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第七話 恋の鎖に囚われて
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女主人の部屋の扉を叩いたのは、私の夫のデズモンド様でした。
「合鍵をお持ちなのだから勝手に入って来てくださっても良いのですよ。デズモンド様に見られて困るものは……」
日記帳から破って拳の中に隠したリンダ小母様と悪魔の契約書のことを思い出して、私は一瞬言葉に詰まりました。
デズモンド様にこのことは話せません。
知らないほうが良いこともあります。私は夫を守りたいのです。
「……見られて困るものは、なにもありませんわ」
「そう?」
デズモンド様の視線が執務机に向かいます。
「母さんの日記帳、読んだのかい?」
「ええ。……貴方は?」
「読んだことはないんだ。引き出しの鍵はふたつあったけど、あの日記帳の鍵はひとつしかなかった。そのひとつは母さんが君に渡してたよね?」
私は頷きました。
デズモンド様は少し考えてから口を開きました。
「……実はね、ペルブランの嫁ぎ先がまだ見つからないんだ」
「そう、ですか……」
「あの子自体は悪い子じゃないけれど、フラウダにいいように操られているだろう? ペルブランが学園を卒業してずっと家にいるようになったら、たぶん僕達が一緒にいる時間を邪魔しに来ると思うんだ」
「……でしょうね」
「僕が情けないせいで、ほとんどの使用人はフラウダの味方だし」
「デズモンド様を当主として慕っているものも、私に力を貸してくれているものもいますわ」
「ありがとう。でも……しばらくは今の状況が続くと思うんだ、ごめん」
「いいえ。私のほうこそ、私がもっと実家との仲が良くて実家の力を借りられたら……」
「君のせいじゃないよ。……鳥だって自分の妻と子を大事にするのに、僕達の父親はどうしてあんな人間達だったんだろうね。光の女神様が彼らに天罰を与えてくれたら良かったのに」
デズモンド様は先代侯爵への反発で、人より信心深いところがあります。
リンダ小母様が悪魔との契約書を書いていただなんて知ったら、しかも自分の守護を願うためだったなんて知ったら、きっととても傷つきます。
たとえあの契約書が、リンダ小母様が心の安息を得るためのニセモノに過ぎないとしてもです。やっぱり彼には秘密にしておこうと、私は拳の中の契約書を握り締めました。
「ああ、話がズレたね。とにかく、そういう状況だから、僕達だけの連絡手段が必要だと思ったんだ」
「裏庭の鳥が来る木に洞がありました。あそこで手紙を交換します?」
「それもいいけど……子どものとき秘密の連絡場所にしようとしたら、住み着いたリスに手紙をボロボロにされたじゃないか」
「そうでしたね」
だれも知らないふたりだけの想い出に、心が温かくなるのを感じます。
デズモンド様の初恋でありたいとまでは望みませんが、八歳のあの日、ふたりであの木に背中を預けて鳥の歌声を聞いたことが、彼にとっても大切な想い出なら良いのにと私は願いました。
「だからさ、この部屋の引き出しで手紙を交換したら良いかと思って。引き出しの鍵もこの部屋の鍵も僕達しか持ってないからね」
「わかりましたわ。……リンダ小母様の日記、デズモンド様もお読みになりますか?」
彼は首を横に振り、急に私のことを抱き締めました。
「……ハンナ」
「デズモンド様?」
「読まなくても書いてあることは、たぶん知っている。母さんは僕の前で父さんを責めたりはしなかったけれど、一度部屋の隅にいる僕の存在に気づかず言い争いを始めたことがあったんだ。……僕がお腹にいる間、フラウダに危害を与えられそうになっていたことで。父さんは母さんの誤解だと、考え過ぎだと言って……」
私を抱き締めるデズモンド様の腕に力が籠もりました。
「……父さんも母さんもフラウダに殺されたんだと思う」
「小父様もですか?」
「フラウダが欲しいのは自分の言いなりになる情人だ。恋敵を殺したことで自分に見切りをつけた男じゃない。……ハンナ。僕は君を失いたくない。僕を弱腰だと思ってるだろうけど、迂闊に行動してフラウダを刺激したくないんだ」
契約書を握り締めたまま、私もデズモンド様を抱き締め返しました。
「大丈夫です、デズモンド様。わかっています。貴方が私を守ろうとして下さっていることは」
「……ハンナ……」
そう、わかっています。
デズモンド様は昔も今も変わらずフラウダを憎んでいます。
でも──彼は先代侯爵の息子なのです。美しくて優しい人なのです。
つい最近ペルブラン様に縁談が来ていたことを私は知っていました。
彼女はペッカートル侯爵家の遠縁ですが、実家のドゥス子爵家は分家のものになったので、もう貴族令嬢ではありません。
見た目の美しさが取り柄の彼女を見初めたのは、ある年老いた富豪でした。妾という立場ですけれど贅沢が出来て、ペッカートル侯爵家にこれまでの養育費も払ってくれるというお話でした。
ペルブラン様は泣き叫んで嫌がり、デズモンド様は彼女の望みを叶えました。
彼は父親と同じで美しくて優しくて、だれにも嫌われたくないから、だれにでも良い顔をなさる方なのです。
それともデズモンド様はペルブラン様を愛していらっしゃるのでしょうか。すでに持参金を巻き上げて、価値がなくなった私よりも。
悪魔よりも邪悪で浅ましい私は、こうして抱き締められていてさえ彼の気持ちを疑わずにはいられないのです。
そして疑いながらも、彼を愛さずにはいられないのでした。
