だ。
ならず者に伝手などない。
「……メンティロソは、どうして……」
メンティロソは庶子で、父であるサルディネロ男爵に引き取られるまでは愛人だった母とともに下町で暮らしていたと聞いている。しかし、だからといってそう簡単にならず者と関係を持てるはずがない。
夜会の夜の王宮に忍び込んで伯爵令嬢を攫って娼館に叩き売ろう、なんて杜撰で邪悪な計画に乗るような悪党を彼女はどこで見つけてきたのだろう。
メンティロソの母親は、そんな男と交流する娘を止めなかったのだろうか。
「フリオ?」
気がつくと、フリオは王宮の庭にいた。
第三王子アレハンドロと話をした中庭ではない。
夜会の夜、メンティロソと隠れてセシリャを誘き寄せようとしていた裏庭だ。目の前にはメンティロソがいる。先ほどフリオの名前を呼んだのは彼女だったようだ。
「赤くない」
「え?」
辺りは赤くなかった。
薄暗いけれど、霧も消えている。隠れ場所の裏庭から少し踏み出せば、燃え盛る松明が配置されているのがわかった。
松明の炎は茂みの向こうの中庭を赤く染めている。
なにかがおかしい、とフリオは感じた。
「まるで夜会の夜に戻ったようじゃないか……」
フリオは王子に呼ばれて王宮へ行ったときの正装ではなく、夜会のための華やかな衣装を身に着けている自分に気づいた。
霧に包まれた世界の中、フリオは遠くに見える小さな光に向けて歩き続けている。
王都のセペダ侯爵邸の門から出ると、すべてが霧に包まれていて、フリオは隣家に辿り着くことも出来なかったのだ。自宅へ戻ることは出来たものの、そこは相変わらず『燃える炎のような赤』に染まっていた。
戻れば、赤。
戻らなければ、霧。
そして霧に包まれた世界は少しずつ明るさを失い、暗く閉ざされていく。夜が来るのだ。
だれも教えてくれなかったけれど、そもそも尋ねることの出来るだれかもいなかったけれど、フリオは確信していた。
……王宮の中庭で第三王子アレハンドロに聞いた話は事実だった。聖女の血を引くセシリャは邪神に魅入られたのだ、と。
邪神はセシリャを独占するために、彼女が心を寄せた者達を排除していっているのに違いない。セシリャはフリオよりもフリオの家族と仲が良く、セペダ侯爵家に仕えるもの達のことも大切に思っていた。
「そうだ、邪神だ。邪神でなければ、どうしてこんなことが出来るんだ」
──だけどね、
ひとり呟きながら光を求めて歩き続けるフリオの耳に、ひとりで語り続けていたときのアレハンドロの声が蘇る。
──聖女の血を引く女性と婚約者が、ちゃんと愛し愛されていれば、邪神が割り込むことなんて出来ないんだよ。
何代か前の王族も邪神に魅入られたけれど、誠実な婚約者と愛し愛されていたために邪神はなにも出来なかったのだと、第三王子は言った。
「俺が悪いのか? 俺がセシリャを愛すれば良かったのか?」
愛していなかったわけではない。幼いころは愛していた。
ただ成長に伴って婿でしかない、種馬の役目しか求められていない自分を惨めに感じるようになったのだ。
サルディネロ男爵令嬢メンティロソは、それはもう見事にフリオの自虐心を煽り、歪んだ自尊心を盛り立ててくれた。セシリャを攫って貶める計画に賛同させることで、フリオが我に返っても逃げられない状況に仕立て上げた。
メンティロソだけが悪いわけではない。
婚約者のいる身でありながら、近づいてきた男爵令嬢を拒まなかったのはフリオだ。
嬉し気にセシリャの悪評を垂れ流し、彼女より優位に立ったつもりで悦に入っていたのもフリオだ。あの忌まわしい計画を受け入れたのもフリオ自身だ。
「だが、だが、だが……」
フリオひとりなら計画を企んでも実行は出来なかった。
少々捻くれていても血筋正しい侯爵子息だ。
ならず者に伝手などない。
「……メンティロソは、どうして……」
メンティロソは庶子で、父であるサルディネロ男爵に引き取られるまでは愛人だった母とともに下町で暮らしていたと聞いている。しかし、だからといってそう簡単にならず者と関係を持てるはずがない。
夜会の夜の王宮に忍び込んで伯爵令嬢を攫って娼館に叩き売ろう、なんて杜撰で邪悪な計画に乗るような悪党を彼女はどこで見つけてきたのだろう。
メンティロソの母親は、そんな男と交流する娘を止めなかったのだろうか。
「フリオ?」
気がつくと、フリオは王宮の庭にいた。
第三王子アレハンドロと話をした中庭ではない。
夜会の夜、メンティロソと隠れてセシリャを誘き寄せようとしていた裏庭だ。目の前にはメンティロソがいる。先ほどフリオの名前を呼んだのは彼女だったようだ。
「赤くない」
「え?」
辺りは赤くなかった。
薄暗いけれど、霧も消えている。隠れ場所の裏庭から少し踏み出せば、燃え盛る松明が配置されているのがわかった。
松明の炎は茂みの向こうの中庭を赤く染めている。
なにかがおかしい、とフリオは感じた。
「まるで夜会の夜に戻ったようじゃないか……」
フリオは王子に呼ばれて王宮へ行ったときの正装ではなく、夜会のための華やかな衣装を身に着けている自分に気づいた。
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