いっそ……いっそこんな風に私を想う言葉を口にしないでくれたなら、はっきりとペルブラン様のほうを選んでくれたなら捨て去ることが出来るのに、全身に絡みついた鎖のような私の恋心を。
「合鍵をお持ちなのだから勝手に入って来てくださっても良いのですよ。デズモンド様に見られて困るものは……」
日記帳から破って拳の中に隠したリンダ小母様と悪魔の契約書のことを思い出して、私は一瞬言葉に詰まりました。
デズモンド様にこのことは話せません。
知らないほうが良いこともあります。私は夫を守りたいのです。
「……見られて困るものは、なにもありませんわ」
「そう?」
デズモンド様の視線が執務机に向かいます。
「母さんの日記帳、読んだのかい?」
「ええ。……貴方は?」
「読んだことはないんだ。引き出しの鍵はふたつあったけど、あの日記帳の鍵はひとつしかなかった。そのひとつは母さんが君に渡してたよね?」
私は頷きました。
デズモンド様は少し考えてから口を開きました。
「……実はね、ペルブランの嫁ぎ先がまだ見つからないんだ」
「そう、ですか……」
「あの子自体は悪い子じゃないけれど、フラウダにいいように操られているだろう? ペルブランが学園を卒業してずっと家にいるようになったら、たぶん僕達が一緒にいる時間を邪魔しに来ると思うんだ」
「……でしょうね」
「僕が情けないせいで、ほとんどの使用人はフラウダの味方だし」
「デズモンド様を当主として慕っているものも、私に力を貸してくれているものもいますわ」
「ありがとう。でも……しばらくは今の状況が続くと思うんだ、ごめん」
「いいえ。私のほうこそ、私がもっと実家との仲が良くて実家の力を借りられたら……」
「君のせいじゃないよ。……鳥だって自分の妻と子を大事にするのに、僕達の父親はどうしてあんな人間達だったんだろうね。光の女神様が彼らに天罰を与えてくれたら良かったのに」
デズモンド様は先代侯爵への反発で、人より信心深いところがあります。
リンダ小母様が悪魔との契約書を書いていただなんて知ったら、しかも自分の守護を願うためだったなんて知ったら、きっととても傷つきます。
たとえあの契約書が、リンダ小母様が心の安息を得るためのニセモノに過ぎないとしてもです。やっぱり彼には秘密にしておこうと、私は拳の中の契約書を握り締めました。
「ああ、話がズレたね。とにかく、そういう状況だから、僕達だけの連絡手段が必要だと思ったんだ」
「裏庭の鳥が来る木に洞がありました。あそこで手紙を交換します?」
「それもいいけど……子どものとき秘密の連絡場所にしようとしたら、住み着いたリスに手紙をボロボロにされたじゃないか」
「そうでしたね」
だれも知らないふたりだけの想い出に、心が温かくなるのを感じます。
デズモンド様の初恋でありたいとまでは望みませんが、八歳のあの日、ふたりであの木に背中を預けて鳥の歌声を聞いたことが、彼にとっても大切な想い出なら良いのにと私は願いました。
「だからさ、この部屋の引き出しで手紙を交換したら良いかと思って。引き出しの鍵もこの部屋の鍵も僕達しか持ってないからね」
「わかりましたわ。……リンダ小母様の日記、デズモンド様もお読みになりますか?」
彼は首を横に振り、急に私のことを抱き締めました。
「……ハンナ」
「デズモンド様?」
「読まなくても書いてあることは、たぶん知っている。母さんは僕の前で父さんを責めたりはしなかったけれど、一度部屋の隅にいる僕の存在に気づかず言い争いを始めたことがあったんだ。……僕がお腹にいる間、フラウダに危害を与えられそうになっていたことで。父さんは母さんの誤解だと、考え過ぎだと言って……」
私を抱き締めるデズモンド様の腕に力が籠もりました。
「……父さんも母さんもフラウダに殺されたんだと思う」
「小父様もですか?」
「フラウダが欲しいのは自分の言いなりになる情人だ。恋敵を殺したことで自分に見切りをつけた男じゃない。……ハンナ。僕は君を失いたくない。僕を弱腰だと思ってるだろうけど、迂闊に行動してフラウダを刺激したくないんだ」
契約書を握り締めたまま、私もデズモンド様を抱き締め返しました。
「大丈夫です、デズモンド様。わかっています。貴方が私を守ろうとして下さっていることは」
「……ハンナ……」
そう、わかっています。
デズモンド様は昔も今も変わらずフラウダを憎んでいます。
でも──彼は先代侯爵の息子なのです。美しくて優しい人なのです。
つい最近ペルブラン様に縁談が来ていたことを私は知っていました。
彼女はペッカートル侯爵家の遠縁ですが、実家のドゥス子爵家は分家のものになったので、もう貴族令嬢ではありません。
見た目の美しさが取り柄の彼女を見初めたのは、ある年老いた富豪でした。妾という立場ですけれど贅沢が出来て、ペッカートル侯爵家にこれまでの養育費も払ってくれるというお話でした。
ペルブラン様は泣き叫んで嫌がり、デズモンド様は彼女の望みを叶えました。
彼は父親と同じで美しくて優しくて、だれにも嫌われたくないから、だれにでも良い顔をなさる方なのです。
それともデズモンド様はペルブラン様を愛していらっしゃるのでしょうか。すでに持参金を巻き上げて、価値がなくなった私よりも。
悪魔よりも邪悪で浅ましい私は、こうして抱き締められていてさえ彼の気持ちを疑わずにはいられないのです。
そして疑いながらも、彼を愛さずにはいられないのでした。
いっそ……いっそこんな風に私を想う言葉を口にしないでくれたなら、はっきりとペルブラン様のほうを選んでくれたなら捨て去ることが出来るのに、全身に絡みついた鎖のような私の恋心を。
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